1-3
京一郎は路上に駐車したままの車へと一旦戻った。
用済みになった脚立とガムテープをトランクに放り込み、摂理に言われた通り裏口へと向う。
「まだ人の住んでいる団地が近くにあったはずだけど」
少し離れた団地にはまだちらほらと明かりが点っているのが見える。過疎地だとしても、住人が一人もいないわけではないのだ。
「それなのに堂々とこんな近くに居を構えるなんてただの馬鹿か、それとも……」
京一郎が見上げる廃墟となっている建物は、表の入口が腐りかけの木材やら錆びた鉄格子で完全に封鎖されている。長い間無人となっているのがよくわかった。
寄り道はせず、まっすぐ摂理の指定した裏口へと歩を進める。
一分ほど歩くと、まだ生きている扉を見つけた。朽ちかけているが、鉄の戸はまだ辛うじて仕事をしていた。
扉へと近づくと、ノブを乱暴に弄る音が聞こえてきた。
『あ、あれ? 開かないんだけど?』
ガチャ、ガチャガチャ。
『ん? 鍵は壊したし……なんで?』
ガ、ガガチャ、ガタ――
ドアノブだけが激しく揺れている。
扉が開かないのは当然だ。扉は外側からしっかりと板が打ち付けられているのである。素手で板を剥がすのは簡単ではない。
「……はぁ。最後の最後で爪が甘いんだからな」
なんの変哲もない鉄の扉が激しく音を立てている。いったい摂理はいつまで開かない戸と格闘するのだろうか。
欠伸をこぼす京一郎が手を貸そうとすると、急にドアの向こうが静かになった。
『……ああもう、さっきから……何なのよッ!』
ドガンッ!
ドアに蹴りが入った。戸に足形が見事に出来上がっている。
「あのバカ……これじゃあ隠密行動する意味無いだろ」
もうやけくそなのか、戸への連打を止めない摂理。
「でも、こんだけ暴れてるっていうのにまったく反応無し、か。嫌な予感がするな……」
一抹の不安を京一郎が感じた直後、扉が開いた。
いや、開いたと言うのは間違いだ。大きく『く』の字に歪んだ鉄の扉が京一郎のすぐ横をもの凄い勢いと音でぶっ飛んでいったのだ。
鉄の扉は地面を何回か転がりながらスピードを緩めると、死人でも飛び起きるような音を撒き散らしながら敷地の塀を盛大に破壊して停止した。
周りに人が居ない場所で、誰もが深く寝ている時間だったのがせめてもの救いだろう。数秒の空白の後、京一郎は止まった呼吸を再開する。
同時に阿保みたいに口をあんぐりと開け、身の丈はある刀を持って佇んでいた摂理も我に返ったようだ。
「ぁ――よっし!」
「ぁ――よっし、じゃない。このお転婆娘。こんなド派手なことすんなら最初から扉ぶっ壊して侵入すればよかっただろう。俺の地道な作業と睡眠時間と、後お前に踏まれた頭の痛みを返せ」
京一郎が詰め寄ると摂理はバツの悪そうにな顔でオロオロしだした。
右手に持っていた物を素早くコートの下に隠しながら、何か言い訳でも考えているのか目が泳ぎまくっている。
「し、仕方ないじゃないの! 開かないんだから!」
そしてこの逆切れである。
妹の豪快な性格は今に始まったことではない。短気で粗暴で細かいことを気にしない性格。兄としては、たった一人の可愛い妹の将来を心配せずにはいられなかった。
「はぁ……やっちまったもんは仕方ない。ああ仕方ない。それどころかこの大騒ぎだっていうのに家主が飛んでこないってことのほうが不気味だ」
お説教は後回しだ。今はこの状況を把握しなくては。
「たしかに変ね……不審に思った近所の住人がこないとも限らないし急ぎましょう」
まったく反省の色がない摂理の頭を、冷え切った手で軽く叩いてから京一郎は入口から中の様子を確かめた。
「中はどんな感じだった? 見たところ、異常はないが」
気持ちを切り替えたのか、摂理の表情が真剣なものに変わる。
「いる。必ず。一週間も追ってたのよ、ヤレるなら今夜で終わりにしてやるわ」
摂理が壊した入口を跨ぎ、ビルへ入った。持ってきた懐中電灯を付け、京一郎と摂理は一緒に進む。
奥へと進むにつれ、建物の中の荒れ模様は増していった。
アスファルトの天井からは鉄骨が剥き出しになり、壁や床が崩れているところも多々見受けられる。
「まさに絶好の隠れ家だな。でも、なんか変だ」
鼻に刺す微妙な違和感。
摂理も感じ取っているのか鼻をヒクヒクさせていた。
「そうなのよ。京一郎、さっきからなんか変な臭いしない?」
「……一応言っておくけど、俺達が追ってる奴は相当な数をヤッている可能性がある。最悪の場合――」
「……なるべく考えないようにしてたんだから言わないでくれる」
日中も日陰になる陰気な場所、カビ臭いことは覚悟していた二人だがそれとは違った悪臭が奥へと進むにつれ酷くなる。
人の目から隔離でき、誰か来たとしても人が入り込むということは考え難く、生活臭というわけでも無い。
「臭い、強くなったな。こっちか?」
人間の五感、特に嗅覚は記憶を強く呼び起こすと言う。過去の忘れたいとあるイメージを齎し二人は気分を害していた。
「うっ……」
さらに奥へと進むにつれ、鼻を押さえてもどうにもならない刺激臭。
すぐ後ろで摂理が嘔吐感をこらえるような声をあげる。堪らず京一郎も鼻と口を手で押さえてしまった。
この臭いを二人はよく知っている、もう嗅ぎなれている独特な臭い。
腐臭だ。
「ああ、こんなものに慣れたくはないってのにな……慣れてきてる自分が嫌になる」