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神様ビトレイヤー  作者: 庵こく
プロローグ
1/4

世界ノ終ワリ

 

「…ぁ、れ?」

 

閉じた目蓋を開くと、一面鈍よりとした空が眼に入ってきた。

厚い雲に煌々とした月明かりは遮られ、夜闇がより一層辺りを暗く支配している。

覆い被さるようにして立っている朽ちかけの廃ビル。そして蛍光灯が切れかかっている街灯が見下ろしていた。

殺風景な光景から、自分のいる場所が人通りの無い路地裏であることを理解する。


「……」


 体の奥底で疼く何かに抗いながら体を起そうとするが、自分の体とは思えないほど重たかった。

思う様に体が動かない。試しに両手を動かしてみるのだが、辛うじて手首より先が動いてくれているような感覚があるだけだった。次は両足に力を込めてみる。それでも自分の感覚と若干のずれがある。自分の体なのに意思通り動いてはくれない気持ちの悪さ。右足を動かそうものなら、右足の親指が痙攣するような始末。


「……なに、これ?」


 言うことを聞いてくれない体を起こす為に両手を地面に着けた。しかしそこにあると思っていた手触りはアスファルトのものでなく、違った感触が掌に広がっていった。


 生温かい泥、例えるならそれだ。


 少し粘り気がある水に体の自由を奪われながらも、なんとか上半身を起こすことだけは成功した。

 霞む視界がクリアになってくると同時に、徐々に闇を作り出していた雲が晴れていった。漏れる月の光が暗い空間に差し込んでいく。深い闇は消え失せ、異様に眩しい光景が姿を曝した。


 ――――身が縮こまった。

 

 泥だと思っていたもの、それは彼女の衣服を紅に染め上げ、地面や壁などとにかく目に付く辺り一面の色を変える鮮血だったのだ。

 身を置いているのは、大量の血痕が支配する異形の世界の只中。その赤い世界はあろうことか彼女を中心に広がっていたのだ。

 さらに言うならば、彼女の心臓部分を中心に。

 

 遅れて異臭が鼻についた。見ると、あたり一帯に『そこに在ってはならないモノ』の残骸が散乱していた。

 直に見たことは無いにしても、『ソレラ』が自分の体の中の一部分であるような気がして、まさか、と思いながら恐る恐る目を落とした。


「何とも……ない……?」


 幸いにも体の中身どころか、傷の一つだって付いていなかった。しかし服はビリビリに切り裂かれていて、気にいっていた下着も当然のように無事では無い。

 最悪の事態は現実のものになっていない、それだけで噴き出た冷や汗が引いていく。

 ただ、服に空いた一番大きな穴。心臓部分が何かに貫かれたかのように見えて気味が悪かった。


「……なんなのよ」

 

 この有様に自分自身全く心当たりがなかった。ある筈がない。只ならぬ状況に自分がいることは解かるが、これが現実のモノであるということが受け入れ難い。

 自分が何をしていたのか、それとも何かをされたのか、それとも……誰か、を――?

 一度冷静になってしまうとイロイロな不安が湧いてきた。


「あら? もうお目覚めとはね」


 突然闇に響いた声。途端に襲ってくる恐怖心に、すぐさま身が縮こまった。声は穏やかな女性のものだったが緊張で動けなくなる。

 閉鎖された、しかもこんな状態の路地裏に普通の通行人というわけがない。それだけでこの人物が常軌を逸している常人で無いことは察した。

 声のした方を向くと、一つの人影が歩いてくる。反響するヒールの音が不気味に耳を貫いた。


「だ、誰ッ! 近寄らないで!」


 声が震える。歯は噛み合わず、心臓が激しく暴れた。自分の心音がやけに五月蠅く感じる。

 そんな怯えきった彼女の姿を視認したのか、人影は月灯りの当たらない物影で足を止めると、じっとこちらを見つめてきた。


「その台詞、今日二回目」


 暗闇から現れたのは眼鏡を掛けたスーツ姿の女性だった。若く、キリっとした姿勢と表情からビジネス街にいるのが似合いそうな人だ。長い茶髪は後ろで一つに纏めているが、顔の横から垂れる髪がやけに色っぽく見える。

 故に、こんな地獄のような場所には不似合いだ。

 

 女性の出現に彼女が警戒をしていると、


「こんな血生臭い所じゃ落ち着いて話もできないわよね。表に車を止めてあるから付いてきなさい。貴女も、こんなところでそんな破廉恥な格好のままは困るでしょう? 大丈夫よ、何もしないわ」


 声色は少々固めだが雰囲気は柔らかかった。綺麗な人だがらか、日本人離れした容姿は威圧感がある。

 女性の表情には余裕が見えた。これが大人の女性というものなのだろうか、と彼女は心の片隅で思いながら血の海に立った。


 ――そして現在。


 窓の外を高速で流れる街の景色を見つめながら彼女は女性の隣に座っている。車はまったく詳しくないのだが、高そうな左ハンドルだった。女性の香水だろうか、車内の匂いは結構キツかった。


「あ、もしかして匂いキツイ? 酔ったら御免なさいね、一応換気はしたんだけど流石に簡単に匂いは消えないわね」


 ハンドルを片手で握り、もう一方で頬杖を付きながら流し目で謝罪をする女性は運転する姿がとても様になっていた。


「……大丈夫です。タバコ臭くないだけいいですから」


「そう、それは結構。私は吸わないからその点は安心してくれて構わないわ。同僚は結構吸っている輩が多いけど、私も煙草って苦手なのよね。それ以外で気になることはあるかしら? 遠慮しなくていいわよ」


「――いえ、とくには……」


 何処に向っているのか、この女性が何者であるのか、そして自分に何があったのか。

 気になることは山ほどあった。しかしどう聞けばいいのかわからないし、タイミングも完全に逃していた。

 移動するわよ、と質問をする暇も無いまま車の止められている路肩まで案内されたのが数十分前。そこで仕方なしに使い物にならなくなった制服を脱ぎ棄て、女性の差し出してくれた服に着替えた。

この女性のものであるらしいワイシャツとパンツ一式を手渡され、胸元が緩い借り物のシャツを着こむ。全身ダボダボ、特に胸部の差が酷くて泣きそうだった。

 みっともないと思いながらも、別に誰かに見られるわけではないので彼女はあまり気にしないよう努める。


「こんなことになるなんて想定してなかったからね、ゴメンなさい。貴女が着られるような服なんて用意してなかったから出来あいのもので勘弁してちょうだい」


 サイズの合わない服装が面白いのか、女性は口元に笑いを浮かべていた。

 理性が麻痺していたのか、ほいほい付いてきてしまったことにいまさら後悔する。貞操の危機があるかもしれない最悪の展開を頭の片隅に一応おいておく。いざとなったら猛スピードで走行する車から飛び降りればいいか、と彼女が思った時だ。


「――あっちゃー、始末し損ねたか」 


 女性の顔から一瞬にして笑みが消えた。

 急ブレーキをかけると、車体は横滑りしながら巨体を止めた。シートベルトが無かったらガラスを突き破って車外へ放りだされていただろう。

 そこで初めて、彼女は違和感を覚えた。

 車内に着いている電子時計はまだ日付をまたいでいないのだ。まだ人が消えるには早い時間である。

 それなのに、誰も街にはいなかった。酔っ払いや危ない界隈の関係者に水商売の人間すら、一切街には人の気配がない。いつもは年中人の絶えない繁華街の喧騒とした空気がまるで無かいのは異常である。


 その変わり、殺伐とした空気が漂っていた。どことなく彼女が目覚めた路地裏と雰囲気が似ている。その異質な空間に一人、女性が車を止めた先約五〇メートルのあたりに誰か立っているのが見えた。

 怪しげなタキシード姿で手品師が使うようなシルクハットを被った初老の男性だ。西洋風の顔立ちに、キレのいい髭が実に似合っている。


「貴女はここにいなさい。いい、絶対この中から出ては駄目」

 

そう言い残し、彼女が言葉を挟むより早く女性は車外へと躍り出た。


『よくもやってくれましたね、お嬢さん。私を殺したばかりでなく、ようやく見つけた“その”逸材まで殺されてしまうとは』


 紳士的な物腰の老人は、ゆっくりと歩を進める彼女に笑顔をむけていた。なぜか、車内にいる少女にまで老人の声がはっきりと聞こえる。まるで頭の中に話しかけられているかのような感覚だ。


「あら、それはごめんなさい。私は息の根を確実に止めてあげたつもりだったのだけれども、あの程度では死にきれなかったようね。後何回殺せばいいのかしら?」


 老人に対し、女性は物騒なことを口走りながらも満面の笑顔は崩さない。互いの距離が五メートルかそこいらに達した所で女性はようやく歩みを止めた。


『ただの人間、と先程は油断しましたが同じ轍は二度踏みません。お嬢さんの力量は確認したのでね。なぜまだ生きているのか知りませんが、そちらの子を、こちらに渡して貰いましょうか?』


「――え? 私?」


 今まで蚊帳の外だと思っていたのが一転、老人は車内の彼女を見ている。笑顔をとり払った老人の彼女を貫く眼光は鋭く、呼吸を忘れて魅入られそうになった。

 不思議な事に、自分の意思とは関係なく、身体が勝手に車外に出て行きたがっているような気がして両腕で体を抱えた。このままでは心が押しつぶされそうな程のプレッシャーだ。

 だが、そんな彼女と老人の線上に女性が割って入った。


「おっと、魅了しようとしたってそうはさせないわ。この子は今日から私の『モノ』になったの。あんたに返す道理はないわね」


『強情なお嬢さんだ。私はお嬢さんと争う気は毛頭ないというのに。ただ、その子を渡せば見逃してあげようと言っているのですよ?』


 老人はそう口では言っているが、目だけは笑っていない。女性を鋭い眼で見つめている。


「馬鹿言ってるんじゃないわよ。この世界の脅威になるような存在である貴様をここで見逃すわけにはいかない。みたところ……貴様は『ヤツ』の呪縛から抜けたようだしな」


 話がまったくつかめず、ぽかーんとしている少女のことなど余所に二人の会話は続く。

 女性はここにきて初めて敵意をむき出しにして老人を睨みつけた。離れた少女の所まで冷たくなった空気の変化が伝わってくる。


『……そこまでわかるとは、やはり只者ではなかったということですか。出来ることならばお嬢さんのような美しいものは壊したくないのですが……仕方がないですね。死んで―く――――?』


 老人の流暢だった言葉が不自然に途切れた。

 

 少女には何が起こったのかまるで解からなかった。ただ一つ解かることは、少し前まで対峙していたはずの女性が既に少女の隣に腰かけ、自動車のエンジンを吹かしていたことだけ。

 いつ移動し、いつドアを開け、いつ座って、いつシートベルトを付けたのか。瞬きすらしていないのにまったく気が付かなかった。

 

 そしてどういう訳か、老人の身体が消えていく。全身にモザイクが掛かり、存在が希薄になっていくかのようだ。

 もうあの老人のことなど眼中にないのか、女性は老人に一瞥もくれない。


『……まさ、か。因果を、捻じ――曲げ――おったな―――!』


 霞む姿が言葉を発す。


「――あら、何? まだ喋れたの? 流石に最古参の元祖となると積み上げてきた歴史が厚いわね。けっこういじくり回したつもりだったんだけど」


 女性は車の窓を開け顔を出した。先ほどまで見せていた殺気がまるで嘘の様にまったりとした口調で老人に問いかけている。


『―――ふん、我ら、生命力――甘く見ないで、も、らいたい。だがしかし、見事、だ。その腕前……私が若ければ、身切れたがな』


「何を強がってるんだか。もう社会保障も効かないような歳なんだからいい加減引退しなさい」


 老人は辛うじて残っている頭だけを震わせながら、笑いをこぼした。徐々に消える存在ではあるが、その眼光だけはまだ死んでいない。


『―はっ―はははは! 言ってくれるな、人間風情が! この、ような東の最果てまで来て、葬り去られるとは思いもしなかったわい! しかし、忘れるでない。あの方、存在は―――もうそこまで来てい―――はは、ははぁっ!』


 狂喜じみた笑い声を残し、老人は完全に消滅した。

 残ったのは、いつの間に現れたのか歩道を歩く疎らな人の姿と二人の乗った車だけ。

 女性は窓を閉めると、ギアを入れてアクセルを踏んだ。滑らかに動きだす車体、シートに身体が押しつけられる。


「まったく……よけいな手間を取られたわ」


 しばらく無言だった車内で、女性が一息つくと緊張が一気に解けていった。隣で固まっていた彼女も、それで緊張が解けたかのようだ。


「……私って、死んだんですか?」


 女性と老人の会話を聞いた少女は自分の身に何が起こったのかをなんとなく理解した。少女の問いに、女性は口を閉じたままだ。

 肯定と受け取っていいのだろう。


「でも私、なんで生きてるんですか?」


 老人も言っていた。なぜ、生きているのか。

 目を覚ました時のあの血の現場が思い起こされる。あれが自分の血だとするなら、ここに生きているはずがない。

 お喋りだった女性は彼女の問いにまたしても答える事無く、黙々と運転を続けていく。

 そうして何分もの間沈黙を貫いた女性は、海の見える何処かの海岸線までくると、諦めたのか口をゆっくりと開いた。


「そうね、貴女は確かに死んだわ。殺された。そしてもう一度私が殺し、そして生き返らせたの」



 世界を照らす朝日が顔を覗かせた。

 太陽の光がとても眩しく、思わず少女は目を細める。


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