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4月16日(月) 彼岸優、お姫様抱っこをされる。

 4月16日、月曜日。



 おはようございます。今日は4月16日、今日も私は朝練のために早目に家を出る金切君に合わせて家を出る。

「おはよう、金切君」

「おはよう、優」

 何気ない話をしながら学校まで行き、教室では席が隣なのでわざと教科書を忘れたフリをして見せてもらったり、そういった日常が1週間続いた。それだけで私は幸せだった。ただ、そろそろ次の段階に進みたいとも思っていた。しかしそうするための勇気を私はまだ持ち合わせていない。

「あ、猫!おいでおいで~」

 今日も金切君と一緒に学校へ向かう途中、猫を見つけ、隠し持っていたスナック菓子で餌付けをしようと試みる。

「野良猫に餌付けはよくないぞ優…と思ったが首輪してるな、あれは飼い猫か」

 金切君も隠し持っていたチーズかまぼこで餌付けを試みる。何でそんなものを?

「なー」

「まーお」

 猫は1匹だと思っていたが、どうやらもう1匹いたようだ。夫婦なのだろうか?優しそうな目で猫に餌をやる金切君を見て、私は猫に嫉妬し、手にしていたスナック菓子を潰してしまう。




 学校につき、あっという間に5時間目。月曜日の午後は5、6時間フルに使って2組と合同体育だそうだ。体育に連続で2時間使うというのはなかなか珍しいのではないだろうか?

「それにしても、なんでブルマじゃないのかなあ」

 グラウンドで準備体操をする間、ヒナが学校指定のジャージに苦言を申していた。

「今時ブルマって…漫画じゃないんだから」

 青色のジャージに身を包み、私たちは二人で柔軟体操。

「こんな地味な体操服で金切君を誘惑できると思ってんの?ブルマからハミパンした状態で金切君と体育倉庫に閉じ込められれば、金切君きっと野獣になるよ」

「あのねぇ…」

 野獣と化した金切君…見てみたい気もする。

「今日は軟式野球をやります。とりあえず、二人一組でキャッチボールをしましょう」

 準備体操も終わり、やる気のなさそうな体育教師はそれだけ言うとその場にへたれこみ、女子生徒を眺めている。

「ヒナ、やろっか」

「……」

「ヒナ?」

 さっきからヒナは何かサインを出しているようだ。私は変化球なんて投げられないというのに。

 ヒナの目線の先を辿ると、金切君と小田君がいた。

「小田、俺と組もうぜ」

「稲妻さん!俺と組みましょう!」

 金切君は小田君を誘うが、小田君は何とヒナを誘い出した。

「うん、もちろんいいよー」

「え、ヒナ?」

 ヒナは小田君と組んでしまう。当然組んでくれると思っていた私は動揺。別のパートナーを探すが既に他の皆はパートナーとキャッチボールを開始していた。

「どうしたんだよ小田…えーと、誰か組んでくれる人…」

 それは金切君も同じなようで、一緒に組んでくれる人を探している。

「ほら、行ってこいって!」

「わ、ヒナ?」

 突然ヒナに背中を押され、金切君の元へ。

「おう、優か…。組む人いないのか?」

「うん…えーと…その…」

「その…なんだ…」



 私達はその後言葉を交わすことなく距離を取り、キャッチボールを開始した。

 ふと向こうを見ると、双子の妹である秀も見知らぬ男の人とキャッチボールをしていた。恋をしろと偉そうな事を言ってしまったが、秀も秀なりに青春を謳歌しているのだろうか?ひょっとしたら私よりもずっと先に進んでいるのかもしれない。



「んじゃ、行くぞー」

 そう言うと金切君は山なりにボールを投げる。正確無比なコントロールで私のグラブにそれはすっぽりと収まった。流石は野球部のピッチャー。続いて私も金切君に向けてボールを投げるが、流石に女の子の私の肩では金切君と同じ距離を投げられないし、コントロールも全然だ。金切君は前に走って何とかノーバンでボールを受け取った。

 そんなやり取りを数回続けるが、私は物足りなさを感じる。

「金切君、本気で投げてよー」

 さっきから金切君はかなり遅い球を、私が一歩も動かずに捕れるように投げている。これではキャッチボールをしている感じがしない。会話のキャッチボールという言葉がある通り、キャッチボールを通じてもっと金切君とコミュニケーションを取りたかった。

「でもあんまり速いと、優が捕れないだろ?」

 それでも私に合わせてもらっているのは納得がいかない。

「別に捕って得点入って競ってるわけじゃないんだし。私これでも本気で投げてるんだから、金切君も本気でぶつかってきてよ。ほらあれ」

 私はとある2人を指差す。そこでは秀がパートナーに本気でボールを投げていた。かなりの速球だ。しかもパートナーが撮ろうとした瞬間ボールは下へかくんと落ちる。変化球というやつだ。パートナーはボールを捕りそこね、後ろへ転がって行ったボールを取りに行く。その後パートナーも負けじと速球を投げようとするがとんでもない大暴投だ。秀は全速力で後方へ走って行った。

「…そうだな、あれくらいやった方が楽しいよな」



 さて、金切君を煽ったはいいがそれからが大変だ。金切君は本気の速球を私に投げてくる。球が速い!怖い!なんとかグラブにボールはバシッと収まるが、軟式とはいえ乙女の顔にこれが当たったら大変だ。当たったら責任取ってお嫁にもらってもらおうかと考えたが、自分から本気で来てと言ったのだからどうなろうと泣き言は言っていられない。私も全力で金切君にボールを投げる。そんな感じでなんとか私は金切君のペースについていくことができた。会話こそないものの、ばっちりコミュニケーションは取れているのではないだろうか。



「よーし、それじゃあキャッチボールもそろそろいいだろう、試合でもやろうかな。まずは1組男子対2組男子。女子は応援な」

 体育教師はそういうと、学校の外を歩いている女子小学生を眺めはじめた。この教師そのうちやらかすのではないだろうか。

 というわけで1組と2組の試合が始まる。6イニング制で、金切君は4番ピッチャー、小田君は3番キャッチャーのようだ。

 ヒナの話によれば1組の男子には金切君と小田君しか野球部員はいないが、2組には4人いるうえに、他にも体育会系の生徒が多いらしい。

「うーん、じゃあ1組は不利なのか…」

 私はがっくりとうなだれる。金切君は活躍できそうにない。しかし横に座っていたヒナは、両手を横にして、顔を横に振ってやれやれのポーズ。

「なんで金切君を優が信じてあげないのさ、それに見てなって、余裕で1組が勝つよ」

 実を言うとあまり野球には詳しくないのだが、何か根拠があるのだろうか。それじゃあ私は実況してくるねとヒナちゃんはいつのまに設置されていたのやら実況用の席に向かった。そういえばヒナちゃんは放送部に入ってたんだっけか。



「というわけで始まりました1組男子対2組男子。実況は放送部のサンダーボルト、稲妻日名子がお送りします」

「解説は同じく放送部の石田守がお送りします。まああんまり野球知らないんだけどね」

「石田さん、ところで貴方は2組男子のはずですが何故ここにいるんですか?」

「ベンチにも入れなかったんですねー、これが」

「情けないですねー、放送部は体育会系だというのに」

 何故かヒナと相方が漫才を始めてまともに実況と解説をしていない。その間に金切君は3人の打者を三振にとった。業界用語では三凡というらしい。

「…流石県内一のエースピッチャーだな」

「お前のリードがいいんだよ…何解説の席を睨んでんだ?」

 ハイタッチをする金切君と小田君。あの二人付き合ってるって噂よと近くの女子が話していた。そんな馬鹿な。小田君は私の恋を応援してくれるはずじゃなかったの?

「気が付いたら1回の表が終わってましたね、三者三振ですね。ピッチャーの仕上がりはどんな感じだと思われますか石田さん」

「いいと思います」

「石田さんは解説もロクにできないので戦力外通告です、今までありがとうございました。さて1回の裏、なんといっても3番4番が強力ですね。一人塁に出せば4番でエースの金切君に回ってくる、怖いですね」

 漫才を聞いているうちに1番と2番が凡打に倒れる。

「…糞、あの男…」

 打席に立つ3番の小田君は何やら不機嫌そうだ。さっきからしきりに解説の席を見ているが、何かあったのだろうか。

「さっきから殺気を感じるのは私だけでしょうか稲妻さん」

「死ねばいいと思います。さあ3番キャッチャー小田君、初球を引っ張った!しかしこれはショートゴロ…いや早い!セーフ!セーフ!キャッチャーは鈍足だって誰が決めた?小田君見事な内野安打です!」

 ヒナの言っている用語がいまいちわからないが、どうやら金切君の打席のようだ。打席の金切君はとてもキリッとした面構えをしている。普段のおちゃらけた感じとのギャップに、私のドキドキはとまらない。2組のピッチャーが投げる。金切君は見送る。審判はストライクと宣言する。ピッチャーがまた投げる。金切君は見送る。審判はストライクと宣言する。あっという間に追い込まれてしまった。金切君はバットを振る気がないのだろうか?確か一流のバッターでも10回に3回くらいしかヒットは打てないらしいし、ピッチャーというのは打撃は下手だと聞く。金切君のヒットはこの試合では見られないのかと思っていたが、杞憂に終わった。

「さーピッチャー投げました!金切君バットを振る!バットにボールが当たりました!そのままボールは高く飛んでいって…おおっとセンターが向かいますが…諦めた!ホームラン!ボールは学校の外へ消えていきました!お見事です!石田さんどうせ解説できないならボール回収しにいってくださいね」



 私はフリーズしていた。金切君が格好良すぎるからだ。何で私は今まで金切君が野球をしている姿を全然見なかったのだろうか。同じクラスになれなかったことよりも、そっちの方が悔やまれた。それくらい私の目にはダイヤモンドを一周する金切君は輝いていた。



 そして金切君は投げて打っての大活躍。試合は6対0で1組の勝利に終わった。実況の席から戻ってきたヒナに、

「優って金切君の事好きなのに金切君の実力知らなかったの?中学時代から有名だったよ?」

 と呆れられた。本当にお恥ずかしい限りである。私の中での金切君と言ったら家が隣でよく遊んでくれる人で、小中学校ではクラスが一緒になれない事もあり疎遠がちで、野球をしている彼なんて知らなかったのだ。

 ちなみにさっき秀とキャッチボールをしていた男は全三振といいところがなかった。こっそり彼の打席の時に女子の群れから離れて1人座っている秀の元へ行き、様子をうかがった。応援でもしているのかと思ったのだが、秀はぶつくさと、

「なんだあのフォームは…あんなんで打てるわけないだろうが…ボールの見極めも酷い…」

 男に対して文句を言っていた。あれでも応援しているのだろうか?



 さて、次は1組女子対2組女子の試合だ。ヒナは試合に出るし、石田君一人じゃ役に立たないということで実況と解説は今回は無しだ。ヒナは1番ショート、私は2番レフトで出場することになった。秀はどうやら4番ファーストらしい。

「プレイボール!」

 審判が試合の開始を告げる。まずはこちらからの攻撃だ。流石に男子に比べると女子の野球はおままごとだ。2組のピッチャーはへっぴり腰で下手投げ。しかし打つ方も男に比べると圧倒的に非力だ。ヒナが打ったボールは力なくサードの正面へ。ヒナは足の速い方だが、流石に間に合わないだろう、と思ったがロクに守備練習もしてないからかサードが暴投。

「ラッキー!」

 ヒナは嬉しそうに1塁へ走る。ボールは秀のかなり真上を通過していき、

 秀が大ジャンプして手を限界まで伸ばしボールをキャッチ。着地と同時にベースを踏んでアウト。

「どんまいヒナ、次があるよ」

「妹さんは優秀だねー、まあ愛の力で頑張りな」

 悔しがるヒナをなだめる。続いて私の番。バッターボックスに立つのは緊張する。ボールが来る。全力でバットを振るが、かすりもしない。次のボールがくる。これは多分ボール球だろうと見逃すが、審判はストライクを宣言。追い込まれてしまった。私は金切君の方を見る。金切君と目が合った。距離が遠いのではっきりとは聞こえなかったが、頑張れ愛してるぞ好きだとかそんな感じのことを言っていた気がする。妄想だとわかっていても、金切君にそんなこと言われたら私のやる気は300%。今の私に打てない球はない。3球目を華麗に流し打ち、一二塁間を破る華麗なヒッ

「ふん」

 まるでそこへ球が来る事を予測していたかのように左によっていた秀は横っ飛びしてダイビングキャッチ。秀を睨みつけるが、目つきの悪さではかなわない。睨み返されてビビって戻る。

「ヒット性のあたりだったのにねー、妹さん容赦ないね」

 ヒナに慰められるが私のテンションはガタ落ちだ。応援している男子の方を見ると、秀のファインプレーで盛り上がっていた。体育会系の女子は秀をなんとかして自分の部活に引き入れたいと話しているようだ。妹の方が話題になるのは悔しいが、大事なのは金切君だ。金切君は私のことを評価してくれただろうか。いや、させる。チャンスはまだあるのだから。



 1回の裏。1番がヒット、2番がバント、3番が四球で1死12塁で秀にまわってくる。

 はっきり言って秀の運動神経はそこらの人間とは次元が違う。更に言えば秀は野球ファンだ。何故ファンになったかは知らないが、地元の野球チーム「厳島東郷ガープ」の野球中継をよく見ているし、たまに休日にユニフォーム姿で球場へ行くこともある。野球をやっているところは見たことがないが、金切君並、いやそれ以上に能力はあるだろう。

「ひぃっ」

 レフトの守備位置からはよく見えないが、こちらのピッチャーである花菱さんはかなり威圧されているようだ。私のせいで親の愛情を受けることができなかったのが原因なのか、秀自身に問題があるのかはわからないが、私が小学生になる頃には常時いつも睨んでるような目になっていたと思う。双子の姉でも怖いのだ、気の弱い女子高生ならお金を差し出してしまうかもしれない。

 花菱さんの投げたボールを秀はアッパースイングで打ち返す。ボールは高く上がってこちらへ飛んでくる。私はボールが落ちそうな場所へ向かうが、ボールは全然見当違いの場所へ落ちる。慌ててボールを拾いにいくが、ボールを拾った時には既に秀は2塁を蹴って3塁へ。

「優、中継!こっち投げて!」

 ヒナが叫ぶ。拾ったボールを全力でヒナの方へ投げるが、やはり女の子の肩ではへなへなボールだ。結局ヒナがバックホームする前に秀はベースを1周。ランニングホームランだ。

「彼岸さん脚も早いのね!陸上部入らない?」

「…いえ、興味ないです」

 5番の陸上部の女子生徒に勧誘される秀とは対照的に今の私は最高に惨めだ。悔しくて、怖くて、金切君の方を見ることができなかった。ボールの対空時間はかなり長かった。恐らく目測を誤らなければちゃんと捕れていたであろう。素人だから仕方がないとヒナに慰められても、気分は最悪だ。



 そんな気分のまま試合は進み、私の第二打席がやってくる。しかし私のやる気は3%といったところだろう。打撃でも守備でも金切君に良い所を見せることができなかったのだから。

 死人のような表情で打席に立つ。ボールが来るがバットを振るつもりにもならない。さっさと三振して、次から守備は誰かに変わってもらおう。

「優!頑張れー!」

 ああ、ついに幻聴が聞こえてきた。こんな情けない私を金切君が応援してくれるわけないと言うのに。私はチラっと金切君の方を見る。金切君は立って大声で私を応援してくれていた。

 幻聴じゃない!?

「優なら打てるぞ、頑張れー!」

 金切君が私を応援してる、金切君が私を応援してくれてる、しかもあんな大声で。周囲に茶化されても気にする事なく。

 打てる、打てるんだ…!やる気が500%になった今の私なら、金切君のボールだって打ち返しちゃう。見てて金切君、これが私の全力全開!引っ張った打球はショートの頭上を越えていき、私は全力で1塁を駆け抜けた。ヒットだ、ヒットを打てたんだ。

「ふふん、どうよ」

「よかったな」

 1塁の上に立つ双子はシュールな光景だろう。何故か秀に勝ち誇った顔をしてしまうが、珍しく秀は私に食ってかかることなく素直に私をねぎらってくれた。金切君の方を向くと、金切君は私に向かって親指を立てる。私は満面の笑みでそれに答えた。



 続いて秀の第二打席。秀は打席に入るや否や、バットを私の方へ向けた。予告ホームランというのは聞いたことがあるが、ひょっとしてこれは私の方へ打つという意思表示なのか。秀が何を考えているのかわからないが、姉に挑戦するというなら受けて立つ。

 さっきと全く同じスイングで、ボールは私の方へ飛んできた。今度はしくじらない。金切君が、ヒナが、ひょっとしたら秀が、私を応援してくれている。ボールの落ちてくる位置は察知できた。しかしこのままでは間に合わない!

「姉を…なめるな!」

 双子の妹があんなに素質があるのだ、私にだって潜在能力があるはず。ボールに向かって思いっきりダイビング。間に合え!

「アウト!スリーアウト、チェンジ!」

 ボールは私のグラブの中に収まった。審判の宣言と共に辺りから歓声が湧き上がる。秀なら普通に追いついて取れたボールだとかそんな野暮な事を言ってはいけない。ヒナと私はハイタッチ。金切君に手を振ると、金切君も手を振りかえしてくれる。

「お膳立てありがと、秀」

「連続で惨めな姿を晒してやろうかと思ったんだがな」

 秀はだるそうに自分の守備位置へ。秀のことだから、恐らく私が全力を出せば捕れるように打ってくれたのだろう。良くできた妹である。



 そして私の三打席目。6イニング制だし、これが最後の打席になるだろう。打席に入る前に1塁の方を見ると、四球で出塁したヒナと秀が何やら会話をしていた。面識は全然ないはずだが、意外な組み合わせである。どうやらヒナが秀に頼みごとをしているようだ。秀は露骨に嫌な表情をしたが、しばらく上を向いた後、

「タイム」

 そう言ってピッチャーの方へ駆け寄った。今度は2組のピッチャーと何やら話し合ってるようだ。やがてピッチャーは1塁の方へ。秀はそのままマウンドへ。グラウンドがざわめく。ここにきて突然秀がピッチャーをやるというのだ。しかも双子の姉妹対決。盛り上がらないはずがないだろう。

 投球練習で秀が大きく振りかぶって投げたボールはすっぽりとキャッチャーのミットへ吸い込まれる。それにしても速い、キャッチャーがビビってしまっているではないか。素人の野球なのに何をムキになっているのか。

 投球練習も終わり、いよいよ私と秀との対決が始まった。とりあえず最初は見送ろう。

 さっきの打撃と守備での覚醒のおかげか、今の私は秀の速球も冷静に判断することができるようだ。ボールはやや下へ。恐らくストライクゾーンには入ってないだろうと安心して見送るが、

「えっ…」

 次の瞬間ボールは急激に左へ曲がる。そのままボールは私の脚めがけて一直線。避けようと思ったがその瞬間には既に私の身体は激痛を訴えていた。



「…っ!いた…っ」

 痛みに耐えられず私はその場にうずくまる。

「大変!大丈夫、優?」

 ヒナがすぐにこちらへ駆け寄ってくる。あまり心配そうにしていないのは気のせいだろうか。

 ヒナは私のジャージをまくってボールの当たった後を確認。少し腫れている。

「これは大変だ、すぐに保健室に連れていかないと。金切君保健委員でしょ?優を保健室に連れていって!」

 ヒナに呼ばれて金切君がこちらへ駆け寄ってくる。

「わ、わかった。立てるか、優」

「うん。だいじょう」

「いや、かなり怪我が酷いみたい。歩けそうにないよ。金切君抱っこしてあげて」

「ヒナ!?」

 痛みはまだあるが、立てない程ではない。だというのにヒナはとんでもない事を言ってのける。

「え、それは…」

「恥ずかしがってる場合?優が怪我してるってのに」

 ヒナは何だか演技がかかった口調で金切君に詰め寄る。

「…わかった、すまん、優」

「え?え?えええっ!」

 金切君は私を持ち上げて、保健室へと歩き出す。つまり、これは、お姫様抱っこである。

 ヒナの方を見るが、ヒナは私が怪我をしたというのに私に親指を立てて見せた。

 私にぶつけた本人は、ここ最近で一番酷い目つきで私達を睨んでいた。




「恥ずかしいと思うが、我慢してくれ」

「うん…金切君こそ、ごめん…重いでしょ」

「んなことねえよ」

 保健室への道のりの中の会話はそれだけだった。好きな人にお姫様抱っこされるなんて、世の片想い女子が聞いたらリンチにあうだろう。ようやくヒナが私に親指を立てた理由がわかった。全て仕組まれていたのだ。ヒナは秀にわざと私に当てるように頼み、何故それに応じたかはわからないが秀は実際に私にわざとボールを当てた。後はヒナの演技で私が深刻な怪我をしているかのように見せかけ、金切君にお姫様抱っこをさせるまでに至ったのだ。偶然にも今日はクラスの女子の保健委員は欠席していた。

 何か色々と間違っている気はしたが、私も乙女の端くれ。今はただこの状況を楽しむことにする。永遠と保健室に到着しなければいいのにと思うが、あっさりと保健室に到着してしまう。

「保健の先生は…いないのか」

「どうした、足でも怪我したのか…お前らは確か彼岸姉に金切だったか」

 金切君が扉を開けて保健室に入る。保健の先生は不在だったが、先客がいた。小柄な男子生徒と、ベッドに横たわり生ガキはもう食べない…と呟いている金髪の女子生徒である。小柄な男子生徒は小中同じでたまに秀と一緒にいるところを見たのだが名前が出てこない。金切君は私をベッドに寝かせると、薬を探す。

「彼岸秀…よくも土曜日はやってくれたな。お前のせいで俺は生ガキを食って学校で気分悪くなってこの様だよ。嬉しそうにお姫様抱っこなんかされやがって、気持ちわりぃ」

「さなぎ、そいつは双子の姉で別人だ。つうか彼岸妹と生ガキ全然関係ないじゃないか。十分休んだだろ、もう出るぞ。それからそっちは軽く捻挫しているみたいだな、そこの冷蔵庫の中に氷嚢が入っているからそれで冷やして、テーピングでもしとけ」

「うええ?お兄ちゃん時間が中途半端だから6時間目終わるまでついでにサボろうって」

 いいから、と小柄な男子生徒は金髪の女子生徒を引きずって保健室を出て行った。

「ちょっと冷たいと思うが我慢してくれよな」

 金切君は冷蔵庫から氷嚢を取りだし、私の患部にそれを当てる。

「ひゃうん…」

 思わず情けない声をあげてしまう。それを聞いて金切君がくすくすと笑った。

「もう…人が怪我してるってのに」

「わりいわりい。…今日のお前、大活躍だったな」

 金切君は私を見つめてにっこりと笑う。金切君に褒められるだけでもヤバいのに、見つめられて笑ってくれるとかダブル役満。飛んじゃう、飛んじゃうよ…!

「か、金切君も、すごかったね」

 私も金切君を称えるが、金切君はため息をつく。

「俺はまあ、練習もしてたしな…。しかしお前の妹さんは本当に人間なのか?俺よりずっと速い球投げやがる。正直自信なくしたぜ…」

 おのれ秀。貴様のせいで金切君が自信をなくしてしまったではないか。いや待て、逆に考えるんだ。これはチャンスだ、金切君を慰めて好感度アップだ。

「男子はまだ背が伸びたり、成長するじゃん。これからなんだから、諦めちゃ駄目だよ」

「…そうだな、サンキュ、優。そろそろ包帯巻くぞ」

 氷嚢を退けて、金切君は私に包帯を巻こうとする。

「じ、自分で巻くから!」

「でも怪我人だし」

 普段はスカートで脚を露出させているのに、脚を見られるのも、脚に触られるのもたまらなく恥ずかしい。保健室効果だろうか?

「とにかく、いいから。レディーの脚に軽々しく触るもんじゃないよ」

 私は自分で包帯を巻くと、ベッドから降りて、

「もう大丈夫、歩けるから。それじゃ」



 逃げ出すように保健室を去った。ちょっと脚は痛いが、このまま保健室にいたら心が痛くて壊れそうだった。大好きな金切君と保健室で二人きり、しかも看病されている。最高のシチュエーションなのに私はそれを有効利用することができない。包帯だって金切君に巻いて欲しかった。金切君に触れて欲しかった。それでも私は逃げてしまった。とんだヘタレである。丁度授業も終わったので更衣室で着替えて、放課後は真っ先に帰る。今日は色んなことがありすぎて、私のキャパシティを越えていたのだ。それでも家に帰るとお姫様抱っこを思い出し、くねくねしながら悶えるのでありました。


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