6月30日(土) 授業参観(後)
4時間目、いつもは携帯を弄りながら適当に受けている化学の授業だが、流石の俺、稲船さなぎも今日ばかりは真面目に授業を受けている。
何故なら俺の後ろには母さんと、何故か黒須と、何故か神音がいるからだ。
そう、今日は授業参観。黒須と神音の高校は土曜日は毎週休みというゆとり仕様なので、俺の授業風景を見にきたみたいだ。神音は何故か不機嫌そうだが。
母親と彼氏と中学時代の親友。こりゃあ張り切らないほうがおかしいってもんだろ?
しかし、実は俺はそんなに化学は得意ではないのだ。俺が得意なのは英語と国語。ガチガチの文系なのだ。まあ苦手という程のものでもないし、多分学年の中では中の上くらいだと思う。
だがもしも自信満々に問題に答えようとして失敗したら赤っ恥だ。問題一問間違えたくらいで幻滅するような連中ではないと信じてはいるが、やはり俺の気持ちの問題だ。
というわけで、小学一年生のようにはいはい手をあげることはせずに、無難に授業を受ける。
「ではこの問題を、今日は30日だから稲船さん」
「へぇあ!?」
しかし先生にご指名されてしまい、情けない声をあげてしまい教室中が笑いに包まれる。
産まれついてのエンターテイナーとしての才能に打ち震えそうになるが、前に出て問題を解かなければならないのは陰鬱だぜ。
そもそも30日だから稲船さんってどういう計算をしているんだ?
まあ指名されてしまったものは仕方がない。
中和反応の例の化学式だな、大丈夫。こういう教科書とか授業とかをちゃんとやってれば解ける問題はできるんだよ。応用問題ともなると難しいけど。
酸と塩基で塩を水……っと。それにしてもチョークって嫌いなんだよな、書きづらいし。
俺は字はそこまで汚い方じゃないと思ってるけど、チョーク使うとどうにも汚い字になる気がする。母さんや黒須の見ている前で汚い字を見せるのもなんだかなぁと思って、何度も書いた字を消して納得いく文字になるまで書き直す。化学の授業なのにまるで国語みたいだな。
「よく出来ました。中和反応とは……」
解答も無事に正解、何とか恥をかかずに済んだぜ。
「あの子不良かしら、耳にピアスしてるけど」
「親の顔が見てみたいわね……」
ところが、席に戻ると後ろにいる保護者達がそんな事を言っているのを聞いてしまう。
その失礼な保護者二人の横にいるのが、まさに俺の母親であった。
このピアスには色々思い出があるんだよ、事情も知らない癖にしゃしゃってんじゃねえ!
まあ、アウトローは他人に理解されないものだから構わないけどな。気にしない気にしない。
「失礼ですが奥様方、見た目で人を判断するのはいかがなものかと思います」
ところが、黒須は彼女を馬鹿にされて黙ってられなかったらしく食って掛かる。
「そうだそうだ。さなぎはお前らの子供よりずっと純粋で良い子なんだよ!」
神音も応戦する。いい仲間を持ったよ俺は。でも別に俺は気にしてないし、それより恥ずかしいからそういうのやめてくれ。
そうこうしているうちに授業が終わる。土曜日は半日なので、後は帰りの会を待つだけだ。
「さなぎ! 会いたかったよさなぎ!」
「神音! 俺もだぜ!」
授業が終わるとすぐに駆け寄ってきた神音と抱擁を交わす。高校別々になってメールはしていたけど、実際に会うのは今日が初めてだ。
「いやあさなぎしばらく見ないうちにでかくなったなあ」
「神音もカリスマ性が高まってきたんじゃないか?」
神音はお世辞にも俺や桃子のように美少女というわけではないが、どういうわけだが周囲に人が集まるカリスマ性を持っているのだ。
「そうそう、これは確か言ってなかったっけ、今アタシお前のお兄ちゃんの家の裏にある店で平日放課後はバイトしてんだ。よかったら遊びに来てくれよ」
「マジで? そっか神音バイトしてんのか、俺もすっかなあ」
バイトするなら黒須や部活の仲間と一緒にしたいなあとバイト風景を妄想していると、黒須と母さんの楽しげな会話が聞こえてくる。
「本当にウチの娘がご迷惑をかけてばかりで……」
「いえ、こちらこそさなぎには元気を分けてもらってばっかりですよ」
何かああいう会話を聞いてるとこっぱずかしくなるよなあ……そういえば、桃子の両親はどいつだろうかと辺りを見渡すと、
「桃子、ちゃんと学校で友達はいるのか? ああ、友達と言っても同性な? 異性の友達なんて許さないからな」
「もーパパったら、友達くらいたくさんいます。ね、なぎさちゃん」
桃子と、桃子の両親らしき二人が口論している。どうやら桃子の母親は外国人みたいだ、ハーフだったのか。
「ちわっす、桃子の親友のさなぎっす」
助け舟を呼ばれたので桃子の側に来て自己紹介をすると、桃子の父親が血相を変える。
「な……おい桃子、友達は選べと言っているだろう、こんなどこの馬の骨ともわからんような不良なんかと」
「パパは黙っててくださいもう! ……ごめんなさいさなぎちゃん、馬鹿な父親で」
「これからもウチの桃子をよろしくね」
呆れ顔の桃子と、桃子に負けず劣らず可愛らしい桃子の母親がこちらにペコリ。
「ん? ああ、別に桃子の父親の気持ちはわかるし」
こんな可愛い娘がいたら、そりゃあ過保護になっても仕方がないよなあ。
「そういえば桃子、お前の親父さん異性の友人は許さないとか言ってたけど、お兄ちゃんとか底野の事紹介したのか?」
こっそりと桃子に舌打ちをすると面倒くさそうな顔になる。
「あー……底野君のことはまだ言ってないですけど、なぎさちゃんのことは男装癖のある女の子ってことにしてるんですよね……」
女装の似合う男から男装癖の女にされてしまったお兄ちゃんに心から同情。
「そうだ桃子、お前がよく家で話しているなぎさちゃんってのはどこにいるんだ? いい人そうだし、是非ご挨拶しておこうと思うんだが」
桃子の父親がそんな事を言ってのける。
「ああ、なぎさってのは俺の双子のおに」
「ストップストップさなぎちゃん。な、なぎさちゃんはさなぎちゃんの双子の妹で、別のクラスにいるんですよ。多分もう帰ったんじゃないですかね?」
慌てて弁解をする桃子。とうとうお兄ちゃんは妹にされてしまった。それより俺としては、桃子が家でお兄ちゃんの話をしているってとこが気になるな。そのくらい桃子はお兄ちゃんのことが気になっているようだ。
そうこうしているうちに帰りの会が始まる。
帰りの会が終わったらどうすっかな、黒須とデートするかな、それとも神音と遊ぶかな、それとも桃子達と遊ぶかな……と、大事な事を忘れていた。
「「「起立、礼、さようなら」」」
帰りの会が終わるとすぐに後ろに立っている母親の元へ。
「母さん母さん、ちょっとこっち来てくれよ」
「あら、どうしたのさなぎ」
授業が終わったらすぐに母親を教室の外に出してくれとお兄ちゃんが言っていたので指示に従う。意図はわからないがお兄ちゃんのやることは大抵間違ってないのでそれに従って母親と一緒に教室の外を出ると、
「どうしたなぎさ、急に教室の外に出ろだなんて」
「いいからいいから」
丁度隣の5組……お兄ちゃんのクラスから、お兄ちゃんと父親が出てきた。
「「あ」」
驚いたような顔をする両親と、やりきった顔をするお兄ちゃん。
そうか、お兄ちゃんの狙いは両親を会わせることだったのか。
さて、お兄ちゃんの頑張りは果たして実を結ぶのか……?
◆ ◆ ◆
「……佐奈か」
「久しぶりね、凪」
廊下で、俺とさなぎの両親が対面する。
親父を無理矢理授業参観に来させたのも、さなぎに母親を来させるように言っておいたのも、全てはこのためだ。
家族全員が揃うのは、3年ぶりくらいか。
3年と言う月日が、両親のわだかまりを解いてくれる、そう俺は信じていた。
「相変わらず、他人を不快にさせる顔をしているな」
「そっちこそ、器の小さそうな顔ね。あら、身長もだったわ」
ところが、両親の口から飛びだしたのは、ここが学校だということなんてお構いなしの罵倒。
母親の隣にいるさなぎがため息をつく。俺も苦虫を噛み潰したような表情になる。
「佐奈、さなぎの親権を寄越せ。お前が水商売なんかに堕ちていることは知っているんだ。娘もこんなゴミのような不良に育ておって、お前に子供を育てる資格なんてない」
「……っ!」
「おい、親父!」
とうとう娘の事まで馬鹿にする親父。さなぎを見ると、酷く冷たい眼になって親父を睨んでいた。当然だ。さなぎは立派に育っているってのに。
「それはこちらのセリフよ。息子をこんな身長の低い、なよなよした男にしてくれちゃって」
「あぁ!?」
「おい母さん、それはないだろ!」
お返しとばかりに母親は俺を馬鹿にする。あの優しかった母親が。この間逢いに行った時は、俺を快く受け入れてくれた母親が、親父を扱き下ろすためなら俺をも扱き下ろすのか。
その後も学校の廊下で、二人は口喧嘩をしだす。喧嘩する程仲がいいとは言うが、この喧嘩は明らかにお互いを憎んでいる喧嘩だ。それくらい俺でもわかる。
「……不愉快だ。なぎさ、お前の差し金か何かは知らんが、下らないことをするな。帰る」
「悪いけどさなぎ、この男の顔を見ていたら頭が痛くなってきたから帰らせて貰うわ」
そしてお互いスタスタと別方向に歩き去ってしまう。取り残されたのは、呆れ顔のさなぎと、歯ぎしりをする俺と、いつの間にか集まってきたキツネさんや要さん等のギャラリー。
「何かあったんですか? 二人とも」
「……見世物じゃねえんだよ、散れ! 散れよ! 糞が!」
「な、なぎさちゃん……?」
心配しに来た要さんに怒鳴りつけ、俺はガンガンと校舎の壁を蹴り続ける。
「おいお兄ちゃん、落ち着けよ。しょうがねえだろ」
「しょうがない!? 何がしょうがねえんだよ、お前は両親に復縁して欲しくないのかよ!」
俺をたしなめようとするさなぎも睨む。自分でも大人げないとはわかっているが、まさかここまで両親の間に亀裂が入っているとは思わなかったのだ。
「そりゃ復縁することに越したことはねえだろうけどよ……世界はお兄ちゃん中心に廻ってるわけじゃないんだぜ? ダディだって母さんだって、もう新しい恋始めてるかも知れないんだぜ? 俺だって急に復縁して、そっちの家で暮らせって言われても困るよ、黒須と益々離ればなれになっちまう」
「……っ!」
大人が子供をあやすように、さなぎは少し屈んで俺に目線を合わせる。
「お兄ちゃんもあのでかい家でほとんど一人で寂しいのはわかるけどさ、もう高校生なんだし、親離れしたっておかしくない時期だろ?」
「黙れ! 黙れ! 黙れよ! あああああああっ!」
「おい、お兄ちゃん! はぁ……俺がドライすぎるのか? それとも、俺自身もしょうがないって自分に言い聞かせてるだけで、本当は……」
いつかの幼児退行した彼岸妹のように、喚き散らし、その場から走り去って校舎から出る。
「あら、なぎさちゃん」
「……ゲスさん」
校舎から出て、家へ向かう途中に大分落ち着いたのか、ゲスさんに遭遇する頃にはまともに話せるレベルにまで戻っていた。
「一体どうしたの。泣きじゃくって、可愛い顔が台無しよ」
気が付けば泣いていたらしく、ゲスさんが心配そうにハンカチで顔をぬぐう。
「……ゲスさん、奢りますからお茶しましょう」
「あらなぎさちゃんから誘うなんて珍しい。まあいいけど」
近くの喫茶店に二人で入り、そこで俺はゲスさんに今日の一件を話す。
黙って話を聞いていたゲスさんは、コーヒーを飲み終えると、
「なぎさちゃんに酷な事言いたくはないけど……私も、さなぎちゃんの言うとおりだと思うわ」
「……そうですか」
そう告げた。
「なぎさちゃんにとっては唯一無二の両親かもしれないけど、両親にとってはお互いが唯一無二の愛する相手とは限らない話よ。ま、小さな子供がいるのに簡単に離婚するような親は確かに自分勝手すぎるとは思うけど、しょうがないことよね」
わかってはいる。頭では、俺がガキなんだってわかっている。
それでも俺は、家族が全員揃って仲良く暮らす光景を、追い求めずにはいられなかった。
「……ていうかなぎさちゃん、昔母親なんてどうでもいいって言ってなかったかしら」
「そ、それは」
ゲスさんに指摘されて狼狽え、飲んでいたオレンジジュースがむせる。
そうだ、俺は確かにそんな事を言っていた。
中学時代ゲスさんに寂しくないかと言われても、母親なんてどうでもいいと答えていたし、4月頃にも妹はともかく母親なんてどうでもいいと独白していたはずだ。
なのに何故、今になって家族団欒を俺は望んでいるんだ?
「私思うんだけどね……なぎさちゃん、マザコンなんじゃないの?」
「はぁ!?」
唐突にゲスさんにそう言われ、飲んでいたオレンジジュースを噴きだしてしまう。
「口では強がって母親なんてどうでもいいと言っていても、なぎさちゃんは母親に甘えたくてしょうがなかったんじゃないかって、私は思うわ。年を重ねても身長が低いままなのも、可愛い顔のままなのも、母親や、私のような年上の女性に甘えたいから。可愛がってもらいたいから。なぎさちゃんの欲が、身体の成長を止めてるのよ。噂に聞いたけど、この間も金髪のお姉さんとデートしてたんですって? 本能的に、年上の女性を虜にするようにできてるのよ。なぎさちゃんと仲の良い同級生の……要さんだっけ? 彼女可愛いわね、背は低いけど、胸も大きいしほんわかしてるし、母性のありそうな女性よね」
「は……はは……あれですかゲスさん、ゲスさんは俺がマザコンでシスコンで、同級生にも母性を求めて、背が低いのも本当は俺が望んだことだって、そう言いたいんですか」
「誰もシスコンだなんて……ちょっと大丈夫? あーあ、服にも染みちゃって。ほら、布巾」
ジュースを持つグラスが震え、机の上にこぼしてしまい、ぽたぽたと制服にそれが染みる。
オレンジジュース臭くなった制服なんて気にもならない。ゲスさんに寄越された布巾を受け取ることなく、俺は立ち上がると、フラフラと喫茶店を出て、家に向けて歩き出す。
「奢ってくれるんじゃ……はあ、何か話がおかしな方向に行った気がするわね。私の言い方がまずかったのかしら……大丈夫かしら」
家に帰る。親父は家にはいないようだ。服を着替えた俺は、自室の鏡の前に立つ。
そして側に置いてある、例の紫の薬を飲む。
俺がマザコン? 身長が低いのも童顔なのも俺の望んだこと? そんなわけないだろうゲスさん、俺の理想の姿は……理想の姿は……
「は……ははは……」
薬を飲んだ後、鏡を見てうなだれる。
そこには、年上の女性に一層可愛がられそうな、一層可愛らしい幼児の姿があった。
しばらく多分更新停止




