4月14日(土) 稲船さなぎ、デートする。
4月14日、土曜日。
「遅い!」
駅前の噴水で俺こと稲船さなぎは怒りが有頂天。今日は彼氏の片木黒須とデートだというのに、もう約束の時間を10分も過ぎているではないか。
ムードというものがあるのであまり使いたくはなかったが、携帯電話で電話をする。
「もしもし、さなぎか?」
「もしもしじゃねーぞ今どこだおい」
すぐに応対した黒須に怒鳴る。彼女を待たせるとは彼氏失格だ。
「待ち合わせ場所だけど」
え、いるの?辺りを見回すがどこにも黒須の姿はない。
「どこにもいねーぞ…お前場所間違えてるだろ、ちゃんと駅の南口って言ったじゃねーか」
「…噴水の音が聞こえるな、そっちは北口のはずだが」
「…」
ピッ、ツーツーツー。恥ずかしくなって電話を切る。
まあ、そんなこともあるわな。
「だから大野道駅で待ち合わせようって言ったのに」
「ムードだよムード」
南口に行き無事に黒須と逢うことができた。女は何よりもムードを大切にする生き物なのだ。
今日の黒須の服装は白いシャツに黒いジャケット、青いジーパンと無難だ。まあ黒須はなんだかんだいって格好いいから無難な服でも映えるけどな。
「しかしお前のそのシャツ…」
「かっこいいだろ?」
黒須は俺の服装に釘づけみたいだ。FACK&LAPEと書かれたパンクなシャツに、イカした皮ジャン、ちょっとゴスロリ入ったスカートにニーソとブーツ。周囲の視線を一気に引き受ける春のファッションだ。観光に来た外国人がオーミススペルとか笑っている。
俺達は市内の駅からすぐそこの映画館へ行く。今日はカップル割だそうだ。
「んで、映画って何を見るつもりなんだ?」
「おう、お兄ちゃんにお勧めしてもらったあれを見ようと思う」
そう言って上映予定の中の1つを指差す。
「日本人なら米を食え~お米ができるまで~…なあ、お前の兄貴は本当にこれを勧めたのか?」
「おうよ」
「どんな風に勧めたんだ?一字一句言ってくれ」
何て言っただろうか、この映画を表していることは確かなんだが。携帯を取りだしメールを見て、そこに書かれている一文を読みあげる。
「LOVE米見てろLOVE米」
「…っ、げほっ…くく、くくく…」
突然黒須は噴きだし、腹を抱えだす。どうした、腹が痛いのか。そして何故か周りにいた客や係員も噴きだす。一体なにがあったんだ?
その後お前の兄貴が勧めたのはこっちだ、と「応答せよ!アマチュア無線部」という映画を見ることに。廃部寸前のアマチュア無線部で繰り広げられるお調子者の男と無口な女の恋愛物らしい。硬派な俺達には軟弱すぎるのでは、お兄ちゃんのセンスを疑う俺であったが、開始十分でそれは間違いだと気づく。廃部と戦う2人の部員の姿はまるで社会と戦う俺達だ。性格は全然違うが思わずヒロインに感情移入してしまう。
映画の後半、放送部と合併することになったアマチュア無線部。最後になる2人での部活動、無口なヒロインが突然男を押し倒して、
「おお、すげえ…」
思わず画面から顔を逸らす。黒須と目が合う。こいつも顔を逸らしてしまったのか…他の客はどうしてるんだろうと辺りを見回すと、
「うええ!?」
思わず情けない声を出してしまう。カップルがキスしている。キキキスだけならまだしもあそこのカップルなんて胸揉んでるじゃねーか何考えてんだ…しかし売られた喧嘩は買わなければいけない。
「黒須!犯してくれ!」
「アホかおめえは!」
「だ、だったら…!」
俺は無理矢理黒須の唇を奪う。映画でヒロインがしたように。5秒ほど経っただろうか、俺は黒須を解放してやる…いや、黒須の唇に解放されたのかもしれない。黒須の唇はほろ苦いこーひーの味がした。青春の味ってやつかい?
「さ、さなぎお前、いきなり何やって」
「他の皆やってるし!恋人だろ俺達!」
「ま、まあそうだけどさ…」
「…悪かったよ、強引にやって。なんか映画見てたら影響されちまって」
俺も黒須もゆでだこになる。その後の映画の展開は覚えていない。夏には続編である「アナウンスせよ!放送部」が上映されるらしいが、見るべきだろうか?
「面白かったな」
「そうだな」
映画館から出てお互い小学生並の感想。まださっきのキスの余韻が残っている。本当に何やってんだか俺は。
「うし、んじゃ飯食いにいくか」
腹が減った。ランチにしよう。
「どこで食べるよ、杉家?」
「お前デートまで来て牛丼なんか食うかよ、後俺は中卵派だ。これだから男は…。デートなんだしフランス料理とか食べようぜ」
「俺そこまで手持ちないんだが…金卸してくるわ」
俺はそこそこある胸をどんと叩く。
「心配すんなって、今日は俺の奢りだ。さっきの詫びも兼ねてな」
「お前ん家生活厳しいんだろ?無理すんなって。俺が奢る」
「いや、昨日お兄ちゃんが養育費と生活費だってお金振り込んでくれたんだよね」
「んじゃ、お言葉に甘えますか」
駅前のデパートの最上階にあるフランス料理屋へ行く。大人のカップルだらけでちょっと浮いてしまうが、こっちはお金持ってるんだ、堂々とすればいい。
「ヴィシソワーズって何だ…女神か何かの名前か?」
「このプロシェットってのは聞いたことあるな…串焼きだったか」
料理の名前全然わかんねえ。とりあえず適当に頼むことにする。色とりどりの料理が運ばれてくる。
「ボナペティ」
「?」
「フランス語でいただきますって意味だぜ、学がねえなあ黒須は」
「さいですか」
流石はフランス料理、上品な味がするな。いやごめん適当に言っただけだ、そんなに舌は肥えてない。まあ美味しいのは美味しいんだけど、育ち盛りの学生には物足りないな。
「それより…俺達食事のマナーがなってない気がするんだが」
「気にするな黒須。飯なんて美味そうに食えばいいんだよ」
俺達はまだ若いんだ、世間の目とか気にせずやっていこうや。
「うまかったな」
「そうだな…次はショ…ん、こっちだ、こっちから喧嘩の匂いがするぜ!」
ランチを終えた後、デパートの前でまたしても小学生並の感想。育ち盛りの俺達にはやはり牛丼特盛あたりがちょうどよかったのだろうか。次はショッピングにでも行こうと提案をしようとすると、俺のセンサーが喧嘩の匂いを察知した。センサーの反応する場所へ黒須を引っ張っていくと、そこには見覚えのある女が男数人に囲まれていた。地元の野球チームのユニフォームを着ている、一昨日俺を腹パンで沈めてくれた彼岸秀とかいう女だ。
「ねえねえ、野球ファン同士俺達とお茶しない?」
彼女を取り囲んでいるチンピラっぽい男達は、今日あったデイゲームの対戦相手のファンのようだ。大勢で一人を囲んでるゴミ共だ、こいつらと俺達を一緒にしてもらいたくない。
「結構です」
「まあまあそう言わずにさ、厳島は大河の2軍って言うし、俺のモノになれよ」
「出ましたタクさんの常套句!」
「いえ、ですから結構ですので」
男達の誘いを彼女は頑なに断るが、いいからいいからと男のリーダー格が強引に手をとる。
「触るな」
堪忍袋の緒が切れたのか、彼女は目にも止まらぬ左ストレートを男にお見舞いする。俺を一撃で下したあのパンチがチンピラに耐えられるはずもなく…いや、耐えた。
「ってえな、ちょっと美人だったから下手に出てりゃ調子乗りやがって。厳島ファンなんてやっちまえ!」
直後チンピラ集団は下品な笑い声と共に彼女にじりじりと歩み寄る。
「女の子1人を複数でやろうだなんて許せないな。加勢してくるよ」
「おいおい黒須、先に手を出したのは女の方だぜ?それにあの女なら1人でも大丈夫だろ」
しかし黒須はジャケットを俺に手渡すと、バトルフィールドへ駆けつけていった。まあ、こういうところが黒須の良い所なのだから仕方がない。黒須のカッコいい所でも眺めるとしよう。
「加勢す…ぐぼっ」
「く、黒須!」
黒須と俺の悲鳴が轟く。彼女の元へ駆け寄り加勢しようとした黒須だったが、チンピラの1人だと思ったのかあろうことか彼女は黒須に思い切り蹴りを喰らわせた。彼女の強さは一撃でノックアウトした俺がわかっているが、黒須も彼女の蹴り一撃で倒れるような男ではない。しかし当たり所が悪かった。黒須からすれば不意打ちで、しかも急所である。黒須はあ…あ…とうめきながら泡をふいて倒れ、ピクピクと痙攣しだす。
「てめえ絶対許さねえ!」
お前を助けるために来たというのにそいつの大事な所を破壊するとはもう許せん。俺はチンピラに加勢して彼女を一緒にボコボコにしてやろうと思い彼女に襲いかかる。
「ふんっ」
「げぼぁ…てめ…う…おろろろ」
こないだやられたばかりだというのに俺も成長しない女である。思い切りローキックを腹に喰らってその場に膝をつく。かろうじて意識は保つことができたが、さっき食べたばかりのフランス料理は耐えてくれなかったようだ。惨めにも俺はゲロってしまう。後は彼女がぶつぶつ恨み言を垂れながらチンピラ共をボコボコにするのを見るしかなかった。どうやらさっきの左ストレートはかなり手加減していたらしい。本気を出した彼女は鬼神のようだった。鬼神見たことないけどさあ。
「ああ糞、変な男に構われるし、変な女に喧嘩を売られるし、変な男に絡まれるし、サヨナラ負けするし、糞がっ、糞がっ、糞がっ」
やがて誰かが通報したのか、騒ぎになったので自然に気が付いたのか警察が集まってくる。警察を見るや否や彼女は速攻で逃げ出した。
「君、大丈夫か?一体なにがあったんだ」
レディファーストというやつか、警察はまずゲロ吐いてる俺に話しかける。尤も男共はほとんど気絶しているのだが。
「そこの横縞の集団にからまれて、そこで倒れている彼氏とボコボコにされて…怖かったです、いぐ、いぐ…そしたら、女の人が来て助けてくれたんです。悪いのはあの横縞の集団です」
何故か俺は気持ち悪い嘘泣き使ってまで彼女を擁護していた。正直に話して、彼女の身元も教えて停学にでもしてやろうかと思っていたのだが、何故か彼女を擁護していた。
「あー糞、散々な目にあった」
「女になっちゃうかもな…俺…」
事情聴取から解放され、俺達は駅前のベンチに座り休憩中。しかしデート中に吐くなんて彼女失格だぜ、恥ずかしい事この上ない。
「なあ、それってそんなに痛いものなのか?」
俺は黒須の股間を凝視する。淫乱女ってわけではないが、前から男の急所の痛みがどんなものなのか気になってはいた。
「女にはわからんだろうなあ、この痛み」
「男だって生理の辛さはわかんねーだろうな」
駅前でするような会話ではない。周囲の人間はひいてることだろう。だけどそれでいい、今の俺達は周りから人が離れてくれた方が好都合だ。周りに構って欲しかったり、放っておいて欲しかったり、不良という奴はそういう生き物なのだ。時計を見ると午後6時を回っていた。
「もうこんな時間か…楽しい時間はあっという間だな、さっきの事件は楽しくなかったけど」
「どうするよ?もう帰るか?」
学生のデートとはいえまだ6時だぞ?こいつはひょっとして俺とのデートが楽しくないのだろうか?確かに俺のデートプランは未熟だったかもしれない、それでもこういう事を言ってしまうあたり、黒須にはまだまだデリカシーが足りないな、まったく。
「腹減った、牛丼特盛食いにいくぞ」
黒須を引っ張って牛丼屋のあるいかがわしい通りへ。
牛丼屋の中では大学生の集団が下品に騒いでいた。苛立ちを覚えるが、カウンターで黙々と食事をするおっさんからすれば俺達も彼等と同じに見えているのだろうか。
「やっぱこの味だな。この安っぽい味がたまらん」
「お前七味かけすぎじゃないか?」
黒須は俺の七味たっぷり牛丼特盛を見て若干ひいているようだ。
「お前こそトッピングにチーズって何だよきもちわりぃ」
牛丼にチーズって信じられん組み合わせだ。しばらく無言でガツガツと牛丼を平らげる。高級フランス料理なんかよりもやっぱり牛丼だ。
「ごちそうさんした!」
「ごちそうさまでした」
会計を済まして店を出る際にごちそうさまを言ってしまうのは育ちがいいのだろうか、それともこんな牛丼屋で言ってしまうのは逆に育ちが悪いのだろうか。
店から出てその辺を二人でぶらぶらする。どうしてもあるお店が気になって俺は立ち止まってしまう。
「ん、どうしたよ」
「……」
無言で俺は指をその店の方へ指す。そこには「ホテルドリームランド」と書かれていた。俗に言うラブホテルというやつである。
「入ろうぜ」
「おいさなぎ…」
俺は黒須の服を引っ張ってホテルへ入ろうとするが、黒須は全然動いてくれない。
「いいだろ、俺達もう高校生なんだしさ」
「……」
動かない俺達の横では、女子高生が中年の男性と一緒にホテルの中へ消えて行った。
俺は黒須の服を掴んだまま、黒須は俺を見つめたまま、2人無言で数分が経った。その間にも大学生のカップルやら、仲の良さそうな夫婦やら、数組のカップルがホテルの中へ消えていった。
「…悪かったよ。もう帰ろうぜ」
俺は黒須を解放する。そのまま黒須を置いて駅へ向かう。黒須は無言で俺についてくる。
目から水が垂れてきた。周りの人間に見られないよう、ずっと下を向いていた。
その後電車に乗って地元の駅まで行って、俺達は別れた。無言だった。俺は別れる直前に、
「今日の事は忘れてくれ」
それを言うのでいっぱいいっぱいだった。
家に戻る。母親は今日も家にいないようだ。
「…何やってんだろうな、俺は」
真っ暗な部屋で俺は今日の事を反省する。周りから見れば今日の俺は哀れなビッチだろう。処女である事が嫌だったわけではない。黒須に必要とされたかった。愛されたかった。セックスすることで、黒須を俺の物にできる、俺も黒須の物になれる。ただそれだけなのだ。
来週からどんな顔をして会えばいいというのか。いや、大丈夫だ。何も変わりはしない。黒須は俺の言った通り今日の事は忘れてくれる。俺も今日の事は忘れればいい。来週もまた駅であって、電車に乗って、そのまま恋人同士の会話をするんだ。俺は風呂にも入らずベッドへダイブ。あっという間に夢の世界へ旅立った。
夢の中では、俺と黒須がセックスをしていた。どんなに言い訳しても、これは俺の願望だった。
夢の中の俺は大好きな黒須に抱かれているというのに、あまり幸せそうでなかった。