6月8日(金) 要桃子、一本
6月8日、金曜日。
「続いてはこちら、強い女は美しい、アームロックをかける生徒会会計、栗毛素直さんです」
視聴覚室でいつものように俺、十里なぎさが写真販売会に参加していると、一枚の写真がスクリーンに映し出される。青髪碧眼の優しそうなお姉さんが、チビな男にアームロックをかけている写真、ていうか俺とゲスさんだ。自分が写って初めてあのカメラの恐ろしさに気づく。立派な盗撮だ。
「何だお前、あんなに楽しそうにSMプレイして、ゲスさんとヨリを戻したのか」
隣にいた不動がニヤニヤしながら聞いてくる。
「ちげえよ、単に久々に再会してスキンシップされただけだ」
ったく、こんな写真が広まったら面倒だ、俺が買う。
大体元カノと言っても、俺とゲスさんはきちんと告白して付き合ったわけでもない。単にゲスさんの心の穴を俺が一時的に埋めていただけだ。だからゲスさんの心の穴が埋まったと同時に俺は用済み、いいタイミングで彼女は中学を卒業していったからそれ以来全く交流はない。まあ、俗に言う幼馴染というやつで家は近いからたまに出会うこともあったけど、今まで俺が一方的に無視していた。ガキみたい?どうせ俺はチビガキだよ。
トイレに行きたくなってきた、俺は視聴覚室のドアを開けて写真販売会を抜け出す。
「あら、なぎさちゃん。視聴覚室でなにやってるのかしら」
そこで不幸にもゲスさんに見つかってしまう。視聴覚室は2階、2年生の教室のある階なのだ。
俺は無視を決め込んでさっさとトイレに行こうとするが、がしっと腕を掴まれる。
「誰の写真を買ったのかしら」
「いやマジでトイレに行きたいんで離してくださいお願いします」
「生徒会としては本当はこういうイベントはやめて欲しいんだけどねえ、なぎさちゃんが参加してるなんて残念だわ、お仕置きしなきゃ」
さっと後ろに回り込んだゲスさんは右腕で首を絞めてそのままチョークスリーパー。背中に当たる感触が少し懐かしいが、それ以上に痛い痛い痛い!
「だから俺トイレ行きたいんですよ漏らしますよ!?いいんですか!?」
「漏らしたら困るのはなぎさちゃんだと思うんだけど、しょうがないわねえ」
解放されるや否やダッシュで逃げ出す。さっきのチョークスリーパーで体のいろんなところが圧迫されてマジで漏れそうだ。
「写真落としたわよー…あらあら」
トイレに行った後、丁度いい時間だったので教室に戻って授業を受け、放課後にいつものように図書室へ向かう。今日は既に要さんが来ていた。今日はメガネをかけている。
「…ふん」
大層不機嫌そうだ。
「やあ要さん、ご機嫌ななめだね」
カウンターに座って、先手を打つかのごとく飴玉を差し出すが払い落とされる。
「あれですよね、なぎさちゃん私のことを心の中ではん、高校1年生にもなって恋愛経験ないのかよなっさけねえなあとか思ってたんですね。酷いです」
「被害妄想にも程があるよ…」
どうやら俺に元カノがいたのが余程納得がいかないらしい。女の子はよくわからないね。
気まずい空気から逃げ出すように、図書委員の仕事に没頭する。30分ほど経っただろうか、チラッと横目で要さんのご機嫌を伺うと、机に突っ伏して寝息を立てていた。
さなぎ曰く最近授業中で寝なくなったらしい、授業中頑張ったんだからせめて図書委員の仕事中くらい寝かせてやるかと思ったがそういえば俺はすぐに要さんを起こすと約束していた。
起こしたら睨まれそうだけど、起こさなくても後で文句を言われるだろう。俺は要さんを起こすため揺さぶろうとするが、
「あら、なぎさちゃん。寝てる女の子に悪戯なんてよくないわよ」
気が付けばカウンターの前にはゲスさんが立っていた。
「…何の用ですか」
「図書室のカウンターに来る用といったら、本を借りることでしょうに」
ゲスさんは1冊の本を手渡す。『絞める!実用的寝技!』…なんだこれ。
まあ本を借りにきたならちゃんと応対しないといけない、マニュアルに従って手際良く貸出の受付を済ませる。
「はい、これで終わりですよ」
「ありがと。そうそう、この写真落としたわよ」
ゲスさんは一枚の写真を俺に手渡す。俺が写真販売会で購入した、ゲスさんにアームロックをされる写真を。
「あ…あはは、なんのことかな?ソンナシャシンシラナイヨ?」
「アームロックされる写真買うなんて、もうなぎさちゃんのマゾっぷりは手遅れなのかしら。もしかして私のせいで目覚めたの?だったらごめんね、せめてなぎさちゃんを悦ばせるために関節技を磨くわね」
「磨かなくていいです構えないでください!広まると面倒だから処分しようと思ってただけです、何ならあげますよ、俺は捨てるつもりでしたし」
珍しく俺が図書室で大声を出して弁解してしまう。その声で目が覚めたのか、
「んにゃぁ…?」
要さんがむくりと起き上がって、俺とゲスさんを見つめる。眉間に皺を寄せて見る見るうちに不機嫌そうな表情に。それでも可愛いのが要さんクオリティーだ。
「あらあらごめんなさいね彼女さん、騒いじゃって。それじゃ、写真は貰っておくわ」
ゲスさんは写真をスカートのポケットにしまうと、鼻歌を歌いながら図書室を出て行く。
「…約束しましたよね」
黒いオーラを出しながら要さんがポツリと漏らす。
「私が寝たらすぐに起こしてくれるって。なのに起こさずに元カノと楽しそうに喋るんですね。さっさとヨリを戻せばいいじゃないですか、そして幸せになって死ね!」
とうとう要さんの口から死ね!なんて言葉が出てきてしまった、お兄さんは悲しい。
「だからあれは違うんだって、一方的に俺が弄ばれてるの」
何とかご機嫌を宥めようとカウンターの奥に連れていき、ブレザーのポケットから飴玉やらチョコレートやらを取り出して差し出す。糖分は大事だから常に持ち歩いているわけだ。
「もぐもぐ…なぎさちゃん常にお菓子持ち歩いてるとか女の子みたいでちょっとキモイですね。まあ、別にどうでもいいですよ。なぎさちゃんの恋愛事情なんかに興味はないし。なぎさちゃんが恋愛経験の有無で馬鹿にするような人間だとも思ってませんし。でも起こしてくれなかったのは腹が立ちますね…そうだ」
お菓子を食べて大分機嫌が直ったのか、チョコレートが口についた状態で微笑み、
「私にもアームロックかけさせてください」
そんな事を言いだす。
「…あの、要さん?」
「一度やってみたかったんですよね、アームロック。こないだ漫画読んだら主人公がカッコよくアームロックしてて」
言うや否や要さんは俺の左腕を掴むと、見よう見まねでアームロックをしようとするのだが、初心者なので上手く行かないようでじたばたと悪戦苦闘。それで揺れる2つの果実が体に当たってこのままじゃ俺の硬い物が当たってしまうと焦っていると、
「てやあ!」
アームロックを諦めた要さんがぐるりと俺を背負い投げ。突然だったので受け身も取れず図書室の床にガァン!と叩きつけられ痛みにのた打ち回る。アームロックはできないのに背負い投げはできるのか…
「ご、ごめんなさい!ついかっとなって、大丈夫ですか?」
流石にやり過ぎたと自責の念にかられたのか要さんが慌てだす。喜怒哀楽が激しくて良いことだ、ゲスさんはいつもニコニコ、彼岸秀はいつもイライラだったし。
「何とか頭を打つのは守ったから大丈夫だよ。それより見事な背負い投げだったね、柔道の経験があるの?」
要さんは顔を赤らめて急に照れ出す。
「そ、その…昔家族に、私は可愛いからいつ男に襲われるかわからないから、最低限護身術は見につけた方がいいって、ていうか技の練習台にされたんですけどね。おかげで柔道だけはそれなりにできるんですよ。何か女の子が柔道とか恥ずかしいから今まで使うことはなかったんですけど」
「そうだったんだ。じゃあこないだ男の人達に絡まれた時も、実は要さん一人で撃退できたのかな。見たかったなあ、ばっさばっさと投げるとこ」
ゴスロリに身を包んだ要さんが男を投げまくるとこを想像する。うーん、微妙。
「彼岸さんじゃあるまいし、無理に決まってるじゃないですか。精々油断した男を1人撃退できるレベルです。…はぁ、また恥ずかしくなってきました、なぎさちゃんのせいです。…ひょっとしてさっきのシーン、例のカメラで撮られたりしてませんよね?」
「写真が出回れば、要さんに投げられたい!って男が押し寄せてくるかもなあ」
「ひぃぃぃぃぃ…」
要さんはガクガクと震えだす。こういう要さんもいいね。
「おーい、図書委員どこだー、本の搬入の仕事だぞー」
教師の声が聞こえてくる。おっと、図書委員だったな、俺達は。
「はいはい、今行きますよ…要さんも、服が乱れてるから直して。誤解されちゃうよ」
「うう…」
カウンターの奥から戻って、運ばれてきた新しく入ってきた本の仕分けをする。
途中、柔道部の女の子を描いた漫画を見て要さんが床に叩きつけてしまうなどトラブルもあったが、仕分けは無事に下校時刻までに終わらせることができた。
「それじゃ、また来週」
「はぁ…今日はなぎさちゃんのせいで疲れました。さよなら…」
図書室の鍵を閉め、正門の前で駅へ向かう要さんに別れの挨拶をすませ、自分の家へと歩き出す。それにしても要さん、『なぎさちゃんのせい』が口癖になってないだろうか。一つひらがなを加えるだけで危険なフレーズとなってしまうなとかゲスな事を考えていると、
「あらなぎさちゃん、今帰り?」
向こうからやってくるゲスさんと出くわしてしまった。私服姿だ。青髪碧眼に白のワンピースはよく似合うが、ちょっと古臭いのではないだろうか。なんて言ったらまた折檻を食らうだろうし口は災いの元、軽く会釈をしてそのままスルーしようとするが、
「あの子、今の彼女?」
そんな事を聞かれる。無視するわけにもいくまい。
「違いますよ。ただの部活仲間で図書委員仲間です」
「告白しないの?」
「何でそういう話になるんですか」
女というのはどうして他人の恋愛に口出しをしたがるのだろうか。まあ、自分の行動を思い返せば底野君と彼岸妹がくっつけばと口を出していた気もするのでブーメランだろう。
「私の見た感じじゃ、望みがあると思うわよ。こないだやった私のマークシート形式の模擬試験の物理の正答率くらい」
「低いですよね、それ」
ゲスさん頭は良くなかったはずだ、生徒会会計が務まるのだろうか?
「ひどい…ふぅん、そっかそっか、つまりフリーだというわけね」
ゲスさんは俺の後ろに回り込むと、俺の身長に合わせて少し屈み、関節技をかけるでもなくぎゅっと俺の肩に手を回し、
「だったら、私とまた付き合ってみる?」
耳元でそう囁く。吐息がかかってこそばゆい。ゲスさんの体温が感じられる。
俺は全力でもがいて、ゲスさんから離れる。
「…いい加減にしてください、俺ももう高校生なんです、弄ばないでください」
精一杯強がってゲスさんを睨みつける。俺の全力の睨みも、この人は可愛いとかそんな事を思っているのだろう。
「あらあら、嫌われちゃったかしら。それじゃ、バイトがあるからまたね」
ゲスさんは手をふるとその場から立ち去る。
あの人はいつだってそうだ、俺を子ども扱いして、弟のように扱って。
イライラしてきたのでゲームセンターで遊ぼうと、来た道を戻ってゲームセンターへ。
「あぁ!何で俺のキャラばかり撃つのさ!」
「あらあら、ごめんなさい。手が滑っちゃったわ」
そこでは仲良く底野君と彼岸妹がレトロなアクションゲーをプレイしていた。
何だか無性に腹が立って、入ってすぐゲームセンターを飛び出し、結局家に帰った。
ああ、腹が立つ。この気持ちはなんだ、嫉妬か。
自分の部屋で地団駄を踏んでいると、本棚にあったアルバムが崩れて一枚の写真が出てきた。
俺とさなぎと、ゲスさんが写っている写真だ。俺達が小学校6年生、ゲスさんが中学1年の頃の写真だな。腹の立っていた俺はその写真を破こうとして、でも破くことができなかった。




