表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/90

5月8日(火) 彼岸秀、壊れる

 5月8日、火曜日。

 私、彼岸秀は目が覚める。気分は最悪だ。夢の中では糞姉が金切良平と抱き合っていた。1カ月前も見た夢だ。

 昨日糞姉は、金切良平と一緒に友人の恋を応援するのだと言っていた。

 人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ。

 邪魔、というのは邪魔しようとしてそうなるものだけではない。

 お節介という言葉があるように助けようとして逆に邪魔をしてしまうケースもある。

 糞姉はこの間、怪我をさせられたのを覚えていないのか。

 大体糞姉は友人の恋を応援するのが目的でなくて、金切良平と一緒に行動する、というのが目的な気がする。そんなので恋のキューピッドなんて成功するのだろうか。

 ああ、何で私は朝から糞姉の事なんて考えているんだ。

 あんな奴、どうなろうが私には関係がないんだ。



 着替えて、顔を洗って、無言でリビングに置いてあるお弁当を持って、家を出る。

 最近両親と話した記憶がない。私はこの家の何なのだろうか?



「おはよう、秀さん」

 駅前で出くわしてしまったのは底野正念。何かと私に付きまとう変な男だ。

「…おはよう」

 何で私はこんな男に挨拶を返しているのだろうか。

 両親に挨拶すらしない私が、こんな男に。

 ああ、自分がわからない。私はこいつの事をどう思っているのだろうか。

「そういえば、昨日動画サイトを見てたら、秀さんの動画があったよ」

「…見たんですか」

「うん。すごいね秀さんは。俺だったらあんな人の前に立つだけで固まっちゃうよ」

 土曜日に私は地元のチームを応援するため野球観戦に行ったのだが、そこで始球式をする羽目になってしまった。その一部始終がどうやら出回っているようだ。

「…その」

「?どうしたの秀さん」

「叩かれてましたか、私」

「え、自分で見てないの?」

 無言で私はうなずく。なんで自分の出ている動画なんて見ないといけないのか。ああそうだ、怖いんだよ。自分が晒し者になって、皆に叩かれるのを見るのが怖いんだ、それの何が悪い。

「全然叩かれてなかったし、寧ろ称賛の嵐だったよ。大体投げた後に大歓声が聞こえてアンコールまでもらってたじゃないか、どうしてそれで叩かれてるって思うんだい?」

 叩かれてなかったのか、と安堵してしまう自分がいる。やっぱり好きな野球だ、同じ野球ファンには叩かれたくないなと思っていた。

 どうやら私は自分に自信がないのかもしれない。

 糞姉に比べたら勉強もスポーツもできるのに、私のその歪んだ性格が、周りが常に私を責めていると感じてしまうのだ、ああ、なんて私は弱い女なんだ。

 何だかこいつの側にいると、自分の弱さがどんどん露呈していくようで怖い。

 自分の顔が青ざめていくのがわかる。こいつが怖い。

 自分のありのままを受け入れようとしているこいつが。

 そしてありのままの自分を見た彼は私をきっと見捨てるのだろう、幻滅して。

「大丈夫?秀さん、顔色が悪いよ」

 やめろ、私に触れるな。触れないでくれ、お願いします。

 私はあなたに話しかけられるような素晴らしい存在ではないのです。

 肩に触れるこいつの手を振り払って、私は学校まで全力でダッシュする。

 よく覚えていないけど、多分私はその間泣きじゃくっていた。



◆ ◆ ◆


 俺、底野正念は教室に入る。秀さんの姿はどこにもない。

 学校へ行く途中、秀さんと出会ったので話をしていたら突然秀さんの顔色が悪くなり、ものすごい勢いで学校へ走り去って行ってしまった。慌てて俺も彼女を追い、ようやく教室に辿り着いたというわけだ。

「おい底野、さっき彼岸さんが物凄い勢いで俺を追い抜いて学校へ入って行ったぞ。多分泣いていた。お前何をやったんだ。答えによっちゃ友人と言えどお前を本気で殴る」

 中学からの友人である石田がそう俺に詰め寄る。

「わからない、朝出会って話をしていたら突然顔色を悪くして走って行ったんだ」

「一体どんな話をしたんだ?」

 秀さんとの会話を一部始終説明する。挨拶をして、秀さんの始球式の動画の話題を出して、秀さんが自分が叩かれていると思っていたのでそんな事はない、寧ろ褒められていたと言った事。

「…うーん、俺にはわからんな」

 自称女心に詳しい石田もわからないようだ。

「アタシにはわかるわ」

「三田」

 気付けば俺と石田の間には見た目は美少年だが中身は乙女の三田が割って入っていた。

 普段のおちゃらけた表情ではなく、真剣な表情だ。

「三田、お前にはわかるのか、秀さんが突然泣いた理由が」

「ええ。大丈夫よ、底野正念。アナタは何も悪くないわ。その始球式のならアタシもテレビで見たわ。本来出る予定だったアイドル目当てだったけれどね。秀ちゃんの投球、あんなに大好評だった、その時は秀ちゃん自身もそう思っていたのでしょうね。でも時間が経つにつれてあれは幻だ、本当は自分はブーイングの嵐を受けていたに決まっている、そう思う程に彼女は自分に自信が持てないの。いくら勉強ができても、いくらスポーツが出来ても、自分は他人と上手く接することができない、何故なら自分は欠陥品だからだ、そう思ってしまう。確か秀ちゃんには双子のお姉さんがいたわよね、それも活発な。姉という比較対象がいたのもそれに拍車をかけているのよ」

「話が長い!簡単にまとめてくれよ!俺も混乱しているんだ」

 丁寧に説明をしてくれるのはありがたいが、今の俺はそんなにたくさんの事を理解できない。

 こうしているうちにも秀さんは苦しんでいるかもしれないのだ。

「…彼女は自分を要らない子だと思ってる。他人に話しかけられる資格すらないと。探しに行きなさい」

「サンキュー、三田」

 石田と三田に頑張れと応援されながら、俺は教室を飛び出した。



 さて、飛び出したはいいが秀さんはどこにいるのだろうか。

 優さんや番長の手を借りようかとも考えたが、一時間目の授業が始まってしまった。

 仕方がない、自分で彼女のいそうな場所を片っ端から探して行こう。

 下駄箱には彼女の靴があった、つまり学校の中にはいるということだ。

 まずは屋上。最初に屋上を探した理由は、最悪の事態を防ぐためだ。

 屋上への扉を開けて秀さんを探す。どこにもいない。

 念のため屋上から下を見下ろす。誰も倒れていない。良かった。

 しかし秀さんが思いつめて屋上へやってきてしまうかもしれない。

 この時の俺は少し混乱していたのと、何よりも秀さんを優先していたのだろう、校舎に入った俺は屋上の鍵をぶち壊した。よし、これで屋上の扉は開かない。

 次に向かったのは保健室だ。実は気分が悪くなったから早く保健室で寝たくて学校に走って行ったのかもしれない、という希望を抱きながら保健室のドアを開ける。

 保健の先生はいないようだが、ベッドが1つ仕切られていた。どうやら誰かが寝ているようだ。

 緊急事態だ、と俺はその仕切りを開けて確認をする。

「…うぅ…だ、誰だ…そ、底野か」

 そこに横たわっていたのは稲船の番長だった。口を切ってしまったのか血が滲んでいる。かなり苦しそうな彼女は俺を見ると、

「彼岸秀が物凄い勢いで泣きながら走ってきてよ…あまりにも異常だったから、俺とお兄ちゃんで止めようとしたんだ。だけど止めることはできずにこの様ってわけだ。お兄ちゃんは何とか持ちこたえて、今桃子と一緒に彼岸秀を探してる。悪いな底野、何があったかはしらねーが力になれなくて…よ」

 そう言って気絶してしまう。たくさん喋って限界だったのだろう。

 俺はお大事に、と言って保健室を後にする。

 次は空き教室を片っ端から調べて行こうと近くの空き教室に向かうが、突然空き教室のドアが開いて出てきた人とぶつかってしまう。

「いてて…悪い、急いでて…ってお前は底野正念」

「番長のお兄さん」

「なぎさだ。その様子だと、アンタも彼岸妹を探してるみたいだな。何があったかは知らねえが、さっさと落ち着かせて怪我させた俺の妹に謝らせないとな」

 そう言うなぎささんも口元から血を流し、右頬には痛々しい痣ができている。

「俺はこの階の空き教室を探す。要さんは外を探してる。今行ってないのは3階だ、そっちを探してくれ。…ったく、この学校無駄に広くて困るぜ」

 ありがとうございます、と言って俺は3階へ駆けていく。三田は俺は悪くないと言っていたが、やはり俺にも責任の一端はあると思う。事件が解決したら彼等にもちゃんと謝らなければならない。そのためにも早く秀さんを探さないと。

 3階は音楽室や美術室など、移動教室のための教室や部室が多い。

 授業をしている人の邪魔にならないように1つずつ教室の中を確認していく。



「あれ」

 パソコン室のドアを開けようとするが開かない。おかしいな、パソコン室はいつも開放されているはずなのに。まさかと思い俺は耳をすませる。

「…えぐぅ、えぐぅ、えぐぅ」

 まるで喘息のようなすすり泣く声。間違いない、秀さんだ。パソコン室の壁に座りかかって泣いているようだ。どうやらここに逃げ込んで、鍵を中から全部閉めてしまったらしい。ドアも開かないし窓も開かない。

「秀さん!俺だ!開けてくれ!」

 秀さんを説得しようと試みるも、

「ひぃっ…ひぐ、ひぐ」

 俺の呼びかけも自分を責める声のように聞こえてしまうのか、怯えたようにすすり泣く。

 何とか誤解を解かなければ。俺は別に秀さんを責めていないし、周りの人だって秀さんを責めていない。しかしこのパソコン室のドアと窓はかなり頑丈だ、壊す事はできないだろう。

 常に開放してる癖になんでドアも窓も厳重にしているんだ。

 ふと、上を見上げると上の方にも窓があることに気づく。何のために存在しているかわからない、たまに鍵がない時に男子があそこの窓から侵入する、そんな窓だ。

 俺はその窓の1つに手をかける、よかった、上の窓は閉まっていない。

 しかしこの窓から中に入るのはなかなか大変そうだ、あまり運動神経が良い方ではない。

 しかし男にはやらねばならぬ時がある。俺は力を振り絞って上の窓のサッシに捕まりよじ登る。

 よし、後はここから侵入するだけだ。俺は教室の中に身を乗り出す。

 しかしここで普段慣れない事をしたせいか、バランスを崩してしまう。

 気が付いた時には俺はパソコン室の中に頭から落ちる形となっていた。

 ああ、そうだ。いつも男子は足から降りるようにしていたのに、俺は馬鹿か。

 硬い床に頭を直撃すれば、俺は死ぬのかな?ああ、今までの人生が頭の中を駆け巡って行く。

 これが走馬灯って奴か。


 ごめんよ、秀さん。



 …ってあれ、痛くない。

 ああ、痛みを感じずに死ねたのか。つまりここは死後の世界か。

 どうやら誰かに抱きしめられているようだ、温かい。ここは天国か。

 親よりも先に死んでしまった俺は地獄に行くものだと思っていたのだけどな。

 俺を抱きしめてくれる天使の顔を確認すると、

「えぐっ…いぐっ…えぐっ…」

 それは顔をくしゃくしゃにしながら心配そうに俺を見つめる秀さんという天使だった。

 どうやら俺は落ちる直前、秀さんに咄嗟に抱きかかえられて助けてもらったらしい。

 秀さんを助けようとして来たのに、俺が助けられてどうするんだろうか。

「ありがと、秀さん」

「……!」

 秀さんにお礼を言うと、どうやら俺を抱きしめているという状況に気づいたようで、秀さんはパッと俺を離すと小動物のように隅っこに逃げてしまう。普段の秀さんなら思いきり突き飛ばされると思っていたのに、拍子抜けだ。

「秀さん」

「よららいで…」

 秀さんは俺を怯えるように見つめてくる。その目は普段の鋭い目つきではない、か弱い少女のそれだ。

「秀さん、君は何も悪くないんだ。誰も秀さんを責めていない。自分に自信を持っていいんだ」

「れ、れも」

 秀さんは涙をポロポロこぼしながら呂律の回ってない声を発する。

「きょうらって、いっぱいめいわくかけた。わたしをしんぱいしてくれたひとにけがまでさせた、みんなわたしをおこってる、みんなわたしにあいそをつかしている」

「そんな事ねーよ!」

「番長!?」

 突然後ろから声をかけられ、秀さんだけでなく俺もびっくりしてしまう。気が付けば二人きりの教室だと思っていたパソコン室には番長になぎささん、要桃子さん、優さんまでいた。

「人間誰だって他人に迷惑かけながら生きるんだよ、それを言ったらさなぎなんて彼岸妹の何倍他人に迷惑かけてることやら」

 そう言ってなぎささんは笑う。

「でも私、同じくらいさなぎちゃんには助けられてきましたよ。なぎさちゃんには助けられてないですけどね。彼岸さんだって迷惑をかけた分、いやそれ以上に他人を助けてるじゃないですか。例の動画見ましたよ、アイドルの代役を見事に務めて球団のスタッフを助けて、大勢の観客や動画の視聴者を喜ばせてるじゃないですか」

 あの時の彼岸さん、すごくカッコ良かったです、と要桃子さんは笑う。

「ごめんね、秀。私のせいでずっと迷惑をかけて。秀はすごい子だよ、私が逆立ちしても敵わない。秀は誰からも必要とされていない?そんなわけないじゃない、私にとっては可愛い妹だし、ここにいる人にとっても大切な友達でしょう?そんな事を言う奴は私が吹っ飛ばすよ、秀ほど喧嘩は自信ないけどね」

 そう言って優さんは秀さんの頭をなでる。姉が妹にするように。

「えぐ、いぐ、うぅ…」

 秀さんはその後もしばらく泣き続け、やがて疲れてしまったのか寝てしまった。

 その顔はとても幸せそうな顔だった。




「…今日何かあったのかしら?」

「学校に来るなり今日は疲れたから寝るわって保健室に行ってそのままずっと寝てたよ、余程疲れてたんだね」

 その日の放課後、俺は秀さんと学校を出た。

 秀さんはどうやら今日の事を1つも覚えていないらしい。

「ふぅん…そういえば、私先週の土曜日に野球の始球式で投げたのよ。アイドルの代役としてね。まあ、アイドルに比べたら不評だったと思うけど…多分動画サイトとかに晒されて叩かれているんでしょうね。まあ、私なりに頑張ったつもりだからいいけどね」

 ただ、ちょっとだけ変わったことがあるとすれば、少しだけ自分に自信がついたようだ。



 泣き疲れて寝てしまった秀さんを保健室に運んで寝かせ、その後秀さんが起きた後に少し話をし、今日の記憶を失っているが自信がちょっとついてるみたいだな、とりあえずは一件落着だなと皆は解散。その際に優さんは、

「底野君、優と付き合っていくのは大変よ。この子の心の闇はまだまだ深い、自分に自信がないだけじゃないわ。今回だってちょっと自信がついただけ、いつ同じような事になるかわからない。それでも君は優と真正面から向き合ってくれるのかしら?」

 そう言ってきた。

「当たり前じゃないですか」

 自信満々に俺は答える。秀さんの分も自信満々に。

「ふふ、聞いた私が馬鹿だったわね。…実は今までも何度もこういう事はあったのよ。突然おかしくなって幼児化して暴れて、体力が無くなったら気絶して、その日の記憶は無くなって。

 今までは記憶が無くなるまで暴れても何も変わらなかった、それどころか秀の心の闇はどんどん大きくなっていったと思う。でも流石は底野君ね、私が何度も挑戦してできなかったのに、一発で秀の心の闇を救ってくれるなんて」

 秀をこれからもよろしくね、と言うと優さんは去って行った。



「それなら俺も動画で見たよ、叩かれているなんてとんでもない、アイドルより可愛い!とかすごく褒められてたよ。アイドルになっちゃえば?」

「…そ、そう。お世辞でもまあ、悪い気はしないわね。じゃ、私はゲーセン行くから」

 照れてしまったのか秀さんは逃げるようにゲームセンターに入ろうとする。

「それじゃあ一緒に音ゲーしようよ、モグラ叩きみたいなアレ。俺一人じゃすぐにゲームオーバーになっちゃうから手伝ってよ」

「しょ、しょうがないわね。まあ、あれなら多少は自信があるから」

 俺達は今日もこうしてゲームセンターへ行くのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ