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5月5日(土) 彼岸秀、始球式。

 5月5日、土曜日。

「「あ」」

 私、彼岸秀が家を出ると、丁度隣の家から少年が出てきてハモってしまう。

「や、やあ秀さん、ドアを開けるタイミングまで一緒だったね」

「そして行く場所も一緒ってわけね…」

 隣の家の少年…糞姉の幼馴染、いや私の幼馴染でもあるのか。金切良平は地元の野球チーム、厳島東郷ガープのユニフォームに身を包んでいた。そして私も。

 そう、これから私達は野球観戦に行くのだ。

「どこの席?」

「バックネット裏」

 無視しようと思っていたが話しかけられたら一応対応する。チケットを見せると、

「あはは、席まで隣か」

 金切良平もチケットを出す。なるほど、確かに隣の席だ。

 酷い偶然だ、何が酷いってその偶然が糞姉でなく私にかかっているということだ。

 私の糞姉、彼岸優はこの金切良平に恋しており毎日のように話している。

 対する私は正直隣の家に住んでいる幼馴染だというのに全然面識がない。

 だから糞姉は呼び捨てなのに私は秀さんとさん付けで呼ばれている。

 そんな私とこいつの数少ない接点である野球でここまでの偶然を叩きだすとは。

「そういえば秀さん、彼氏できたんだよね」

「彼氏じゃない」

 糞姉を通じて間違った情報がばら撒かれているようだな、帰ったら殴ろう。

 あぁ、それにしても気まずいな。何が悲しくて糞姉の恋する相手と一緒に球場まで行かないといけないのか。こいつを置いてさっさと走って先に行くか?しかし結局球場で一緒になるのだ、諦めた方がよさそうだ。

 それに、皮肉な事にもあの男…底野正念のおかげで少しは他人と一緒に歩くということに慣れた気がする。



 まあ現実はあれから一言も交わさないまま、球場までたどり着いてしまった。

 無言で二人駅に行き、無言で二人電車に乗って、無言で駅から降りて、無言で球場へ。

 私も辛いが向こうも辛いだろう、こんなことなら糞姉に事情を説明して代わりにデートを楽しんでもらうべきだったか。糞姉の恋愛を応援するつもりは毛頭ないが。

「ん、君はひょっとして金切良平君かね?」

 球場へ入ろうとする私達を呼び止めるのはどうやら球団のスタッフのようだ。

「ええ、そうですけど」

 球団のスタッフに顔を知られている金切良平、実は類いまれなる野球の才能を持ち、既にこのガープのスカウトも目を付けているエリート野球少年だったりする。

「よかった、実は今日始球式で投げる予定のアイドルが急遽来られなくなってね、代役を探していたんだが、どうだい、投げてくれないかな」

 あれま、確か今日投げる予定だったのは最近人気のアイドルだ。それを目当てに来る人も結構いるだろうに生半可な代役では務まらないだろう。その点確かに金切良平ならプロの注目する野球少年として野球ファンの機嫌を損なうこともないだろう。双子のよしみだ、糞姉にこいつが始球式に出るから見てやれとでもメールをしようと携帯を開くが、

「いやあ流石にあのアイドルの代役は…やっぱりアイドルの代役なら可愛い女の子の方がいいでしょう、この子なんてどうです?」

 なんと金切良平は私を推薦した。こいつは何を言っているんだ?

「うーん…確かに可愛いが…やはり話題性という点でいえば、君が投げてくれた方が…確か君、145くらい出せるんだろう?地元の高校1年生が145だなんて大盛り上がりだよ」

 スカウトの言うとおりだ、金切良平が投げる方が盛り上がるにきまってる。

「話題性でいえばこの子の方がすごいですよ、彼女140投げますから」

「な、何言ってんだてめー!」

 思わず口調を荒げて金切良平を睨みつける。でたらめを言うんじゃない!

「ひゃ、ひゃくよんじゅう?女の子が?」

「冗談だろう?」

 スタッフも信じてはくれないが、

「本当ですよ。彼女中学2年で135をたたき出してますからね、昔話題になりましたよ」

「そ、そういえば地方の新聞でそんな記事があったが…まさか噂が本当だったとは…き、君!是非始球式で投げてくれないか!」

 なんてこった、スタッフはすっかり私を投げさせようとしている。

「わ、私はあの頃よりも肉体的に衰えてますから、もうそんなに出せません」

「何言ってんだい、こないだ軟球で130くらいのシュート投げてたじゃないか、硬球ならそれくらい出るはずさ」



「本日の始球式は話題のアイドル、秋葉黒葉さんの予定でしたが急遽こられなくなったとのことで、代わりに地元の女子高生、彼岸秀さんに投げてもらいます」

 ウグイス嬢がそういうとブーイングが聞こえる。そりゃあ人気アイドルがただの女子高生になったのだからファンからすればブーイングも出したくなるだろう。

 結局私としたことがあの後折れてしまい、こうしてマウンドに立つ羽目になった。

 自分の能力を評価されて頼まれたら断りにくいというのもあるし、心の中では始球式で投げてみたい、という気持ちがあったことも事実だが。

 それにしてもゴールデンウィークというのもあるがほとんど満席だ。こんなに大勢の人間に見られるというのはやはり緊張する。押しつぶされてしまいそうだ。プロの選手というのはこんなものに毎日耐えているというのか、底野は私をプロでも通用するんじゃない?と言ったが今はっきりした。精神という面でも私には無理な話だ。

 とは言えど、マウンドに立ったからにはきっちり投げなければいけない。

 私が、あのガープの捕手に投げるというのか。

 バッターボックスには相手チームの、一流の選手が。

 まるで私がガープの一員になっているようだな…いや、始球式の時は本当にガープの一員なのかもしれない、とガラにもなく感傷にひたる。

「ええい、ままよ」

 140も投げれるはずがない、昔出た135だってガンの故障に決まってる、だけどこうなりゃ全力で投げるしかない。大きく振りかぶって、思い切り振りおろす。

 投げたボールはすっぽりと捕手のグラブに収まった。

 バッターは唖然としている。

 突如大歓声が巻き起こる、後ろを振り向くと、球速表示の場所には143kmという数値が出ていた。そんな馬鹿な、143だと?この私が?

「コントロールも素晴らしいですね、それでは彼岸秀さんに盛大なる拍手を!」

 まあいい、これで私の役目は終わりだ、とその場を離れようとするが、

「アンコール!アンコール!」

 なんと観客はそんな事を言いだす。私を晒し者にするつもりなのか。もう恥ずかしくて死にそうなんだ、許してくれ…



「結局3球も投げるなんてね、それも143のストレートに138のシュート、130のシンカー、即戦力じゃないか」

「なあ金切良平…お前は私に何の恨みがあるんだ?こんな恥ずかしい思いをさせて」

「いやあ、俺は…将来ここで投げるかもしれないしさ」

 意外とビッグマウスだな、おい。

 ああ畜生、誰かに八つ当たりがしたい。そうだ、糞姉に八つ当たりをしよう。

 糞姉に野球中継を見ろ、金切良平が見れるぞとメールを送る。これでよし、と。

「はぁ…試合に集中するか…」

「そうだな、今日は勝ってほしいな」

 それからは応援に専念する。今日はエース対決、こちらのピッチャーも向こうのピッチャーも調子は良さそうでガンガンと良い球をほうる。

 球が速いだけではない、バックネット裏から見るとプロはフォームも素晴らしい。いい感じにこちらからでは球が見えないように投げている。自分の投球姿を見たことはないが、恐らく簡単にストレートか変化球かわかってしまうだろう。

 身体能力が高いだけでは駄目だ、やはりちゃんとした指導者がいないと。独学には限界がある。

 隣の男は高校生活でその素質を果たして伸ばせるのか?



「勝ててよかったね」

 試合が終わり、自然と二人で帰る羽目に。激しい投手戦の末、何とか我がガープは勝利。

 私も選手からサインをもらえて機嫌が良いからこいつと話もしてやろう。

 糞姉の事をどう思っているのかでも聞くか?いや、あまり介入はしたくない。

 ここは野球の話でもしよう。

「ねえ、なんでここに進学したの?」

「…やっぱり野球も学校も楽しくやりたいじゃないか。強豪校だと上下関係厳しいっていうし、華がないし」

 こいつの言う華とは一体何なのだろうか、ひょっとしたら糞姉の事かもしれない。

「…二兎を追って一兎も得ないなんて事にならないことね」

 まあ、本当にすごいやつというのはどこにいたって成長して結果を出すものだ。

 野球好きとしてはこいつの今後に期待しておこう。



「ただいま」

「ちょ、ちょっと秀!?一体どういうことよ、なんでアンタが金切君と一緒にいたの!」

「デートだけど?」

 冗談のつもりだったが糞姉の心を壊すには十分だったようだ、いやあ気分がいい。

 糞姉は虚ろな目で今にも死にそうだ、流石にやりすぎたか。

「…ったく、冗談に決まってるでしょ、偶然よ偶然。今度一緒に野球見に行きたいってお願いすれば?断らないと思うから」

 まったく、糞姉の恋を応援するとは、私も随分丸くなったものだ。

 ひょっとしたらあの男…底野のおかげなのか?はは、まさかね。


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