5月2日(水) オリエンテーション2日目(下)
「後もう少しだよ、頑張ろう?」
「わかってる、ヒナこそ大丈夫?」
「放送部は体育会系だもん」
友人のヒナと共に登山コースを選んだ私、彼岸優は正直体力的にきつかった。
こんなことなら秀みたいに少しは運動をするべきだった。
金切君とお喋りしながら登山できると思っていたが、歩き疲れてペースが落ち、現実は金切君は先頭集団、私達は最後尾で話すこともできない。だけど無理して急いだら危ないのもわかっている。
「おーおー頑張れ頑張れ、本当にあとちょっとだからな、いや正直ここまで来るとは思ってなかったよ、感心感心」
最後尾の私達にあわせている体育教師がそう言って励ましてくれる。情けない教師だと思っていたけどごめんなさい、この人は教職の鑑です。
人は何故山を登るのだろうか。外国の高い山など毎年死人を出している。
それでも登山家は山を登る。何故なのだろうか。
その答えが、ここにあった。
「うわ…すっごい…」
高い所から見渡す世界。最高に幻想的で美しい。
そうだ、この景色のために山を登るんだ。
「えへへ…やったね、優」
「うん、やりきったね、ヒナ」
「ああ、やりきったな、彼岸、稲妻」
「先生ムード壊すからどっか行ってください」
体育教師が落ち込みながら去っていく。それはともかく、ついに私達は山の頂上についたのだ。
足はがくがくだ、これから山を下る事を考えると少し滅入るが、それよりもまずはこの素晴らしい光景だ。
「ふふ、感動するのもいいけど、本命はまだ別にあるでしょ?行ってきなって」
そうだ、その通りだ。ヒナに急かされ、私は彼の元へ歩き出す。
「金切君、すごい眺めだよね」
「優か、ちゃんとたどり着いたんだな。段々お前が後ろの方に行くからちゃんと来れるか心配してたんだ」
「えへへ…ありがと、それにしても本当にいい眺めだよね、そうだ」
私は全力で息を吸う。
「やっほー!」
そうそう、山に登ったらこれやらないとね。こないだ家族旅行で行った時はバテバテで叫ぶことすらできなかったんだった。
『やっほー!』
「あはは、本当に声が返ってきた、面白いね」
「よーし、それじゃあ俺も」
金切君も思いきり息を吸い、
「やっほー!」
と叫ぶ。流石は男の子、私なんかよりもずっと大きな声で叫び、返ってきた声も、
『やっほー!』
しっかりと聞こえる。そしてその返ってきた声がまた反響して何度も何度もヤッホーが聞こえる。可笑しくて二人で笑い合った。
その後はちょっと遅いがお昼のお弁当を食べる。空気のいい場所で食べるご飯は格別、しかも好きな人と一緒に食べるのだからもう最高のおかずだ。
そういえばヒナはどうしているのだろう、私に付き合って一緒に参加してくれたのに蔑ろにするというのはあまりにも後味が悪いとヒナを探すが、ヒナは小田君とこちらを見ながらにやにや話している。どうやら杞憂だったようだ。
「よーしお前ら十分楽しんだか、そろそろ下山するぞ、集合しろ」
体育教師の号令で皆が集まる。家に帰るまでが遠足、麓に降りるまでが登山だ。
まあ坂道を上るのに比べたら下るのなんてそんなに辛くないだろうけどね。
「優、何突っ立ってんの、置いてくよー」
皆が下山を始める中、私は一人頂上に残ったままだ。
「すぐ行くから先に行ってて」
ヒナも下山を開始し、一人になる。1分程経った後、
「好きだー!」
と私は大声で叫ぶ。恥ずかしくて人がいるところでは言えなかった私の気持ち。
返ってきた山彦の声がちょっと金切君に似ていて私は顔が真っ赤になる。自分の声なのに。
少し勇気がついた私は、皆を追って下山を開始した。
◆ ◆ ◆
「というわけだ、山の自然を堪能できたか?それじゃあ解散、まだ夕飯とキャンプファイアーまで時間があるからな、湖で遊ぶコースに途中参加するのもいいだろう」
生物教師の声で皆が散り散りになる。熊に襲われることなく、俺、底野正念の参加していた山の自然と触れ合おうコースは終了した。
「まあ、なかなか楽しめたわね」
傍らには秀さん。百聞は一見にしかず、図鑑でしか見なかったものを直接見ることで彼女にも何か思うことがあったのだろう、珍しく上機嫌で鼻歌まで歌っている。
「さて、これからどうするかな、湖で遊んでこようかな、秀さんもどう?」
何の恥ずかしげもなく秀さんを誘う。俺はナンパ師の素質があるのだろうか。
「何であなたと湖で遊ばないといけないんですか?少し疲れたので夕食まで寝ます」
あっさりと断られてしまった。まあ流石にそこまで気を許してはくれないか。
「ふはは!そうは問屋が卸さんぞ!」
「ゴカイ…ロッカイ…ナナカイ…」
と、突然現れたのは中学からの友人で勝手に入れられた部活の部長である稲船の番長、半泣きでぶつぶつ呟いてる要桃子さん、そして番長の双子の兄だ。番長と要さんは水着を着ており、特に要さんのは目に毒だ、思わず前かがみになってしまいそうだ。番長の兄は私服だがずぶ濡れだ、番長と3年間付き合ってきた俺の経験から推測するに、釣りをしていたところを無理矢理湖に引きずり込まれたのだろう。
「どうしたんだい番長」
「おう底野、暇なら俺達と遊ぼうぜ。というか部活の課外活動だから」
元より俺は湖で遊ぶ予定だった、しかし秀さんは
「ふざけんな、何で私が」
不機嫌モードに入ってしまう。この状態の彼女を湖に連れて行く事が果たしてできるのか、番長の手腕に注目だ。
「ははは、アレだろ彼岸秀。自分の水着姿に自信がないんだな」
「あぁ?」
不機嫌モードからブチギレモードに入ってしまったようだ、殺人鯉のオーラが見える。
「まあそれならしょうがないな、俺と桃子の前じゃお前の水着姿なんてお弁当のひじきの煮物だからな。底野も振り向いてはくれないだろう、うんうん。よし底野、ひじきの煮物なんてほっといて遊ぼうぜ、大人の魅力を教えてやるよ」
ひじきの煮物…じゃなかった、秀さんは一体この後何モードになってしまうのか。
「…私は、馬鹿なんでしょうか。あんな挑発にまんまと乗って」
そう呟きながらビーチボールを投げる秀さん。結局挑発に乗ってしまい湖で一緒に遊んでいる。流石は番長、謎の人心掌握術を心得ている。
「まあまあ、なんだかんだ言って楽しんでるじゃないか」
飛んできたボールをレシーブ。セパレートの水着に身を包んだ秀さんは俺から見れば十分天使だ、ひじきの煮物ではない。
「楽しむのは結構だから釣りの邪魔をしないでくれよ、ひじきの煮物さんよお」
ボールで遊ぶうちに移動してしまったようで、気づけば番長の兄の釣りの邪魔をしていたようだ。
「そうか、溺れたいのか。しょうがないな」
口は災いの元。番長の兄は秀さんに湖に突き落とされてしまいました。
「ひでえな、何て事をしやがるんだ。お前の精神年齢さなぎと同じだな」
「はん、あんなのと一緒にすんじゃねえよ…むにゅ」
秀さんは何かを踏んでしまったようだ。透き通った水なので足元を確認すると、そこにはうねうねした生き物がつぶれていた。多分番長の兄が使っていた釣り餌だろう。よりにもよって秀さんは裸足で踏んでしまった。
「…なんだ、ゴカイか」
しかし秀さんは特に気にすることもなく、俺から距離を取ってまたボールをこちらに寄越す。
「おいおい、信じられねえ。さなぎと要さんは阿鼻叫喚だってのに。彼氏さんよ、よくあんなのを好きになったもんだな」
唖然とする番長の兄。
「あんなのって言わないでくださいよ、秀さん可愛いし優しいじゃないですか」
「あんたのストライクゾーンがわかんねえよ…ま、幸せにしとくれよ。俺は彼岸妹の事を一時期は妹のように扱ってたんだ、妹を二人も男に取られてお兄ちゃんショックだよ」
そう言うと番長の兄は立ち上がり、釣り道具を抱えて別の釣りポイントに移動する。
しかしすぐに番長と要さんがやってきてそこで遊び始める。彼は釣りの邪魔をされる運命にあるのかもしれない。
「早くボール投げてよ」
催促する秀さんに、俺は渾身の力を込めてボールを投げる。
ボールはあらぬ方向へ飛んで行った。
◆ ◆ ◆
お店には鍵がかかっていた。キツネさんは外出しているようだ。
僕、鷹有大砲は合鍵を使って中に入り、いつものように掃除を始める。
今ごろ学校の皆はオリエンテーションで楽しんでるんだろう、と思うとホウキをにぎる手に力がこもり、折れてしまった。店の備品を壊すとは何をやっているんだ、僕は。
「うーっす、店長はいないのか」
神音が店に入ってくる。僕は彼女と目を合わせない。
「…いやあ、その、もしかして怒ってます?」
申し訳なさそうに神音が僕の顔色をうかがうが、
「もしかしなくても怒ってるよ」
人を目隠しして縛っておいて朝起きたらビンタをかます。こんな女をどうやったら許せるんでしょうかね?
「うう…だって起きたら目の前にお前の顔だぜ?しかも両目をふさいでる怪しい顔だぜ?アタシだって女の子なんだからさ、そりゃあ動揺もするって」
両目をふさいだのはお前なんだが。
「それにもう痛みもひいただろ?こっちはいまだにあの光景が脳裏に浮かぶんだよ、総合的に考えても被害者はアタシ」
「まだちょっとビンタされた痕が残ってるんだけど」
「うっ…」
気まずい雰囲気のまま時間が流れる。僕はもうピカピカだというのに掃除をし続け、神音はずっとレジに立ったままだ。お客さんが来ればいいのだが、来る気配は全くない。
「ただいまー、あらあら何だか空気が悪いわねえ」
どれくらい時間が経っただろうか、気づいたらもう午後9時前、アルバイトが終わる時間帯だ。そして今頃になってようやく救世主たるキツネさんがお店に戻ってきた。
「あ、店長…」
キツネさんは神音の元へ歩み寄り、目線を神音に合わせる。親が子供を諭す時によくやる方法だ。僕はそんな事をされた覚えはないが。
「…まったくあなた達喧嘩してるの?喧嘩両成敗とは言うけれど神音ちゃん、どう考えても今日の朝の出来事はあなたが悪いわよ?」
「うう…ご、ごめんなさい眼帯…」
キツネさんに諭されて神音が土下座をする。いや、流石にそこまでしなくてもいいのだが…
それにしてもあの神音に謝らせるとは流石はキツネさんだ。
「それから大砲ちゃんも」
キツネさんは僕の方にも歩み寄るが、目線を僕に合わせるようなことはしない。
なんだか若干怒っている気がする、僕何かやらかしたっけ?
「そのホウキ、珍しいものなんだけど?」
「本当に申し訳ありませんでした」
全力で土下座をする。そういえばそうだった、店の備品を壊してました。
「と、いうわけで」
キツネさんは僕と神音に一枚の紙切れを手渡す。それは父高プール…ローカルな牛乳メーカーが運営しているプールのチケットだった。
「二人とも仲直りにデートに行ってきなさい」
「「へ?」」
思わず僕と神音はハモってしまう。
「神音ちゃんはデートで大砲ちゃんを喜ばせてあげなさい。大砲ちゃんはホウキ壊したのを悪いと思っているのならお土産に油揚げ味のアイス買ってきてね」
ホウキを壊した事については全面的に僕が悪いので断ることはできない。横の神音を見ると、
「わ、わかりました。ようし眼帯、アタシがキャバ嬢ばりに楽しませてやるよ!」
キャバ嬢がどう楽しませてくれるかはわからないが、ともかくこれでデートは決まった。
僕も彼女もゴールデンウィークは暇なので、明日行く事に決まった。
バイトも終わり、自分の家へ。
最近近くにできたお弁当の自動販売機がお気に入りだ。
機械なら僕も嫌われずに買い物ができるから。
「明日デートする事になったんだよね」
『…おめでとうございます』
ペットのガラハちゃんとお弁当をつつく。衛生上問題があるって?そんな事を気にしていたらカラスの飼い主にはなれないよ。
自動販売機で作り置きされているとは思えない程このお弁当はレベルが高い。
「何だか機嫌悪そうだねガラハちゃん。あ、ひょっとして僕がデートするって聞いて嫉妬しちゃったのかな?」
『最近ご主人の性格が自意識過剰、傲慢になっている気がするのですが』
ひょっとしたら神音に毒されてしまったのかもしれない。
『まあ何はともあれ頑張ってください』
ガラハちゃんにも応援される。これは無事にデートを成功させなければ。
僕は予行演習にとギャルゲーをプレイし、ガラハちゃんに呆れられるのであった。
◆ ◆ ◆
「ひゃっほーい!肉だ肉だ肉だ!」
「柔らかくておいしー」
「あ、それ私が狙ってたやつ…」
午後10時、オリエンテーションも終わりに近づいてきた。
バーベキューをしながらキャンプファイアー。陽気な音楽に合わせて歌ったり踊ったりする人もいるが、俺、稲船さなぎはただただ肉を食う。桃子と彼岸秀も同じ卓を囲んでバーベキューを楽しんでいる。
「さっきから俺ら全然食べてないんだけど、ちょっと俺の皿にも焼いたの入れてくれよ。…要さん、ピーマンと焦げ焦げの肉ばかり入れないでくれないか」
「あはは…」
そしてお兄ちゃんと底野は焼く係に徹している。部員大集合だ。
やっぱり炭で焼く肉はうまい、何故かは知らないけど。
いつもは小食な桃子でさえ今日はたくさん食べている、これがバーベキューの力なのか、それともお兄ちゃんの焼き方がうまいのか。
「お、これも焼けたな。…んめー!」
「さなぎ、肉ばかり食べないで野菜も食べなさい」
お兄ちゃんが親のような事を言ってくる。まあ確かに周りから見ればお兄ちゃんは俺の保護者と言っても過言ではないのかもしれないが。
「俺は今流行りの肉食系女子だし」
肉食系女子だから肉ばかり食べていても問題ない、と自分に言い聞かせるが、そういえば俺はこのオリエンテーションが終わったら黒須をプールに誘おうと思っていたんだった。肉ばかり食べていたらお腹が出てしまうかもしれない。黒須が幻滅してしまうかもしれない。俺は恐ろしくなって肉を食べる手を止め、野菜をつまむ。
「秀さんもさっきから黙々と食べすぎじゃない?」
底野も彼岸秀を心配する。こいつが食べ過ぎているのは底野が焼けた肉をすぐに彼岸秀に勧めているからだと思うのだが、気づいていないのだろうか。
「私は食べても太らない体質ですから」
「彼岸さん羨ましいです…」
食べても太らない体質とは女子の憧れ、羨ましい。
しかし桃子だってどうせ食べた分だけメロンが成長するのだろう、羨ましい。
「うへー、食った食った。吐きそう…」
「さなぎ…お前ゲロキャラとして確立していくつもりか?」
お腹いっぱい食べて余は満足じゃ。さて俺達もキャンプファイアーに参加するか。
「そういえばお兄ちゃん花火持ってきてくれた?」
「ああ…不幸にも爆竹は全焼してしまったがな」
なんてこった、爆竹が一番大好きなのに。
「よーし、それじゃあ花火るか!」
そして俺達は花火を開始。花火二刀流で彼岸秀に戦いを挑むが蹴り一発で花火ごとふっとばされてしまった。やはり素人が二刀流に手を出したのがまずかったのだろうか。
「ひぃっ…なんでさっきからこのネズミ花火私を狙うんですか?」
桃子はネズミ花火から逃げ回っている、トムとジェリーみたいだな。
「おいこら十里…お前昨日問題起こしたのに全く反省していないみたいだな…」
「いえいえ先生、反省していますよ。それにちゃんと水だって用意してます、危険な事になんてなりませんよ」
「さっきロケット花火が先生の肉皿に直撃して台無しになったんだが?」
「せ、先生もたまには花火どうですか?打ち上げ花火とかもありますよ」
お兄ちゃんは先生を説得している。確かに冷静に考えれば勝手に花火を持ってきて遊ぶというのは問題だろう。頑張れお兄ちゃん!
「あら秀、楽しそうな事やってるわね。私達も混ざっていいかしら?」
「糞姉と金切か…勝手にすれば?」
気が付けば他の生徒も花火に参加していた。来るものは拒まない、これが俺のポリシーだ。
そして諦めたのか教師陣も花火に参加。キャンプファイアーは気が付けば大花火大会。
最初は部員だけで楽しもうと思って企画した花火だったが全員が参加するまでになるとは、これも俺のカリスマによるものか(花火を大量に持ってきたお兄ちゃんのおかげかもしれない)。
彼岸秀と底野はそういえばどこに行ったと辺りを見渡すと、遠く離れた場所で二人で仲良く花火をしているではないか。俺のおかげで二人の仲も急接近。良い事するって気持ちがいいな。
「さーて、ドカンと咲かすぜ打ち上げ花火!お前ら危ないから離れてろ!」
花火の締めにメインイベント。1つ数十万するという打ち上げ花火に火をつける。こういう時はやはり金持ちが知り合いにいると得だよなあと思う。いや、知り合いというか身内だけどさ。
「ん…おかしいな、不発か?粗悪品を売りつけられたのか?」
しかし一向に花火は打ち上げられない。おかしいなと思って覗きに行く。
「ば、馬鹿!さなぎ、死ぬぞ!」
すんでのところでお兄ちゃんに羽交い締めにされる。目の前で花火は無事に打ち上げられた。
◆ ◆ ◆
「「あ」」
俺、十里なぎさがトイレから出ると、要さんと鉢合わせしてしまった。
「ま、待ち伏せしてたんですか、女の子がトイレから出るところを…」
「そんな訳ないじゃないか、偶然だよ偶然」
時刻は5月3日の午前2時。遊び疲れて夜更かしする気にならなかったので花火が終わった後はすぐにテントで寝ていたが、催してきたので起きてトイレに行き、今に至るというわけだ。
「それよりさなぎちゃん大いびきをかいて寝てますよ。おかげで私が眠れません」
いびきが大きいのは何かの病気らしいが大丈夫だろうか。
後で知った話なのだが花火大会で使うような打ち上げ花火の使用にはちゃんとした許可がいるとのこと。20号の打ち上げ花火をド派手に打ち上げた俺はこっぴどく先生に叱られました。
まあ、誰もケガをしなかったようで、よかったよかった。
「ははは、迷惑をかけるね本当に。それじゃあおやすみ」
彼女と別れ、自分のテントに戻ろうとするが、服を掴まれる。
振り向くと要さんが少し涙目になっていた。
「そ、その…怖いので送っていってください」
「というか俺も要さんと同じくらい怖がりだって知ってるだろうに」
「たまには男を見せてくださいよ」
彼女をテントまで送ることになり、二人で歩く。確かに午前2時の暗闇というのは怖い。
ほとんどの生徒が疲れて寝ており話し声が聞こえないというのが拍車をかけている。
「それよりオリエンテーション、楽しかった?」
「なぎさちゃんのせいでゴカイを踏みつけなければ最高でしたね」
俺の責任なのか?それは…
「花火もねずみ花火に襲われてトラウマですよ、ロクなもの持ってきませんね」
随分な言われ様である。花火職人が聞いて泣くぜ。
「花火と言えば」
俺はポケットをまさぐって残った花火を取り出す。
「使い切ったと思ったら線香花火が残ってたんだよね」
「線香花火ですか!?」
突然要さんが嬉しそうに叫ぶ。その目は子犬のようにキラキラとしていて眩しい。
「何、線香花火好きなの?」
「はい、大好きです!やりましょうやりましょう」
言うや否や要さんは俺から線香花火とマッチを奪い取ると、その場に座り込んで線香花火を楽しみ始める。俺もその場に座り込み、線香花火に火をつけるが、すぐに火の玉は落ちてしまう。
「駄目ですね、なぎさちゃんは。線香花火ストに笑われますよ」
「線香花火ストって何なんだよ…」
また一本線香花火に火をつける。今度は結構長持ちしそうだ。
「何か話しましょうよ。結局魚は釣れたんですか?」
「おかげさまで一匹も釣れなかったよ」
「情けないですね、私なんか湖にいるだけで魚がよってきましたよ」
「きっと魚の匂いがしたんだろうな」
ムッとした要さんは火をつけたマッチをこちらに投げるが、大振りで軌道もわかりやすいので簡単に避けることができた。後ろにとんだマッチが草に引火してしまったので靴で火を消す。
「危ないな、火傷したらどうするつもりなんだよ」
「ふーんだ、女の子に魚の匂いなんて言うような人は火だるまがお似合いです」
俺の周りの女の子はちょっと暴力的すぎやしないか?
やがて線香花火も残り一本。要さんは最後の一本に火をつけ、それを惜しむように見つめる。
幻想的だ。写真に撮りたい。
…そういえば、俺はカメラを持っていたんだった。結局全然使わなかったけど。
普通のカメラとして機能するのかはわからないが、線香花火をしている彼女をファインダーにおさめる。
カメラを向けられている事に気づいた彼女は、
「特別ですよ?」
満面の笑みをこちらに返すのだった。パシャリという音の後、すぐに写真が出てくる。
「わあ、上手に撮れてますね。素材がいいからでしょうか」
自画自賛にも程があるが、実際その通りだろう。例えブレていても彼女の写真ならピュリッツアー賞が取れるだろう。俺は彼女に写真を手渡そうとするが、
「なぎさちゃんにあげます。大切にしてくださいよ?」
と言われる。最後の線香花火が終わったのを確認すると、鼻歌を歌いながら彼女は自分のテントに戻って行った。天使どころじゃない、大天使だ。




