4月19日(木) 稲船さなぎ、お酒に酔う。
4月19日、木曜日。
「くっせえな…誰だ、電車の中にビール缶を放置した奴は」
朝、俺こと稲船さなぎと彼氏である片木黒須はいつものように各々の学校に行くため電車に乗り、いつもの席に座ろうとするがそこには誰かが放置したと思われるビールの缶が5本ほど散乱しており、はっきり言って臭い。
「車掌さん掃除してくださいよ…」
黒須がため息をついでドアの中にいる車掌をにらみつけるが、車掌はそんな俺達には気づかずにしゅっぱつしんこー、よし!とか言っている。教育がなっていない!
「まあいい、不良たるもの酒の匂いくらい積極的に嗅がないとな!」
「おいやめとけ」
黒須の制止など気にせず俺はビール缶を鼻に近づけ、匂いを嗅ぐ。今まで母親が家で酒を飲んでいる時や酒臭い状態で帰ってきたときは臭くて臭くてたまらないので匂いがしなくなるまで遠くへ避難していたが、母親から逃げるなんて正直アレなのでそろそろ慣れないといけないだろうという理由もある。多分これはオッサンが飲んだビール缶なんだろうが、そんなことを気にするほど乙女じゃないのだ俺は。うーん、臭いと思っていたがよくよく嗅ぐといい匂いな気がしてきた。大人達は汗水垂らして働いた後、これを飲んで気分を良くし、明日につなげるのか。うん、なんだか気分がよくなってきた。うへ、うへへへへ…
「それで酔っぱらったってわけか…」
「おりーちゃんおらほー」
おれがおりるえきにとうちゃくし、とびらがひらくとなぜかおにいちゃんがまっていた。おにいちゃんはとほでがっこうにいけるばしょにすんでいるのになんでここにいるんだろうか。
「すいません、羽交い締めにしてでも止めさせるべきでした」
くろすがなぜかおにいちゃんにあやまっている。くろすとおにいちゃんはしょたいめんのはずなのにどうしたんだろうか?
「なんでおりーちゃんここにいるろ?」
みるみるうちにおにいちゃんのかおがあしゅらとかす。こわいよお。おしっこもらしちゃいそうだよお。
「お前がビール缶嗅いでへろへろに酔っぱらって一人じゃ学校に行けそうもないからわざわざお前の彼氏さんがお前の携帯から俺に連絡して俺は駅まで来て入場券買ってここに来たんだよ!ドアホが!おい、お前なにもじもじしてやがる。まさか漏らすんじゃないだろうな」
「本当にすいませんでした…」
「いや、こちらこそ愚妹が迷惑をかけてすまなかった。今までも、これからも迷惑をかけ続けるだろうが、どうか見捨てないでくれ」
ふかぶかとたがいにあたまをさげるくろすとおにいちゃん。にほんのでんとうってかんじがしてなんだかかっこいいよね。そのあとでんしゃのとびらがしまり、おれはおにいちゃんにひきずられていく。
「おりーひゃん」
「なんだ」
「といれ」
おにいちゃんのかおがにおうになる。こわいよお、ほんとうにもれちゃうよお。
「稲船さなぎ、完!全!復!活!」
保健室で目が覚めるや否や跳ね起きて勝利宣言。おっと、ここは保健室だった。不良とはいえこんなところで大声を出すのはマナー違反だ。幸いにも保健室には俺以外誰もいなかったが。というかいつ来ても保健の先生がいないのだけど存在しないのか?
俺はあの後お兄ちゃんにトイレの世話をしてもらい(恥ずかしかった)、学校まで引きずられて保健室のベッドにポイされた。そして俺はお酒が抜けるまでぐーすかと寝ていたというわけだ。
「それにしても…お酒って怖いな…」
まさか匂いを嗅いだだけであんなになるなんて思いもしなかった。酔った時の自分の言動を今では冷静に判断できる。あれが大野道の番長の片割れと恐れられた自分だというのか。
「お酒は二十歳からってやつだな、うん。まだ俺には早すぎたんだ」
一生飲むな、とお兄ちゃんがテレパシーを送ってきた気がしたが、二十歳になる頃にはお酒への耐性もついているはずだから大丈夫。四年後を楽しみにしようじゃないか。
時計を見ると12時50分。お昼休憩が始まったところだ。どうせお兄ちゃんの事だから担任にはちゃんと連絡していることだろうし、気にせずご飯食べに行こう。
食堂に行き、券売機の前に並ぶ。今日はカレー大盛り+唐揚げで決まりだな。後1人というところまできたが、俺の前の男がなかなかメニューを決めない。15秒ほどたってようやくかつ丼のボタンを押したようだ。まったく、男の癖に情けない奴だ。背も低いし、人間としても小さい男なんだろうなとそいつの面を拝む。
「ってお兄ちゃんじゃねえか!」
「あぁ?」
お兄ちゃんの顔が般若になる。怖いぜ、流石にさっき出したから漏らさないけどな!
「いやあさっきは迷惑かけてごめんなさいだぜ。まあそれはさておきお兄ちゃん金持ちなんだからもっと贅沢しようぜ」
俺はぱぱぱっとカレー大盛りと唐揚げ、ついでにデザートにプリンのボタンも押す。
「カワイイイモウトノタメナラアノクライナンデモナイヨ。あんまり俺は贅沢とか好きじゃねーんだよ。俺が稼いでるわけでもなし。つうか周りに俺が金持ちだってばらすな」
食券を出して料理を待ちながらお兄ちゃんは見事な棒読みをかます。
「俺なんて今までそれほど金もらってなかったから、お兄ちゃんに生活費とか渡されて一気に金遣いが荒くなっちまったよ、どうしてくれんだ」
「そうか。じゃあ渡す金額減らさないとな」
「そんなー。大体さー、金持ちがお金貯めてどうすんのさ。金持ちはばんばんお金使って循環させないといけないと思うぜ?金持ちがばんばん贅沢してくれないと、庶民が安心してお金を使えなくて経済が運行しなくなるよ」
ってこないだ読んだ本に書いてあった。
「ぐっ…確かにお前の言う事も一理あるな。よし、もう少し贅沢してみるか」
そう言うとお兄ちゃんはジュースを買いにいった。スケールが小さいなぁ…
将来十里グループを継ぐであろう男がこんなのでいいんだろうか?
飯を食ってお兄ちゃんと別れ自分の教室へ戻る。いや、学校来てずっと寝ていたので今日初めてここに入るわけだが。
「あ、さなぎちゃんおそよー。ものすごい遅刻だね」
席につくと隣の席に座って本を読んでいた超絶美少女要桃子が話しかけてくる。メロンが食べたくなるけどかぶりついたら汁で顎あたりがかぶれちゃうんだよな。
「いや、遅刻ってわけじゃないんだが…あ、そうそう」
ビール缶嗅いで酔って爆睡してましたなんてとてもじゃないが言えない。何とか話題を変えることにする。
「桃子のファンクラブ入ったぜ」
俺はカード入れから要桃子ファンクラブ会員証を取りだし、本人に見せつける。
「何やってんの!?」
「いやあ、昨日ファンクラブ入りませんか?って言われてさ。女の子の会員もいると箔がつくとか言われて。それになんたって今会員になると123番だって言うから」
123という連番の魅力には逆らえない。一番好きなのは890だったりする。連番なのか連番じゃないのかよくわからない並びが最高にクールだぜ。
「もうそんなにいたんだ…はぁ…」
桃子は頭を抱える。その仕草1つ1つが最高に可愛らしい。流石は俺とタメを張るレベルの美少女だぜ。
「で、実のところ何人と付き合ってるんだ?」
「へ?」
きょとんと首をかしげる桃子。こんなところでも可愛さアピールか流石だな。
「ファンがこんだけいるんだ、軽く二桁は食ってるんだろう?」
「何言ってんのさなぎちゃん…誰とも付き合ったことないし、処女だよ」
「ななななななにぃ!?」
衝撃発言に俺のみならず周りの女子もビックリ仰天。男子は必至で表情を変えないようにしているが、内心歓喜しているだろう。
こんな可愛い子が今まで誰とも付き合った事がなくて処女だなんてあり得るのだろうか。私ですら彼氏はいるのに(処女だけど)。
「私をなんだと思ってたの?」
「見た目清純派美少女だけど20人くらいと付き合ってる超絶ヤリマ」
「怒るよ」
彼女が怒ったところで全然怖くないし可愛いらしいのだが。
「それにしても純潔を守っていたなんて。これを皆が知ったらファンが加速度的に増えるだろうなあ。うんうん」
「え?なんで?」
どうやら彼女は自分の希少価値がわからないらしい。彼女レベルの美少女というだけでも恐ろしく少ないのに、その上純潔を守っているなんてレッドデータに速攻で追加だ。俺は彼女を保護すべき希少動物を見守るようにみつめる。
「うー…そういうさなぎちゃんはどうなのさ」
「お、俺?も、もちろん彼氏とかたくさんいるし!処女なんて小3で捨てたぜ!…なんだお前ら、なんだその目は。信用してないのか?」
見栄を張るも、クラスメイトには簡単に看破されてしまった。おい、そこでクスクス笑ってるお前俺と中学一緒だっただろ。一人は彼氏がいるって説明してくれよ!何かすんげー惨めじゃねえか!
しかし彼氏すらいないとは。確かに桃子くらい可愛ければなかなか釣り合う男性もいないだろう。しかし学生時代は限られているのだ、彼女にも青春を謳歌してもらいたい。
「そうだ、俺のお兄ちゃんなんてどうだ?お値打ち商品だぞ」
十里の御曹司という素晴らしい地位、俺を毎回看病してくれる優しさ(こないだ盗聴とかやってたけど)、本気で睨むと俺をもビビらせる強さ。お兄ちゃんなら桃子にも釣り合うのではないだろうか?もしお兄ちゃんと桃子が結婚したら桃子が俺の義姉になるわけか…
「さなぎちゃんのお兄さんって…身長2mくらいあるの?」
これでもうちょっと身長があればなぁ。
そして放課後。今日はクラブ紹介とかですぐには帰れないようだ。俺達は体育館に集められ、この高校での部活動の紹介を受ける。野球部サッカー部といった体育会系、実際に演奏したり演劇を行って場を盛り上げる文化系、アマチュア無線部やヒップホップ同好会といったよくわからない部活などを見て、俺も何か部活動に勤しもうかと考える。
「黒須は、部活とか考えてねーの?」
「剣道部に誘われてるんだがな、どうすっかな」
学校の帰り、今日も俺と黒須は電車で待ち合わせして端っこの席で逢瀬。
「俺も興味はあるんだけどなー、どうすっかなー」
部活をする上で障害になるのが黒須のことだ。今は学校終わってすぐ帰っているから電車で待ち合わせだって簡単だが、部活を始めれば一緒に下校など難しいだろうし、部活に打ち込んで黒須の事をないがしろにしてしまいそうで何だか怖いのだ。
「ま、黒須は俺の事なんか気にせずに部活とかやってもいいんだぜ、別にこうして下校することができなくなったくらいで、俺達の愛は揺るがないだろ?」
俺はそう思っているが黒須も同じようなことを考えているのだろうか?
「お前…よく恥ずかしげもなくそんな事言えるな…」
「それにお前が部活やってくれりゃあ俺も気兼ねなく部活できるしな」
結局黒須は剣道部に入る決意を固めたようだ。これから下校で一緒になることは少なくなるだろうけど、剣道に勤しむ黒須の姿を思い浮かべれば寧ろ微笑ましい。
「ただいま…うっ、酒臭い…」
駅で黒須と別れ、住んでいるアパートに戻って扉を開けると酒の匂いが充満していた。リビングには空のビール瓶と熟睡している母親、稲船佐奈。ビール缶を嗅いだだけでへろへろになってしまう俺は母親に近づくことができず、自分の部屋に避難する。
最近お酒を飲む頻度があがってきたように思う。ほぼ家を出るように離婚して最初の頃は、あんな男の事なんか忘れて新しい幸せを掴みましょとか言っていたが、気が付いたらお酒ばかり飲んでいる母親ばかり目にするようになった。
水商売はそれなりに儲かるのか生活は普通にできているが、稼ぎの大半は自分の酒代につぎ込んでいるようで俺自身は裕福な暮らしはできていない。お兄ちゃんに生活費をもらう際、絶対に母親に渡すなと言われた。確かに今の母親にお金を渡したところで酒代に消えるだけだろう。
俺は母親の酒狂いを止める気はなかった。このままいけばそのうち倒れてしまうだろうとは思っているが、お兄ちゃんに生活費はもらえるし別にそうなってもいいやと思っていた。今まで養ってもらっている恩を差し引いても、俺の中では喧嘩ばかりする母親ばかり印象に残ってどうしても好きになれなかった。だから自分はガキなのだと理解はしているが、どうにもならん。
少し頭がフラフラする。酒の匂いで少しやられてしまったのだろうか。俺は着替えもせずにベッドに倒れこみ夢の世界へダイブ。夢の中では家族全員が仲良く暮らしていた。