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獅子心あるいはシリアの稲妻

キャラが増えるよ!

渡された魔道書『魔女の槌』に書かれていた事細かな評価基準。下手したら給料が一銭も貰えない事態に陥る可能性があることに戦慄。すでに今までの言動で失点がかさんでいることにも戦慄。御園の作ったご飯がおいしいことに戦慄。とにかくこれ以上監査に響かないよう、仕事をこなすしかない。猪口は決意した。

(魔法少女だろうがなんだろうが仕事ならやるしかねぇ。それが男の務めってもんだ。滅私、滅私と飯を食い、ってか)

そんな中年のような─無論、監査対象になる─事を考えながら眠りについた。ひりひりと御園の視線を頬に感じつつ。


 朝、猪口が幾つかの嫌な夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっていた、のなら良かったのにと思った。悪夢を見たのは事実だが、目覚めても悪夢は続いているようで、猪口にはたいしたことではない。悪夢は見慣れた。主にここ数日で。

目に映るのは、相変わらず細く白い腕。見慣れない自分の手だ。顔をこすってみる。以前の紙やすりをなでている感覚は無く、ぷるぷるしたみずみずしい肌が真新しい。

今ならグレゴールの気持ちが痛いほどわかる。

(最後はどうなるんだっけかな…。たしか死んだ気がするが、思い出せん)

そうこう考えているうちに隣で、そして全裸で寝ている御園も目を覚ました。

朝の挨拶をかましてみる。

「モウ!ミライチャン!マタヒトノベットニモグリコンデル!」

やけくそであるが偉大な一歩を踏み出す猪口。台詞は漫画から借用している。

「ふふ…。ごめんなさい。寝癖が悪いのも困ったものね。さあ。着替えて朝食を食べに行きましょう」


 食事は朝昼晩のそれぞれ6時、12時、18時から二時間、食堂でバイキングが利用できるらしい。昨日の猪口たちのように時間外で食事をする際は自室で調理が可能だが、その際の食材は自己負担になる。ほとんどの生徒はわずかな保存食を置いておき、食堂を利用するのが常だった。しかし寮での調理も22時までと限られている。それ以降は調理器具の一切が使用不能になる。ガスコンロなどの携帯調理器具はその所持が認められていない。

 そんなわけで食堂に来た猪口と御園。時間は7時。学生の姿も多い時間帯だ。和洋中というより世界各国の料理が集まっているといったほうが正しいだろう。ママリガとかカヴァルマとかチェブジェンなどその他いろいろ。しかし猪口はどこの国の料理か知らない。もちろんほかの学生も知らない。様々な香辛料の秩序の無い匂いに食堂は満たされていた。

猪口はとりあえず知っている料理を皿に取っていく。とりあえずご飯、多めに盛っておく。次に味噌汁と納豆。納豆に入れる刻みねぎとなんとなく海苔を手に取る。鮭の塩焼きがあったのでおろし大根と一緒に皿にとり、きゅうりのお新香と小松菜の和え物の小皿を取って、物足りない猪口はあたりを見渡して鮪の小皿盛りと茶碗蒸しときんぴらごぼうをとった。一方御園は、クロワッサン2個とスクランブルエッグ、ソーセージ数個、ブラックコーヒーを持ってきた。

二人で向かい合って席に着く。猪口の料理を見て御園が一言。

「虹野さん、古風なのね」


食事を始める前から気になっていたことだがやけに生徒の視線が気になる。特に猪口が日本料理に執心している間は遠くでざわめきが聞こえたような気がした。

「もう放送三回目が終了しているからかしら。やけに注目されるわね」

「放送?」

「『プリルラ』よ。毎週金曜日午前1時から放送してるわ。注目度も高いみたいね」

「なるほど」

それにしても居心地が悪い。突き刺さる不特定多数の視線が気持ち悪い。今まで逮捕した犯罪者もこんな気分を味わっていたのだろうかと猪口は考えていた。

 そのとき、ふと食堂の空気が変わったような気がした。周りの視線が外れたような開放感。見るとどうやら皆、食堂の入り口を見ているようだ。猪口も入り口に視線を向ける。そこには金髪の少女がいた。

少女はきょろきょろあたりに視線を配り、やがて猪口に視線を合わせると一直線に向かってきた。すでに猪口には嫌な予感しかしない。

「虹野メルさん?」

整った顔立ちに無邪気な青い瞳、北欧系の外人か。まぶしいブロンドの髪はクロワッサンを連想される髪型にされていた。将来美人になるだろうと猪口は思った。

制服を着ているところから学生なのだろうが、その瞳は不必要に爛々と輝いていた。

「は…そうですけど…なに…」

言い終わる前に視界が塞がった。息ができない。

「───!?」

「きゃーーー!本物ですわーーー!」

ほのかな香水のにおいがする。どうも自分は圧殺されかけているのだと猪口は思った。

「あら!失礼。私としたことが少々興奮しすぎましたわね!」

肺に空気を取り込む。どうやら開放されたようだ。

「けほけほ…」

「私はレイチェル・ライオンハート。イングランドからの交換留学生であなたと同じ1学年よ。あなたに会えるのを楽しみにしてたの虹野さん!失礼は許してくださいまし」

レイチェルと名乗る少女は手を差し出し握手を求めてきた。

「けほ…。はぁ、よろしくお願いします」

猪口も手を伸ばし握手を交わそうとしたが、御園がそれを制した。

「本名も名乗っていないのに握手は礼儀知らずというものじゃないかしら?レイチェル?」

明らかに不機嫌な表情を御園に向けるレイチェル。

「あら御園さんごきげんよう。失礼ですけど私、今虹野さんと話しているの。邪魔しないでいただけます?」

「本名も名乗らない無礼者に虹野さんと話す資格はないわ。虹野さん」御園が何かカードのようなものを差し出す。「それが彼女の本名よ」

それをみたレイチェルが目を剥いて自身の体をまさぐる。

「ちょ…いつのまに!?それを返して頂戴!」

カードを奪おうとするレイチェルをまたしても御園が制する。「早く見なさい虹野さん」

しょうがないのでカードを見てみる。学生証のようで名前の欄には「山田=レイチェル・ライオンハート」と書かれていた。


あー、とかうー、とか唸っているレイチェル山田をフルネルソンで固めつつ御園が話す。

「イングランド出身の貴族階級に間違いは無いけどね、彼女ハーフなの。父方がイングランド系なんだけど日本の心を忘れないようにって名前に日本名を混ぜたのね。最もこの娘は日本名、嫌いらしいけどね。山田さん?」

拘束が解かれ、崩れ落ちるように床に手をつく山田。その背中は憂いのブルーを帯びている。あまりに小さくなりすぎたその背中に猪口はいくばくかの同情を余儀なくされた。

「あの…そんなに気にする事無いと思いますよ?あっ生徒手帳返します。山田さん?」

「…私をその名前で呼ばないでくだしまし!」

ひったくられるように生徒手帳を奪われ。レイチェルは人を殺せるほどの殺気をこめた視線を御園に向けた。

「と、いうより御園さん?どういうつもりなのかしら?ライオンハートの名を汚した罪は皮剥ぎどころではありませんわよ」

今にも飛び掛りそうな殺気を全身から発しているレイチェルに泰然と構える御園。

「名前を汚したのはあなたのお父上ではなくて?『山田さん』。それよりもあなたこそ私のメルに抱きついたことがどういうことかその心臓に直接教えてあげるわ」

ゴゴゴ…という効果音が聞こえてきそうな(あるいは聞こえた)圧倒的殺気のぶつかり合い。平和だった食堂はいまやキルゾーンと化した。周りを見ると生徒たちはすでに安全な距離を保ちつつ観戦していた。訓練されたかのような素早い行動だ。というより今はそれどころではない。ここにいたら自分も危険だ。逃げたい。逃げたいが一歩でもこの均衡を崩すような行為があれば間違いなくどちらかが『仕掛け』るだろう。そうすると自分にも危害が及ぶ可能性がある。だがこのまま座して死を待つよりはいっそのこと。いやしかし…。嗚呼無情…。

そんなことを猪口が考えているうちにとめどなく流れる殺気の表面張力が限界に達し。

そして

あふれ出─

              ─なかった。

「う…」

「んん…」

レイチェルと御園の間にいつの間にいたのか一人の生徒が割って入っていた。巧みに二人を制し、衝突を回避している。

「これは何の騒ぎですか」

透き通るようで内面に響くような独特の美声。

おもわず猪口も聞き惚れてしまった。

「…あらサラーさん。ご機嫌麗しゅう。朝早くからお仕事ご苦労様ですこと」

「仕事を増やすしているのはあなたでしょう。また揉め事ですか、これ以上は風紀委員として看過できませんよ。山田さん」

「その名前で呼ばないでと言っているでしょう!」

サラーと呼ばれた少女の手を払って、レイチェルが距離をとる。空気も幾分か緩和されてようだ。

「ふん。ちょっとお話をしていただけですわ。わたくし今日はこれで失礼します。虹野さん!またお話しましょう…。それでは皆様失礼。」

スカートの端をクイッと持ち上げる古風な挨拶をしてレイチェルは去っていった。

「レイチェルにも困ったものね。それと御園さん!あんまりあの娘を挑発しないでください。ただでさえ馬鹿なんだから」

「私は友人の貞操を守っただけよ」

「テイソウ…?知らない日本語ね」

「知らなくても良いわ。虹野さん。こちらは風紀委員のサラー・アル=ディーンさん。同じ1学年よ。皆はサラーって呼んでるわ。イラクからの交換留学生よ。こちらは正真正銘のクルド人。混じりっ血無しのね」

浅黒い肌とショートカットにまとめた深い黒髪、ブラックダイアモンドのような美しい瞳がとても特徴的である。身のこなしや端正な顔からどこか知的な雰囲気をかもし出しており、将来アジアンビューティーになるだろうと猪口は思った。

「あなたの事はよく存じてます。よろしく虹野さん」

「あ、よろしくお願いします。虹野です」

握手を交わす。手が柔らかい。

「なにか問題があったら私に相談してください。それでは失礼」

荘言うと、背中を向けてサラーは去っていった。食堂に平穏が戻り、何事もなかったかのように生徒たちが席に着き、食事を続ける。まるで訓練されたかのような行動だ。逆に猪口が取り残されている。

「ふう…。邪魔が入ったわね。食事を続けましょうか虹野さん」

「う…うん」

なんとなく食事を再開する。酢の物を持ってくればよかったなと猪口は思った。

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