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挑発

○挑発○


 前回の作戦から二週間が過ぎ、百合は休息期間を終わって、本山に呼び出された。

 本山の会議室には、五十人位のお役目達が集まっている。

 百合が休息している間に、既に大きな作戦が始動していた。

 探査方の働きで、富士山の麓に鬼頭達が集結していると言う事が判明し、鬼頭達の動きを監視する為に、既に先発隊が富士山の麓に陣取っている。

 今回の作戦は、八割以上の人員を投入する大規模な作戦と成るため、最終決戦になるかも知れないと多くの者達が噂している。

 今回、問題なのは富士山だと言う事だ……意外と富士山と、その周りは人が多い。

 その為、第三者被害が出ない様に気を付けなければ成らない。

 本山は、どの様に手を廻したか、火山性の毒ガスが発生したという事で、地元警察に協力を要請して、地域的に住民避難と道路閉鎖を行っている。

 余談だが、この二年間は、全国三百五十人余りのお役目全員が、ローテーションを含めフル稼働している……その報酬の支払額は一月で軽く五億円に達している。

 その支払い原資は、信者さん達からの御布施は当然として、瑾斂宗が系列として全国で経営している、病院や学校、それに賃貸のビル経営や貿易等の収益が当てられている。

 また、それらに伴って政界や財界に多くの人脈を張り巡らせている瑾斂宗は、一種のコンツェルンと言える。

「♪We Will♪We Will♪Rock You!♪」

 ブリーフィングも終わり、ほぼ散会状態になった時、百合の携帯が鳴った。

「……誰だろう?……!……鬼頭!」携帯の表示を見て、百合は慌てて着信を押した。

 あの後、鬼頭に何度か掛けたが、何時も電源を切っているのか繋がらなかった。

「……もしもし……」百合は、周りを気にしながら小声で応答した。

「よう、久しぶりだねぇ……覚えている?」

「貴様……よくも、ぬけぬけと……」鬼頭の軽い口調に、百合の声は怒りに震えた。

「おやぁ、怖いねぇ……久しぶりだと言うのに、初めから喧嘩腰かい?」

「貴様!何の積もりだ!」時が過ぎ、落ち着いた積りだったが、百合は鬼頭の声を聞いて頭に血が上り、思わず携帯に噛み付きそうになった。

 百合の大声で、まだ会議室に残っていた十人ぐらいが一斉に百合を見た。

「百合ちゃんの声が聞きたかったのさ……駄目かい?」

「お前の声は聞きたく無いがな……」

 國仁が、百合の様子に何かを感じ取って、百合に近付いて来る。

 國仁の姿を見て、百合は落ち着くために深呼吸をする。

「つれないなぁ……」

「ふん、断末魔の叫びなら聞いてやる」

「怖いねぇ……流石、鬼姫だ、ははははは」

 百合は携帯を顔から外し、マイクを押さえながら、

「鬼頭です……」と、國仁に伝えた。

「!」國仁は百合の言葉に、目を大きく見開き驚いている。

 國仁は導厳に手で合図をし呼んでいる……百合の周りに皆が、取り囲む様に集まって来た。

「今度は、富士山なんだってね。大変だねぇ、お役目も。百合ちゃんは、何時から行くの?」

「答える必要は無い……」

「ははは、そう、冷たくするなよ、お得な情報を教えて上げ様としているのに」

「お得な情報?」

 周りの皆が聞き耳を立てる様に取り囲んでいる。

「富士山には、僕達は居ないよ……いい加減、学習したらどうなんだよ、本山の連中も……二年も経ってるって言うのにねぇ」

「どう言う、意味だ?」『どうも、こいつの話し方は腹が立つ……』

「……さあね、考えてご覧よ……それより、どう、百合ちゃん考えは変わらないの?」

「何の事だ」『その〝百合ちゃん〟は止めろ!』

「僕達の仲間になりなよぉ……」

「黙れ!殺そうとしたくせに……何を今更……どう言う神経してんだ!」

「そんな、随分と昔の事じゃないか……忘れようよ」

「あほか!おのれは!そんな事、出来るか!殺され掛けた事が忘れられるか!」

「残念だな、仲間になるなら、僕の居場所を教えてあげるのに」

「何だと……それを信じろと言うのか……」

「まぁ、信じるかどうかは自由だけど」

「よし、信じてやる……信じてやるから場所を教えろ、其処に行って貴様の首を叩き切ってやる!……貴様をぶち殺して人殺しの汚名を被る覚悟は、とっくに出来ているんだ!」

「……怖い鬼姫様だ……そうだ、お姫様と言えば、櫛名田比売(くしなだひめ)って知ってるかい?」

「クシナダ姫……」

「オオヤマツミの子の、アシナヅチとテナヅチの末娘……櫛名田比売」

八俣遠呂智(やまたのおろち)伝説の……須佐之男神話のか?」

「そうだよ、お姫様、どう?大蛇(おろち)に会いに来ない?」

「ふん、みすみす、食われる為にか?」

「はははは、怖かったら、須佐之男でも連れて来るんだね……じゃ」

「待て!どう言う意味だ!……おい!……くそっ……切られた……」

 百合は、直ぐにリダイアルした……が、既に電源を切っているのか、何時ものアナウンスが流れ、繋がらない。

「切れました……」皆が注目している中、百合は事務的にそう告げ、鬼頭との会話の内容を導厳達に一通り報告したが、また疑われるのでは、と不安だった。

「どう言う事だ、富士山に居ないって?」

「富士山には居ないのか?」

「八俣遠呂智って出雲だろ……其処に居るのか?」

「あ、あの……」百合は取り囲まれ、一斉に質問攻めに会い、戸惑っている。

「まて、勘違いするな……神崎だって知らん事だ」

 矢継ぎ早に質問されて困っている百合を、鳴神が声を掛け皆を制して助けた。

「でも、何で神崎の電話番号を、鬼頭の奴が知っているんだ?」

 百合は『ほら、来た……』と、首をすくめる。

「それは、鬼頭と以前一緒に作戦に付いた時に……」

 百合は周りの雰囲気に呑まれ、おずおずと答えると、皆が百合を疑う様な目で見ている。

「おい、俺の弟子に何か文句でもあるのか?」國仁が百合の前に出て、周りを睨み付けると、

「えっ、鬼追さん、いえ、そんなつもりは……」皆はバツが悪そうに百合から離れて行った。

「神崎、お前は以前、鬼頭と会っている……なら、今の電話は鬼頭だと断言出来るのか?」

 鳴神が少し離れた所から、百合に聞くと、

「えっ?……そう言われると……絶対とは言えませんが、声や口調は、私が記憶している鬼頭だと思います」鬼頭だと思い込んでいた百合は、改めてそう言われると自信が無かった。

 鳴神が、百合のあやふやな答えを聞いて、腕を組みながら考え込んでいる。

「導厳、どう思う?」鳴神が隣の導厳を見て尋ねる。

「どうと問われても……この作戦はもう、動いておる……不確かな情報で、今更変更する訳には行かぬ」導厳はそう答えると、目を硬く閉じ腕を組み考え込んでしまった。

「そうだな……」二人は、考え込み黙ってしまった。

「なあぁ、鳴神さん……これはあくまでも、仮説の範囲を出ないんだけど……」

「何だ、國仁……」國仁の言葉で、鳴神は目を開けて國仁を見た。

「前からさ、気にはなっていたんだけど、何時も鬼頭達を取り逃がす……これって、最初から奴等は居なかったんじゃ無いかって……」

「何だと……」國仁の話を導厳と鳴神は訝しげに、眉を寄せて聞いている。

「それが、可能かどうかは知らんが、例えば、奴等は(わざ)と派手に何かやらかして、俺達の目を引く、そして、直ぐに奴等は……何て言ったら良いのか……その、分身と言うか、ダミーと言うか……そう言った物と入れ替わる」

「…………」皆が、國仁の話を興味深げに聞いている。

「つまり、影を残す……という事か……」田神が顎に手をやり、國仁の方を見る。

「あっ、そんな感じ……田神さんが言った様な感じで入れ替わる……だから、戦いが終わった時には何時も奴等は居ない……」

「なるほど、可能性はある……今回も、探査方に態と見付けさせて、富士山に居るかの様に見せかける……だが、既に奴等は居ない」

「鬼追さんが言う事は、何となく分かりますが、何でそんな事をするんですか?」

「それが、鬼頭の復讐なんです」百合が、悔しさを吐き捨てる様に言った。

 皆が百合を注目する。

「奴に取って、滅火を開放する事が目的では無いのです。滅火は復讐の道具に過ぎません……本山や私達が、苦しんでいる姿を見て楽しんでいるのです。だから、奴は決して決着を付け様とはしません……この二年間の戦いで、既に五十三人の方が亡くなっています……奴は、それを楽しんでいるのです」百合は二年前を思い出し、隠し切れない無念な思いが滲み出る。

「それじゃ、今回も奴は、滅火を少し漏らして、凶悪な化物を発生させて、それを俺達が必死で戦うのを高みの見物してると言うのか」

「結論付ける証拠は何もありませんが、奴が我々を惑わす為に言って来た事は、確かだと思います」百合は大勢に囲まれながらも、堂々と自分の意見を皆に伝えた。

「面白がっているか……くそっ、何て奴だ……」

そう、誰もが道化の役等やりたくは無い、しかも命がけの道化なんか……

 そしてその場に居る全員が、新たに鬼頭への怒りを覚えた。

「導厳……どうする?」再び鳴神が導厳に意見を求める。

「……既に、富士山周辺には、滅火の影響を受けて、多くの凶悪な化物が発生している……今回、多数の人員を投入するが、どれ位時間が掛かるか分からん……付近の住民やゴルフ場等の施設の事を考えると、長引かす訳にもいかぬ……とてもじゃ無いが、出雲に割く人員等……」

「私が、確認して来ます!」百合が考え込む導厳に声を掛けると、

「馬鹿な、お前一人で何が出来る!」鬼頭の事で(はや)る百合を導厳が(たしな)める。

「いえ、確認するだけですから……それに鬼頭は私に来いと言いました……もし、行かなかったり、他の人が行けば、又何をするか分りません」

「行くと言っても、八俣遠呂智ってだけで何処に行く気だ」と、國人が尋ねた。

「とりあえず、伝説の場所を中心に探します……あ、でも、心配無いと思います」

「何故だ?」簡単に答える百合に、國仁は訝しげに問い直す。

「奴が其処に居るとすれば、絶対、奴の方から接触して来ると思います」

 百合は確信している。

 お役目達が富士山に集結する様に仕掛け、自分だけを呼び出した事に、鬼頭は百合との決着を付けたがっていると。

「接触して来たらどうする?」心配そうに國仁が百合に聞くと、

「ははは、全力で逃げますよ」百合は、作り笑顔で誤魔化す様に答えた。

「……出発は明朝五時……それまでに結論を出す……良いな」

「はい」導厳の言葉に百合は、重々しく頷いて答えた。

               ---◇---

 明朝、本山の駐車場から、三機のバートルに機材と共に分乗して、小隊のメンバーは出発して行った。

「で……あんたは、何なのよ……」

 結局、一人で鬼頭の調査へと向う事と成った百合は、小隊の出発を見送った後、まだ自分の隣に残っている、大きなリュックを背負った信仁を迷惑そうな顔で眺めている。

「監視役件、連絡係りであります!……百合姉が、無茶しそうだったら直ぐに連絡しろって、親父からの命令です!」信仁は、直立不動の姿勢で張り切って答えた。

「足でまといに成るだけだわ、来なくて良いわよ……って言うか、来るな!」

 百合は、きっぱりと言い切りると、信仁を置いて歩き出した。

 その姿を見て信仁は、ポケットから携帯電話を取り出し、

「あっ、良いのかなぁ……俺を置いてったりしても、親父に電話するよ……」と、薄笑みを浮かべ、嫌味な口調で百合を脅迫する。

「うっ……」國仁に電話すると聞いて、百合は思わず立ち止まる。

「そうしたら、親父は"直ぐに"飛んで来て、百合姉止めるな……良いのかなぁ……」

「ぐっ……」鬼百合と言う二つ名を持つ暴れん坊の百合だが、恩ある師匠の國仁を盾にする、信仁の脅し文句には逆らえず、悔しさを隠しきれずに肩を震わせながら唇を噛んだ。

「ははは、何か初めて百合姉より有利な立場になった見たい……いやあぁ、気分いいなあぁ」

「言ってなさいよ……覚えていてやるから……ずっと……」

 したり顔で、へらへら笑う信仁に百合は振り返り、殺意とも取れる恨みを込めた目で、信仁を睨みながら捨て台詞を吐き捨て、プイッと振向くと、又、一人すたすたと歩いて行った。 

「あっ、えっ、百合姉ぇ……えっ、本気にしないで……あの、冗談だから……怖い顔しないで……お願いだから……ね、百合姉ぇ……」

 百合の尋常では無い目の光を察し、百合から受けるお仕置きの恐ろしさを知っている信仁は、慌てて態度を一変させて、青ざめた顔で百合を追い掛けながら命乞いをする。

「まっ、待ってよ……百合姉ぇ……」

 信仁を無視するかのように、一人すたすたと歩いて行く百合を、信仁が縋る様な表情を浮かべ、小走りで追いかける。

「何処に行くんだよ……バス停、あっちだろ?」

 信仁が百合の後ろで、バス停の方を指差している。

 百合は信仁の言葉を無視して、ポケットからリモコンキーを取り出すと、見るからに、まだ真新しい車を開錠し、後部のハッチを開ける。

「……えっ?……」突然の思いも寄らなかった百合の行動に、信仁は唖然として百合を見た。

「さっさと荷物、載せなさいよ」百合は振向き、不機嫌そうな顔で信仁を促す。

「これって……何?」信仁は呆けた顔で、車を指差している。

「何って……パジェロ・ミニよ」そんな事も分からないのかと、百合は眉を顰める。

「いや、そうじゃなくて……」

「あっ、本当はね、ハイエースかデリカがよかったんだけど、高額(たか)いのよ……初心者だし、軽の方が良いかなぁって。それで、これにするかスペースの広いアトレーにするかで悩んだんだけど……結局、こっちにしたの」百合はにこやかな笑顔を浮かべ、信仁に一方的に説明した。

「……聞いてねぇし……免許、何時取ったんだよ」信仁が不審そうな顔で百合に問い質す。

「えっ、去年の冬よ、十八になって直ぐ。合宿して免許取るやつ……それから色々と忙しかったでしょ。三月に買ったのに、あんまり乗ってなかったのよ……荷物、渡しなさいよ」

 百合は、信仁から半ば強引に荷物を受け取ると、車の後部に放り込んでハッチを閉めた。

 そして、運転席の方に回り車に乗り込むと、シートベルトを付けて、エンジンを掛け、ナビの設定を始めた。

「信仁、どうしたのよ?早く乗りなさいよ」

 百合は、助手席側の窓を開けて、もたもたしている信仁に、少し苛付きながら声を掛けた。

「……どれぐらい、運転したの……」

 信仁は、開いた窓に凭れ掛かる様に腕を置いて、不安そうな顔で覗きながら聞いて来た。

「えっ?、えぇえと……オドメーターは217kmだね……買ってから五ヶ月経つけど、近所の買い物ぐらいしか乗ってなかったから」百合はそう言って、うろ覚えのナビの設定に戻る。

「…………」信仁は、顔を青ざめたまま黙っている。

「……何よ?……」そんな信仁に、百合は怪訝そうに眉を顰めて問い質すと、

「……やだ、死にたくない……」と、信仁が恐怖に震える声でぼそりと呟いた。

「はあぁ?」

「まだ、死にたくなぁい!」信仁はドアの淵を握り締め、車内へと身を乗り入れ叫ぶと、

「何言ってるの!馬鹿言わないでよ!」百合は、拳を信仁に突き出し怒鳴り返した。

「そんな!超初心者じゃんか!」

「大丈夫よ!初心者マークちゃんと張ってるし!」

「そう言う問題か!そうじゃねぇだろう!」

「試験もちゃんと一発で合格したし、何、文句有るのよ!」

「そんなあぁ……スーパーはくとで行こうよう……"安全"だよう……」

 今までの経験から、こんな時の百合に何を言っても無駄だと知っている信仁は、半ば諦めながら、百合を説得する為に別の案を提案した。

「スーパーはくとって……あんな所、電車で行って身動き取れると思っているの!第一ディーゼルで五月蝿いし、二時間以上乗るのに車内販売無いし……それとも何よ!私の運転が気に入らないとでも言うの!」と、こめかみに血管が浮いて来るの感じながら問い掛ける百合に、

「はいっ!」と、信仁は、きっぱりと言い切った。

「貴様……良いわよ、もう……職場放棄ね。アルバイトでも懲罰ものだわ……おじさんに報告してやる……」百合は、こめかみの膨みを感じながら携帯電話を取り出す。

 百合の運転に、確信的な不信感、いや、命の危険を伴う恐怖を感じている信仁の態度に腹が立ち、百合は國仁に報告する為、携帯電話のアドレス帖を開いている。

「わっ、わっ、分かったよ!乗るよ!乗ります!……のりますよ……」

 百合が運転する車に乗る恐怖よりも、國仁に怒られる恐怖が上回った信仁は、慌ててドアを開けて、決死の形相で助手席に座った。

「分かれば良いのよ。さっさとシートベルトする!通勤時間帯に当たると、高速までの国道、渋滞するんだから……行くわよ!」

 信仁が、渋々シートベルトを着けたのを確認して、百合は車を発進させた。


午前十一時頃、百合達は、米子自動車道の蒜山高原サービスエリアで、少し早い昼食を取っていた……食べられる時に食べる。田舎の鉄則だ。

 百合達は、サービスエリアのフードコーナーへ入って行った。

 姿を消して付いて来た、あやかし達も姿を現し、百合達と共に入って行く。

 玉江は相変わらずのダークスーツ姿だが、白菊は目覚めたのか最近ファションに凝り出し、涼しげなパステルブルーのワンピースに、フリルの付いた白いエプロンを組み合わせて、白のハイソックスに黒のエナメルの靴を履いて居る姿は、まるで白人系の十歳位の美少女に見え、中々可愛らしく決まっている。

 白菊が上達したのは、一美の着せ替え人形の対象が、百合から白菊に移った物と思われる。

 将鬼丸も目立たない様に、何時もの歌舞伎の衣装ではなく、Tシャツに膝下の裾をカットしたジーンズと、スニカーを履いている。キャップを被り、三編みにして一つに束ねた長い灰色の髪の毛が異様にも見えるが、見た目は十三歳位の美少年だ。 

 百合は、蒜山ラーメンと蒜山バーガー。玉江と白菊は、例によってきつねうどんを食べていたが、将鬼丸は食べると言う行為に抵抗がある為、水等の飲み物しか口にしない……そして、只一人信仁は、青い顔して椅子の背凭れに凭れ掛かり上を向いている。

「本当に食べなくて良いの?……食事ぐらいおごるわよ」百合が心配そうに信仁に尋ねた。

「だいぶ、良くなって来たけど、まだ、ちょっと気分が悪くて……」信仁は脱力している。

「信仁……車酔いする方だったっけ?」

「いや!そうじゃ無いけど!……」

 百合の言葉に、信仁は跳ね上げる様にして体を起こし、何やら目に薄っすらと涙を浮かべて怨めし気に百合を睨んだ。

 信仁は百合の運転に、確実に命の危険を感じていた。

 制限速度は遵守しているのだが、車線変更等の時に、百合の運転する車の周りから聞こえる急ブレーキの音と、クラクションに恐怖を感じ、百合の車すれすれに怒鳴りながら猛スピードで追い抜いて行く他の車に悲鳴を上げる……そんな信仁は、周囲の状況を無視して鼻歌交じりで楽しそうに運転している百合に、殺意を潜めた怒りを覚えた。 

「今、食べないと、高速道路降りてから、食べる所が在るかどうか分からないわよ」

 そんな信仁の事等お構い無しに、百合は美味しそうにラーメンを食べている。

 古来より、こう言った性格を日本では、〝無神経〟と言う。

「……そうだね……何か買ってくる」

 そう言って信仁は、力無く立ち上がり、将鬼丸に寄りかかる様にして、スナックコーナーを出て行った。

 暫くして、食事の終わった百合達の所へ、少し調子が良くなったのか、信仁が笑顔で何やら手に持って帰って来た。

「百合姉!これ!面白いの有ったよ!コルネソフトだって……めっちゃ美味いよ!」

 信仁と将鬼丸が元居た椅子に座り、信仁が買って来たソフトクリームを百合に見せている。

 そのソフトクリームは、クリームが不恰好とも言える太短い物の上に乗っていた。

「コルネ?あっ、コーンが揚げたコロネパンなんだ……えっ、コロネじゃ無いの?」

「コルネって書いてあったよ……どっちでも良いんじゃない?」

 信仁が振り向き、お店の有った方を指差している……その隙に百合は身を乗り出して、

「ふうぅん……どれ……」ぺろっと一口、信仁の持つ食べかけのソフトクリームを味見し、

「めっちゃ、牛乳!私も後で買おぅと!」その味に百合は思わず感動した。

 笑顔でソフトクリームの感想を言っている百合の隣で信仁は、少し顔を赤らめ黙ってソフトクリームを見詰めている。

「何よ、一口ぐらい良いじゃないの……」信仁の態度に百合が不満そうに文句を言うと。

「えっ?……いや、何でもないよ!……何でも……ないよ……」

 ソフトクリームを見詰めていた信仁は、百合の言葉で、ふと我に帰った様にそう言って、再び笑顔でソフトクリームを食べ始めた。

「それで、これからどうするの?」

「そうね……江府(こうふ)で降りて国道走って竜駒の峠経由で、宍道湖の方に行って見るか。伝説の場所って斐伊川辺りだから……」当てが有る訳では無い百合は、適当に地図を見ている。

「……何か、いい加減だね……それで良いの?」

「しょうがないでしょ……鬼頭の居る場所が分からないんだから」

「でも……」

「大丈夫よ。言ったでしょ。居るならあいつの方から仕掛けて来るわよ……絶対に」

 百合は確信していた。鬼頭は絶対に姿を現す。

 鬼頭が何んの目的も無しに、百合にコンタクトしてくる訳が無い。

 鬼頭は百合を仲間にしたいと言っていたが、百合が絶対に断る事は分かって居る筈だ。

 結局、鬼頭は、中途半端に終わった前回の決着を着けたがっているだと百合は感じていた。

「もし、来なかったら?」

「来なかったら、しょうがないわよ……私もそれ以上拘る積りは無いわ。鬼頭に騙されたって事で良いんじゃない?富士山の作戦には影響ないんだから……私だって、鬼頭の本心なんか分からないわよ。此処にも何も確信が有って来た訳じゃないし……でも、あんな意味ありげな電話かけて来られて、放っとく訳にもいかないでしょ」

「そりゃそうだけど……」

「何を心配しているの?信仁……」

「ううん、何でも無いよ……でも、良かったよ」

「なにが?」

「百合姉が意外と冷静だって事……鬼頭を見付けるまで、帰らないなんて言うかと思ってた」

「本当はそうしたいわよ……だけど、私もお役目の一員なの、独断は許されないわ……」

「そっか……やっぱ、百合姉は強いな」

「なによ、それ?」

 微笑みながら言った信仁の言葉の意味が分らず、百合も微笑みながら聴き直す。

「だって、相手は鬼頭だろ。怖く無いのかよ?」

「……怖いわよ。正直言って」微笑んでいた二人の顔から笑みが消える。

「鬼頭は強いわ……二年前、あの時既に鬼頭には、戦うだけの力が残っていなかったと思うの。滅火を剣に取り込む事で気を使い過ぎていたから……それに、あの時は、初心者の私事を鬼頭は舐めて掛かっていた……だけど、今度はそうは行かないでしょうね……」

「でも、逃げないんだ……」

「……そうね……」

「ねぇ、覚えている?子供の時さ、熊に出会った時の事」

「えっ?ええ、なんとなく覚えているよ……何よ?」

 懐かしい思い出に、二人に顔に笑みが浮かぶ。

「あの時さ、自分より大きな熊の前でも、逃げずに立っている百合姉が、凄く、格好、良くてさ……憧れたよ……」信仁は少し顔を赤くして、言葉窄みに、百合から目線を逸らした。

「ふっ、どうしたのよ、そんな昔の事……おかしな子ね」

「うん、ごめん……」

「まっ、今日、何事も無かったら、玉造温泉で一泊して、明日帰りましょ」

 例え鬼頭が現れなかったとしても、それは、それで仕方の無い事だと百合は割り切ろうとしているが、本音の部分で割り切れない自分も居る。

 だが、百合はそんな自分に、自分の身勝手な行動で、他のお役目達に迷惑を掛ける様な事はしてはいけないと、明日には富士山に向うのだと、言い聞かせていた。

「主、今日は温泉に泊まるの?」白菊が、小首を傾げる可愛らしい仕草で百合に尋ねた。

「そうね……此処からだと、下を走るから、着くのは夕方になりそうね」

 夏の込み合うシーズンの今、飛び込みで部屋が取れるのかと百合は不安を抱きながら、高速道路のパンフレットに書いてある地図を見て道筋を追っていた。

「おぉ、温泉ですか……久しぶりですね」玉江が目を輝かせる。

「そうね……前回は下呂温泉だったね」

「なかなか、良いお湯でしたね」

 百合達が楽しそうに温泉談義に花を咲かせている所を、信仁は不思議そうに見ている。

「何だよ……温泉って……」

「何じゃ、信仁殿は温泉を知らんのか?」白菊が呆れた様な顔で、信仁の顔を覗き込む。

「そうじゃねぇよ!知ってるよ温泉ぐらい!何で、霊体のお前らが温泉なんだよ!」

 信仁は、馬鹿にする様な白菊の発言に、勢い良く立ち上がり怒鳴った。

「何でじゃ?気持ち良いぞ、温泉は」

 白菊はそんな信仁の意を解さず、更に呆れた様な顔で信仁に言うと、

「はぁっ?……百合姉……この二人……」

 信仁は、間の抜けた顔で百合を見て、白菊達を指差している。

「玉ちゃんも、白ちゃんも、温泉大好きだよ……」

 信仁の疑問が分かる百合は、笑いを堪えながら信仁に答えた。

「将ちゃん、入った事無いの?」

「わっ、わしか?……」百合の質問に、将鬼丸が動揺しながら信仁と顔を見合わせている。

「信仁……わしも入っても大丈夫なのか?」

「……まぁ、問題は無いと思うけど……」信仁は首を傾げて考え、自信無く答えた。

「我も初めは怖かったが、あの、お湯から何やら力が染込んで来るような感じが、なんとも心地ようて、良いもんじゃぞ」白菊は悩む二人に、得意そうに自分の体験談を語った。

「将鬼丸、懸念いたす必要等無い、我らが入っているのだ……安心せい」

 玉江も、微笑みながら将鬼丸にアドバイスした。

「まっ、今日は何事も無く過ぎて、皆で温泉入ろうね……それが、一番良いわよね」

 そう言いながら百合は『何事も無い事に越した事は無い……私さえ拘らなければ……』と、思いながら、窓の外を眺め膝の上で拳を握り締めた。

 百合達はフードコーナーを出て、信仁はトイレに向かった。

 百合がショップの建物から出ると、コルネソフトクリームの、(のぼり)が目に付いた。 

「あっ、あれね、さっきの……」

 百合は、コルネソフトクリームの屋台へと向かい、早速注文した。

 出来上がって来たソフトクリームを受け取り、百合は早速一口頬張ると、

「あむ……ううん……牛乳が濃いわあぁ……」と、百合は至福の一時に目を細める。

「あっ、やっぱり買ってる」

 トイレから帰って来た信仁が、幸せそうにソフトクリームを食べている百合を見付けた。

「へへへへ……きゃっ!」

 百合が信仁の方を振り向いた時、風向きが急に変わって、屋台の傍に立てて在る幟が、百合の方にはためいて視界を奪った。

 百合はソフトクリームを死守する為に、咄嗟に体を捻り、ソフトクリームを持っている方の手を差し出し庇ったが、足がもつれバランスを崩して横に倒れ込みそうになった……と、その時、がっし!と、倒れそうに成った百合の右手が掴まれ、顔が固い物にあたたった。

 信仁が、倒れそうになった百合の右手を掴み、百合は信仁の胸に顔を押し付けていた。

「大丈夫?」信仁が、自分の胸に抱かれる様な格好に成って居る百合に声を掛けた。

 掴まれた腕に信仁の力強さを感じ、厚い胸板の温もりが、信仁の鼓動と共に伝わって来た時、百合は慌てて信仁から離れ、

「あっ、ごめん……」と、百合は少し頬を染めて、戸惑いながら信仁の顔を見た。

 何時までも、頼り無い出来の悪い弟の様な存在だとばかり思っていた信人が、逞しく成長していた事を百合は改めて認識し、初めて信仁に男を意識した。

「ははは、何だよ百合姉ぇ、意外とどじっ子?」百合を指差し、馬鹿にした様に笑う信仁に、

「五月蝿い!」と、条件反射的に百合は、笑って油断している信仁の頭を(はた)いた。

「痛ってえぇ……酷いよ、助けたのに……」と、恨めしげに頭をさすっている信仁に、

「ふん、人の事笑うからよ……」百合は、ばつが悪そうにそっぽを向いた。

 少しだけ信仁を男として意識しだした百合は、その気恥ずかしさに邪魔されて、素直になれないで居る。  

「はい、これ……一口良いわよ……」『さっき自分も一口貰ったし……』と、理由をこじ付け、百合は横を向いたまま、無愛想に信仁へソフトクリームを差し出した。

『ちゃんとお礼を言わなくちゃ』と、思いながらも素直になれず、愛想無く百合が礼の代わりに差し出したソフトクリームを、信仁はじっと見詰めている。

「食べないの?」百合は、そんな信仁を怪訝そうに見ると、

「あっ、うん……」信仁は、少し頬を赤くして同様している。

 そして、信仁は何やら恥かし気に、百合の食べていた続きを一口、遠慮気味に口に入れた。

「やっぱり、これ美味しいね」百合が信仁の食べた続きを口に運ぶ。

「うん……そうだね……」信仁は、続きを食べている百合を顔を赤くして見ている。

「……どうかしたの?顔、赤いし……」百合は信仁の視線が気に成り、信仁に尋ねると、

「なっ、何でもねぇよ!」と、信仁は怒った様に吐き捨て、ぷいっと向きを変えて車の方へ歩いて行った。

「なんだ?変な奴だな……」と、百合は、信仁の後姿を見て思いながら、改めて考えると、車に男と二人きりと言うシチュエーションにも関わらず、何の意識もせずに鼻歌を歌ていた百合は『そう言えば信仁も男だったんだ』と、再び信仁の事を少し男として意識したが、どうしても〝弟〟と言うイメージから抜け出せない百合は、逞しい男の体へと成長した信仁を『まぁ、子供扱いするのは止めてやろうか』と、言う程度の思いに止まった。

                  ---◇---

 百合達は、江府インターで高速を降りて国道に入り、暫くして竜駒の峠へと向かう道路へと進んで行った。

 道路はやがて細くなり、緩やかな谷間の川筋に沿って登って行く。

 信仁は、相変わらずシートベルトを両手で握り締め、来るべき危機に対して身構えている。

「あっ……」楽しそうに運転していた百合の顔色が急に変わり、小さく声を上げた。

 竜駒の峠に差し掛かった辺りで、百合は妙な違和感を感じた。

 気配では無い、奇妙な感じ。まるで見られている様な漠然とした違和感。

 百合は、車を止めて外に出ると、辺りを慎重に見回すが、気配は無い……

「どうしたの?」信仁も降り、百合の行動に怪訝そうな目を向ける。

「…………」百合は、信仁を無視して辺りを見回している。

「……もしかして、トイレ?」

「あのね!……玉ちゃん!」空気の読め無い信仁を一瞥して、百合は玉江を呼んだ。

「何か?」玉江が百合の前に跪き姿を現した。

「よく分かんないんだけど、変な感じがして……玉ちゃん、何か感じなかった?」

 玉江は一礼すると、百合の言葉を確認する為に、十m程浮き上がり周囲を旋回した。

「……特に……特別な物は感じませんが……」玉江は周りを見ながら百合に報告した。

「あっ、ごめん……何も無いなら良いのよ……」

 玉江が感じないのならと、自分の勘違いかと百合は納得して、車に乗り込み走り出した。 

 確かに、鬼頭の事を意識し過ぎて、神経質になっている自分がいる。

 車は、何時の間にか山道を抜け、少し大きな集落に出た。

 赤信号で止まった時、百合は峠で感じた違和感が気に成り、そのまま車をUターンさせた。

「どうしたの?」信仁が突然のUターンに驚き、不安げに百合に問いかける。

「やっぱり気になる……」

「何が?……さっきの所?」

 信仁の問いに、百合は黙って頷く。

「……でも……時間が……」

「……分かってる……ちょっと確かめるだけ……」

 何の根拠も無いが、百合はどうしても気になった。

 そして、峠まで戻っては見たものの、結局、何も無かった。

「ねえ、玉ちゃん。私、思ったんだけど……」車の外で、百合が遠くの山を眺めながら、隣に浮いている玉江に尋ねた。

「なんでしょう」

 百合は、ふと、國仁が会議室で言っていた事を思い出していた。

「影を残す、おじさんの推測通りだとすると……あの日、鬼頭は、あの部屋に最初から居なかったんじゃないのかな?あそこに居たのは鬼頭の影だったんじゃ……」

「どう言う事でしょうか」

「だって変よ、雪ちゃんにも、涼彦さんにも気付かれずに入って来るなんて……」

「あの、滅火のあった部屋にですか」

「うん、あいつ、最初から私達を殺す積りで、あの部屋に影を送り込んで来たんだわ」

「確かに。奴めが影であるかどうか……滅火の気配が強い、あの場所では分かりませんな」

「ええ、第一、あの時はそんな事なんて考えもしなかったし……」

 百合は、傾く夕日を眺めながら、あの時の事を思い出し、

「それなら、何故奴は来ない……私を殺したいのに……」と、呟いた。

 何事も無ければ、それで良いと言った百合だが、本当は、そうでは無い自分が居る。

 百合に流れる鬼の血に煽られ、鬼頭が現れる事を期待し、戦い、決着を付ける事を望んでいる自分が居る。

『……怖い……正直、そんな自分が怖い……』鬼頭と戦う事、それは、負ける事は死を意味し、勝つ事は、人殺しとなる事……なのに、自分は戦いを望んでいる。

 その事は、とっくに覚悟を決めたはずだったが、そんな自分に改めて不安を感じ、百合の心は乱れた。

                  ---◇---

 車は、既に薄暗くなりかけた山間の、斐伊川沿いの国道を走っている。

 一応、目的の玉造温泉に向かい走っているのだが、到着は可也遅くなる事が予測された。

 そんな時、道路際に〝温泉〟の文字が書いて在る看板に百合は気付いた。

「あれ?近くに在るのかな?」 

 そして、百合が気に掛けながら国道の連続したトンネルを抜けると、温泉街を示す道路標識が見えた。百合は迷わず、国道から温泉街の方へと曲がった。

 川沿いに、こじんまりと温泉街が見える……良い雰囲気の温泉街だ。

「宿が、空いていたら此処に泊りましょう」

「あっ、良いねえ……温泉かぁ」

 結局、何事も無く今日が終わりそうな事に、信仁は明るい表情を浮かべている。

 夏のシーズン中の上、夕刻の時間にも関わらず、キャンセルでもあったのか、ラッキーな事に一部屋空いた。

 百合は、その部屋を頼んだが、夕食は間に合わないと言う事なので、二人は車で三十分程行った所にある、街まで行って食事をした。

 食事の時、温泉に泊まる事になった時までは、上機嫌だった信仁が何故か沈んでいる。

 沈んでいると言うよりも、何処か不安げな表情で食事していた。

 百合は、そんな信仁を怪訝そうに見ていたが、また自分の運転に文句でも言いたいのかと思い、百合は無視しする事にした。

 百合は食事しながらも、鬼頭の事が気に掛かっていた。

 本当の所、必死になって寝ずに一晩中でも鬼頭を探したかったが、鬼頭がそんな自分を見て笑っている姿が思い浮かぶと、百合は(しゃく)に思えて来た。

 だから百合は、無理に自分の思いを押し殺し、鬼頭の思い通りに成ってやるものかと、温泉を楽しむ事にした。

 夜の八時過ぎに、百合達は旅館に戻って来て、部屋に向かった。

 部屋に入ると、既に布団が並べて布いてあり、百合は其処に倒れ込む様に寝そべった。

「あぁぁぁ、疲れたよ……一日、運転するって、疲れるものね……」と、枕に顔を押し付け、布団の柔らかさに陶酔していると、信仁は並べて布いてある布団を引き摺る様にして、入り口の方に引っ張っている。

「何してんの?」信仁の行動を不思議に思った百合が尋ねると、

「だって……」信仁は、そう言うと顔を赤くして俯いてしまった。

「ちょっと……私、鼾なんか、かかないわよ」百合が自分の名誉の為に宣言すると、

「そうじゃ無くて……」信仁は煮え切らない態度で、布団を整えている。

「何なのよ?あっ、信仁が鼾かくの?」なるほどと、思い付いた百合が信仁に尋ねると、

「かかねぇよ!もう!……」信仁は百合に向かって激しく否定し、百合の無神経さを歯痒く思い、枕を布団に叩き付けた。

 そして信仁は、離した布団の間に出来た二mぐらいの中立地帯で、リュックの荷物を整理し出した。

 百合は、そんな信仁の行動が理解出来なかったが、そんな事より、早速温泉に入ろうと、

「玉ちゃん、白ちゃん、温泉に行きますか!」明るく微笑みながら、二人に声を掛けると、

「承知!」

「はあぁい!」二人は返事をして直ぐに姿を現し、既にTPOを心得ているらしく、浴衣姿で実体化した……なかなか要領が良い。

 そして、百合も浴衣に着替えるために、何時もの軍服のシャツを脱ぎかけた時、

「わあぁっ!ゆ、百合姉、何してんだよ!」と、突然、信仁が大声を上げた。

「何よ!急に大声出して……びっくりしたじゃないの……」

 信仁の横で、白のカップインタイプのキャミソール姿に成った百合が、驚いて信仁を見る。

「ちょっと、待てよ……何で脱ぐんだよ!」信仁は、百合に背を向け声を上げる。

「何でって……浴衣に着替えるのよ……」百合はそんな信仁にお構い無しに、オリーブドラブのカーゴパンツを脱いで、パステルブルーのパンティー姿となる。

「あのね!俺だって……男なんだよ!……男の前で脱ぐなよな!」

 信仁は下着姿の百合に背を向けたまま、百合の無神経振りに激しく抗議している。

「何言ってんの、素っ裸に成る訳じゃ無し……以前は一緒にお風呂に入ってたじゃない……」

 百合はそんな信仁の心情を察する事無く、信仁の黒歴史に触れている。

「何時の話しだよ!」信仁は、そんな百合の無神経さに我慢出来ず、怒鳴り声を上げた。

 男性嫌悪症の百合が、少しは信仁を男として意識し初めた所で〝弟〟と言うカテゴリーに分類されて居る信仁は〝異性〟と言う概念からは完全に対象外だった。

 そんな百合が、どうやら思春期真っ最中の信仁は、色気付き、自分の事を異性として意識している事に気付くと、少し悪戯心が起き出した。

「何だ、信仁……綺麗なお姉様に欲情したか……」百合は、背中を向けている信仁を見ながら挑発するかの様に、意地の悪そうな笑みを浮かべ、腰に手を当てて腰を捻り、膝を上げ足を差し出して振りながらポーズを決める……百合は唯一、細くて長い脚は自慢だった。

「じょっ、冗談じゃねぇよ!誰が、そんなぺちゃぱっ、いぐぅえっ……」

 後ろを向いたまま、嫌味を込めて叫ぶ信仁に、百合は反射的に曲げていた足を大きく真上に振り上げ、信仁の後頭部へと蹴り下ろし、そのまま後頭部を踏み付けて、体重を乗せる。

「何だと、貴様……命を捨てる覚悟が在るんだろうな……」

 胸の事を言われ百合は、信仁の後頭部を踏み付けながら、殺意に光る目で見下ろしている。

 信仁は苦しそうに、百合の足をパンパンと軽く二回叩いて、ギブアップの意思を表示した。

 百合が渋々足を上げると、信仁は振り向き、怨めしそうな涙目で百合を睨んでいる。

「何よ……」信仁の反抗的な目に、百合は更に冷酷な怒りを加えた目で睨み返す。

「もう、良いよ!」信仁は吐き棄てる様に言うと、リュックの中を再び整理しだした。

「信仁……辛抱だ……」そんな信仁を、将鬼丸が信仁の肩を抱いて慰めている。

 百合はそんな二人を、暫く怒りに燃える目で見ていたが、踏ん切りを付け、

「玉ちゃん、白ちゃん、行くわよ」百合は浴衣に着替えて、二人と温泉に向かった。


 百合達が温泉から帰ると、信仁は既に寝ているのか、布団に潜り込んでいた。

 百合は、据付の鏡の前で髪の毛を梳かしながら、

『さっきは、ちょっとやり過ぎたかな……』と、信仁に可哀そうな事をしたと反省している。

 もう、子供扱いはしないと決めたのに、信仁が過剰に反応した為、つい、調子に乗ってしまった事を、百合は反省している。

 そして信仁が百合の事を〝女〟として意識しだしている事に『難しい年頃だねぇ……』と、そう大して変わらない年頃の百合が年上ぶって、余り刺激してやるのも可哀そうかと思った。

 百合は布団に入りながら『確かに、姿は男らしくは成ったけど、やっぱり、弟としか思えないなぁ』と、布団に潜り込んでいる信仁を見て思い、そのまま眠りに入った。

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