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始まり

微エロ有ります。

 ○始まり○


 二日後、瑾斂会館の事務局に、百合は領収書を提出にやって来た。

 今日は二十四日だから、来月十日には振り込まれる。

 今回の経費は交通費も入れて八万弱。新人でまだ報酬ランクの低い百合にとっては大金だ。

 高額ランク者は、税務署や労働基準局からの通達で、偽装請負を防ぐ為に完全請負制で、経費も報酬に含まれるが、百合のランクでは日当制と成る為、作戦担当の目付け名義で経費を請求する。

 事務局は入金予定日には、必ず支払ってくれるので助かるのだが、其処までの道程が、まだ不慣れな百合には、途方も無く困難を極めた。

 領収書を添えて提出した書類を、ああでも無い、こうでも無いと重箱の隅を突付く様な事務局員の指摘に『千円や二千円ぐらい、どうでも良いや……』と言う気持ちになってしまう。

 それこそ、連中の術中にはまる事になるのだが、今回も、すったもんだで、結局一時間かけて、不明瞭な三千三百六十円(税込)分はカット。百合は精神的な疲労で目眩がした。

 立ち眩みのする頭を押さえ、事務局を出た百合は、玉江達が待っている二階へと下りた。

「お待たせ……」百合が力無く、会議室の扉を開けると、

「あら、主……大丈夫?」顔色の悪い百合を見て、粉雪が心配して声をかけた。

「大丈夫……だけど……疲れた……」と、百合が粉雪の肩にもたれかかると、

「ふふふ、経費の提出?慣れるとコツが分かるわよ」奥の方から女性の声がした。

「佳代子さん!お久しぶりです!」百合は声の主を見るなり、笑顔で元気よく挨拶した。

 三十歳ぐらいの綺麗な女性が会議室の奥で手を振っている。

 上品な雰囲気を漂わせている女性は、神條佳代子(かみじょうかよこ)と言い、本山の百合達レディース部隊のリーダー的な人で、言わば軍曹と行った当たりだ。

 隣には、佳代子に憑いている犬神の風丸が、少年の姿で立っている。

「風丸さんもお久しぶり!」元気に手を振り上げて百合が挨拶すると、

「お久しぶりです!百合殿!」風丸は元気良く駆け寄り、笑顔で百合の腰に飛付いた。

 まるで人懐っこい子犬の様に、十三歳位の美少年姿の風丸は、百合に体を摺り寄せている。

「おいっ、犬っころ……私んとこの主に馴れ馴れしいんだよ」粉雪が不機嫌そうに風丸に言うと、

「……なんだよ、女狐が。知ってる仲なんだから、良いだろうが」風丸は粉雪を睨み付ける。

 犬狐(けんこ)の仲……が、悪いかどうかは知らないが、睨み合う二人であった。

「これ!風丸!お止め!」佳代子が奥から、叫ぶ様に風丸に命令すると、

「はい!」佳代子の命令に直ぐに反応して、百合から離れ、風丸は直立不動の姿勢をとる。

「こっちに来なさい……ホホホホ、ごめんね、百合ちゃん」笑顔で謝罪する佳代子に、

「いえ、別に……かまいませんから」百合は照れながら笑顔で答えた。

 呼びつけられた風丸は、上品なワンピース姿で足を組んで座っている、佳代子の足元にしゃがみ、太ももに頬を寄せている……なんか、危ないな……この雰囲気。

 佳代子は、百合が始めてお役目として、役目を負った時のパートナー……と言えば、それなりに聞こえが良いが、その実は、佳代子の役目の御手伝いだった。

 百合達が、世間話をしていると、突然会議室の扉が乱暴に開かれ、

「神崎は()るか!」と、歳若い僧侶が一人、まるで怒鳴り込むかの様に入って来た。

「はい、いますけど……」声の主が誰だか分かっている百合は、あからさまに嫌な顔をした。

 返事をして、振り向いた百合の前には、大学出の亜廣(あこう)と言う若い僧侶が立っていた。

「導厳様が(じき)に来られる、此処で暫く待て、よいな!」偉そうな態度で亜廣が言うと。

「はぁい……」『やな感じぃ』と、言いたげな顔で百合は返事をした。

 去年から事務局に出入する様になった百合は、事務局に居る亜廣が苦手だった。

 その無意味な尊大な態度に『中卒なめてんか!』と喧嘩を売りそうになり、百合は『導慶様や純慶様の様に尊敬出来る人ばかりじゃ無いんだ』と、世間を知った。

「待ちな!クソ坊主!」突然百合の背後から、あまり上品では無い言葉が飛んで来た。

「えっ?」『今、誰が言ったの?……』と、百合は振り向き、きょろきょろと辺りを見回す。

「なに!」亜廣は百合を見越して、怒鳴り声を上げる。

「待てって言ったんだよ!学校出たての糞ガキが……最近の坊主は礼儀も知らねぇのかよ!」

 佳代子が足を組んだまま、テーブルに頬杖を突き、その上品な顔を歪め、眉間にしわを寄せながら、亜廣に毒突いている……百合は意外な光景に目が点になった。

「貴様!誰に向かって口を聞いておるか!」佳代子の態度に亜廣が更に怒鳴る。

「あぁ?誰に向ってだと……真言もろくに唱えられない糞坊主にだよ!」

 その殺気を孕んだ佳代子の目を見て、百合の背中に冷たいものが走った。

「きさまあぁぁ……」亜廣が顔を真っ赤にして拳を握っている。

「あらっ?……やる気?」亜廣の態度を見て佳代子が、にやりと笑った。

 佳代子の言葉で、風丸君が立ち上がり、人の姿のまま鼻にしわを寄せ牙を剥いた。

「まあぁまあぁ……佳代子、それぐらいで許してあげて……」

 扉の前に立つ亜廣の後ろから、純慶がその美しい顔に微笑を浮かべ会議室に入って来た。

「あっ、はいっ、純慶様」佳代子は純慶の姿を見るなり、慌てて立ち上がって頭を下げる。

 風丸も百合も深く頭を下げる。

 玉江も軽く会釈したが、粉雪だけがニコニコしながら手を振っていた。

「お言葉ですが純慶様、こ奴めが無礼な事を……」亜廣が純慶に振り向き、不満気に言うと、

「是は是、非は非じゃぞ……亜廣、お前は、TPOと言うものを、まだまだ心得て居らぬ様じゃの……」導厳の姿が、ぬっと、純慶の背中越しに現れた。

「そ、そんな……私は……」大柄で厳つい顔の導厳の迫力に、亜廣は尻込みしている。

「何じゃ、わしに何か意見があるのか……良いぞ、聞いてやる、申して見よ」

 筋肉の戦艦大和の様な導厳が、貧弱な手漕ぎボートの様な亜廣を、厳つい顔に笑みを浮かべ見下ろし、似合わない優しい声で言うと、

「いえっ!滅相もございません!」亜廣が直立不動のまま硬直して、裏返った声で答えた。

「そうか?……では、控えて居れ」亜廣の態度を不思議そうに見て導厳が言うと、

「はい!」顔を引きつらせて返事をして、亜廣はすごすごと部屋の隅の方へと下がった。

 百合達お役目は、言わば雇われの個人事業主……一人親方って言う身分だ。

 傾向として、発注会社の言いなり……とまでは行かないものの、立場は弱い。

 だから、幹部候補の連中に対しては、大人しく言う事を聞いておいた方がと、将来の事を考えると、どうしても逆らえない……特に、百合の様な弱小下請けは仕方が無い……

 とは言うものの、百合は亜廣が大嫌いだった……分かる分かる……

「百合、ちょうど良かった、事務局に来ていると聞いたのでな」

「はぁ、何でしょう……」百合が導厳の方へと近付く。

 導厳がパイプ椅子を軋ませ座り、百合に話しかけると、純慶もその隣に座った。

「役目が終わったばかりで悪いが、直ぐに大台ケ原の方に飛んでくれんか」

「はい、それは構いませんが……この間、役目が終わったばかりですので、直ぐと言うのは……」と、躊躇う様に答える百合だが、心の中では『やった!お仕事!』と万歳していた。

「その事は、承知しているが……差しさわりがありそうか?」気遣う様に導厳が訊ねると、

「いえ、大丈夫だと思うのですが……」百合は考え込む様に答えた。

 仕事が回って来る事は嬉しいのだが、大台ケ原と聞いて『また、山歩きか』と、骨の折れる仕事に報酬額が割りに合っているのかと心配だった。

「役目が続くと、貴方達の魂を削る事に成るのは承知しているのよ……でも、緊急の事で……それに内容も、滅火(ほろび)の調査だから体に負担は掛からないと思うの……」

「純慶様……」純慶の百合を気遣う姿は、百合の胸をキュンッと締め付けた。

「あの、差しさわりが無ければ私が変わりに……」百合の後ろから佳代子が声をかけた。

「ありがとう、佳代子。でも、貴方にもやって貰いたい事があるの……後で話すわ」

「はい……」自愛に満ちた美しい笑顔を浮かべる純慶に、佳代子は頬を染め返事をした。

「報酬弾むぞ」導厳が、テーブル越しに身を乗り出して百合に言うと、

「お受けします」と、百合は深々と頭を下げて、あっさりと二つ返事で引き受けた。

 報酬を弾むと聞いて、喜喜として受けた百合は『交渉ってこうするのか』と、心に留めた。

「うむ……それと良いか、これだけは言っておく。“滅火"を見付けても近付くな。見付けたら、すぐに本山へ連絡するんじゃぞ、良いな」

 導厳は厳つい顔を更に厳しくして、百合に念を押した。

「あのでも、それは、日頃から先生(國仁)にも言われているんですけど、滅火ってなんなんですか?初心者の私には、怖いものとしか分からないんですが……」

「そうじゃの……生きとして生きる者全てを滅ぼす霊的な毒とでも言おうか……詳しくその実態は分かって居ないんじゃ……」

「分かっていない……」

「そうじゃ、全てを滅ぼす滅火……それは、毒は時として薬ともなる……これが厄介での、低俗な化物でも、滅火の影響を受ければ、凶暴で強力な化物となるんじゃ……」

 百合は、導厳の説明を不安な面持ちで聞いている。

「でも、私は滅火をまだ見た事も無いので……」不安そうに尋ねる百合に、

「大丈夫じゃ。滅火は他の気とは、全く異なるもので、すぐに区別は付く」

 百合は、まだ見ぬ滅火に漠然とした恐怖を抱き、導厳の話に不安を募らせた。


○東男に……大和女?○


 百合は、私鉄ローカル線の駅前にあるロータリー前に立っていた。

 ローカルとは言え、終点の駅前は商店街も隣接して居て、人通りがそこそこ多いロータリー前で百合は、待ち人が約束の時間より三十分過ぎても現れない事に苛々していた。

 デートで女性が、平気で恋人を待たせる平均時間の、たかが三十分ではあるが、まだ来ぬ待ち人を待っている百合は、まばらに行きかう人々が、見ても良いのかと遠慮気味に、ちらりっちらりっと二人を見ながら通り過ぎるのを見て『早く来いよ……』と、百合は、明らかに田舎の駅前の人通りから浮いている自分達が、少し恥かしかった。

 百合は、何時ものMarineのロゴ入りキャップを被り、新しく買ったオリーブドラブの軍服とジャングルブーツと言う出で立ちに、ウエストベルトには小物入れの袋を幾つもぶら下げ、鬼斬丸を入る為、楽器ケースの様に偽装した黒のビニールレザーのハードケースを手に持ち、山歩き用の大きなリュックを背負って居た。

 そして、その隣には、何時もの粋な御姉さんを思わせる着物姿の小雪が、退屈そうにあくびをしながら立って居る……玉江は姿を消している。

 軍服と着物姿で浮いている二人の前に、爆音を轟かせて一台のスポーツカーが止まった。

 突然目の前に現れた、普段は見慣れない車高の低い車を見て『確か……あれって。ポルシェって言ったっけ?』と、百合が車に注目していると、運転席の窓が開いて、キャメルのキャップを被りハーフミラーのサングラスをした、気障な雰囲気を漂わせる二十歳ぐらいの男性が、  

「神崎百合さんですか?」と、にこやかに声をかけて来た。

『車に乗ってる時も帽子を被ってる奴って……変な奴多いのよね……』と思いつつも、

「はい、そうです。鬼頭武(きとうたけし)さん?」と、相手に悟られぬ様に、笑顔で誤魔化し百合は答えた。

「良かった、直ぐに会えて」と、鬼頭と呼ばれた青年が、微笑みながらサングラスを外した。

 サングラスを外し、爽やかな笑顔を振り撒く鬼頭の顔を見て、百合は『あらっ……意外とイケメン』と、少し感動に似た思いが湧いた。

 鬼頭は車から降りると、

「横浜から来ました、鬼頭です。よろしく」と、にこやかに百合に右手を差し出した。

『神奈川では無く、横浜ね……』と、思いながらも、身長百八十cm近く有る鬼頭を見上げ、

「本山の神埼です。宜しくお願いします」と、百合はにこやかに、鬼頭の握手に応じた。 

「えぇと……荷物、乗るかな?」百合の背中のリュックと手に持っている楽器ケースを交互に眺めながら、鬼頭が困った様な顔で考えながら車へと戻り、ボンネットを開けるのを見て、『……エンジン調子悪いの?』と、百合が覗き込むと、

「リュックは何とか乗るかな……」と、呟く鬼頭の隣で、百合は前がトランクになっている事を始めて知った。

「……けど……それ、魔斬り?」と、指差す鬼頭を見て、

「はい……」と、リュックを何とか、配線が剥き出しの狭いスペースに無理やり詰め込んだ百合は、これはどう考えても入らないなと、思っていた。

「それは無理だな……」

「後ろの座席には?」と、車の中を覗き込み、訊ねる百合を見て、

「えっ?あ、いや……これツーシーター(二人乗り)だから……後ろに座席無いよ」そんな事も知らんのかと言いたげな顔で鬼頭が答えた。

『えっ!車なのに二人しか乗れないの?何なのそれ……』と、思いながら、車の中を見てシートが二つしか無い事を確認した百合は、

「雪ちゃんどうしよう……」と、途方に暮れた顔で粉雪を見ると、

「……しょうがないねぇ……後追いかけて飛んで行くよ」着物の袖をひらひらと振って、粉雪が面倒臭そうに答えた。

 結局、楽器ケースを抱えて乗る事になった百合は、年頃の男性と二人っきりで車(密室)に乗るという、初体験に戸惑っていた。

 今までは、何時も粉雪が保護者の様に側に居てくれた為に、余り意識しなかったのだが、今回は粉雪は居ない。二人っきり(・・・・・)と言うシチュエーションに異常な緊張感を持った。

 楽器ケースを抱え、ドアを開けて中を覗き込んだ百合は『狭!』と、思わず言いかけた。

 シートに座り、シートベルトを着ける百合は、ドキドキと高鳴る鼓動が少し苦しかった。

 やはり、中学生の時に体験した強姦未遂で、フルオープンした自分の股間を覗き込んでいた不良達の汚らわしい目を忘れる事が出来ず、本人が思っている以上に心に深い傷を残し、百合は軽度の男性嫌悪症と恐怖症に陥っている。

 運転席のドアを開けて鬼頭が乗り込むと、その距離の近さに、百合は更に緊張した。

「じゃぁ、行くよ」と、百合を見て微笑む鬼頭に、

「……はい……」何時もは豪胆な百合が、真っ青な顔で前を向いたまま返事した。

『やっぱり、バスで行けば良かった……』と、緊張のあまり、少し膝が震えている百合の事を、知ってか知らずか、鬼頭はポルシェを発進させた。

「神崎さん、何時もあんなに荷物持っているの?」と、鬼頭がにこやかに話しかけて来た。

『どうすれば良いの?』と思いつつ、『黙っていたら失礼よね』と思い、

「……え、ええぇ……」と、勇気を振り絞って、ぎこちなく返事した。

 電話で打ち合わせした時、鬼頭の方から一緒に行こうと誘った事とは言え、百合は『乗せてもらって黙っているのもなんだし、それに、緊張している事がばれたら恥かしいし……』と思って、何か話題は無いかと考え、思いついた事を聞く事にした。

「あ、あの荷物は?……」緊張で少し声が震える。

「えっ?あっ、僕の?うん……宅急便でホテルに送ってあるよ」

 ホテルと聞いて、『こいつ贅沢してんな……』と百合は思ったが、顔には出さずに、

「あの……あやかしは?」と、少しは慣れて来たのか、今度は普通に喋れた。

「……その辺に居るんじゃない?」百合の詰らない質問に、鬼頭は少し面倒臭そうに答えた。 

 しかし鬼頭は、平滑な胸を中心に、凹凸の少ないボディーライン。小柄な体格に、大きな目の幼い顔立ち。そして長い黒髪と、見た目は合格ラインに十分入っていると思ったのか、百合を興味深げに運転しながら、ちらり、ちらりと見ている……需要が無い訳では決して無い!

「それより神崎さん、気合入ってるねぇ……もう仕事着なんだ」軽い口調で尋ねる鬼頭に、

「あっ、いえ……普段着です」と、百合はあっさりと答えた。

「えっ?」意外な答えに鬼頭は、思わず聞き返したが、

「普段着です」百合は再び、あっさりと答えた。

「あっそう……」会話はそれ以上続かなかった。

 ポルシェは、曲りくねった川沿いの道を、豪快に走っている。

「で、どうなの?関西の方じゃ、最近あっちこっちで滅火の封印が解かれてるって聞いたけど、何か聞いてる?」長い沈黙を破って鬼頭が百合に話しかけた。

「とくに詳しくは……誰が何の目的でやっているのか分からないそうです。でも、そのせいで化物達が暴れだして、戦闘方のお役目の人達は、オーバーワークで、ローテーションも上手く行っていないみたいで……」

 百合は、慣れて来たのか度胸を決めたのか、落ち着いた雰囲気で話しが出来た。

「へぇ、大変なんだ……だから、僕が呼ばれたんだろうけど……全国の二十三箇寺全部に召集掛けたんだって?」

「ええ、そうみたいですね。数が多いから……」

「でも、見付かっていない滅火って、後どれだけあるんだろうね?古文書もいい加減だから」

「本山に伝わっている古文書は、可也の数があるみたいですけど……それに古文書は古くて解読がし難いだけで信憑性はあるらしいですよ」

「まだ位置が確認出来ていない滅火を、早く見付けろか……簡単に言ってくれるよ」

「やっぱり、難しいんですか……私、初めてだから……」

 百合は、まだ見ぬ滅火の事を思うと、押し潰されそうな不安に襲われた。

「ははは、心配しなくても良いよ、大丈夫、探査方の仕事なんて、面倒臭いだけだから」

 百合の不安を他所に、役目を馬鹿にした様な言い方の鬼頭に、百合は苛っと来た。

「でも、重要な役目ですよ!今でも手いっぱいなのに、早く滅火を見つけて、防衛体制を張らないと、手の付けようが無くなりますよ!前回の大戦だって、そうだんたんでしょ!後手に回って、被害が大きくなって……」大戦で死んだ両親の事を思い、語尾を荒く抗議する百合に、

「そりゃ、そうだけどさ……」と、他人事の様に、鬼頭は軽く受け流した。

「それより、どう、ポルシェの乗り心地は?」話題を変えて、鬼頭は自慢げに聞いて来た。

「はぁ?……」行き成り、どうと聞かれても、導厳のベンツ(お寺の車)、國仁のエスティマ、一美のワゴンRぐらいしか、百合の印象に残っている車は無かった。

「なんか……ごつごつしてますね」乗り心地悪し、五月蝿いしと百合は思っている。

「ははは、追従性が良いんだ……剛性もあるし」いや、褒めてませんって……

「神崎さんは、どんな車が好きなの?」

 どんなと聞かれても、百合はどう答えて良いのか分からず、

「人が沢山乗れて……荷物も積めて……」記憶を探る様に考えていた。

「はははは、何か、嫌味に聞こえるな……」その通りです……

 そして、もう一台印象に残っている車を思い出し、

「あっ、思い出した!は、は、ハイ・エース!」と、元気に鬼頭の方を向いて答えた。

「はぁ?ハイ・エース?」その意外な返事に、鬼頭の声は裏返っていた。

「はい」百合は、本山で祭事等がある時に、荷物運んでいる車を思い出した。

「変わってるね……」鬼頭は苦笑いを浮かべて百合を見た……前見て運転しろ!

 百合は何度か寺の事務局員さんに、粉雪と一緒に駅まで乗せてもらった事を思い出した。

「そうですか?あの車、良いですよ、五人乗れて後ろに荷物いっぱい積めて……」

「そりゃ……貨物車だもの……」鬼頭は既に呆れている。

「あっ、ハイ・エースで4WDのタイプが好きです!」

「あっそう……」やはり会話は続かなかった。

 峠の長いトンネルを抜けて、曲がりくねった坂を下り、車は上北山村の道の駅に入った。

「此処で、食事にしようか」駐車場に車を入れながら鬼頭が百合に提案すると、

「はい……」『あぁ、助かった……トイレ、トイレ……』と、思いながら百合は承諾した。

 此処はもう、百合の担当地域だ。

 百合はトイレを済まし、鬼頭が待っている食堂に向かうと、

「主……」と、着物姿の粉雪と、実体化したスーツ姿の玉江が、食堂の入り口で待っていた。

「……疲れちゃったよ……あそこ、きつねうどんある?」粉雪は疲れた様に肩を揉んでいる。

「あると、思うけど……」百合は食べる気満々の二人を、呆れた目で眺めていた。

 百合達が食堂に入ると、既に席に付いている鬼頭の前に、鬼頭と同じ年頃の青年がいた。

「やぁ……これはこれは、話には聞いていたけど……本当だったんだね、二匹(・・)もあやかしを憑けているなんて……狐だっけ……」鬼頭は、二人を珍しそうに眺めている。

 百合は、そんな鬼頭の言葉と態度が気に食わず、

「ええ、この二人(・・)は妖狐と白狐です」と、わざと語尾を荒く二人を紹介した。

「へぇ……そうなんだ……こいつは、涼彦……天狗だよ」と、鬼頭が紹介した髪の長い青年は、横に流した長い前髪から見え隠れする、儚げな美しい顔が印象的だった。

「よろしくね涼彦さん(・・)……此方が玉江さん(・・)で此方が粉雪さん(・・)です」

 百合は、パートナーである二人を見下した様な鬼頭の言葉が気に食わず、棘のある笑みを浮かべ二人を紹介すると、涼彦は無表情のまま軽く会釈した。

「……ふうぅん、関西じゃ、そう言うんだ……」

 百合の言い方に気付いたのか、鬼頭は意味ありげな言い方をして、 

「まっ、良いや……」と、鬼頭は何事も無かったかの様に、メニューに目をやった。

 鬼頭の態度に怒りが湧いてきた百合は、わざと鬼頭とは離れた別のテーブルに座った。

 玉江と粉雪は、何時ものきつねうどんを、百合は、カレーライスときつねうどんを頼んだ。

「ねぇ、白狐と妖狐って何が違うの?同じ狐のあやかしだろ?」鬼頭が、注文した料理を退屈そうに待ちながら聞いて来た。

「♯!」鬼頭の質問に、玉江の眉毛がびくりと動いた。 

「!……」それに気付いて粉雪は、気不味そうに顔を背けて窓の外を見た。

 決して玉江が、百合を同じく主と呼ぶ妖狐の粉雪を、見下している分けでは無いが、自分が白狐である事に玉江は高いプライドを持っていた。

「あぁ……あの、白狐と妖狐は同じ狐姿のあやかしでも、全然違うんです……」百合も、玉江の様子に気付き、気を使いながら、鬼頭に説明している。

「白狐の玉江さんは、伏見様の使いの眷属で、普段は霊体なんですが、本来は馬より二周り大きな白い狐なんです。妖狐は百年経って神通力を身に付けた狐の事で、年を重ねて神通力が強くなると尻尾が増えるんです。粉雪さんは、五百年の歳を積んでいて、本来の姿は子馬ぐらいの大きさの五尾の狐なんです」百合は玉江を気遣い、ちらちらっと玉江を見ながら説明した。

「へぇ、で、力も違うの?」鬼頭は百合達の空気が読めず、無神経に軽い調子で尋ねた。

「えぇ、粉雪さんは超感覚の持ち主で、憑いてもらうと私の感覚も鋭くなって普段見えないものも見えたり感じたり出来るんです。玉江さんは齢千年の大狐で神通は高大で、憑いてもらうと、私の身体能力は格段に上がります。特に、玉江さんの狐火の防御能力は強くて、戦闘の時は頼もしい力なんです。だけど、まだ私が未熟で、玉江さんに憑いてもらっても上手くコントロール出来なくって……」と、気不味い微笑を浮かべながら百合が解説したのを聞いて、

「ふうん……」と、鬼頭は自分から聞いておいて、興味無さそうに頷いた。

 注文した物がテーブルに並び百合達が食べだすと、食事している百合達の方を見て鬼頭は不思議そうな顔をしている。

「あの……何か?」鬼頭の目線に気付き百合が尋ねた。

「あっ、いや、あやかしも食べるの?」きつねうどんを食べる二人を不思議そうに見ている。

「えぇ、皆で食べた方が、楽しいですし」鬼頭の質問に、百合はわざと澄まして答えた。

「へえ……変わってるね……」

『何よ!さっきら変わっている、変わっているって!』自分の常識意外の事が少数派で珍しいかの様に言う鬼頭の言葉が百合には気に食わず『私には私のやり方で何が悪い!』と思った。

「それより、神崎さん凄いね……白狐なんて……」

 百合には鬼頭の言葉の意味が何となく分かった。

 鬼頭は自分の天狗を自慢したいのだ。

「鬼頭さんも凄いですね、猿田彦様の眷属ですか?」百合が白々しい笑みを浮かべ尋ねると、

「あっ、分かる?ははは、さすがだね」案の定である。

「やっぱさ、白狐もそうだけど、天狗とか、龍に犬神なんて、神席に近いものって格が上じゃん!」今まで澄ましていた鬼頭が、急に雄弁に自慢を始めた。

 鬼頭の言った犬神とは、蠱道(こどう)で言われる憑き神の、鼠みたいなあやかしの事では無く、修験道の信仰の対象になっている大神(おおかみ)(狼)で、お犬様とも呼ばれている農作物や災害から守ってくれる守護神の犬神の事で、佳代子に憑いている風丸がそれだ。

「別に、あやかしにランクがある訳じゃ無いでしょ……それに、当たり外れもあるって聞いていますけど……第一、どんなに強力な、あやかしを憑けたとしても、お役目自信の能力が低くて、あやかしの能力を引き出せなかったら意味が無いじゃ無いですか」自慢げな笑顔を浮かべる鬼頭を、少し軽蔑する様な目で百合は見ている。

「そりゃそうだけど、滅多に居ないよ。白狐もそうだけど、天狗を憑けているなんて。ほら、皆あやかしを縛るのに色んな手を使って苦労してるじゃん。いやぁ、こいつを縛るのに三日三晩戦ったよ、君も苦労したんじゃないの?」

 以前、こんな話を聞いた事がある。

 関東の人は自分の持ち物が如何に高額かを自慢する。

 関西の人は、如何に安く手に入れたかを自慢する。

 まあ、皆が皆ではないだろうけど……

「苦労だ何て……玉江さんも粉雪さんも、自分から憑いてやるって言ってくれましたので、私は呪詛を込めた髪の毛を渡しただけです」

 百合はわざと澄ました笑みを浮かべて、何でも無いかの様に答えた。

「えっ?……」百合の意外な答えに、鬼頭の目は点になっていた。

 粉雪と玉江は二人の会話を聞いて、声を殺して笑っている。

「じゃ……私達はこれで……送って下さってありがとうございました」

 席を立ち、レシートを持って、鬼頭の前で百合は丁寧に頭を下げて礼を言った。

「えっ?もう行っちゃうの……どうせ今日は宿に入るだけだろ、もっと、ゆっくりしようよ」

 食後のコーヒーを飲みながら、未練がましく言うと、

「役目の準備がありますので……」早く宿の温泉に入りたい百合は、済ました顔で断った。

「役目ったって、探査方だろ……急ぐ事無いよ」鬼頭は、如何にも面倒臭そうに言うと、

「何言っているんですか!探査方も立派な役目です!軽く見ないで下さい!」

 百合は鬼頭を睨み付けながら、ドンッとテーブルに手を着いて怒鳴り付けた。

 確かに、天狗は万能だ。戦闘力も探査能力も空を飛んでの移動能力も優れている。

 そして、それを縛っている鬼頭の実力も相当のものだと推測されるが、だからと言って、探査方を馬鹿にした様な言い方は、百合に取っては許せなかった。

「では、失礼します!」百合は不機嫌な顔で挨拶すると、ぷいっと振向きレジに向かった。

「あっ、良いよ……僕が払うから……」鬼頭が自分のレシートをひらひらさせながら言うと、

「結構です!ご馳走になる理由がありませんから!」百合は振向き、激しく断った。

「そんな……君が可愛いと言う理由じゃ、駄目かな?」

 鬼頭は頬杖を付きながら、ウインクして百合に向って言うと、

「遠慮します!」その気障な仕草が火に油を注だらしく、百合の逆鱗に触た。

 百合はそのまま、会計を済まして食堂を出ると、予約してある旅館へと向かった。

『何よ、あいつ……一々気に障る……』と、旅館に向う途中、百合は鬼頭の事を思い出し、更に怒りが湧いて来たが、ふと、鬼頭の〝可愛い〟と言った言葉を思い出し、年頃の男性に生まれて初めて〝可愛い〟と言われた事に少し感動していた。

 だからと言って『あんな軽薄な奴は絶対に好きにはなれん!』と思う百合であった。

 

 ○畜生……○


 百合は、一泊素泊まり三千八百円、露天風呂だけが自慢の古色蒼然、旧態依然、崩壊寸前(は、言い過ぎか……)の旅館にチェックインして、六畳一間の、畳のあちこちにタバコの焦げ跡が付いている(かび)臭い部屋に入ると、荷物を下ろし寛ぐ間も無く装備をチェックし始めた。

 鬼斬丸をケースから出して、刀袋の中から引き出す……封じの鞘は……異常無し。

「玉ちゃん、雪ちゃん、鬼斬丸抜くよ」百合が二人に向って言うと、

「あいよ……」

「承知」二人は返事をして少し距離を置く。

 魔斬りの法具、鬼斬丸。化物を浄化し滅する刀。

 封じの鞘から抜かれた鬼斬丸に、二人は触れる事も出来ない。

 魔斬りの法具は化物の霊力を奪い、込められた念の波動で浄化する。

 化物を倒すのに、必ずしもこれが必用だと言う訳では無く、玉江や粉雪の実力なら、そんじょ其処らの化物には負けはしないし、自我の無い下等な化物なら百合一人でも十分勝てる。

 しかし、浄化しなければなら無い様な化物、前回戦った九十九神の様な存在は、魔斬りの法具で浄化し、滅する。

 また、再生する恐れのある化物、特に滅火の力で強力化した化物等もそうだ。

 まぁ、再生出来ない位、一気に吹き飛ばせば話は別だが。

 そして、体力同様に気の力にも限界があるため、化物の数が多いと魔斬りの法具で滅していかないと、気を使い果たし魂を削る事になる。 

 百合は鬼斬丸を点検し終え、封じの鞘へと収めた。

 鬼斬丸は死んだ百合の母親の形見で、百合がお役目になる時に國仁から渡された。

 鬼斬丸を刀袋にしまうと、剣鉈もチェックする。山歩きでは百合の隠れた相棒だ。

 次に、キャンプ道具の点検をしてから、百合は温泉へと向う準備をする。

 百合は、ポニーテールの長い髪の毛を解き、アップにまとめ直して、浴衣に着替え、お風呂セットを持って温泉へと向った。

「役目の時って、温泉ぐらいだもんね、楽しみって!」

 露天風呂へと向う廊下を鼻歌交じりに歩いていた百合は、急に思い出したかの様に止まり、

「手、出さないでよ」と、百合の後ろから嬉々として、付いて来る粉雪へと振り向き言った。

「えっ?」粉雪は、百合の言葉の意味が分からないと言いたげに、すっとぼけている。

 わざとらしく、すっとぼける粉雪の姿を見て、

「おかしな事、し・な・い・で・ね!」百合は、顔を粉雪に近づけ、強く念を押した。

「あらぁ、何の事かしら……」粉雪は、百合から目を逸らし、更にすっとぼける。

「分かってるくせに」百合は粉雪を睨み、捨て台詞の様に呟くと、振り向き温泉へと向った。

 脱衣所で、服を脱いで露天風呂へ……えっ?もっと詳しく?それは又後日(何時だよ!)

 浴室の扉を開けて中に入ると、直ぐ右側に外の露天風呂に出る扉があった。

 露天風呂への扉を開けると、大きな岩を並べた広さ五m四方ぐらいの立派な湯船の回りには、そう高くは無い若い木が植わっていて、高さ二mぐらいの杉板で囲ってある。

 百合は掛け湯をして、湯船へと入ると、

「はあぁぁぁ、寛ぐよう……」と、思わず溜息の様な言葉が洩れた。

 薄暗くなり始めた山の緑を眺めながら

「お湯は掛け流しか……良いねぇ、この良さが分かる日本人に生まれてよかったよぅ……」と、しみじみと感じ入っていた。

 山の景色に見とれていて、ふと、横を見ると、何時入ったのか実体化した玉江が、長い髪の毛をタオルで巻いて、ちょこんと湯船に浸かっているのに気付いた。

「玉ちゃん!……何で?」

「えっ、いや……一度、試したいと……」照れる様に玉江は百合から目線を逸らした。

「……あっそう……」何時もの孤高の白狐とは違い、人間臭い玉江の姿に百合は呆れた。

「ふむ……なるほど……主が気に入る理由も分かる気がします……この、染込む様な感じが、なんとも……なかなかどうして……」

 余ほど気に入ったのか、聞かれもしないのに、玉江はしみじみと感想を述べている。

『霊力で実体を結んでいるのに?』と、百合は疑問に思ったが、温泉は地球の力で暖められた物だから、気の流れと同様に地球のパワーを秘めている、

『だから、霊体でも感じるのかな?』とも、考えていた。

「あら、お玉さん……あんたも来てたの?」露天風呂のドアを開けて粉雪が入って来た。

 胸からタオル垂らして前を隠している、色っぽい姿の粉雪が玉江に声をかけると、

「うむ……粉雪……これは、なかなか良いな」と、玉江は珍しく笑顔で粉雪に向って答えた。

 玉江と粉雪が温泉談議に花を咲かせている姿を、百合は横目で見ながら、 

『何なんだかなぁ、二人共あやかしのくせに……』と、想像以上に俗物の二人に呆れていた。

 更に気分が悪い事に、玉江も意外とでかい……乳が。

 普段は余り目立たなかったのに、正に脱いだら凄いんですって感じだった。

 巨乳の二人の隣で湯に浸かっている百合は『ごめんね低脂肪乳で……』と少し拗ねている。

「主、背は伸びて来たのに……あまり育ってないね……」と、粉雪が百合の乳首を摘まむ……

「あうっ!」不意を突かれて思わず百合はのけぞった。

「止めんか、こら……この、エロ狐が……」百合が粉雪の顔を押しのけ、遠ざける。

「ふむ……主は、成長が遅い事を気に病んでおられるのか?」

 粉雪の方を向いている百合の背後から、玉江が百合の胸へと手を伸ばし、掴み所の無い百合の胸を、探る様に手を動かしている……つるつると……

「あんっ!」再び、不意を突かれ百合はのけぞり、

「止めんか……」と、百合は、すくっとその場に立ち上がった。

 日頃は忘れていたかの如く、気にしない様に心がけていても、比較対象物が傍にあると気にならない訳が無い。

 百合は、そのまま黙って湯船から出ると出口へと向かった。

「あら……主……もう出るの?」

 百合は、粉雪の言葉を無視して荒っぽく扉を閉めた……『畜生!』と、心で叫びながら。


 ○状況開始○


 次の日の朝、百合達は他の登山客同様、日が昇る前に旅館を出た。

 一時間ほど、登山道へと向う道を歩いてから百合達は道を離れ、急な斜面を登って行く。

 辺りはまだ暗い上、斜面の足元が悪く、慎重に木や草を掴みながら上って行く。

 三十分程昇った所で、周りがはっきり見えるぐらいの明るさになって来た。

 百合は地図を取り出し、辺りの風景を確認する。

 今、この辺りには、百合と鬼頭も入れて六人のお役目達が、探査の役目を行っている……はずだ。鬼頭がサボっていなければ。

 百合は、現在の地図と本山から渡された古文書の絵地図のコピー(白黒……けち)とを見比べて、滅火の位置の手がかりがないかと考えていた。

 本山ではかなり信憑性のある資料と言っていた抽象的な絵地図は、大台ケ原の南側、曲がりくねった川に挟まれた所に、城か寺の様な絵がアップで描かれている。

 川と言っても、どの程度の大きさかも分からず、現在の地図と見比べても似通った曲がりくねった川は見当たらなかった。

「……わんかねぇ……これでどうしろと……」書かれているミミズが這った様な文字は、所々虫食いや湿気のせいで滲み掠れていて、百合には全く読めず(そうで無くても読めないが)現地に着けば何とかなるだろうと思っていた百合は、自分の認識の甘さに途方に暮れていた。

 描かれている、城か寺の様な建物なら見つけ易いのではないかと思い、

「ねぇ、玉ちゃん。これ、読める?」と、絵地図を玉江へと差し出した。

 玉江は暫く絵地図を見ていると、

「延徳元年とありますね。延徳と言えば……あの頃か……」

 何故か玉江は絵地図を見て、少し顔を曇らせた。

「災いを……死する……近付くべからず……証覚寺……昼夜十日……封じた……」

 所々読める部分だけを、出来る限り解読しようと真剣な目で絵地図を見ていた玉江は、一通り読み終わると、

「どうやら、五百年以上前に、此処に書かれている証覚寺と言う寺に、何かの災いを……恐らく、滅火だと思われますが、それを封じたと書かれています」と、百合に向って報告した。

「五百年!……これ、お寺なの?」五百年と聞いて百合は驚き、再び絵地図を見た。

「はい、恐らく」

「じゃ、お寺を探せば良いわけね」百合は絵地図から顔を上げ、玉江の方を向いて尋ねた。

「……まだ、寺が残っていれば……ですが。五百年前の事ですから……」

「そりゃ、残ってりゃ、もう誰か見付けてるんじゃないの?まだ見つかって無いんだから、もう残って無いと思うよ」粉雪が、百合の後ろから絵地図を覗き込んで言った。

「そう言えばそうね、手がかり無しか……」粉雪の言葉を聞いて、百合は更に途方に暮れた。

「やっぱり、気配を探るしかないか……」

 初心者の百合は、まだ滅火に出会った事が無い。 

 導厳の、滅火は他の気の流れと全然別の物だから直ぐに分かると、言っていた言葉を思い出していたが、初めての事に自信が無く、また、滅火への恐怖とが入り混じり、百合は不安で仕方が無かった。

「とりあえず川沿いに探すか……」と、百合は二人に向って言うと、二人は黙って頷いた。

「雪ちゃん、憑いて!玉ちゃん行くよ!」百合がリュックを背負いながら二人に言うと、

「あいよ」

「承知」と、二人が返事をして、粉雪は百合の背中に回り、オレンジ色の狐火に変化し、百合に溶け込む様に入って行く。

 のぼせた様な感覚が終わると、百合の全身に力が漲り、オレンジの炎を背中から上がり、瞳がオレンジ色に変わる。

 玉江は青白い狐火で全身を覆うと、大きな白い尻尾が伸び、徐々に体が膨らむ様に大きく成りながら、巫女装束が霧となって消えて行く後を追う様に全身に白い毛が伸び出し、鼻が突き出し狐の顔に変わったが、額の赤い十字の文様は変わらずに残っていた。

 玉江は馬よりも二周りは大きいと思われる大狐へと変化した……玉江の本来の姿だ。

 百合は玉江の背中に飛び乗り、

「出来るだけ低く飛んでね。他の人に目撃されない様に」と、玉江の耳に顔を寄せ指示した。

「承知」と、返事をしたと同時に、玉江は低く勢いを付け飛び上がった。

 狭い木々の間を玉江は、するするとすり抜ける様に、凄いスピードで飛び抜けて行く。

 次々と迫る木に恐怖を感じ、玉江の首筋の毛にしがみ付いている百合は、

「玉ちゃん、もう少しゆっくり、お願い!」と、玉江に叫んだ。

「承知」玉江は返事をすると、速度を落とした。

「雪ちゃん!やるよ!」百合は玉江から手を離し、胸元で印を結ぶ。

「あいよ!」粉雪の声が百合の頭の中で響く。

 百合は精神を集中して、気を貯め九字を唱え印を切る。

 目を閉じて精神を集中すると、脳裏に周りの風景が映り、気の流れが見えて来る。

 百合達は滅火の気配を探る為、川を中心に碁盤の目の様な飛び方で探って行った。

 虱潰(しらみつぶ)しに飛び回り探して見たが、特に怪しい思われる変化は無く、途中何度かは休憩はしたものの、一日中精神を集中して気配を探って飛び回っていた百合は、疲労から上手く精神を集中させる事が出来なくなって来た。

「今日はこの辺で終わろうか」疲れた声で、百合が二人に言うと、

「あいよ」

「承知」二人が返事をして、玉江は川沿いの僅かな平地へと静かに降りた。

 粉雪が百合から離れて、玉江が霊体の巫女さん姿に戻る。

 初夏でも山間(やまあい)なので、日は四時頃には山影に入り、五時を過ぎると少し暗くなって来る。

 百合達が下りた、幅二m長さ三mぐらいの僅かな平地から、斜面を五m程下ると川がある。

 百合は、今夜は此処で眠る事に決め、平地の草を踏み均し、小石を取り除き一箇所に集め、寝心地の良さそうな所にテントを張り荷物を入れる。

 そして、既に殻になっている二リットルのペットボトルを持って、小川へと斜面を降り、小川の中の石を見る。

 喫水際に変な色は付いていないし砂も綺麗だ。どうやら飲める様だ。

 百合は水を汲み、ついでに水を飲んで顔を洗う。

 日陰を流れる水は冷たくて気持ち良い。

 テントに戻り夕食の準備をしている百合が、リュックの中からビニール袋を取り出した。

「玉ちゃん、雪ちゃん、これ!」と、百合はビニール袋の中から二つのパックを取り出した。

「あらあぁぁ!」

「おぉぉぉ……」そのパックを見て二人は歓喜の声を上げる。

 百合はコンビニで買った、三個入りの稲荷寿司のパックを、一づつ二人の前に差し出すと、   

「気が利くねぇ」

「かたじけない」喜ぶ二人は百合からパックを、ありがたく両手で受け取った。

 普段はハードボイルドを決めている玉江は、実体化して受け取ったお稲荷に、満面の笑みを浮かべ頬刷りしている。

「お稲荷で、何もそんなに喜ばなくても……」お手軽に喜ぶ二人を見て百合も嬉しかった。

「いや、そのお心が嬉しゅうございます」玉江は、にこにこしながら頬刷りしている。

「そうだよ、気持ちだよ、気持ち」粉雪は嬉々としてパックのラップを捲っている。

 食事も終わり、空も暗くなって来た頃、百合は体を洗う為に着替えを用意した。

 百合は着替えとタオルを持って小川に下り、登山道も無い山奥で、他には誰も居ない事は分かっているので、躊躇無くぱっぱっと服を脱ぐと、タオルを川の水に浸し体を拭く。

 初夏の日差しの中、一日中飛び回り汗を掻いので、冷たい水が気持ち良い。

 誰も見ていないと思って、全裸で大胆に体を拭いていた百合だが、

「あ・る・じ!背中流してあげようか?」一人危ない奴が居る事に気が付いた。

「いっ、良いわよ!自分でするから!」慌ててタオルで前を隠し、粉雪の方を振向いた。

「そんなぁ……つれないよう……」粉雪が後ろから抱き付き、百合の胸へと手を伸ばした。

 百合の胸で、つるつると手を弄る様に動かす粉雪の何時もの行為に、

「楽しいか?(あばら)を撫でて」宜い加減慣れて来て、百合は鬱陶しそうに眉をしかめている。

「あらぁ……でも、ここは……」と、百合の首筋に口付けすると、

「あんっ!」と、百合はその柔らな感触に、びくっと体を反らした。

「それとか……此処とか……」粉雪は妖艶な笑みを浮かべ、下へと手を這わして行く……

 百合は、粉雪の手の行き先を察して、体をくねらせ抵抗するが、粉雪の手は目的地に到着し、指を隙間に滑りこませる。

 指の微妙な動きから、背筋に電気が走った様に痺れが伝わり、百合は思わず身を縮めた。

「あうっ!」更にくねる粉雪の指のせいで、下半身から熱いものが湧き上がって来た時、

「止めんか!このエロ狐!」百合は悪魔の誘惑を打ち破り、粉雪を突き飛ばし振り払った。

「もう、主ったら、乱暴なんだから……」倒れた粉雪が、まるで恋人に無碍に捨てられた女の様に、シナを作って怨めしそうに百合を見ている。

「何言ってるの!余計な事しないでって言ってるしょ!」真っ赤になって叫ぶ百合に、

「余計な事って?」白々しく粉雪がとぼける。

「だっ、だ、だから……余計な事よ!」粉雪の行為を思い出し、その時の感触が下半身に蘇って来た時、百合は更に顔を赤くして拳を振り上げ怒鳴った。

 百合は、目の前で足を流して座って見ている粉雪を警戒しながら体を拭いている。

 にこにこしながら眺めて居る粉雪に、百合は緊張して落ち着かない。

「ちょっと、見ないでよ……恥かしいじゃないの……」百合は粉雪を横目で睨んで居る。

「良いじゃないの、女同士なんだし、それに私は妖狐だし……ねっ」

「ねっ、じゃ無いわよ!女同士でも恥かしいの!見られてると!それと妖狐は関係ない!」

 微笑みながら百合の体を眺めている粉雪に、百合が激しく抗議しても、

「ふふふ……」粉雪は、変わらず愛おしそうに微笑み百合を見ている。

「なっ、何よ……」百合が言い返して来ない粉雪を不思議に思い、問い質すと、

「えっ?……いえね、大きくなったなって……」粉雪はそう言って立ち上がり、百合を微笑み眺めている。

 暫くして、粉雪は振り返りゆっくりと斜面を登って行った。

 粉雪の言葉が良く理解出来ず、何の事かと考えながら、百合は粉雪の後姿を見送った。

 着替えを済まし、百合はテントの張ってある所へと帰って来て、焚き火の準備を始めた。 

 最初に避けた石を丸く並べ囲炉裏を作り、落ちている小枝を折って、あまり大きな火にならない様に気を付けながら燃やして行く。この揺ったりとした時間が、百合は好きだった。

 百合は、ゆらゆらと揺れる炎を見ながら、色々な事に思いを馳せる。

 百合には悩みがあった。まぁ、低脂肪乳の事は置いといて……どうしても男性と上手く接する事が出来ない。特に似通った年頃の男性とは。

 普段はそうでも無いのだが、二人っきりともなると、緊張して体が硬直する。

 男嫌いと言う程の重症では無いが、やはり中学での強姦未遂のトラウマが影響している。

「導厳様や鬼追のおじさん達とは普通に話せるのに」と、少々対象を勘違いして悩んで居た。

 このままでは、純慶に奏栄、それに佳代子達の素敵なお姉様達に、ときめいてしまう自分が、二度と戻れない深みへとはまり込んでしまうのでは無いかと、

「いけない、それじゃぁいけないんだ……」と、自覚があるだけに百合は焦っていた。

「そうだ……鬼頭さんを練習に使えないかな……」

 軽薄な奴だと言う事は確認済みの鬼頭の事を思い出し、好きに成れない事は分かっては居たが『一応イケ面だし……相手に取って不足は無い!』と、百合は心の中で拳を握り締め『そうよ、まずは、あの軽薄な鬼頭さんで慣れれば、大抵の男性は平気な筈!』と、百合は根拠の無い思い込みに納得し『利用してやる、へっへっへっ……』と、薄笑みを浮かべた。

「主……何だい?変な笑い浮かべて、悪巧みかえ?」

 百合の薄笑いを見て、粉雪は不審そうに百合の顔を覗き込むと、

「えっ!いやっ!何でも無いわよ……」百合は慌てて手を振りながら否定した。

 否定してから、粉雪の勘の良さに、気不味い思いで誤魔化す様に微笑笑んでいる。

「さて、寝ますか……雪ちゃん、分ってるわね」話題を変えて、百合が横目で粉雪を睨む。

「何が?」自分の前歴をすっかり忘れたかの様に、粉雪がすっとぼけて聞き返した。

「疲れてんだから余計な事しないでね!分った!」百合は、粉雪に顔を近付け、怒鳴り付けながら強く念を押した。

「ははは……分ってるわよ……」

 釘を刺され、ばつが悪そうに笑っている粉雪を、疑いの眼差して睨みながら百合はテントの中に入って行った。


 ○白菊○


 探査を始めて三日目。今の所、特に変わった所は無い……まぁ、何も無いに越した事は無いのだが、百合には初めての事だけに、自分達の遣り方が間違っていないかと少し不安だった。

 間違っていないか、何か見逃していないかと、不安にさせる気持ちが更に百合を焦らせる。

 そんな気持ちで玉江の背中に乗って、精神を集中していると、

「雪ちゃん……あそこ……」滅火では無い、僅かな変化にも敏感になってしまう。

「……何か……あるね……」粉雪の声が頭の中で響く。

「玉ちゃん、あっち、右のちょっと広い所……分る?」百合は玉江に指差し指示をすると。

「……承知」玉江は、百合の指差す方へと進路を変えた。

 百合達は、霊気の感じる場所から、警戒して十mぐらい手前で降りた。

 幅が一mぐらいの古い山道の様な場所は、長い間誰も通った形跡も無く、三十cmぐらいの草で覆われていて、霊気の感じる場所は少し広く開けている。

「また、雑魚じゃないの?」感じる霊気から粉雪にはそう思えた。

「かも知れないけど……」

「結構、多いね、この辺り……小物の化物が」

「そうね……でも確認しなきゃ」 

 初めての事に合理的な判断が出来ず、百合は小物の化物の気配に何度も無駄足を踏んだ。

 今回も滅火では無いと分かっていたが、滅火に出会った事の無い百合には、滅火では無いと言い切れる根拠が無く、百合は確かめないと気が済まなかった。

 ただ今回感じた霊気は、今までの化物の霊気とは違う、何か清浄な気が感じられた。

「あれ……祠?……」百合が近付いて行くと、地蔵堂の様な小さな祠に気が付いた。

「主……大事無いか?」玉江は百合の後ろから、百合を庇う様に斜め前に出る。

 と、その時、百合の目の前に大きな目玉が見えた瞬間、百合の頭はブラックアウトした。

「……じ……るじ、主!」遠くの方で粉雪の声が聞こえ『あれ?』と、百合が目を開けると、

「何、気絶してんのよ!」と、目の前で粉雪が百合を揺さ振りながら叫んでいる。

 気が付いた百合は、慌てて祠の方を見た……居た。一つ目の大入道。

「来るなあぁぁぁ……近づくなぁぁぁぁ……食い殺すぞうおぉぉぉ……」

 高さ十mは有る大入道が、一つ目で睨み付け、長い舌を出して重低音で叫んでいる。

 出会い頭に百合は大入道と顔を突き合わせてしまい、一瞬ではあるが気を失ってしまった。

「大丈夫かい?主?」百合から出た粉雪が、心配そうに百合を抱かかえている。

「うっ、うん……大丈夫……」百合は、顔面蒼白で大入道を見ている。

 お役目に成ってから、何度も化物と出会っていた百合だが、突然目の前に現れたグロテスクな大入道に『あんなの見て、気を失わない方が変よ……』と、粉雪にしがみ付いた。

「まったく……お玉さん、あんたの領分だよ……」面倒臭そうに粉雪が言うと、

「承知しておる……」玉江は、大狐から霊体の巫女さん姿に変化した。

 玉江はすうっと、大入道の体をすり抜け通り過ぎ、祠の方に進んで行く。

「来るなあぁぁぁ……近づくなぁぁぁぁ……食い殺すぞうおぉぉぉ……」

 大入道は玉江に気付かないのか、百合を睨んだまま更に叫ぶ。

 玉江が祠にたどり着くと、

「こらあぁぁ!来るなと言うて居ろうが!」いきなり声が高音に変わった。

 しかし大入道は変わらず百合を睨んでいる。

 玉江は祠の後ろへと向くと、袴の袖を両手で少したくし上げ、右足を高く頭上に振り上げ、一気に振り下ろすと、

「きゃっ!」と、言う短い悲鳴と共に大入道の姿が消えた。

 何が起きたのか分からない百合は、じっと玉江を見詰めていた。

「まったく……」と、踵落しを決めた玉江が、面倒臭そうに屈み込む。

 玉江は祠の後ろから何かを摘み上げ、百合の方へと向き直りそれを差し出した。

「あら……」百合は、その差し出された意外な者に注目した。

 玉江の摘み上げている者は、長い白髪(はくはつ)の十歳ぐらいに見える可愛い少女だった。

 膝丈の白装束に赤い帯を締めた少女には、白い尖った耳と太く長い尻尾があった。

「こら、放せ!放さんか!」少女が玉江に摘まれたまま、じたばたと暴れている。

 霊体の玉江に摘まれている少女を見て『あの子も霊体?』と百合は思った。

「どう言うつもりだ……子狐」玉江は、摘んだ少女を睨み付けている。

「喧しい!我を誰だと思っとるんじゃ!伏見様の使いの眷属じゃぞ!八幡守(やわたのかみ)様の一族じゃぞ!無礼は許さんぞ!」叫びながら少女は、更にじたばたともがいている。

「八幡守様だと……八幡守様の一族が何故(なにゆえ)、遠く離れた大台の地に居る?しかも、御主の様な子狐が?」暴れている少女を、ゆっさゆっさと揺さぶりながら、玉江は怖い顔で尋問すると、

「……」少女は顔を背け、黙秘した。

 その黙秘する少女が、悲しそうな顔をしている事に、百合は気付き不思議に思った。

「だんまりか……まあ、良い」玉江は少女から手を離し、百合の方に近付いた。

 少女はそのまま宙に浮いて、悲しそうな顔をしている。

「主、行きましょう。こ奴に構っている暇は無いはずです……」

「えっ、でも……良いの?この子、このままにして……」

「良いんじゃない……もともと、此処に居たんだから」

 そう粉雪に言われたが、百合には少女の事が気に掛かり、百合は少女に近付き、

「ねぇ……話してくれない?何で貴方は此処に一人で居るの?」と、少女の顔を覗き込んだ。

「…………」少女は変わらず悲しい顔で、黙って俯いている。

「……此処が良いの?」

「!……」百合の言葉に少女は突然顔を上げ、何か言いたげに、悲しそうな顔で百合を見た。

「主、捨て置くが良い、そんな性悪……」玉江が急かす様に百合を促すと、

「あのね、あの人、怖い様だけど本当は優しいのよ」百合は玉江の言葉を無視して、少女に微笑みながら優しく語りかけた。

「なっ!主!」百合の言葉を聞いて、玉江は恥かしそうにあせっている。

「それにね、あの人も白狐なのよ……だから力になって上げられると思うの」

 少女は、百合の言葉に驚いた様に玉江を見た。

 その何かを期待する様に見詰める目に、

「……近江の玉江と申す……」玉江は少し照れて、無愛想に名乗ると、横を向いてしまった。

「あっ……我は、八幡の白菊(しらぎく)じゃ……」少女も改めて自己紹介をした。

「白菊とは、大そうな……」玉江は再び白菊の方に向かい、百合の隣に立った。

「悪いか!八幡守様に付けて頂いたんじゃ!」

「では、聞くが……その、八幡守様は知って居るのか?貴様が此処に居る事を……貴様の様な齢百も経たぬ者が、生じた地から離れる事は禁じられておろうが……つまり、生じた地から離れると言う事は、庇護を受けられぬと言う事だぞ」

 玉江は白菊の目の前で、小さな子供に説教する様に、白菊を問い質している。

「そんな事……そんな事は分かっておる……」白菊は不服そうに呟き俯いた。

「では、何故(なにゆえ)……」横を向いた白菊に顔を寄せ、玉江は厳しい口調で更に問い質す。

「我は、好き好んでこの地に居る訳では無いわ……」白菊は俯いたまま話し始めた。

「我は、この世に生じてから、八幡の地で八幡守様の庇護の下、静かに暮らしておった……しかし、十五年程前、我らの地を化物が襲って来たのじゃ……」

「化物?……何じゃ、それは……」

「分からぬ……我は若輩故、何も分からぬ。八幡守様や古参の方々が戦っておられたが、相手の化物の数が多く、手こずって居られた。そして混乱の中、八幡守様が、我ら若輩の者に逃げろと申された……我は逃げた……じゃが、多くの化物が追って来よって、我はそ奴らから逃れるために必死で逃げた。何処をどう逃げたかなど、分からん位に……気が付いたら、此処に居った……」白菊は悲しそうな顔から、徐々に歯を食いしばり悔しそうな表情に変わり、

「我とて、好きで、この地に、居る訳では、無いわ」一言一言を噛み締める様に話している。

「じゃ……貴方は十五年も……十五年の間、此処で一人で居たの?」百合が驚き問い質すと、

「……」白菊は、百合の問い掛けに無言で頷いた。

「なるほどね……化物から逃れて、この祠があんたの安全地帯だった……って、訳かい……」

「えっ?雪ちゃん、それってどう言う事?」

 何時の間にか百合の後ろにやって来た粉雪が、祠の方を向いて言うのを聞いて、百合が粉雪へと振向いた。

「ほら、主もさっき気付いただろ。この祠の周り、清浄な気が流れている。此処は清められていて邪な気を持つ化物は近付け無い。此処いら、雑魚が多いからねぇ……それでこの子は此処を離れられなかったんだよ」粉雪は腕を組んで、辺りを見回しながら、百合に解説した。

 まだ霊的にも幼い白菊にとって、たとえ自我の無い下等な化物でも、恐怖の対象だった。

 八幡の里から化物達に追われ、逃げている内に一人となってしまった白菊は、化物達から身を守り隠れる為に、この祠から遠く離れる事が出来なかった。

 自らの意思では無く、訳の分からないまま一人になり、回りの化物を恐れ、誰にも頼れず、八幡の里へと帰りたくても、祠から離れられない己の非力さを怨み、一人此処で怯えていた。

 そんな白菊を百合は、自分の子供の頃の姿と重ねていた。

『この子は……私だ……両親が突然死んで何も出来ない幼い私が、誰にも頼れず、ただ、自分の非力を恨み、何も出来なかった私……私と同じだ……』百合はそう思うと涙が溢れて来た。

「主……」涙を流す百合を見て、粉雪が心配そうに百合の顔を覗き込む。

「辛かったね……」百合は、涙が溢れる目で白菊を見詰めている。

 安全地帯の祠。此処を出て八幡の里へと帰りたいと望んでも、己の非力さ故にそれが出来ずに居る白菊。不良達との怠惰な生活を止めたいと望んでも、諦めてそれが出来ずに居た自分。

 強く望む物が、己の力の及ばない遥か彼方にある事への絶望感を、身を持って知っている百合は、白菊を見てある決心をした。

「よし!私と一緒に来なさい!」百合は拳を握り締め、笑顔で白菊に力強く言った。

「えっ?」

「はあぁ?」

「主!」百合の言葉に、皆がそれぞれの反応をした。

「主、何の御積りです……こ奴をどうする御積りですか?」怪訝そうな顔で問い質す玉江に、

「八幡に連れて帰ってあげるの」百合は、笑顔であっさりと答えた。

「本当か!」白菊は百合達に会って、初めての笑顔を見せた。

「何を面倒な事を……主、良いのかい?そんな事言って……」

「良いじゃない、今の世の中、此処から八幡なんて直ぐじゃない」

「そりゃそうだけど……」粉雪は面倒臭そうに、袖を振りながら上を向いた。

「人間!本当に連れて帰ってくれるのか?」白菊が笑顔で百合に近付き尋ねると、

「ええ……だけど、私達、今は仕事があるから、直ぐには無理よ……でも、約束する。絶対に連れて帰ってあげる」百合も笑顔で答えた。

 もがき苦しんで居た百合を、導厳と國仁が救ってくれた。百合は今でもそう思っている。

 だから今度は自分が、救うなんて大それた事は思っては居ないが、苦しんでいる白菊の手助けが出来ればと百合は思った。

(かたじけな)い!よろしく頼む」白菊は満面の笑みを浮かべて喜んだ。

 百合は白菊のそんな笑顔を見て、自分も嬉しかった。

「主、良いのですか……その様な事……」玉江が念を押す様に百合に問い掛けると、

「良いとか悪いとかじゃないわよ……この子をこのままにしておくなんて、可愛そうじゃない……そんな事出来ないわよ」百合は微笑みながら玉江に答えた。

「可哀そう?……貴方と言う人は……」玉江は百合の言葉を聞いて、少し考える様に眉をしかめると、呆れた様な笑顔を浮かべて呟いた。

 

 ○初めての経験○


「白ちゃんの、八幡の里が襲われたのが十五年前……十四年前の大戦に関係あるのかな」

「そうだね……よういどん、で大きな戦が始まる訳ないしねぇ……前兆だったのかも」

 百合達は食料を調達する為、村の小さなスーパー(雑貨屋)へとやって来た。

 何時から置いてあるんだと思わせる、埃の被った日用品が並ぶ中、僅かに並ぶ缶詰とレトルトの食品を賞味期限を確かめながら選んでいる。

 定番の秋刀魚の蒲焼はOK。しかし百合の好きなコンビーフが無い。

 パックライスとレトルトの牛丼とカレーを確認している時、

「ねえぇ……あ・る・じ……」と、狐が猫撫(ねこな)で声を出して近寄って来て、

「これ……」と、粉雪はお稲荷の入ったパックを差し出した。

 粉雪は、魚貝類や生肉が並ぶ、小さな陳列冷蔵庫の片隅に、お稲荷のパックを見付けた。

「ははは……見つけたの……良いよ、買っても」百合は、呆れる様に笑い承諾すると、

「ありがとう!」と、粉雪が笑顔で百合に抱き付き礼を言った。 

 百合は粉雪から、百合と玉江の分も受け取って籠に入れると、

「ねえ……あの子、えぇっと、白ちゃんも食べるかな?」と、粉雪に向って尋ねた。

「さぁね、まだ、子供だから……」どうだか分からない粉雪は、小首をかしげ答えに困った。

「まぁ、買っておくか」粉雪の様子を見て、百合は『どうせ誰か食べるだろう』と思った。

 百合達は、雑貨店を出て暫く道沿いに歩くと、周りに人気の無い事を確認して、角度が六十度以上は有りそうな、モルタルで防護された道路際の斜面を、一気に駆け上った。

 二十mくらい駆け上がると、少しなだらかに成っていて、其処に玉江と白菊が待っていた。

「どう?様になって来た?」百合は二人を見ると、近付きながら声を掛けた。

「何とか……良くは成っています」百合の質問に玉江は、白菊を見ながら答えた。

「あら……可愛い!良いじゃない!」百合は、白菊の姿を見るなり笑顔を浮かべた。

 百合の前には実体化した白菊が、少し照れながら立っている。

「技としては、初歩の初歩ですので……難しいものではありませんので」

 狐にとって化ける事は基本技の様だ。

「うん、でも、これだと完璧だよ、白ちゃん上手だよ」百合が白菊の全身を見回している。

「そう言って貰えると……嬉しい……」百合に褒められて白菊は更に照れている。

「初歩の簡単な技とは言っても、最初は酷かったもんね……」

「まぁ、皆そんなもんだよ。形はすぐに出来ても、色を分けるのには、ちょいとコツが居るからね」と、粉雪も上手に変化出来た白菊を、愛しそうに微笑みながら見ている。

「玉ちゃんに教えてもらって、形は出来たけど、最初は変な灰色だったり、色が混じってたり、ピカソみたいで……」と、百合は、昨日の白菊のシュールな姿を思い出していた。

 昨日から、暇を見ては二人で特訓し、その甲斐もあり可愛い白菊がやっと出来上がった。

「上手だよ!白ちゃん。うんっ、可愛い!」

「どうも……あの、褒めて貰って言うのも、なんじゃが……その、“白ちゃん”と言うのは……我の事か?」白菊は、確認する様に訝しんだ目で百合の顔を覗き込む。

「そうだよ……何か?」当然の事だと言わんばかりに、百合は即答した。

「いや……我には、白菊と言う名が、あってだな……」何やら不服そうに言う白菊に、

「白菊だから、白ちゃん。良いじゃない」何が不満だと言いたげに、百合は言い切った。

「いや、その、そうでは無く……我には八幡守様から頂いた……」

「玉ちゃんに、雪ちゃん!そして白ちゃん!分かった!」

 百合は、白菊の顔近くで各自を指を差しながら力強く説得(強制)した。

「だって、その方が可愛いでしょ!」既に百合は、白菊に友達感覚を持っていた。

「か、可愛い?まぁ、お(ぬし)がそう言うのなら……」白菊は、まだ納得していないみたいだ。

 白菊は連れて帰って貰うと言う目的もあり、強く百合に反論出来ず、しぶしぶ承諾した。

「それに、お主って言うの止めてよね……百合ちゃんで良いわよ」

「ゆっ、ゆりちゃん?……」使い慣れない言い方に、白菊は戸惑っている。

 そして百合は、買い物袋の中から稲荷寿司を取り出して、二人の前に出した。

「はい、玉ちゃんこれ」

「おぉっ、忝い……」既に巫女姿で実体化している玉江が、パックを受け取り頬刷りをした。

「ねぇ、玉ちゃん、白ちゃんは大丈夫かな……」と、百合が玉江に尋ねると、

「そうですねぇ……別に問題は無いと思いますが」玉江は頬刷りしたまま答えた。

「じゃ……はい、白ちゃんの分」と、百合が笑顔で白菊にパックを差し出すと、

「何じゃ……これは?……」白菊は訝し気な顔で、三個入りの稲荷寿司のパックを見た。

「それはな、稲荷寿司と言って……とても美味い物じゃ」

 一つ目を食べ様としている玉江が、白菊に向いて説明している。

「美味いって……我は、物を食する事なんぞせんが……」

 白菊は、稲荷寿司を美味しそうに食べている二人を見て、不思議そうな顔を浮かべている。

「そんなの、私だって同じだよ……でも、これは特別なの……」

「うむ……これは、別じゃな……ほれっ、食って見るが良い」

 二人が白菊の前に立ち、微笑みながら白菊を見ている。

「しかし、如何にして……」白菊は途方に暮れた顔で、稲荷寿司を手に持ち見回している。

「おっ、そうじゃったな……良いか、口に入れ、良く咀嚼し、味わい飲み込む……そして、ちょうどこの辺りで、中に狐火を灯す……そして、食した物を燃やすのじゃ……」

 玉江は、お腹の辺りに手をやり、丁寧に白菊に食べ方を教えている。

「で、こうして……そう……うん、そうそう……」

 何やら、玉江は白菊の前で、実戦指導している。

 その玉江の、滅多に見せない楽しそうな表情に、同属の幼い白菊が玉江にとって可愛くてしょうが無いんだと百合には思えた。

「では、やってみよ……」

「しょ、承知……」白菊は、決死の覚悟を決めた様な顔で、一口お稲荷さんを食べた。

 百合達は、興味深々で白菊を見詰めている。

「……どう?お味は?……」と、感想が気になる百合が尋ねると、

「!……なんじゃ、これは、幸福感と言おうか、口に広がる、この満足感は……何なんじゃ、いったい……」白菊は大きな目を更に大きく開いて、食べかけのお稲荷さんを見詰めている。

「それが、美味しいって言うんだよ」粉雪が微笑みながら白菊に言うと、

「美味しい……これが……」白菊は、更に不思議そうにお稲荷さんを眺めた。

 そして、白菊は三つのお稲荷さんを一気に食べてしまった。

 食べている間、二人の狐のお姉さん達は、終始にこにこと微笑みながら白菊を眺めていた。  

 最初はどうのこうのと言っていた二人だが、白菊を愛しく思えて来たらしい。

「あのね、それも美味しいけど……それより、もっと美味しい物が、あるんだよ」

「!……何と?」

 粉雪が意味ありげな顔で、白菊の耳元で囁くと、白菊は驚いた様に粉雪を見た。

「きつねうどん……って言ってね……」

「お、美味しいのか?……これより?……」

 粉雪の思わせぶりな態度に、白菊は興味深々だ。

「そりゃぁぁぁぁ……もおぅ……」

「おぉぉぉ!」

 両手で頬を押さえ、陶酔するかの如く空を仰いで、艶っぽい声を漏らしている粉雪を見て、白菊は感動して声を上げる……何だかなぁ……

「そっ、それは、何処にあるのじゃ!ぜっ是非、食したい!」

「ああぁ、残念だけど……何時も何時もって……訳には行かないんだよ……」

 すがるように訪ねる白菊に、演技たっぷりに如何にも残念そうに粉雪が答える。

「どう言う訳じゃ?」

「それは……私達でさえも、手柄を立てた時の褒美……そう簡単には……」

 粉雪の演技力いっぱいの姿に、百合は呆れて見ている……コントみたいで面白いが……

「てっ、手柄?」

「まぁ、あんたは、主の言う事を良く聞いて……良い子にしてたら食べられるかも」

「本当か!分かった!百合ちゃんの言う事は聞くぞ!」

 白菊の言葉を聞いて粉雪は、百合にだけ見える様にウインクして、舌をぺロッて出した。

 その粉雪の姿を見て『役者じゃのう……さすがは狐、化かすのが上手い』と百合は思った。


 

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