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過去

微エロ有ります……ちょっとだけ。

○過去○


 百合と着物姿に戻った粉雪が、県道のバス停でバスを待っていた。

 玉江は姿を消している。

「バス、来ないねぇ……」何をするでもなく、粉雪は退屈そうに伸びをしている。

「まあね、二時間に一本だもの……後、四十分ほどだね」と、真っ白な時刻表を見て、

「田舎ってねぇ、こんなもんよ……たこ焼き、もう一皿、買って来ようかなぁ」と、百合も伸びをした。「ねぇ、主。お玉さんに乗せてってもらえば?お玉さん、馬より大きな大狐に成れるんだからさぁ」と、にこやかに話す小雪の提案を、

「だめよ、此処は山の中だから人目が無いけど、市内の駅に降りる時どうするのよ?見つかっちゃうでしょうが」百合は、渋い顔で却下する。

「家まで一気にさ……」更に粉雪が言うと、

「貴様……我を何と心得居るか……」何処からとも無く、玉江の怒りに震える声がした。

「あら、硬い事言っこなしよ、お玉さん!」何処かに居る筈の玉江に向かって、粉雪は着物の袖をひらひらさせながら、軽い調子で話している。

「……だまれ……」玉江の殺気を孕んだ声を聞いて、

「玉ちゃん!雪ちゃんも……」と、百合は慌てて二人を制した。

 姿を消して、何処に居るのか分からないが、百合には玉江の怒りがひしひしと伝わった。

「何時も、そんな事してちゃ玉ちゃんに悪いでしょ。第一、アパートの辺りだって、人目がいっぱいあるわよ……それに本山からも、くれぐれも目立つ事はするなって言われているし」

 プライドの高い玉江のために、百合は粉雪に諭す様に説明している。

 役目で乗せてもらう事はあっても、日頃のタクシー代わりに使うなんて、玉江のプライドが許さない事は、百合には十分に分かっていた。

 百合が再び買って来た、たこ焼きを食べながら三十分程待っていると、快速が止まる駅へ向かうバスが来た。

 他の参拝者達は、ほとんどが車で来ているため、バスに乗り込んだのは百合と粉雪だけだ。 

 バスに乗ると、中にはお婆さんが二人乗っているだけで、百合達は一番後ろにゆったりと並んで座った。これから駅まで三十分程掛かる。

 バスは、曲がりくねった県道を、ゆらゆらと大きく揺れながら進んで行き、その後を追って、玉江は姿を消して飛んでいる。

 窓の外に見える杉林を眺めながら、百合は導厳達の話を思い出し、自分も両親が戦死した様な戦いに巻き込まれるのかと考えていた。

 百合の両親が死んだのは、百合が三歳に成る前だったので、まだ小さかった百合には、両親の記憶なんてほとんど残ってはいない。

 両親の思い出は、何枚かの写真と記憶の片隅にある風景。

 明るくて温かい窓際、其処は両親と暮らしていたと思われる場所。

 そこで百合は母親に抱かれて遊んでいた。

 楽しそうに笑う母親の横に、もう一人誰かいて、微笑みながら百合をおもちゃであやしている……何となくそんな風景を百合は覚えている。

 子供の頃のあやふやな記憶で、母親の隣にいたのは誰だか分からないが、たぶん父親だろうと思っていた。

 両親が死んで、祖父母も既に他界していた百合は、天蓋孤独の身と成ったため、親戚達の間を、たらい回しにされる生活を送るしかなかった。

 小学校の頃は、両親は交通事故で死んだと聞かされていた。

 両親との記憶が殆ど無い百合は、特に寂しいとは感じなかったが、周りの子供達には両親が居るんだと思うと、何となく自分が惨めに思えて来た。

 親戚にたらい回しにされ、転校を繰り返しクラスで浮いていた百合は、小学校の高学年になる頃には、すっかりすねたガキに仕上がっていた。

 そんなもんだから、女の癖に男子を殴って怪我させたとかで、しょっちゅう親戚の人が学校に呼び出されていて、今考えると『ご迷惑おかけしました』と、百合は反省している。

 小学校の頃百合は、平均より二回り小さい体格で、チビの癖に生意気だって事で回りにも嫌われていた……そのため、余計に親戚達には疎まれ、不のスパイラルに沈んで行った。

 そして、中学生になった頃には、所謂(いわゆる)、不良だった。


 下らない、何もかもが下らない……

 馬鹿な教師、馬鹿な生徒、馬鹿な親戚……私を取り巻くすべてが下らない。

 私は、何をしているの?こんな下らない所で……結局、私も同じか……何もしない、何も出来ない……下らない自分がゴミ溜めで、ぶつくさと不満をぶちまけている。

 分っている。

 分っているけど、何をすれば良いのか分らない。

 止めたい、抜け出したいと思っても、十二歳の私に何が出来ると言うの?他人を否定し馬鹿にしているけど……結局、私も同じだ……

「百合ぃ、今日ぉ、先輩達走るって言ってるけどぉ、一緒に行く?」

 授業中の教室に、髪の毛を金色に近い茶髪に染めて、中学一年生には不釣合いな化粧をした女子生徒が三人、づかづかと遠慮無しに入って来た。

 三人は真っ直ぐ百合の所に来て、口々に集合は何時で、何処に集まるかを相談している。

「おい、お前ら授業中だぞ!」教師が形どおりの怒鳴り声を上げる。

「すみませぇーん、先生!」一人が、素直に謝ったかと思えたが、

「うざぁいから、構わないでぇよ!きゃはははは!」どうやら、黙れと言う事だったらしい。

「お前らな……少し静かにしろよ……」教師は言葉窄みに、黒板へと振向いた。

 教師は、けたたましく下品に笑う三人に強く注意出来ず、煩わしそうに教壇に立っている。

 下手に強く注意すれば、こいつ等のクラスの授業の時に、何をされるか分らない。

 そんな教師を百合は『下らない……正しいと思う事を、堂々と出来ない奴……所詮あんたは地方公務員だもんね、進んで問題に首を突っ込むより、黙って通り過ぎるのを待ってれば良い。そうすれば生活だけは保障されるもんね……情け無い……(どぶ)鼠め』と、見下した目で眺めていた。

「百合、行こ!」

 百合は、三人に引っ張られ教室を出て行った……止める者など誰もいない。

 三人の不良少女達との付き合いは、中学一年生の夏休み前からだった。

 中学生になって早々、チビのくせに生意気な態度だった百合は、上級生達に目を付けられ、早速トラブルに巻き込まれた。

 入学して三日目、二年生の女子四・五人相手に殴り合いの喧嘩となり、あっさりと勝ってしまった事が始まりだった。

 半泣きで逃げ出した連中は、三年生の男子を五・六人連れて再び百合の前にやって来た。

 大勢の男子に取り囲まれても、物怖じしない百合に三年生達はぶち切れ、再び殴り合いの乱闘となった。そして、少し手間取ったが、男子達は全員地面に寝っ転がる結果となった。

 百合は、殴られた顔に少し青痣が出来たが、男子の中には、骨折していた者も居た。

 その悲惨な現状が表沙汰になれば、色々と面倒な事に成っていたと思われるが、三年生の男子が大勢で襲って一年生の女子に負けたなんて、幾ら馬鹿な不良でも、そんな事は恥かしくて言えるはずが無かった。

 また、言えば自分達の不良としての立場が無い。

 当然、不良達は下らないプライドの為に、負けたままでは収まらず、毎日の様にリベンジを仕掛けて来た。

 闇討ちの様なリベンジを、何とか返り討ちにした百合だったが、ある日、行き成り後ろからバットで頭を殴られ、倒れた所を大勢に押さえ付けられた。

 自由を奪われた他百合は、不良のリーダー格にスカートを捲り上げられ、下着を破り取られた所を、二人が片方づつ足を持ち上げ左右へと引っ張り、足を大きく開いて股間を曝す事となった。

 百合は、見られたくない下腹部を、好奇心に目を輝かせながら覗き込む大勢の不良達が怖くて、身が竦んで動けなかった。

 その時の、恥かしさと悔しさで滲んで来た涙の事を思うと、自分が女である事を実感した瞬間だったと思えた。 

 リーダー格がズボンを脱ぎ、(いき)り立たせた朝顔の蕾(包茎?)に似た醜悪な物体を、百合の股間に捻じ込もうと伸し掛かって来た時、その(おぞ)ましさから恐怖が怒りに変わり、肩を押さえていた不良達の力が急に抜けた事をきっかけに、百合は渾身の力を込めて、伸し掛かるリーダー格に頭突きをかまし、怯んだ所で足を抑えている奴等を蹴り飛ばす様に振り払い、スカートを翻して立ち上がると、頭突きを受けて膝を付いて(うずくま)っているリーダー格のお尻の方から、ぶら下がっている“物”目掛けて股間を思いっきり蹴り上げた。

 リーダー格は声も出せずに白目を剥いて悶絶し、その惨劇に周りの不良達も、恐怖に縮み上がる股間を手で押さえて動けなかった。

 そうこうしている内に噂が立ち、百合と揉めている勢力に対抗している連中が、百合に擦り寄って来た。

 こういう連中は何時もそうだ。奴らの理屈はこうだった“仲間になれば守ってやる”

『大きなお世話だ』と、思いつつも、百合は犯されそうになった時の恐怖を思い出し、また、あんな思いをするのかと思うと、味方が欲しくなった。

 とりあえず、百合は対抗勢力の仲間って事で手を打った。

 奴らにしてみれば、喧嘩の強い百合が仲間になった事で、今まで以上に虚勢が張れるメリットがある……所詮、そんな奴らだ。

 『不良共の間に友情なんて無い……あるのは利害だけだ』と、百合は思っている。

 ヤクザがそうであるように不良達も同様だ。

 享楽的で怠惰、その上、頭が悪いときている……だから不良なんだけど。

 よく、ドラマや漫画で、人の良いヤクザや不良が出てくるけど、現実そんな奴は居ない。

 一般常識で言う所の良い奴なら、ヤクザや不良に元々成るはずが無い。

 また、不良に真面目な女の子が憧れるとかのシュチュ。無い、無い……絶対に無い。

 もし居たら、よっぽど世間知らずの馬鹿か、結局は同じ価値観を持つ同類だ。

 現に不良達に群がる女も結局、馬鹿な不良だから。

 ただ、こいつ等と付き合う事は、百合にとっては楽だった。

 気を使わなくても良いから。ただの馬鹿相手に気を使う必要なんて無い。

 親戚の間をたらい回しにされて、他人の顔色を伺って、ご飯のお代わりをする事でさえ気を使って、鉛筆一本でさえ新しい物を買う時は伺いを経てて……

『もう、うんざりだ!』と、百合の心は荒んでいた。

 百合にとって不良達との付き合いは、気楽ものだった……嫌な時はやめれば良い、退屈な時は付き合えば良い……だから、自然と百合は、不良達と居る時間が長くなっていた。

 夏休みに入り、卒業した連中が作っている暴走族達とも百合は交流を持った。 

 その連中は、暴走とは名ばかりで、五月蝿い音を立て、だらだと走るだけだった。

 口では根性とか勇ましい事言っているが、根性の欠片も無い自堕落な享楽主義者だからこんな事やっているのであって、だいたい、雨の日に走っている姿は見た事が無い。

 その連中が今晩走ると言う事で、百合達は集合場所のファミレスで待っていた。

 夜の十時、車の通りも少なくなって来た。

 不良少女達との食事等は、百合は何時もおごって貰っていた。

 両親が死んで親戚の家で世話になっている事を知っている彼女達が、気前良くおごってくれるのを『どうせ、誰かから渇上げして来た金だろう』と、百合は遠慮しなかった。

 気を使わなくて良い、遠慮しなくて良い、ある意味、彼女達といる時間が百合にとって、安らぎの時間だったのかもしれない。

 百合達が食事していると、外から限度を超える爆音が響いて来た。

「百合!いるか!」暴走族の二人が血相を変えて走り込んで来た。

「何?どうかしたの?先輩」一緒に食事をしている一人が声をかけるが、連中は返事もせずに真っ直ぐ百合の所にやって来た。

「百合、早く来てくれ!先輩達が大変なんだ!西校の連中が、奴等が急に喧嘩売って来やがって、人数足りなくて、先輩達、ぼこられて……」一人が焦りながら捲し立てるのを聞いて、

『まったく頭の悪い奴は、人に説明する事も満足に出来ないのかよ』と、百合は、見下した目で見た。

『まぁ、何時もの事だけどね……』と、大体の内容は把握した百合は、

「分った……場所は何処、連れて行って」と、言って立ち上がると、

「おう!後ろに乗れ、一緒に来てくれ!」暴走族の二人は、走ってファミレスを出て行った。

 高校生の喧嘩に、中学一年生の女子を助っ人として頼むのもどうかと思うが、百合はそれだけ強かった。

 今回を入れて四度目と成る助っ人で、暴走族の間では、鬼百合と通名まで付いてしまった事に、百合は少し恥ずかしかった。

 しかし、もっと恥ずかしいのは、彼等のバイクの後ろに乗る事だった。

 馬鹿でかい音で走る彼らのバイクは、センスの無いガラクタを、取って付けたかのゴミだった……元来、改造とは、早く走るためのものだ。

 ハンドルを曲げて狭くして、爆音鳴らして走る彼らのバイクは、そのまんま耕耘機……あっ、失敬……耕耘機さんごめんなさい。

 警察が彼らの事を、ダサイ族とか、珍走族等と命名して、そのネーミングのセンスは別として、暴走族と言う勇ましいイメージを打ち消そうしている気持ちは分かる。

 爆音を轟かせて待っている、奇妙な形をしたバイクに、百合は乗る事を躊躇ったが『しょうがないか……』と諦めて、反り上がった訳の分からないシートに座った。

 百合は爆音を響かせ、車通りの少なくなった県道を走るバイクの後ろに乗りながら『恥ずかしいから、そのパラリラとか鳴るホーンは止めて……』と、願った。 

 一緒に食事をしていた女の子達も、外で待っていた連中に分かれて乗って走っている。

 街中から風景は変わり、郊外の大きな工場の立ち並ぶ所まで来ると、その一角に在る広い廃工場へと百合達は入って行った。

 廃虚と化した工場は、風雪に曝され、剥き出しの鉄骨が錆て一部が倒れている。

 外壁のスレートは使われていた頃の面影は無く、無残に破壊され崩れ、中のホイストには、錆びて固まったチェーンがぶら下がっていた。

 中に入ると其処には、二十台ぐらいのバイクがライトを付けて集まっていて、百合達はその前に並ぶ様に止まった。

 バイクの前に立っている二十人ぐらいの不良達の足元には、五人の男が倒れていた。

 百合はバイクから降り、一人奴らに向かう……『ちょっとかっこいい?』等と思いながら。

「何だ?ガキが……何の用だ?」

 リーダー格らしい男が百合に向かって凄んでいる。が、その、思いっきり剃り込みを入れた髪形に、百合は笑いを堪えるのに必死だった。

 百合が笑いを堪えていると、リーダー格に隣の男が、ぼそぼそと何か耳打ちをしている。

「へぇ……お前が鬼百合か。随分と暴れん坊さんらしいな」

 リーダー格が眉間にしわを寄せ、目を細め、百合を睨んでいる。が、凄んでいるつもりの顔が、既にお笑い芸人の顔にしか見えない百合は、思わず噴出しそうになった。

「東校も情けないもんだな!中坊のメスガキに助っ人頼むなんてな!ははははは」

 確かにそうだと、思いつつも百合は、

「別に、こいつ等、庇う訳じゃないけど……人の事、言えんのかよ。多勢で、やりやがって……恥かしくないのかよ!」と、百合はリーダー格を睨み付けた。

 別に不良同士がどうなろうと知った事では無いが、知っている顔が袋叩きにあったかと思うと、百合はちょっと可哀そうに思え、怒りを感じた。

「何だと……」リーダー格が凄みながら近付いて来る……百合は笑いを堪える。

「良い度胸じゃねぇか……犯すぞ!ごらぁ!ぶっ!……」リーダー格の、決まり切った脅しの文句が終わる前に、百合は瞬時に一歩踏み出し、奴の股間を思いっきり蹴り上げた。

 その、ぐにゅっと足に伝わる感触に、

「やだ、きも!」と、直撃した事を百合は知った。

 リーダ格は股間を押さえ、痙攣しながら白目を向いている……『女の私には良く分からないけど、痛いんだろうな……』と、百合は、周りの連中が真っ青な引きつった顔で、自分の股間を押さえているのを眺めながら思った……痛いと言うより苦しいです……

 因みに女性も股間の恥骨をぶつけると、痛みの種類は違うが息が出来ないぐらい痛い。

「やろう!」

「ぶっ殺す!」

 少し間を置いて、周りの連中が我に返り、(にわ)かに色めき出す。

 連中が手にバットや鉄パイプを持っているのを見て、百合は『やばいかも』と思った。

「しねえぇぇ!」

 前から二人が同時に飛び掛って来た。

 最初にバットを振り下ろして来た奴を、体を捻り躱し、次の奴が鉄パイプを水平に振って来たのをしゃがんで躱して、そのまま足払いをかけ転がす。

 次の瞬間、転がった奴の持っている鉄パイプを、思いっきり飛び上がって踏みつける。

「ぎゃあぁぁぁ!」鉄パイプと床に指を挟まれ、そいつは悲鳴を上げた。

 百合は、そいつが放した鉄パイプを拾い、バットを大きく上段に振りかぶって、後ろから来た奴の腹目掛けて、体を一回転させながら勢いを付けて鉄パイプをフルスイング。

「ぶっ!」もろに鉄パイプは(あばら)の下にヒットする。

 そいつを押し倒そうと、前に押した時、後ろから百合の背中に木刀が振り下ろされ、

「ぐっ!」左の肩甲骨を直撃した。

 背中の痛みに思わずのけぞった所に、正面から鉄パイプが顔面目掛けて振り下ろされる。

 (すんで)の所で頭を横に倒し躱し、鉄パイプで受け、

ガキィィィン!と乾いた金属音が響く。

「ぐっ!」鉄パイプで受けたものの、勢いで相手の鉄パイプが左の鎖骨に入った。

 痛みに耐えて、持っている鉄パイプを捨て、肩に入った鉄パイプを両手で掴み、相手を引き寄せ捻り、バランスを崩した相手の鳩尾に膝を入れると、

「ぐぼっ!」そいつは前のめりに倒れ、地面に転がり嘔吐した。

 百合はその隙に、連中から距離を取る為、後ろに下がる。多勢に無勢、囲まれたら不利だ。

 戦う百合を、一緒に来た連中は見ているだけだった。

 助け様ともしない。

 明らかに不利な状況で、連中は進んで手を出すなんて事はしない……これが逆なら、此処ぞとばかりに、しゃしゃり出て来るのだが。

 元から連中等あてにはしていない百合だが、左肩をやられ、痛みで自由に動かない左手を思うと『どうしよう……今更、ごめんね、なんて無理よね……』と、弱気になっていた。

 その時、廃工場に入って来るヘッドランプの明かりが見えた。

 その車は、勢いを落とさずに真っ直ぐ百合達の方へと突進して来た。

「きゃあぁっ!」

「わあぁっ!」 

 百合達が咄嗟に飛び退いた所に、大型の乗用車が割り込んで入り、タイヤを軋ませ止った。

 百合は『何?警察(ポリ)?』と、思ったが、どうやら違う様だ。

「何だ?ごらあっ!!ぐわっ!」

 凄んで乗用車に近付いた奴を、突然、勢い良く開いたドアが跳ね飛ばす。

 ドアが開き、黒塗りのベンツから、三十代前半のジーンズにTシャツ姿の百八十cmは越えている背の高い男と、五十前のスキンヘッドにサングラスをした、二m近くはある大男が降りて来た。

 大男は、背広を着ていても、はっきりと分かるぐらい筋肉が盛り上がっていた。

 暴走族達は、呆気に取られている。

「神崎百合ちゃんだね……」若い方の男が百合に近付き声をかける。

 百合は突然自分の名前を呼ばれ驚いて『何者なの?』と、阿部寛に良く似た男を見た。

「違うのかい?」何が起きているのか理解出来ずに呆けた顔でいる百合に、若い方が尋ねた。

「……えっ、そうだけど……」と、不審そうに男の顔を覗き込み、百合が答えた。

「そうか、やっぱり!美代ちゃんにそっくりだ!」満面に笑みを浮かべる男に『何でお母さんの名前まで知っているの?』と、百合は更に不審に思った。

「あっ、ごめん……俺は、君の両親の友達なんだよ」

 警戒している百合の顔を見て、若い方が慌てて説明している。

「俺は、鬼追國仁(きおいくにひと)。此方は俺や百合ちゃんの両親の……隊長さん……ってとこかな」

 國人と名乗る男は、百合の警戒を解くために笑顔を浮かべ、隣の大男も紹介した。

「……隊長?……で、何の用?」戸惑いながら尋ねる百合に、

「うん……ちょっとね……」國仁は笑顔を少し曇らせ、頭をかいている。

「おい!おっさん!なにやってんだよ!空気読めよ!此処を見て分かんねぇのか?おい!」

 股間を押さえて悶絶していたリーダー格がやっと回復して、バットを持って二人に凄みながら近づいて行く……が、二人は知らん顔で無視している。

「おい!聞いてんのか!おっさん!」

 無視されているのが気に食わないのか、リーダー格が近付いて、國仁の肩に手を掛けようとした時、何時避けたのか分からないが、リーダー格の手は空振りをして、前のめりにバランスを崩した。

「野郎……」リーダー格は振向き、眉間にしわを寄せ國仁を睨んだ。

「このがきゃぁぁぁ」恥をかかされたリーダー格は怒り、バットを振り上げ國仁目掛け思いっきり振り下ろした。 

 が、それも空振りに終わり、バットは勢い良くコンクリートの床を叩き付けた。

「いってえぇぇぇ!」バットの衝撃が手に伝わり、リーダー格は叫び、バットを手放した。

 百合は驚いていた。國仁がバットを躱した姿が見えなかったから。

「おい、君……失礼だぞ。今、この子と話しているんだから、静かにしてくれないか?」

「何だと……」國仁の言葉に、暴走族達が一斉に、國仁を睨み付ける。

 火に油を注ぐ様な言葉に暴走族達は、手にそれぞれ得物を持って、國仁に近付いて行った。

「ちっ、しょうがねぇな……お子ちゃまは」國仁は、薄笑みを浮かべて暴走族達を見ている。

 そんな國仁を見て百合は『いやぁ、あんたも大人げ無いって』と思った。

 國仁は準備運動をするかの様に、肩を回しながら暴走族達に近付いて行く。

「待て、國仁……要らぬ殺生は無用ぞ」大柄の男が國仁に声をかけ、一歩前に出る。

「殺生だなんて……手加減しますよ」國仁は大男に振向き、呆れた調子で答えた。

「良い……控えておれ」と、言いながら大男は暴走族達に近付いて行く。

 大男にそう言われ、國仁は不満そうに立ち止まった。

 大男は無表情のまま不良達に近付いて行く。

 何か凄い迫力と言うか、隙が無いと言うのか、その大柄な体型から発せられる威圧感に、不良達は得物を持って身構える。

 大男は、不良達の直ぐ前で止まった。百合は何が始まるのかと緊張して見詰める。

「君達、今日はもう遅い……早く帰って寝なさい」

 突然の、その大男の風体からは想像も付かない優しい声に『はぁ?』と思わず百合は口を開いた。

 不良達も暫く状況が理解出来ずに、呆けた顔で大男を見詰めていた。

「なっ……なに言ってんだ、お前……馬鹿か?」リーダー格も訳が分からず戸惑っている。

「分からぬか?お父さん、お母さんが心配しておるぞ」『あっ……あのぅ……』

「若さを持て余す気持ちは分かるが、ご両親に心配を掛けてはいけないな」『もしもし……』

「そもそも、この世に生を受け……」周りの状況を無視して説教を続ける大男に『おいっ!空気読めよ、おっさん!』と、百合は思わず突っ込みたかった。

「……やっ、喧しいワイ、ボケ!痛い目に合いたいのかぁ?」

 大柄なスキンヘッドに始めはびびって居た暴走族達だったが、元々数では自分達の方が有利だと分かっている為、奴らは大きな態度に出だした。

 手に得物を構え、大男を取り囲む。

「しょうがないのう、言って分からぬか」そう言って、大男はずいっと一歩前に出る。

 不良達は警戒して、ザッと下がる。

 大男はバイクの前まで来ると、屈みながら、バイクのスイングアームと三股の所のフロントホークを握る……『何をする気?』と、百合が注目する。

 次の瞬間、大男は軽々とバイクを持ち上げた。

「うそ……あれ、四百ccのバイクよ……百五十kg以上有るのに、あんなに軽々と持ち上げるなんて……ターミネーター?」と、百合は目の前の光景が信じられずに思わず呟いた。

 不良達も信じられない光景に驚き、後ずさりして身構える。

 バイクを頭の上まで持ち上げ、大男は表情一つ変えずに力を入ると、筋肉が背広を破るのかと思われるぐらいに膨らみ、バイク自体が(たわ)む様に曲がった次の瞬間、

バアァキイィィンと、金属の破壊音と共に、バイクのアルミフレームが破断した。

「う・そ、まじ、ターミネーター……」非常識な光景に、百合は開いた口がふさがらない。

 大男の手からバイクが放り投げられ、

グワシャアァンと言う音と共に、無残に壊れたバイクが転がった。

 不良達に声は無かった……皆無言で壊れたバイクを見ている。

 すると、一人が無言のまま、バイクに(またが)りエンジンを掛ける……それをきっかけに、皆一斉にバイクに跨りエンジンを掛け、あっという間に工場から出て行ってしまった。

「見事な、説得……ですね……導厳様……」呆れる様に國仁が言うと、

「全ては、御仏(みほとけ)御心(みこころ)のままに……」導厳と呼ばれた大男は、静かに合掌して頭を下げた。

「さて、邪魔者もいなくなったし、ゆっくり話そうか」

 國仁が、百合に微笑みながら話し掛けて来た。

「……両親の事?」百合はまだ不審そうに國仁を見ている。

「それと、君の事とね」國仁は百合の様子に構わず、にこやかに話ている。

「どうだろう……此処じゃ何だし……飯でも食いに行かないか?」

「えっ?」

「どうだい、乗らないか?」國仁はベンツの方を顎で指した。

 國仁に誘われた百合だが、突然の事に躊躇した。 

 一度、強姦されかかった事がトラウマになって、男性には警戒心が強い。

 國仁達が、自分みたいな子供を相手にするとは思えないが『近頃、変な奴が多いからねぇ……こいつ等がロリコンじゃ無い証拠も無い』と、國仁に不信感溢れる目を向けていると、

「おい……なんか、変な事考えて無いか?」國仁が、百合を疑う様な目で見ている。

「えっ!いえっ、別に……」心を見透かされ慌てた百合は『感が良いなこいつ』と思った。

「國仁、お前には威厳が足らぬ……だから警戒される」

『いや、あんたもですから……十分、警戒してますから』と、百合は導厳を横目で睨んだ。

「そんなぁ……」國仁は導厳の言葉にふて腐れたが、百合の方に向き直り、

「どうすれば……えぇと、百合ちゃんのお母さんの名前は美代で、お父さんの名前は俊幸で……えぇぇと、どうすれば信用してくれるのかなぁ」と、困り果て顔で國仁は考えている。

 百合は、背の高い國仁が情け無いほど困った顔をしているのを見て『なんか可愛い……』と思い、一生懸命証明しようとしている國仁を、悪い人では無さそうだと思えて来た。

 考えて見れば、二人は相当強い。

 当然、百合よりも。そして『もし、私に危害を加える事が目的なら、こんな回りくどい方法は必要無いはず』と、百合は結論付けた。

「分かった……一緒に行くよ」両親の事も気になり、百合は度胸を決めた。

「よかったあぁ、せっかく見つけたのに、何も話し出来なかったら、あいつに申し訳無くて」

「えっ?」と、笑顔を振り撒き話す國仁の言葉が、良く理解出来ずに百合は聞きなおした。

「ささっ、乗って」國仁は百合の様子を、(わざ)と無視してベンツの後ろのドアを開けた。

 百合が車の中を見ると、後ろの座席には既に女性が一人座っていた。

 微笑みながら軽く会釈する女性は、三十歳位で、長くて美しい真っ白な髪の毛に、上品な顔立ちの美人だったが、『この人も(・・・・)普通じゃない』と、百合は違和感を覚えた。

「待って!百合ちゃん!」と、同級生の不良少女達が、百合に駆け寄って来た。

 まだ居たのかと、迷惑そうに眺める百合に、

「待ってよ!百合ちゃん!駄目だったら!」と、少女達が百合を掴んで引っ張る。

「そうよ!私達、不良だけど……」私達と言う言葉に『一緒にするな!』と、百合は睨む。

「売りと、薬はしないって、約束したじゃない!」

「えっ?ばっ、馬鹿!何言ってるのよ!」売りと言う言葉に、百合は驚き顔を赤くした。

 何処でどう勘違いしたのか、不良少女達は、百合と二人の男との間に商談が成立したものと勘違いしているらしい。

「百合ちゃん、お父さんもお母さんも居ないの知ってるけど……」

「そうだよ、そんなの駄目だよ!」

「体は大事にしなきゃ……」と、更に強く少女達が百合を引っ張る。

「な、何言ってんの、は、恥ずかしいじゃないの!馬鹿な事言わないでよ!売りだなんて!」

「えっ?」百合の言葉に少女達が手を緩めた。

「そんなんじゃないわよ!……この人達、私の死んだ両親の知り合いなの」

 その様子を、声を殺して笑って見ている二人の方を見ながら、百合は顔を赤くした。

「大丈夫よ、心配しないで……皆、先に帰って……」百合は微笑みながら三人に言うと、

「う、うん……」三人は百合の顔を見て、安心した様に頷いた。

 百合が車に乗り込みその場を去るまで、少女達が百合を見送る姿を見て、

『あの子達……そうか、私、少し誤解してたかな』百合は、はにかむ様に笑みを浮かべた。

 

 真夜中、ベンツで県道を国道に向かって走っている。

「怪我はしていませんか?」隣に座っている美女が百合に声をかけた。

「えっ?……うん……」肩がまだ痛むが、言うほどの事ではないと百合は思った。

 大会社の社長秘書と言う感じの、上品で知的な雰囲気の美女が百合を気遣っている。

 しかし、百合には、その美女を言葉を選ばず表現すると、人間では無いと言う印象だった。

「大丈夫だろ。あんな程度なら、なっ、百合ちゃん」國仁が軽い調子で声をかけて来た。

「え、えぇ……まぁ……」百合は、その雰囲気に『痛いんですけど』とは言えなかった。

「主、貴方は何時もそう……無神経な。女の子なのですよ」と、美女が國仁を諌めると、

「あっ、そうか……すまん」と、國仁は素直に謝った。

 百合はその会話に『主って何?奥さんじゃないわよね』と、疑問に思った。

 ベンツは国道に入り暫く走って、ちょっと高級そうな深夜営業のステーキハウスに入って行った。

「貴様……嫌味か……」車の中で導厳が邦博を睨み付ける。

「何、言ってんすか。そんな、百合ちゃんのためでしょ。他意はありませんよ」

「ふん……大体、國仁はだな……」

 ベンツから降りる時、二人が揉める様に言い合いしている姿を見て、美女はくすくすと笑っている。

「あの……」百合は揉めている二人の様子が心配になり、美女の顔を覗き込む。

「大丈夫ですよ。何時もの事ですから……さっ、此方へ……」

「はあ……」

 美女は優しく微笑みながら、百合をエスコートした。


『いやぁ……世の中、こんな美味い物があるなんて……初めて知ったよ。霜降り黒毛和牛のサーロインステーキ三百グラム……満腹だ……』と、百合は恍惚とした笑顔を浮かべている。

「美味かったか?」微笑みながら尋ねる國仁に、

「はい!」百合は元気良く返事した。

『美味い物に理屈はいらねぇ……こう言うの、幸せって言うんだね……』と百合が幸福感に浸っていたが、室内ではサングラスを外している導厳がステーキを頼まずに、ラスクとコーンスープだけを食べている事に『お腹減ってなかったのかな?』と、疑問に思った。

 隣に座って居る美女がコーヒーを頼んでいる。彼女はナイフとフォークが始めての百合に、使い方を優しく丁寧に教えた。

 百合はそんな彼女を見て『優しくて、素敵な人……』と、頬を赤く染めた。

 まあ、美味い物を食べさせて貰うと、人間警戒心が緩むもので、今迄警戒していた百合も、國仁達がとても良い人達に見えて来た。

「さて……何から話そうか……そうだ、その前に一つだけ約束して欲しいんだけど」

「えっ、何?」突然の國仁の言葉に、幸福感に浸っていた百合は、慌てて國仁の方を向いた。

 國仁は真剣な目で百合を見ている。

「これから話す事は直ぐには理解出来ないと思う……だけど、決して嘘を言ったり大げさに表現したりはしていないから、素直に受け入れて欲しい」

「はぁ……」百合には國仁の言葉が、理解しきれなかった。

「まずは、俺達の事を説明するよ……君の両親も含めての事だ」

「はぁ……」百合は不安を隠せず、頼り無く返事をした。

 それから、國仁は淡々とした口調で、百合が今まで想像もしなかった事を話た。

「俺達は瑾斂宗って言う修験道の一派に属しているんだ」

「修験道?」何だそれはと、百合が眉を顰める。

「ううん、そうだな……修験道と言うのは、簡単に言うと、元々日本にあった、産砂神や山への信仰と、仏教が合わさった宗教で、つまり、仏の教えを守り、神様を敬うって辺りかな……ほら、山伏って知ってるだろ。あれだよ」

「それは、知ってるけど……」山伏の姿はテレビの時代劇では見た事はあるが、それが何をしている人なのかまでは百合は知らなかった。

「瑾斂宗の歴史は古くて、開祖は役の小角って人なんだよ」

「じゃ……おじさん、何かの宗教?」百合は怪しい物を見る目で國人を睨んだ。

「まぁ、此方は本職だけど……」と、導厳を見て言うと、

「俺達は、所属しているけど、僧侶でも信者でも無い。言って見れば……傭兵かな?」と、怪しむ百合の目を見て、仕方ないかと、諦めた表情で説明した。

「宗教と傭兵?」百合は、説明する國人の言葉が良く理解出来なかった。

「まぁ、俺達は其処で、何て言うのかな、この世の善悪のバランスって言う奴を保とうとしている、導厳さん達の手伝いをしているんだよ」考えながら、話している國人の言葉を聞いて、

「善悪のバランス?」と、抽象的な表現に益々分からなくなった。

「そう、バランスだ。分かりやすく言えば、一つの事でも、ある人にとっては善、でも、ある人にとっては悪って感じで見方が変わるだろ。世の中って、そんな関係の上に成り立っているんだよ」

「……」美貴は相変わらず首を捻っている。

「大切なのは、そのバランスを保つ事。仏教の教えにあるんだけど、この世の物は、不完全な存在なんだ……不完全だから、変化する……つまり、さまざまな要因が絡み合って、変化し続けるんだよ」

「でも、バランスを保つって……どうやってるの?」

「気の流れって、知ってるか?風水とか聞いた事無い?」

「あ、聞いた事在るけど……」『わかんない……』と、百合は再び首を傾げる。

「詳しくは風水の気とは違うんだけど、気の流れって、陰陽五行の思想にある……ほら、水・空・土・木・火等の特性ってやつ。そう言った、様々な要素が組み合わさって変化して、力を打ち消したり、相乗したりして気の流れと言うものは存在しているんだ。だけど、それは都合の悪い変化をする時があって、そんな時に、瑾斂宗の僧侶達は、気の流れを変えたり、止めたりして制御しているんだ」

「……」百合は、淡々と話す邦博の話を黙って聞いている。

「でも、制御するって言ったって“人にとって”と、言う意味だけでは駄目なんだ。この世は人だけが存在しているんじゃ無いからね。だから瑾斂宗の僧侶達は、気の流れの全体を広く見て、監視し調整しているだ。そして俺達は、お役目って呼ばれていて、それをお手伝いしているんだよ」

「ふうぅん……」國人の、御伽噺か出鱈目か分からない話に、百合は段々飽きて来て、頬杖を突きながら適当に聞いている。

「まあ、一度に言っても、理解も信用もして貰えるとは思わないけど……」國人は、百合の態度を、再び仕方ないかと思いながら眺め、

(あおい)、見せてやんな」と、百合の隣に座っている美女に向って言った。

「はい……」國仁に言われ、葵と呼ばれた美女がブラウスの袖をまくっている。

 葵が袖をまくった腕を百合に見せた……色白で綺麗な腕だった。が、 

「!……何!……これ?……」その想像を超えた現象に、退屈そうにしていた百合は、急に驚き思わず立ち上がった。

 葵の腕は見る見る内に、白い鱗に覆われて行った。

「彼女は……葵は(みずち)の化身なんだ……」怯える百合を、國仁は頬杖を突いて見上げている。

「……み、蛟?……」百合は恐怖のあまり、葵の腕を見たまま体が動かない。

「蛟って……そうだな、手足のある蛇って辺りかな……怖いか?あやかしが」

 國仁の質問に恐怖で引きつっている百合は、辛うじて頷く事が出来た。

「そうか……怖いと言う事は……さっきの話し信じてくれた?」

「えっ?」やっと金縛りが解けたかの様に、百合は國仁の方を向いた。

「葵の鱗が、それがトリックなんかじゃない事は分かるね?さっきの話しも、全て事実だよ」

 百合は國仁の話が理解出来ていないのに、更にこんな現実を突き付けられ戸惑っている。

「葵は俺のパートナーだ、怖がらなくても良いよ……」國仁は笑みを浮かべ葵を見ている。

「別に怪しい宗教に誘っている訳じゃ無い……素直に目の前の物を、自分で見た物を、受け入れてくれれば良い……」國仁は、再び百合の方へと向いた。

「でっ、でも……それと、両親と、どう関係あるのよ?」

「俺も、君の両親も……」と、其処まで言うと、國人は躊躇う様に溜息を付いて黙り、

「……鬼の血を持つ者なんだよ……そして君もね……」と、再び静かに言った。

「えっ……」百合は〝鬼〟と言う言葉に驚き、大きな眼を更に大きく見開いた。

「怖がる事は無いよ、君は人間だ……その事に変わりない。ただ、普通の人より身体能力が優れていたり、感が良かったり……分かるだろ、高校生の男子相手に喧嘩していた君なら」

「それは、分かるけど……鬼の血って……」狼狽ながら、百合が尋ねると、

「遺伝みたいなもんだよ……元々、開祖の役の行者に仕えていた“前鬼、後鬼”が先祖だって言われて居るんだけど……但し、その力は必ずしも親から子へと受け継がれるものじゃない……血筋そのものは受け継いでも、鬼の力が発現するとは限らない。隔世遺伝みたいな例もあるんだけど……」國人は、悲しそうな表情で淡々と説明している。

「…………」百合は怖かった。自分がまるで普通の人間では無いと宣言されている様に思え、その不安と恐怖から百合の思考は混乱していた。

「そして、鬼の血筋の者は、あやかしを憑けて、その力を借りているんだけど……」

「あっ、あのっ!だから……だから、私が……私が何だと言うのよ!」

 百合は、自分に襲ってくる漠然とした恐怖と不安で、思わず國仁の言葉を遮った。

「……さっきも言ったろ……怖がらなくて良いって……」國仁は、悲しそうな顔で俯いた。

 國仁には、百合の気持ちが分かっていた。

 そして、多感な時期の少女に、人外宣言をしている様な自分が、いかに残酷であるかも分かっていた。

「分かった、すまない。俺自身、どう説明したら良いか分からないで居るんだよ……ごめん……だから、直接本題に入る。君の両親は化物に殺された」

「えっ?……」思いも寄らぬ國仁の言葉に百合は、直ぐにその意味が理解出来なかった。

「十一年前、化物と大きな戦争があってね……その時、君の両親は化物との戦いで殺された」

「ちょっ、ちょっと待ってよ!殺されたなんて、そんな……両親は交通事故で死んだって……」次々に聞かされる常識外れの言葉に、百合は混乱して戸惑っている。

「違う、化物との戦いで死んだんだ」困惑する百合に、冷徹なまでも冷静に國仁は答えた。

「それって……それって、私も戦って仇を取れって事なの?……」

「違う!そうじゃ無い!そうじゃ無いんだ……」國仁が顔を上げて叫ぶ。

「で、でも!」百合は、困惑しながら立ち上がり言い返すと、國仁は突然立ち上がり、

「誰が、親友の娘を好き好んで、こんな危ない事に引き摺り込むかよ!」と、テーブルを強く叩いて叫んだ。

 深夜でがらんとした店内に、國仁の声が響き渡り、百合達の他に居る三組の客も驚いて此方を見ている。國仁は、テーブルの上に拳を握り締めて俯いてしまった。

「主……」

 葵が心配そうに声をかけると、國仁は悲しそうな顔で百合を見ながら、静かに席に着いた。

「百合ちゃんが、普通に暮らしているのなら、俺は此処には来なかったよ……」

「普通に……」國仁が座るのを見て百合も席に座った。

「そうさ……普通に……幸せに暮らしていてくれたら、俺は君とは会わなかったよ」

「……」普通。それは今の百合には当てはまらない言葉。

「なぁ、君は、何をしてるんだよ……今、何してんだよ……中学生の女の子がこんな夜中に、不良達と喧嘩して……」

「……」國仁の質問に百合は言葉が出なかった。

「お前は、それで良いと思ってんのか!」

「!」國仁の突然の怒鳴り声に百合は、ビクッと体を震わせた。

「君の両親が死んだ時、色々と忙しくて、葬式には出られなくて……暫くして訪ねたら、君は既に親戚の人に引き取られていて、幸せに過ごしているものとばかり思っていた。だけど、どうだ……今の君は、それで良いのか?……そんな生活していて、それで良いのか? 君がそのままじゃ、君の両親に申し訳なくて……」國仁の目には、後悔と悲しみが滲んでいた。

「そんな……だからって、私にどうしろって言うのよ!どうする事も出来ないわよ!」

 そんな事は、今迄に散々悩んだと言わんばかりに百合は怒鳴った。

「そんな事は無い!どうする事も出来ない何て、諦めてどうすんだ!自分で変えようとはしないのか!」怒鳴る百合の顔を見ながら國仁も怒鳴り返す。

「ほっといてよ!そんな事!だって無理よ!変えようと思っても、何が出ると言うのよ!子供の私に!」

 今のままで良い筈が無い事ぐらい、百合には分かっていた。

 分かってはいたが、嫌でも親戚の世話に成らなければ生活出来ない中学生の自分には、どうする事も出来ないと諦めていた。

「親戚連中から疎まれて、邪魔者扱いされて、それで屑みたいな連中と付き合って……」

 それなりに、世話になっている親戚のご機嫌を取って、上手くやって行くのも一つの方法ではあるが、多感なこの時期に、自分は邪魔者だ、余計な者だと、愛されていない事を肌で感じた百合は、心を閉ざし人間不信に陥っていた。

「何よ!何も知らないで、あんたなんかに文句を言われる筋合いは無いわよ!……それとも何よ!あんたが私を引き取って、正しく育てるってとでも言うの!」

「そうだよ!そうしたいんだよ!」國仁が苛立つ様に怒鳴ると、

「げっ!やっぱりロリコン!」百合は思わず口走ってしまった。

「あほおぉぉ!俺はノーマルじゃ!」國仁は再び立ち上がり絶叫してしまった。 

 再び周囲が注目する中、会話の内容が内容だけに、二人は赤面して黙ってしまった。

「……ほんとに……俺にはちゃんと奥さんも居るし子供も居る。君を引き取りたいから、君の両親の事や君の事も話したんだよ……あのね、百合ちゃんのお母さん、美代ちゃんは俺の従姉弟(いとこ)なんだよ……」國仁は再び席に着き、静かに話し出した。

「えっ?」初めて聞く事に百合は驚いている。

「俺の母さんが、神島から(とつ)いでいるんだよ……」

 神島(かみじま)……百合の母親の旧姓……

「百合ちゃんは、神崎の親戚達に引き取られたから、知らないと思うけど……」

 静かに話す國仁の顔は、何処か寂しそうだった。

「俺ね、姉ちゃんに……美代ちゃんに、返し切れない恩があるんだよ……」

「…………」百合は國仁の話を黙って聞いている。

「だからって訳じゃ無いんだよ。今の百合ちゃんを見ていると、何とかしなきゃって。何も出来ないかも知れないけど、何の力にもなってやれないかも知れないけど……何とかしなきゃって……それで、俺……」

「でも、その話し、奥さんも知ってるの?私を引き取るなんて……迷惑なだけじゃない?」

「そんな風に言うなよ……迷惑だなんて……一美……嫁さんも、皆、親友だったんだよ……だから、嫁さんも百合ちゃんが来る事を喜んでいるよ……だから……」

「でも……あんたが私を引き取ったからって、何が変わると言うのよ?」

「それは……」

 喜んで迎えるなんて、百合の今までの経験には無かった。何時も疎まれ、邪魔者にされた。

「そんな事言っても、どうせ何処も同じよ。結局は邪魔者にされる……何も変わらないわ。変わるはずなんて無い……」百合は、國仁の言葉を信じる事が出来なかった。

「百合よ、お前は何者だ」今迄二人を黙って見ていた導厳が、突然百合に話しかけて来た。

「えっ?」百合は驚く様に、導厳の方を向いた。

「何処から来て、何処へ向かうのだ?」サングラスを外しても尚、厳つい導厳は、その風体とは不釣合いな優しい声で、百合に話しかけている。

「あっ、あのぅ……」導厳の言葉に『宗教の勧誘ならお断りですけど』と、思う百合だった。

「己に迷い、己が見えず、このまま怠惰に過ごすのか?」

「!……」導厳の言葉が百合の心に突き刺さった。 

 このまま、怠惰に……そんな事は嫌だと思っても、どうしようも無い事だと諦めている自分が居る。しかし百合はそんな自分が嫌だった。

 そして、そのジレンマに苦しんでいた。

「己を知り、己を探して見てはどうかな?」

「はぁ?……それってどう言う意味?」百合は導厳を、思いっきり胡散臭そうに見た。

「生きると言う事の、本当の意味を知らない者は、不幸じゃ。それは、人の苦しみ、人の悩みとなる。つまり、この世の(ことわり)を知らぬ事、己の事、己の成す事、己の出来る事を知らぬ事……それ、すなわち〝無明〟なり……」

「なによ……宗教臭いの、やめてよね……」と、百合は面倒臭そうにそっぽを向いた。

「知らぬのに、探ろうともせんのは、愚だとは思わぬか?」

「でも、何をすれば……どうすれば良いのよ、子供の私なんかに何が出来ると言うのよ」

「分からぬか……求めれば良いだけじゃ……」

「求めろって、そんなの、誰も構ってくれないのに、愛してなんかくれないのに……邪魔者扱いされているのよ!何を求めろって言うのよ!」

「そう言って心を閉ざし周りを見ようとせず、己の事は棚に上げて周りを不服とばかりに思う……そんな今のお前では、己を知る事など出来ぬな」

「はっ!そうよ、悪い?……親戚(あいつら)、私の事なんて……親戚(あいつら)にとって私は邪魔なのよ!嫌われ者が拗ねて何が悪いの!結局、自分を変えるなんて無理なのよ!」

「……でも、変えたいと思っている……」

「!……」百合の心を見透した導厳の言葉は、百合の心を(えぐ)った。

 下らない自分がゴミ溜めで拗ねている。抜け出したい、変わりたいと心の底では願いながらも、だらだらと今の環境に身を任せている。

「ならば、甘えるな。良いか、誰も変えてはくれぬぞ……己が変わらねば。殻に篭り、己を知らぬまま暗闇の中で苦しみ、もがき、傷付くのも人生じゃが……」

「……」諦めた自分が、変わりたいと願う自分を縛り付けもがく。

「変えたいと思う心があるならば、始めれば良い」

「始める?……」

「諦めた今のお前は、もう終われば()い。此処で終わった。それで良い。何時までも苦しむ事は無い。楽になれ。そして、一から始めてみよ。國仁の元で新たに始めてみよ」

 終われば良い。腐った生活を変えられないと諦めている自分は、此処で終われば良い……

 そんな導厳の言葉に、百合は心に重く伸し掛かっていた物が、少し軽くなった気がしたが、終わったからと言って、自分を変えるために新しく始めるなんて事が出来るのかと思うと、不安から恐れが生まれ、百合を臆病にさせた……『信じても良いの?……』と……

「俺は、百合ちゃんを変えられるなんて自惚れてなんか居ない……だけど、変わって欲しい。変わって欲しいと思うから、俺は何かを見せられるとは思う。だから、それを見て考えて欲しい……変える為に自分は何をすべきなのかを……だから、引き取りたいんだよ。百合ちゃんを、このままにして置きたくないんだよ」國仁が身を乗り出し、百合を真剣な目で見詰めて説得している。

 百合はそんな國仁の目を見て、今まで自分の事を、こんなにも真剣に思ってくれた人がいただろうかと考えていた。

「今日会ったばかりの我らを、直ぐに信じろとは言わん。変われるとも断言はせん……だがな、少なくとも、変わりたいと願う百合の心には、答えてやる事が出来る……その中で、己を知れば良い。お前自信が、進むべき道を……光を見つければ良い」

『その言葉を信じたい……私の願いに答えてくれると言うのなら信じたい』

 そんな気持ちが込み上げて来て、何時しか百合の目には涙が滲んで来た。

「変われますか?」そう言って導厳を見詰める百合の目に、薄っすらと涙が浮かんでいた。

「百合が望めばな……」導厳は目を閉じ、静かに頷いた。

「私が望めば……」

 寂しかった、悲しかった、苦しかった、今までの自分。此処から抜け出したいと願う。

 全てを否定して、全てを破壊して、殻に閉じこもった自分。もう止めたいと願う。

 誰も頼れず、誰も信用出来ず、傷付いて、悲しんで、心が疲れ果てた自分。助けて……

 助けて、助けて、助けて、助けて……そう願う気持ちが、臆病になっていた自分を乗り越え、

「変わりたいです……」と、涙で霞む目で導厳を見ながら百合が答えた。

 その涙は、百合が今迄経験した事の無い涙だった。

 悔しい思い、惨めな思い、悲しい思い、そんな時に流した涙とは違っていた。

 今までの百合の中に、どろどろとこびり付いていた物が出て行く様な、涙と一緒に嫌な物が出て行く様な。『嫌じゃ無い、この涙……』と、百合は思っていた。

 百合の返事を聞いて、二人は安堵の表情を浮かべ、優しく微笑んでいる。

 葵が、そっと百合の肩を抱き寄せ、ハンカチで百合の溢れる涙を拭いている。

 百合は生まれて初めて、信頼出来る人に出合った気がした。

 

 バスの座席は、駅に着く頃には満席と成っていて、スーツ姿のサラリーマンが四人ほど立っている。

 バスは駅のロータリーを半周回って停留所に止まり、百合達はバスを降りた。

 駅前には、ファーストフードの店や牛丼のチェーン店等が軒を並べている。

 夕食時と言う事もあり、空腹を感じていた百合は、立ち並ぶ飲食店を眺めながら、此処で食べて行こうか、どうしようかと迷っていた。

 何故迷っているかと言うと、乗る予定の快速の発車時刻が迫っていた為、ゆっくりと食べている時間が無い事が分かっていたからだ。この快速を逃すと、後の私鉄との連絡が悪い。

 仕方なく、百合は住んでいるアパートの近くの、何時もの定食屋で食事する事に決めた。

「主ぃ……きつねうどんはぁ?」甘える様に粉雪が、百合の袖を引っ張りながら声をかけた。

「何言ってんのよ、電車に遅れたら、後が大変なんだから……それより雪ちゃんは食べなくても大丈夫でしょ!」百合は迷惑そうに、掴まれた袖を振り払う。

「それと、これとは別よ……ねっ、お玉さん!」粉雪が、姿を消している玉江に声を掛ける。

「……」聞こえているはずの玉江からの返事が無い。

「おや?お玉さん、いらないのぉ、きつねうどん……」袖を振りながら粉雪が聞きなおすと、

「……いや……そう言う訳では、無いのだが……」玉江は躊躇う様な曖昧な返事をした。

「何なの……この、俗物……」と、二人の会話を白けた気分で百合は聞いていた。

「とにかく、帰ってから!」と、百合は、ぶっきら棒に言い放ち、振向き改札へと向かうと、

「あいよ」と、粉雪がニコニコしながら百合の後を追い、

「承知」との、玉江の明るい声の返事を聞いて、

『まったく……こいつらと来たら、とんだ扶養家族だ……』と、百合は思っていた。

 世間的に、狐の好物が油揚げであると知られているが(そうか?)御多分に漏れず、この二人も油揚げには目が無い。

 通常、食事など取る必要の無い二人だが、きつねうどんや、稲荷寿司となると別物らしい。

 但し、プライドにかけて、〝たぬき〟は食べたくないそうだ……関西では、きつねそばをたぬきって言うんです。

 夕方の六時、百合は()いている登りの快速電車に乗る……下りは、人でいっぱいだ。

 百合は(ささ)やかな優越感に浸っていた。

 五月になり、遅くなって来た日暮れの風景を見ながら、又、昔の事を思い出す……

 『鬼追のおじさんに、救って貰った』今でも百合はそう思っている。

 ステーキハウスで会ってから、國仁は直ぐに、瑾斂宗の弁護士二人を連れて、夫婦二人で、当時百合が世話になっていた親戚に出向き、百合を引き取る事を伝えた。

 話は、直ぐに着いた……親戚も、厄介払い出来て嬉しそうだった。

 その時初めて会った、丸顔に丸い眼鏡を掛けた一美を見て、けっして美人では無いが、親しみ易い可愛い雰囲気に百合は安心した。

 九月と言う中途半端な時期ではあったが、鬼追夫婦は百合の転校手続きをした。

 余談だが、百合が転校する際、不良少女達にその事を告げると、少女達は大泣きして、歳に似合わない化粧を土砂崩れにしながら、百合の新しい門出を祝福してくれた。

 そして、山に囲まれた小さな集落に在る鬼追家で、百合の、ど田舎ライフは始まった。

 鬼追家にはもう一人、鬼追夫婦の子供で百合より二つ年下の信仁が居た。

 百合の生活は一変した。

 「おっハッよおぅ!」と、いったい何時から起きていたんだ?と思わせる、朝からハイテンションな一美に起こされ、寝癖頭の國仁と眠そうに目をこする信仁と共に、皆で一緒に朝食をとり、百合は通学途中にある信仁の通う全校生徒八十人位の小学校まで、村に一箇所しか無い信号に毎朝立って居る駐在さんの目を掻い潜り、自転車で二人乗り(こらこら)して行き、更に、百合は其処から一km離れた、原付バイクならエンジンを唸らせ、煙を吐いて登る様な坂道を登りきった先にある、全校生徒百人弱の中学校に通う……一学年一クラスの中学校だ。

 そんな、普通の生活が……そう、普通の中学一年生の女の子の生活が始まった。

 この普通の生活が、百合にとってどれだけ新鮮だったか……百合は毎日が楽しかった。

 そして、自分を本当の家族として受け入れてくれた鬼追家での生活が、自分を変えられると確信出来き、百合の心を閉ざしていた物は自然と溶けて行った。

 鬼追家の子供の信仁は、百合にとって弟の様な存在となり、信仁も始めは恥かしがっていたが、次第に百合の事を姉の様に慕って来た。

 小学五年生の信仁はいたずら盛りの年頃で、何かいたずらがばれると、元々気の強い百合に怒鳴られて泣いていた。

 そんな、すぐに泣く根性無しの、何れは美少年へと成長するであろう片鱗を見せる信仁の事が、百合には頼り無くも思え、又、可愛くも思えた。

 母親代わりの一美は、女の子が出来たとはしゃぎ、百合を着せ替え人形と勘違いしているのかと言いたくなるぐらいに、自分で縫ったりした服で、百合を着せ変え喜んでいた。が、それは将来、あまり役立たなかったみたいだ。

 一美の作る手料理は、百合にとってご馳走だった。

 毎日朝早くから楽しそうに百合のお弁当を作る一美の姿を見て、大嫌いなニンジンも残さずに食べようと決意した。

 國仁には、気の使い方と剣術の稽古を付けて貰っていた。

 國仁は、好きにすれば良いと言って居たが、百合の心は初めから決まっていた。

 親から貰った命。自分は何が出来るのか、自分は何をすべきなのか。

 導厳に言われた己を知ると言う事。自分の生きる意味を、早く知りたかった。

 その為の手段として……今、目の前に見えている、お役目に成る事が目標だった。

 中学三年生に成ると、平均的な女子と比べて遅い第二次性徴期に入り、百合の鬼の血が発現しだし、気の力を使える様になって来た。

 結構、真剣に修練を積んで、年齢の割には早い百合の習熟度に、國仁も驚いていた。

 そして、中学卒業が近付き、ひと悶着あった。

 百合は、早く答えを見つけたくて、高校には行かないで、お役目に成る事を決意していた。

 目覚しく成長した百合の力は、お役目として十分通用したが、國仁は大反対した。

 それでも、お役目に成りたいと言い張る百合を、怒鳴り、殴り、〝高校に行け!〟と叱り付けた。

 それは、何時か来る日だと、覚悟をしていた國仁だったが、親友の娘を、預かった大切な娘を、危険な道に引き込んだ事を後悔し、せめて高校卒業まで待って欲しいと願っていた。

 それでも百合の心は変わらず、大目付の導厳にも相談し、最後は國仁も折れ、百合はお役目に就く事になった。

 アパートの最寄の駅に着いて、帰り道の商店街にある、何時もの定食屋で、三人はきつねうどんを食べている。霊体の玉江は実体化して、スーツ姿になっている。

 幸せそうな顔で、お揚げを食べている二人を見て、百合は二人と出会って、まだ一年たっていないんだと、思い返していた。

 百合は去年中学校を卒業してから、國仁にお金を借りて、半年間、修練を兼ねた旅に出た。

 その時に二人に出会った。

 元々、自由奔放で享楽的、それでいて神通高大なあやかしに、所詮は人である百合達、お役目を〝主〟と呼ばせるには〝縛り〟と言う契約が必要だ……あやかしにメリット無いもんね。

 縛りに至る経緯は、決闘、騙し討ち、泣き落としと様々だ。

 しかし、百合の場合は、ラッキーとしか言い様が無いと言うか、玉江は知り合って暫くして〝御主の心を見定めたい〟と言って、縛りを受け入れた。

 粉雪は、玉江と出会って旅から帰る途中、百合の前に突然現れ、居着いている内に〝あんたの事が気に入ったよ〟と言って縛りを受け入れた。

 ラッキーとも言える流れで、二人もあやかしを憑けている初心者の百合は、お役目の間では有名人だった。

 旅から帰った百合は、お役目の見習いをしながら、自活して行こうと、アパートを借りて鬼追家を出た。

 國仁達は、何時までも居て良いのにと言ってはくれたが、百合は、何時までも迷惑をかける訳にはいかないと思った。とは言っても、まだ未成年の百合は、何かに付けて鬼追家に世話にならなくてはならないため、しょっちゅう行き来している。

 駅から十五分程歩くと、百合が住んでいる二棟八世帯の鉄骨二階建てのアパートに着いた。

 一週間ぶりに帰った、六畳二間の安アパートで百合は、ほっと安らいだ。

 取りあえず、コーヒーを入れ、リュックいっぱいの洗濯物を放り出し、シャワーを浴びる。

 新しい下着に着替え、コーヒーを飲みながら、長い髪の毛をドライヤーで適当に乾かす。

 まだ、洗濯も領収書の整理もあったが、睡眠を優先させて、百合はベッドに入った。

 暫くして『……あぅっ!何?』と、ベッドの中で、足元がぞわぞわっとした。 慌てて掛け布団を捲ると、粉雪が百合の太股から股間へと、手を這わして来るのが見えた。

「やっ、止めてよ!何してるのよ!」百合は叫びながら布団を跳ね飛ばす。

 怯えた様な顔で慌てて起き上がろうとする、パステルピンクのショーツに白のキャミソール姿の百合を、押し倒す様に全裸で伸し掛かって来る粉雪の目は、正に得物を狙う獣の様に光り、妖艶な容姿には不釣合いな長い舌で唇を舐めている。

「もう主ったら、久しぶりじゃないの……」粉雪は、再び百合の股間へと手を伸ばす。

「何が久しぶりよ!受け入れた覚えは無いわよ!」百合は粉雪の手を払い除けようとする。

「もう……つれないんだから……」と言いながら粉雪は、強引に百合に唇を重ねて来た。

 粉雪の指が百合の股間で微妙な動きをし、押し付けられた唇と、粉雪の巨乳の暖かさと柔らかさが伝わって来て、

「あふっ……うっ……」百合の体が官能的な痺れに包まれた時、

「やめんかあぁぁぁ!」と、百合は粉雪の攻撃を、辛うじて理性で撥ね退けた。

 百合に跳ね飛ばされ、全裸で床に転がる粉雪を見ながら、

「危ない所だった……」と、肩で息をしながら百合は呟いた。

「もう!疲れてんだから、余計な事しないでよ!」百合は下着を調えながら粉雪を怒鳴った。

「あらぁ……スキンシップよスキンシップ……」粉雪が、ベッドの下で平然と言っている。

「度が過ぎる……何時も何時も……どういう神経してるのよ、エロ狐!」

「じゃぁ、主。添寝だけ、ねっ、添寝だけ……」粉雪がベッドに潜り込もうとして来る。

「結構です!」それだけで済む訳無い事が分かっている百合は、掛け布団を捲りベッドに入ろうとする粉雪の顔を手で押しのけ拒否した。

「あうっ……もう、つれないんだから……」

 しなを作って座り、色っぽい目で百合を見ている粉雪を無視して、百合は防御の為に、掛け布団で体を巻き身を丸めて横になる。

 粉雪は諦めたのか、何時ものソファーに寝転がった。

「ちょっと、雪ちゃん!下着ぐらい着なさいよ!」百合は顔だけ起こし粉雪を怒鳴り付ける。

「あら、私、妖狐だから良いのよ、おやすみ」そう言って粉雪はソファーの上で体を丸める。

 都合の良い時だけ妖狐を主張する粉雪に、百合は呆れて眠りに入った。

 そして、玉江は姿を消したまま、何時もの見て見ない振りを決めていた。

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