お役目
微エロ無いです(^^)>
○お役目○
山に囲まれた曲がりくねった県道を走るバスに揺られて、終点から二つ手前のバス停に付いた。
バスから降りた百合と粉雪は、県道から林の中へと続く細い林道へと入って行った。
粉雪は、耳と尻尾を隠して、粋なお姉さんの様な着物姿で、百合の後を歩き難そうに追いかける。
玉江は、普段、呼ばれない限り姿を消している。
百合達は、杉林の斜面に沿った葛折れの狭い山道を登って行く……修行僧達が回峰する道だ。
小鳥達が囀る中、険しい山道を、名も知らない小さな可憐な花を見ながら登りきると、車が百台は止められそうな大きな駐車場に出る。
遠回りの山道を登らなくても、県道から駐車場までの舗装された道路があるのだが、百合は杉木立の中を歩く方が好きだった。
駐車場の向には、鉄筋コンクリート作りの三階建ての建物と数件の屋台が見える。
その近くに在る長く続く石段の上には、立派な山門が見えた。
「玉ちゃんと雪ちゃんは、何時もの会館で待ってて」
「承知」
「はいよ」
百合の指示に、駐車場へ出る手前の木陰で二人は返事して、粉雪の体はオレンジ色の光に包まれ、姿を消していた玉江は青白い光を放ち出し、二人の体はそれぞれに、CGの様な粒子に包まれる。渦を巻いて包む粒子が、腕、足、腰、胴と次々に固まり、まるで魔法少女の変身シーンのように形を作って行った……二人は地味に立っているだけだが。
霊体の玉江は、普段の巫女装束から、実体化してレディース・スーツ姿になる。
黒の地味な上下に、白のカッターシャツと黒のローヒール……まるでキャリアウーマン(死語)の様なタイトスカートから伸びる白くて長い足がセクシーではあるが、後ろで一つに束ねた長い白い髪の毛が、アンバランスにも思える。
粉雪は何時もの“粋なお姉さん”の様な着物姿から、胸が大きく開いたパステルピンクのブラウスと、スリットがばっちり入ったタイトなスカートに、真っ赤なピンヒール。
明るいブラウンの髪の毛は、ふわぁっとしたウェーブがかかっていて、なんともまあぁ、セクシーな……と言う感想が思わず洩れてしまう。
しかし百合は『まったく、妖狐の癖に……何よ、あの胸!非常識な巨乳……』と、自分の未開の平原の様に起伏に乏しい胸と、粉雪の弾力溢れる揺れる巨乳とを比べ、心に嫉妬が渦巻いているが『それを言ったら負けよ……』と口には出さなかった。
「毎度、毎度……大体、雪ちゃんは普段でも実体でいるのに、何を態々(わざわざ)、変化する必要が有るの!」『しかも巨乳で!』と、色気に乏しい百合が、色気溢れる粉雪に怒鳴り付ける。
「もう、主ったらぁ……無粋ねぇ、女心よ。分からない?」そう言いながら、粉雪は括れた腰をくねらせ全身を見回し、上手く変化出来たかとファション・チェックをしている。
「あら、大変。ストッキング、忘れちゃったぁ……ねぇねぇ、主ぃ。ガーターベルトの色、何が良いかしらぁ……」甘ったるい甘え声で尋ねて来た粉雪に、
「知るか!」と、百合はドンッと足を踏み鳴らし怒鳴った。
百合は、今年の十一月で一七歳になる乙女ではあるが、日頃からファション等に興味は無く、汚れが目立たず、動きやすくて、丈夫な物と言う条件で服装を決めていて、今日も、米軍の払い下げの軍服に、Marine(海兵隊)のロゴ入りキャップと言う、何とも味気ないファションである……一部のマニアには、受けるかも知れないが……
身長百五十cmで体重が○○Kg(本人の希望により)で、ファションモデルの様なスリムな体型と本人は自慢している。が、身長から言って、ただの子供に見える。しかし、まだ幼さを漂わせている容姿は、将来美人になるであろう片鱗は見せている。
小柄だと言う意外の特徴として、白い肌に、クリッとした大きな目と、凹凸の無い体型……綺麗な黒髪は、無駄に女を象徴する様に長く、頭の高い位置で束ね、ポニーテールにまとめている。
それと、本来なら高校二年生なのだが、百合は高校には行っていない。
「とにかく、会館で待ってて。私は、純慶様の所に行ってくるから」
まだガーターベルトの色に悩んでいる粉雪に、百合は呆れる様に手をひらひらと振る。
「ねぇ、生足の方がセクシーかしら?」粉雪はスリットを大胆に開いて足を見せると、
「まだ言うか!」と、粉雪の白くて長い綺麗な足に、再び嫉妬しながら百合が怒鳴った。
「あのね、会館には一般の信者さん達もいるのよ!目だった格好は控えなさいよ!」
腕を組んで横目で粉雪を睨みながら、百合が言うと、
「あら、でも結構受けているわよ、おじいちゃん達に……」と、粉雪がにこやかに答えた。
「だから目立つなって!第一、お年寄りには毒でしょうが、その色気!」
「あら、そんな事無いわよ……それより、主の方こそ、女の子なのに何時も何時もそんな無粋な兵隊さんみたいな格好して……駄目よ、若いんだから、もっとお洒落しないと」
「ほっといて頂戴!これが一番動きやすいんだから!」
等と言い合っている二人を他所に、玉江は一人すたすたと会館へと向って歩いている。
此処は、修験道の一派で瑾斂宗の総本山、鵬願寺。
修験道と言うのは、大雑把に言うと、元々日本にあった、産砂神や山への信仰と仏教が合わさった宗教で、つまり、仏の教えを守り、神様を敬い、己の霊験を高めると言ったところだ。
百合は、この瑾斂宗に所属し“お役目”と呼ばれている。
所属していると言っても、僧侶でも信者でも無く、立場的には傭兵の扱いだ。
一通り粉雪に言いたい事を言った百合は、広い駐車場を抜けて鵬願寺の境内へと昇る石段の前を通り過ぎ、苔生した石畳の小道に入って行く。
暫く行くと、修華院と書かれた、そう大きくは無い時代の掛かった山門が現れた。
二十段位の狭い石段を登り、百合は山門を潜って境内の中に入ると、仏様を祀ってある金堂を通り過ぎ、宿坊の方に向って行く。
此処、鵬願寺は、昔から女人禁制、葷酒山門入不許の厳しい寺である。とは言っても、現在は金堂までは、信者さんと観光客の為に、男女共に解放している。しかし、それ以上は未だに女人禁制を守っている為、百合達、女のお役目は、用があれば傍にある瑾斂宗の尼僧院、修華院に行く。
「あっ、奏栄さん……」百合は、宿坊の前で掃除をしている尼僧に声をかけると、
「あら、百合ちゃん……」若く美しい尼僧は、微笑みながら返して来た。
「役目が終わりましたので報告に来ました。純慶様はいらっしゃいますか?」
「えぇ、どうぞいらっしゃい」
百合は奏栄に案内されて、宿坊の客間に通された。
お役目達の上官に当たる、傭兵部隊の小隊長が“目付け”と呼ばれる瑾斂宗の僧侶である。
そして、百合達レディース部隊の目付けが純慶だ。
暫くすると、奏栄が客間にお茶を持って入って来た。
「何時も、大変ね……」と、奏栄がお茶を百合の前に差し出すと、
「いえ……役目ですから……」百合は丁寧に頭を下げている。
奏栄は、まだ二十代の若さで出家した尼僧だ。
百合は、奏栄を見ながら『こんなに綺麗で素敵なのに、この若さで出家するなんて……まぁ、人それぞれ、色々と事情があるんだろうな』と、思っていた。
百合達が、他愛無い世間話をしている所に純慶がやって来た。
百合は正座のまま向きを変え、畳に手を付きお辞儀をする。
「ご苦労様……百合ちゃん」純慶に労いの声をかけられ、
「はいっ、ありがとうございます」と、百合は緊張し、頭を下げたまま礼を言った。
純慶は四十歳くらいで、まるで女優の様に顔立ちがはっきりとした美人だ。
「今回の件、まだ若い貴方にとっては、きつい役目だったけど、よくやってくれました。礼を言います……」純慶は手を着いて頭を下げている。
「あっ!いえ!役目ですから……そんな……勿体無いです……」
純慶の姿を見て、慌てて頭を上げた百合の顔は少し赤くなっていた。
「あの……これ……」
百合は少し頬を染めながら、紫の袱紗をリュックから取り出し、純慶に両手で差し出した。
純慶は両手で袱紗を受け取ると、静かに開いて中の割れた櫛に手をかざし、無言で櫛を眺めている……そして、はらはらと涙を流しだした。
「哀れな……」哀れむ純慶の言葉を聞いて、
「純慶様……」純慶には、櫛の気持ちが分かるのだと知ると、百合は櫛の記憶を思いだし、目に涙が溢れた。
「この者は、丁重に供養してやりましょ……」と、純慶が顔を上げると、
「はい……ありがとうございます」涙を拭いている百合が見えた。
「……百合ちゃん?貴方、この者の事……」
百合が涙を流し礼を言った事に、純慶は不思議そうな顔をしている。
「はい、この子を浄化する寸前に、私に憑いている粉雪さんの力で、この子の記憶みたいのが、私に流れ込んで来て……何があったのかは、分かっているつもりです……」
百合は櫛の気持ちを再び思い出し、その切ない悲しみに、また涙が溢れて来た。
「そう……この者は、最後に百合ちゃんに伝えたかったのね……」
純慶は、優しく微笑むと、櫛を袱紗に包み込み、そっと懐に差し込んだ。
「粉雪は、超感覚を持っていたわね……粉雪は変わりない?」微笑みながら尋ねる純慶に、
「あ、はい……」と、何故純慶が、粉雪の事を気に掛けるのか分からずに返事をした。
その後百合達は、世間話に花を咲かせた。
純慶様の話は、優しく噛み砕いて話すため、百合にも分りやすく、それでいて、とても奥が深い……優しく微笑みながら話す純慶の美しい顔を、百合は頬を赤く染めながら見ている。
百合は、慈愛深い微笑を浮かべる純慶に、ちょっと危ない方向の好意を持っている。
そう、百合は百合なんです……ちっ、すべったか……
とは言っても、重度の深みにはまっている訳では無い。
百合の過去にはちょっとした事件があり、それがトラウマとなって、いささか、男性嫌悪症に落ち入っているのだった。
「また、役目があればお願いね……」
「はい!何時でも言って下さい!」
そう言って一礼をして立ち上がった百合だったが、純慶の笑顔を見ていると、この場を立ち去る事に未練を感じた。
未練を振り払い、百合が客間を出て帰ろうとした時、
「神崎さん」と、後ろから呼び止める声がした。
「あっ、はい!」声の主が誰であるか分かっている百合は、その声に怯える様に体を硬直させて返事をして、
「あっ、あの、何でしょ……」と、恐る恐る振り返った。
振り返ると、純慶と同年代と思われるおばちゃんが居た。
純慶に比べ、何でこちらの尼僧はおばちゃんかと言うと、赤いフレームの眼鏡の奥には、神経質そうな目をきらりと光らせ、やせ過ぎのひょろっとした体型には、色気も何も無い。
まあ、尼僧なんだから、色気がある必要も無いのだが……
「今回の件は、本日二十日完了で書類を回しますので、報酬の振込みは、来月十日になります。良いですね」
「はぁ、はい……」
如何にも、きつい会計のおばちゃんってイメージの尼僧は良賢と言い、普通に喋っているのだが、その言い様の無い威圧感に、百合は萎縮している。
「それと、先月も言いましたけど、極力、経費の方は軽減する様にお願いしますよ。特に、宿泊費等は、出来るだけ安い所を選んで、当然、食事代は含まないで下さいよ」
「……はい……」『どうもこの人、苦手……』と思いつつ、百合が返事をする。
「何か?……」百合の態度に何かを感じ取り、良賢は眼鏡の縁を持って、百合を睨む。
「あ、いえ。何でも無いです……」良賢の鋭さに、百合は慌てて答えた。
「経費の方は、今月二十五日付けで、項目を分け領収書を添えて事務局の方に出して貰えれば、来月十日の支払いに出来ますけど、間に合わないと、再来月の十日になりますので了解してくださいね……では」
「ども……」
一方的に話し終わり、奥に消えて行く良賢に、百合はぺこりと頭を下げ、一気に緊張が解けて、どっと疲れが沸いて来た。
なんだかんだ言っても、組織が大きくなると、事務的な手続きは融通が利かなくなる。
「帰ったら、領収書まとめなきゃ……」と、現実を突き付けられた百合は、せっかく純慶に会えた素敵な気分が一瞬にして消し飛んだ。
現実を背負い、とぼとぼと玉江達の待つ会館へと百合は向った。
会館は、瑾斂会館と言って、一階がお参りに来る信者さん達の休憩所兼食堂で、二階が会議室、そして三階が寺の事務局となっている。
会館の隣には、三軒の屋台が出ている。土日や祭事の時は、二十件以上の屋台が出て賑やかになるが、何も無い平日の今日は、お参りの人も少なく閑散としている。百合は、暇そうにしている、たこ焼の屋台を横目で見ながら『後で、たこ焼き食べよ……』と思っていた。
百合が会館の中に入ると、
「やっだぁ、おじいちゃんたらぁ……」
「いやいや、粉雪ちゃんを見ていると若返るようじゃ、はははは」
七十代後半って辺りのお爺ちゃん達に囲まれて、ふざけている粉雪が居た。
「……」百合はその様子に呆れながら、粉雪に近付き、
「あれほど、目立つなと言ったでしょうが!」と、百合が粉雪の耳元で、語尾を荒く囁いた。
「だぁってぇ、上、退屈なんだもん」色っぽく体をくねらせながら、粉雪は目線を上にやる。
「退屈って何よ……」と、百合も目線を上に向けた。
「二階の会議室、鳴神の親父と化け猫。それとお玉さんだよ……お通夜みたいで……」
百合は、詰まらなそうに話す粉雪の手を掴み、
「とにかく、いらっしゃい!」と、強引に引っ張り、
「どもぉ……」と、社交辞令的な微笑を浮かべ、お爺ちゃん達に、ぺこりと頭を下げて挨拶すると、二階へ上がる階段へと向った。
「又ねぇ、おじいちゃん!」と、にこやかに手を振る粉雪に
『手を振るな手を!』と、百合は、何故か恥かしい思いが込み上げて来た。
「粉雪ちゃあぁん、又ねえぇぇ!」と、粉雪を見て手を振るお爺ちゃん達に、
『じじぃも手を振るな!歳考えろよ!』と、お爺ちゃん達のアイドル、粉雪の手を強引に引っ張って、百合は、関係者以外立ち入り禁止の立て札の立てある階段を登った。
会館の二階は、大小五つの会議室に別れていて、その内の一部屋が、百合達お役目が集まる部屋になっている。
「失礼しまぁす……」
ドアを開けて部屋に入ると、五十前の男と十五・六歳の少女が、会議用のテーブルの椅子に並んで座って居て、その奥に玉江が、壁にもたれかかり腕を組んで立っていた。
白髪混じりの短い髪の毛に、苦虫を噛み砕いた様な厳しい顔で、腕を組んで座って居る男は、浅黒い肌に引き締まった筋肉質の体が精悍な印象を醸し出していた。
その隣に座っている十五・六歳の少女は、色白で痩せていて、ひ弱なイメージの上に、左目が不自由なのか瞑ったままで、何か暗い雰囲気を醸し出していた。
「お久しぶりです、鳴神さん」
百合は後輩らしく、びしっとした動きで礼をすると、鳴神は百合の方を見る事無く小さく頷いた。
「手毬さんも、元気だった?」
手毬と呼ばれた少女は、百合をチラッと見て軽く頭を下げる。
手毬は鳴神に憑いている化け猫のあやかしだ。
その様子に、何時もの事ではあるが『やり難いなぁ……」と、会話が続かない気不味い雰囲気に百合は困惑していた。
「お待たせ……玉ちゃん帰ろうか」
百合は鳴神の横を通り、玉江に近付いて行った。
「もう、よろしいのですか?」
「うん、また領収書持って来なきゃいけないけど……今日は帰ろ」
今回の件で、一週間以上家に帰っていない百合は、早く帰って休みたかった。
百合が玉江と話している時、
「武明、待たせたな」と、会議室のドアがいきなり開いて、大柄な僧侶が入って来た。
「おぉ、百合も居ったのか」その風体には似合わない、優しい声で話しかける僧侶に、
「あっ、大目付様。ご、ご無沙汰しています」と、百合は慌てて頭を下げている。
この五十過ぎの大柄で厳しい顔付きの僧侶は導厳と言い、純慶達目付けを束ねる大目付と呼ばれる役職に在り、即ち、お役目達の総大将に当たる人物である。
普段はめったに会わない人だけに、百合は緊張している。
「おや?背が伸びたか?」と、顔に似合わない微笑を浮かべ、導厳が百合に近付き、
「他の所は……成長しとらん様だがな!がっはははははっ!」と、今迄とは打って変わって、おやじに豹変した。
その導厳の言葉に百合のこめかみ辺りで、ぶちっと言う音が聞こえ『この、クソおやじ……あからさまに胸を見て言ったな……』と、拳を握り締めながら、百合は殺意を押さえた。
「導厳……」導厳のたわ言に表情一つ変えずに、鳴神は導厳に呼びかける。
「おっ、そうじゃ、何だ?武明……話とは?」
「一樹が死んだ……」鳴神が、一言ぼそっと呟いた。
それを聞いて、笑っていた導厳の顔が急に曇り、
「……そうか」パイプ椅子を軋ませて、鳴神の隣に座った。
百合はその衝撃的な話に『一樹って……鬼島さん?えっ、何で鬼島さんが……』と、驚いた。
「……では、やはり……」
「恐らく……十四年前と同じだ……」
二人は顔を寄せ、押し殺すように話している。
その様子に百合は、自分は此処に居ても良いのかと不安になって来た。
「それで、どうした?」
「奴には逃げられた……滅火は守ったが、集まって来た化物の数が多過ぎた……」
「多勢に無勢か……」
二人の重苦しい雰囲気に押され、
「あの……私は、これで……」と、百合は、会議室から出ようと導厳に挨拶をした。
「構わぬ、百合、お前も聞いておけ」導厳は、鳴神から目線を外さずに百合に言った。
「はぁ……」導厳にそう言われたものの『え、でも……』と、百合は気後れしている。
「乱戦の中、なんとか全ての化物を滅したのだが……気付いた時には、一樹が……」悔しそうに拳を握り締め、歯噛みしながら報告する鳴神の声が最後には震え出す。
「一樹ほどの槍の使い手が……で、亡骸はどうした……」
「亡骸など……食い散らかされて、ほとんど残ってはいなかった……集めて、燃やした……」
導厳の問いに、鳴神は顔を上げ、窓の方を虚ろな目で眺めながら静かに答えた。
「そうか……」それを聞いて導厳は腕を組んで目を瞑った。
役目に就いて日の浅い百合は、仲間の死と言う初めての出来事に驚愕して言葉が出ない。
百合は怯える様に、黙りこくる二人を交互に眺めていた。
「お前の勅命で出たが……他の者は……稔達は呼び戻したらどうだ」
暫く続いた沈黙の中、鳴神が窓の外を見たまま、導厳に提案した。
「田神達か……分かった、直ぐに呼び戻す」導厳は、目を閉じたまま答えた。
「これから、どうする?」
「……上にも伺いを立てるが……恐らく……とにかく、お役目全員に待機命令を出す」
鳴神の問いに導厳は目を開け、鳴神と同じく窓の外を眺めながら答えた。
「そうだな……出遅れては、十四年前の繰り返しだからな……」
鳴神はそう言うと静かに立ち上がり、導厳の方を見ようともせずに、手毬を連れて部屋を出て行った。
「百合、聞いた通りだ。暫く待機しておいてくれ」導厳は、まだ窓の外を眺めている。
「あっ……はい……」
導厳の指令に返事をする百合だったが、淡々と話す二人を見て、百合の心には『二人とも平気なの?鬼島さんが死んだのに……なんで、そんなに冷静なの?』と疑問が湧いていた。
「どうした?」百合の戸惑いを察して導厳が尋ねた。
「あの、なんとも無いんですか……お二人とも……」
百合は、若輩の自分が聞いても良いのかと思いつつ、遠慮気味に導厳に尋ねた。
「なにがだ?」
「鬼島さん……鬼島さん、死んだって……悲しくないんですか……」
百合の遠慮がちな問いかけに、導厳は静かに眼を閉じ、腕を組むと、
「……百合、言うてくれるな……一樹は武明にとって、一番弟子。息子みたいな者だ……悲しくないはず無かろう……わしとて……」と、静かな声で答えた。
「でも……」
「武明の事だ、荼毘に付した時に、涙は枯れたのであろう……」
「………」信頼する導厳の言葉ではあったが、百合にはどうも納得出来なかった。
それは、自分が若輩だからなのか、導厳達が冷たいのか百合は判断しかねていた。
そんな百合の心を察して、導厳は百合の方を向いた。
「我らは、これから起きる事を考えると、悲しむ余裕など無いんじゃ……」
「これから、起きる事?」静かに話す導厳の言葉が理解出来ず、百合は問い直した。
「十四年前の事……話したであろう。百合の両親も戦死した、大戦……」
「えっ?」導厳の言葉に、百合は驚く様に眼を見開いた。
「あれが、又、起きそうなのじゃ……」
百合がまだ小さかった時、化物との大きな戦が起き、百合の両親は戦死した。
「あの大戦で多くの者が死んだ……十四年たって、それがまた起きるかも知れん……」
「またって……」
導厳は、これから起こるであろう惨劇を現実のものとして、思い浮かべている。
「大目付様、あの、一つ聞いてもよろしいでしょうか……」遠慮がちに尋ねる百合に、
「なんだ……」導厳は優しい目を向ける。
「前回の大戦で……その、決着と言うか……終わってはいなかったのですか……」
「多くの犠牲を出したものの、何の結果も得られなかったよ……いや、滅火を守りきった事は立派な成果ではあったがな……」目を瞑り、静かに答える導厳の言葉を聴いて、
「何の結果もって……」まさかと思う気持ちに戸惑っている。
「敵の正体すら分からん……」
「そんな……」
自分の両親が戦死した大戦。それは激しい戦いだったと聞いていた。なのに、それが『何の結果も得られなかったなんて……』と、百合は悔しい思いが込み上げて来た。
「百合……また、追って沙汰する、それまでは、何時でも役目に付ける様にしておいてくれ」
「はい……」百合は歯を食いしばって、悔しい思いを押し殺し導厳に返事した。
導厳は、百合の返事を聞いて静かに頷き、会議室を出てて行った。
「あんな、大目付様を見たのは初めてだ……」導厳が出て行った後、百合は思わず呟いた。
頻繁に会っている訳では無いが、何時も豪快で自信に満ちた言葉と態度で、お役目達の信頼を集めている導厳。
その導厳が困惑する姿を見て、百合は、言い知れぬ不安に襲われた。