決戦
流血の表現があります。
決戦
びしっ!
そんな感じだった……眠っていた百合の脳内に警報が走った。
信仁も同様に感じたのか、百合と同時に飛び起きて、二人は顔を見合わせる。
「百合姉……今の……」
「奴だ、間違い無い……」百合は布団の上で立ち上がり、窓の外を見据えた。
「主……」玉江と白菊や将鬼丸も、百合建ちが起きると同時に霊体の姿で現れた。
「分かってる……」皆が百合に注目する中、百合は窓を開けて探る様に外を見回している。
直ぐに消えたが強烈な殺気だった。百合はそれが鬼頭が送りつけて来たものだと確信する。
「やっぱり、居たか……」百合の口元が僅かに笑った。
やはり鬼頭は来た。百合の予測通りに。
これから始まる戦いへの不安が、全身に緊張を走らせるが、それが百合には心地良かった。
百合は浴衣を脱いで、服を着替える。
「玉ちゃん、外に出て。外から飛ぶよ」刀袋から雷光丸を取り出しながら百合が指示をする。
「承知」玉江と白菊は、そのまま外へと出た。
午前一時……百合も玉江の後を追って、雷光丸を持ち窓から出ようとした時、
「百合姉、待って!何処へ行く気だ!……駄目だよ、親父に言われただろう……」
信仁が慌てて百合に駆け寄り、百合の腕を強く掴んで止めた。
「…………」鬼頭と戦う事だけを考えていた百合は、信仁の言葉が心に刺さった。
「今の、鬼頭の気配だろ……だったら、直ぐに連絡しなきゃ、そう言う約束だろ」
「信仁……ごめん……」百合は信仁の腕を振り払い、窓の外に飛び出した。
國仁の言葉を忘れた訳じゃない。しかし、百合は目の前の鬼頭に対して、決着を付けたがっている自分の気持ちを押さえ切れなかった。
この二年間の戦いで、普段なら、前線に回る百合だったが、鬼頭が居る可能性のある戦場では、導厳の計らいで後方に回らされていた。
そんな事とは百合は知らず、鬼頭と対峙出来ない事に歯痒い思いをしていた。
「玉ちゃん、白ちゃん行くよ!」
「承知」
「承知」二人は返事をして、人目に付き難い河原へと降りて行く百合を追った。
河原に下りると、玉江は全身に狐火の炎を上げて大狐と成る。
「玉ちゃん、目立たない様に狐火消して高く飛んで」
「承知」百合が玉江の背中に飛び乗ると、玉江は狐火を消して、一気に天高く飛び上がった。
玉江の狐火に包まれていない百合は、風圧に耐えながら鬼頭の位置を探る。
「玉ちゃん、分かる?」
「……前方の山から、良からぬ気配を感じます……」
「分かった。そっちに飛んで」
「承知」
明るい満月へと向って暫く飛ぶと、連なる山の一つの頂上付近から、何かの気配を感じた百合は、雷光丸を腰のベルトに差し準備した。
あからさまに殺気を送り付け、今、気配を隠そうともしない鬼頭に、百合は鬼頭も決着を付けたがっている事を確信した。
鬼頭の気配のする、あまり険しくない山頂に近付くと、山頂から少し下った所に、木の少ない緩斜面が開け、公園の様になっていた。
百合達は公園の上空まで来ると高度を下げ、気配のする方へ警戒しながらゆっくりと進み、アスレチックの遊具が並ぶ上空を通過している時、前方の大木の根元に人影を見付けた。
「あそこだ!」百合はその人影を見て、思わず玉江の背中に立ち上がった。
満月の月明かりに照らされた、大木に凭れ掛かり立っている人物が、はっきりと鬼頭だと分かった瞬間、粉雪を滅した時の事が鮮やかに百合の脳内に蘇って来た。
その時の怒りと憎しみが百合を支配した時、頭に血が上り百合は我を忘れた。
「鬼頭ぉ……」玉江の背中に立っている百合は、雷光丸を抜き放ち怒りを込めて気を送る。
そして、雷光丸が空気を震わせて、緑の光に輝くと同時に、鬼頭めがけて飛び降り、
「どおぉりゃあぁぁぁ!」気合と共に、鬼頭に切りかかる。
「主!」玉江は、百合の不意の行動に驚き、飛び降りた百合を追った。
鬼頭は上空から落下してくる百合を、難なく身を翻し躱した。
着地した勢いで前方に転がる百合は、転がる途中で飛び起き、鬼頭に大して構え直す。
「はあぁぁぁ!」百合は鬼頭に駆け寄り、連続で雷光丸を振り回し切りかかる。
鬼頭は顔に薄笑みを浮かべ、苦も無く百合の攻撃を身を翻しながら躱し、背中の滅火を取りこんだ剣を抜き、後ろへと飛び退いた瞬間に衝撃波を放った。
近距離で放たれた衝撃波を、百合は躱す術が無く、雷光丸に障壁を広げ受ける。
次の瞬間、百合の体は障壁と共に弾かれ宙を舞い、十m程飛ばされて地面に転がった。
「主!」玉江が叫び、全身を狐火で包むと、体の周りに狐火を蓄える。
転がりながら体を丸め足を踏ん張り、百合は転がる体を止めると直ぐに立ち上がり、体制を整え雷光丸に気を送り中段に構える。
「いきなりとは、酷いな……久しぶりなんだから、挨拶ぐらい……」
「黙れ!話す事等、無い!」
百合の叫びが鬼頭の言葉を遮り、百合は鬼頭に向かってダッシュした。
「主!」狐火を蓄え、鬼頭へと放とうとした玉江が、百合が近付くのを見て慌てて止める。
鬼頭は薄笑みを浮かべ、滅火の剣を上段に構え、向って来る百合へと一気に振り下ろした。
滅火の剣から放たれた衝撃波は、大きな半月状に広がって百合へと向う。
百合は咄嗟に止まり身構え、再び雷光丸で障壁を作り踏ん張る……が、衝撃波を受けた瞬間、体は再び宙を舞い十m程飛ばされ、地面に三度バウンドして転がり倒れた。
「主、冷静に!闇雲に向かうは、消耗するだけですぞ!」玉江が倒れている百合の前に着地し、鬼頭から庇う様に立ちはだかり、百合を怒鳴り諌める。
玉江に怒鳴られて百合は、頭に上った血が少し落ち着いた。
白菊も百合の横に降り、心配そうな顔で百合を見ている。
「無様な……ごめん、玉ちゃん……」百合は全身に走る痛みに耐え、上体を起こす。
膝を付き、ゆっくりと立ち上がる百合の心は、情け無い思いでいっぱいだった。
怒りに我を忘れた自分も情け無いが、鬼頭に全然歯が立たず、良い様に弄ばれた自分が情け無かった。
「ははは、相変わらず元気良いね。流石、鬼姫だ、はははは」
鬼頭が馬鹿にした笑い声を上げ、滅火の剣を肩に掲げて百合に近付く。
「ありがとう、元気が良いのが取り得なもんでね……」
百合は、悔しさを押し殺し、態と虚勢を張って答え、玉江の横で雷光丸を中段右に構える。
「毎回、影を残して逃げ回っているお前なんかとは、違うのよ」
「逃げ回っているってのは酷いな……こっちも色々と忙しいんでね、最後まで相手してられなくてね……中途退場させて貰っているんだよ」
鬼頭は百合の直ぐ前で止まり、にやけながら相変わらずの軽い調子で話している。
「やっぱり、そうか……」百合は鬼頭の言葉を聞き、國仁の仮説が正しかった事を確認した。
「忙しぃって……私達が必死で戦っているのを見て、笑う事がそんなに忙しいのぉ?」
百合は鬼頭の口調を真似て、軽い調子で鬼頭に尋ねた……目には殺気を溜めたまま。
「はははは、それもあるけど、それだけでも無いんだよ。第一、君達が来た頃には、僕は退場した後だからね」
「くそっ……じゃぁ、他に何があると言うのよ」
「そうだね、最初に言ったろ、滅火で遊ぶって……ははは、色々と試して居たんだよ、滅火をね……滅火を知る為にね」
「滅火を知る?」
「そうさ、その為にも滅火を開放する必要があった……まぁ、本山の連中じゃ、とてもじゃないが、分からない様な滅火の特性を、俺は色々と検証して確かめて居たのさ」
鬼頭の顔が急に真面目な表情となり、徐々に厳しい表情になって行った。
「そうさ、僕だって滅火は憎いさ……両親の命を奪った根源なんだからな……消滅させられる物なら消滅させたいからな。だから、思い付く限りの事をやって来た……」
「鬼頭……お前……」鬼頭の意外な言葉に、百合は戸惑った。
「はははは、そうさ!そして僕は知った!滅火に付いて色々とね……そして、もう少しなんだ……もう少しで、滅火が発生するメカニズムが掴めそうなんだ……」
「ちょっと待ってよ!それじゃ、滅火を調べる為に……滅火を消滅させる方法を調べる為に、滅火を開放していたの……」百合は鬼頭の言葉に、驚き戸惑う。
そして百合の今迄の怒りが嘘の様に引き、雷光丸を下ろし、鬼頭の言葉に興味を持った。
自分だって、滅火は憎い。両親と粉雪を奪う原因となった滅火が。
「そうだよ、だけど勘違いしないでね。誰も人類の為だ何て思っちゃ居ないから。そうさ、本山の奴らにも教えてやるもんか、両親を見捨てた奴らなんかに……これは、俺の戦いだ……」
「ちょっと、待ってよ!そんなのおかしいわよ!それなら、本山と協力すれば良いじゃない!衛智さん達、専門の人だって居るのよ!そうすれば……」
「駄目だよ……百合ちゃん、そんな事は出来ないよ……言ったろ、復讐だって。君の言う様な単純な事じゃ無いんだよ。僕は滅火を解明して、滅火を手に入れる。そして、本山の奴らのすべてを奪ってやるんだ……そう言ったはずだよ……両親を殺されて、すべてを奪われた、僕の復讐だって」鬼頭の目に悲しみが滲んでいる。
「そんな!そんな事言わないでよ!私だって両親が役目で死んだけど、そんな事少しも思わなかった。嫌な思いも沢山したけど、そんな事、少しも思なかったのに!何よ……何よ、そんなの貴方一人で背負い込んでどうするのよ!復讐だなんて、それが、何になるって言うのよ!」
「……駄目だよ、百合ちゃん……それを言っちゃ、今の僕の存在をすべて否定してしまうんだよ……そんなの、駄目だよ……」
必死に訴える百合の言葉に、鬼頭は悲しみを浮かべた表情で首を振り、静かに項垂れた。
「否定して当然よ!貴方は間違っている!絶対に間違っている!どんな理由を付けたって、貴方のやり方は間違っている!上手く言え無いけど、間違ってるよ!」
百合は、上手く表現出来ない事をもどかしく思いながら、思いを吐き出す様に叫んだ。
「私だって、滅火は憎いわよ!だからお役目をやっている。この世を次の世代に伝える為に。だから、貴方の気持ちも分かるけど、貴方は間違ってるよ……私と同じで、両親を失って、その気持ちは分かるけど……同情は出来ても、こんなやり方許せないよ……」
「くくくく、分かるだと……はははは」鬼頭は不意に顔を上げ、百合の顔を嘲笑いながら睨んだ。そして、
「俺の気持ちが分かるだと!笑わせるな!お前は何をした!何をやって来た!」鬼頭は豹変し、百合を怒りを込めた目で睨みながら怒鳴り付けた。
「えっ?」
「ただ、漫然と言われた通りに、化物を退治していただけじゃないのか!そんなお前に何が分かる!」
「でも!」
「黙れ!……じゃぁ……百合ちゃん、君は何をして来たんだい?」
「えっ……それは……」
「ただ、化物を退治して来ただけだろう・・・」
「違う!そうじゃない!」百合は自分の気持ちを説明したいが、上手く言葉に出来ない。
「どう、違うと言うのだ……滅火を……事の根源を見極めず、目先の事だけに囚われて来たんじゃ無いのか?物事の本質を見ようとせず、考えもせず、ただ流されるままに生きて来ただけじゃないのか!……ふざけるな!自分から求めず、立ち向かおうともせず、ただ滅火に怯え、触れようともせず、知ろうともせずに来ただけの臆病者が!」
「……」百合は鬼頭に反論する言葉が見付からず、そのもどかしさに歯噛みしながら黙ってしまった。
確かに、鬼頭の言う通り、自分は滅火を知ろうともせずに、言われるままに化物を滅して来ただけかも知れない……だけど、それは自分がお役目だから。
お役目として役目の重大さを認識し、使命感を持って役目を果たして来たから……
そう思ってみても、百合の心は迷い乱れた。
「黙れ、下郎……戯言もたいがいにせい……」二人の間に再び玉江が割って入ると、
「何だと……」鬼頭が玉江を睨み付ける。
言葉をなくした百合に変わる様に、玉江が鬼頭に話しかけた。
「己が正儀かの如くほのめかし、心の隙を突き、詭弁を弄して翻弄する……正に悪魔の囁きじゃな……だがな、邪な貴様の言葉には、心が無い……その様な見え透いた戯言、我が見抜けぬとでも思うて居るのか」
「くくくくくく」鬼頭は、玉江を薄気味悪い薄笑みを浮かべて睨んでいる。
「主、惑わされては成りませぬ……主は八正道を歩まれ、真っ直ぐに役目を果たしてこられた。我らあやかしにも、慈愛の心を持って接し、利他行を尽くされて来れました。そのお心、妾は何人足りと、非難も愚弄させませぬ……」玉江が百合を見詰めながら言うと、
「玉ちゃん……」百合も玉江を見詰め、二人は信頼し合った目で見詰め合う。
玉江は分かってくれている……百合はそんな玉江の心が嬉しかった。
「鬼頭めは、主のお心を乱し、その隙に付け入ろうとしているのです。御気を付け下され。所詮、心の無い奴の言葉は、絵空事に過ぎませぬ……」
玉江はそう言うと、鬼頭の方に向き直り、鼻にしわを寄せ、牙を剥き出しにして睨み付け、
「鬼頭よ、愚かなのは貴様の方では無いのか……」と、問いかけると、
「何だと……」鬼頭が、上目使いの鋭い目で玉江を睨み返した。
「貴様は、復讐と滅火に囚われ、正しく物事を見れなく……いや、見ようとしなくなっておる。そもそも、貴様とは求める物が違うと言えばそれまでだが、復讐しか見えなくなった貴様が、正しく物事を見れるとは思えん……そんな貴様が、何を求める。滅火に何を求める。所詮は、己の復習と言う欲望のはけ口では無いのか!復讐と言う醜い糧だけを喰らい、滅火を己が勝手に振り撒き、多くの者を苦しめた貴様が、我、主を揶揄する事は許さん!」
「ふん!狐が……じゃあ、貴様は滅火の恐怖と共に生きると言うのか!滅火の成すがままで良いと言うのか!」
「其処じゃ、貴様が怨みに囚われ正しく物事が見れなくなって居ると言うのは……滅火を悪戯に開放し惨劇を引き起こして居るのは誰じゃ!それこそ本末転倒であろう!」
「それがどうした。物事を成しえる為には、犠牲は付物だ……何人死のうが大した事じゃ無いだろう……大事の前では小さな事だ」
「なるほど……やはり心まで鬼になって居ったか……我に貴様の、今の姿が見えぬと思うておるのか……醜き鬼よ……」
「くくくくく」玉江の言葉に鬼頭は、薄笑みを浮かべて笑っている。
「主、自信をお持ち下され……主は正しい道を歩んで来られました……どうか、どうか、今まで通り、広き目と深き心を持って、お進み下され……決して、愚かな事に囚われる事無く、お進みくだされ……粉雪もそう望んで居るはずです……」玉江は百合に振向き、百合の目を見て懇願した……静かな穏やかな目で。
「あっ……」百合は玉江の目を見て、今の自分に気付いた。
玉江には分かっていた。怒りと怨みに支配されている百合が。
粉雪を失い、多くの仲間が犠牲と成った根源の鬼頭に対して、感情のままに、それをぶつけている自分が。そんな今の自分は、鬼頭と何も変わらない事に百合は気付いた。
「悪鬼は心の隙を狙い、心を乱して来ます。どうか自信を持って正道を歩んでくだされ……お役目の大義、怨みにて行うにあらず、どうか努々お忘れなきよう」
怨みに囚われた心に出来た隙間に、鬼頭は漬け込んで来た。その事を百合は理解した。
「うん、そうだよね……玉ちゃん、ありがとう……」百合は玉江の目を見詰め頷いた。
粉雪を失った悲しみ、多くの仲間が犠牲となった悔しさ……鬼頭が憎かった。
自分は何の為にお役目を続けて来たのか、何の為に鬼頭と決着を付けたかったのかと、百合は自分自身に問いかける。
復習の為か……違う、そんな事をしても粉雪は喜ばない。犠牲と成った仲間の恨みを晴らすためか……違う、それでは使命感を持って戦い死んで行った仲間を弔う事には成らない。
この世を滅火から守り、次の世代に伝える為……その為に、目の前に居る鬼頭と言う敵を討つのだと自分に言い聞かせ、真っ直ぐに鬼頭の方を見た。
どんな理由を付けても人殺しが許される訳では無いが、今、此処で忌まわしき怨念を絶たなければ、又、多くの人が死ぬ事に成る……だから、お役目として、役目を果たす。
その為の覚悟はしたはずだと心を決めると、百合の心から迷いが消えた。
「いい加減、姿を現したらどうなんだ、鬼頭……滅火を取り込むつもりが、滅火に取り込まれた、愚かな悪鬼よ……その醜き姿を晒すがよい!」玉江が低く身構え、鬼頭に叫ぶ。
「はははははは、滅火に取り込まれただと……それがどうした!はははははは」
鬼頭は笑いながら、滅火の剣から湧き出した、どす黒い霧の様な物に包まれて行く。
それは、信じられない光景だった。どす黒い霧に包まれた鬼頭の体が徐々に変化して行く。
髪の毛が、ばさばさと抜け出し、それを追う様に頭上に牛の様な角が二本伸びて来る。
目は金色に光だし、口からは牙が見えている。爪は猛獣の様に長く鋭く伸び、全身の筋肉が膨らみ服が破れ、皮膚の色が赤黒く変化し、身長は二m近くにまで伸びて行った。
百合は、その非常識な光景に動く事が出来ず、ただ驚愕の表情で見詰めていた。
「主、ご覧下さい、これが怨みと言う醜き物に支配され、善悪の見境を喪い、滅火と言う悪しき力に魅入られた者の末路です」
「……」御伽話に出て来る鬼の様な鬼頭の姿に、百合は只、呆然として立ち竦んだ。
変化して行く鬼頭に、滅火の気配を察した化物達が何匹か集まりだした。
その化物達が、鬼頭の体に纏わり付き、まるで鎧の様に変化して行く。
「主、お下がりください」
「あっ、うん……」玉江の言葉に百合は我に帰り、鬼頭から十m以上飛び退いた。
「主、憑きます」玉江が百合の後ろで霊体に変化しながら、百合に言うと、
「あっ、でも……」百合は躊躇う様に玉江へと振向いた。
「あ奴相手では、白菊では役不足です……それに万が一の場合、白菊が憑いていれば癒しの術は使えませぬ」
「分かった、憑いて」体の負担を事を考えると、玉江を憑ける事にまだ不安が残る百合だが、鬼頭との実力差を知った以上、玉江を憑けるしか無いと判断した。
「承知」玉江が百合の背中へと、溶け込む様に入って行く。
玉江が入り、のぼせた時の様な不快感に耐え、それが収まると百合の体に力が漲る。
そして、百合の背中から青白い炎が立ち上り、百合の目が青白く光る。
「白ちゃん、離れていて」
「承知……」白菊は返事をすると、百合達から離れた木陰へと隠れた。
「はははは、どうした……この姿が恐ろしいか、ははははは、どうだ、すばらしいぞ、滅火の力は……滅火に取り込まれただと……それがどうした、この力に勝る物等無いわ!はははは」
狂気に満ちた高笑いを上げる鬼頭の姿は、既に人では無かった。
目が金色に光り、昆虫が蠢く醜い鎧を纏った姿は、正に悪鬼だった。
「身も心も滅火に取り込まれよって……何がすばらしいか!愚か者め!」
「黙れ!狐!……滅火の力の前では、貴様の言う下らぬ正道など及ぶ物ではないわ!」
鬼頭は醜い姿を晒しながらも、自分の愚かさに気付いていない。
「いいか、俺が見つけた滅火の使い方は、こんな物では無いのだよ……今、見せてやる……滅火を取り込み利用すれば、こんな事も出来るんだよ……」
鬼頭は言い終わらないうちに、地面に両手で滅火の剣を突き立てると同時に体が沈んで行く……それは、めり込むのではなく、地面に溶け込む様に沈んで行く。
「何をする気だ……」百合は、その様子を見て身構える。
膝まで沈んだ辺りで、今度は地鳴りを響かせながら、地面が丸く盛り上がって行く。
地面が直径五m位の形状で、まるで蛇が鎌首を持ち上げる様に立ち上がった時、鬼頭は腰の辺りまで地面だった場所に埋まって行った。
「ふふふふふ」鬼頭が百合を睨みながら、不気味に笑っている。
何が起きているのか分からない百合は、雷光丸に気を送り中段に構え周囲を見回す。
目の前の鬼頭が居る蛇の様な土の塊が、口を開けるかの様に、ゆっくりと割れて行く。
「何!」その時百合は、周囲から伝わる異様な雰囲気に身を竦めた。
山が動いた……月明かりに照らされた山頂付近で、百合の視界に入る範囲の山肌が、うねる様に動いた。想像も及ばない事が起きている事に、百合は恐怖を感じた。
「玉ちゃん……何が……何が起きているの……」百合は、怯えながら玉江に尋ねる。
「分かりません……ただ、鬼頭の剣から可也の量の滅火が流れ出し、幾筋かの流を作っています……あれ程の量の滅火を取り込んで居ったのか……」
玉江の言葉に百合は、印を切り精神を集中して鬼頭を見る……すると、幾筋もの滅火の流が、山肌を蛇がのたうち廻る様に、うねり流れている……大蛇……それは八又の大蛇の様に見えた。
鬼頭の居る蛇の頭が、真っ赤な目を開いた時、その周りに七匹の大蛇の首が集まっていた。
巨大な八又の大蛇……鎌首を上げた姿は、高さが二十mを超え、見える範囲での長さは、二百m以上あった……その、目の前の非常識な化物に、百合は足が竦んで動けなかった。
「主!」玉江が竦む百合に渇を入れる。
「あっ!」玉江の声で百合はやっと我に帰り、すぐさま二十m程後ろに飛び退いた。
「くそっ……ふざけやがって……」百合は僅かに震えている。
「主、お気を付け下さい……奴は滅火で出来ています。しかも可也大量の滅火を取り込んでいます」
「見たいね……あれだけの化物を動かすのだから……」
百合は、想像を超えた化物を目の前にして、どう戦って良いのか分からないでいた。
百合は雷光丸を下段に構える。しかし、雷光丸で相手になるのか不安だった。
「はははは、どうだ!これが滅火の力だ!……すばらしいだろう!ははははは」
鬼頭が勝ち誇った様に笑っている。
その時、何か別の者が近付いて来る気配に百合が気付き、後ろの空を見上げた。
「あっ!……信仁……あいつ、何で……」
空から一筋の光の帯が近付いて来た。
「百合姉えぇ!」リュックを背負った信仁が、将鬼丸の背中に負ぶさり手を振っている。
「馬鹿!来るなあぁ!」
百合は叫んで止めたが、信仁と将鬼丸は百合の前に着地した。
「何だよ、あの化物!」信仁が、怖いもの知らずから無用心に大蛇へと近付こうとすると、
「馬鹿!分かってんなら、離れなさいよ!」百合は、咄嗟に信仁の腕を引っ張り引き寄せ、
「何で、来たのよ!」信仁の胸倉を掴んで問い質した。
「あっ、あの、親父に電話したら直ぐに来るって……」
「馬鹿!そんな事!早く帰りなさい!」
百合は、余りのどうでも良い事に呆れて、信仁を突き飛ばす様に突き放した。
「百合姉でも……」信仁は地面に尻餅を突きながら、百合を心配そうに見上げて居る。
「貴方、この状況を見て何にも思わないの!危険だから下がりなさい!」
百合は、信仁の言葉を遮り怒鳴り付けた。
「でも、どうするんだよ!あんな化物!勝てるのかよ!親父らが来るのを待とうよ!」
「馬鹿!待ってどうするって言うの!富士山から此処までヘリで飛ばしても二時間以上かかるのよ、それまでどうすんのよ!」信仁の言葉に苛立ち、百合は拳を握り信仁を怒鳴り付ける。
百合の剣幕を他所に、信仁は立ち上がり、
「逃げようよ!適う訳無いよ!」百合の腕を掴んで必死の表情で引っ張る。
「馬鹿!」百合は、信仁が引っ張っている腕を振り払い、信仁の頬を拳で思いっきり殴った。
信仁は地面に倒れ、頬を押さえながら百合を見た。
「逃げてどうするのよ!その間、あの化物の好きにさせる訳?麓には村だってあるのよ。馬鹿な事言わないで!貴方は下がってなさい」百合が、倒れている信仁を見下ろし睨み付けると、
「百合姉……」信仁は、情け無い顔で百合を見上た。
「早く行け!足手まといになる、邪魔だ!」百合は、そんな信仁に苛付き、怒鳴り付ける。
信仁は百合に怒鳴られ、俯きながら、のろのろと立ち上がった。
「玉ちゃん、行くよ!」
「承知!」
煮えきらず、ぐずぐすしている信仁を残して百合は、大蛇の方へと駆け出した。
百合は、全速力で駆け寄り、鬼頭が居る大蛇の頭へと大きく飛び上がり、鬼頭目掛け急降下で切りかかる。
最初の一撃を滅火の剣で受け流され、大蛇の頭へと転がりながら着地した百合は、そのまま雷光丸を上段に構え、鬼頭に切りかかる。
鬼頭は片手で剣を肩越しに構え、駆け寄る百合に向かって剣を振り抜き、衝撃波を放った。
半月状に空気が震え、衝撃波が向かって来る。百合は大きく上に飛び退き衝撃波を躱す。
眼下に鬼頭を見下ろし、百合は雷光丸に気を送り一気に振り払う。
「たあぁぁぁぁ!」幾筋もの稲妻が鬼頭目掛けて飛んで行く。
鬼頭は、近距離からの攻撃に慌てて剣を前に翳し、障壁を張る……が、障壁を充分に張る事が出来ず、百合の放った稲妻は、障壁を砕き、何本かの稲妻が鬼頭の体を貫いた。
「ぐっ……」胸と腹の鎧の隙間から血を流し、鬼頭の顔が苦悶の表情を浮かべ歪む。
「よし、効いている!」百合は大蛇の頭に着地し、再び雷光丸に気を送る。
間を空けず、百合は鬼頭に切り込もうとした時、百合に向かって別の大蛇の首が襲い掛かり、百合は咄嗟に飛び退きかわした。
再び着地した百合が鬼頭を見ると、既に血は止まり、貫いた鎧の傷が消えていた。
「まったく、君と言う奴は、何時も関心するよ」鬼頭が薄笑みを浮かべ百合を睨んでいる。
確かに何本かの稲妻が鬼頭を貫き、血の跡も残っているのに、鬼頭は平然としていた。
百合はそんな鬼頭に躊躇せず、次の一撃を放つ為に、雷光丸に気を送る。
雷光丸が、空気を震わせ、緑の閃光を放ち輝く。
百合は雷光丸を肩越しに構え、鬼追に向かって切り掛かる……が、又、大蛇の首が百合を狙って襲い掛かる……百合はそれを飛び上がり躱したが、続けて別の首も襲って来た。
「ぐっ!」空中では避ける事も出来ず、百合は大蛇に弾き飛ばされ、落下して行く。
落ちる途中百合は、体を捻り姿勢を制御し、擦違う大蛇の首の側面を蹴り、別の大蛇の頭へと飛び乗った……そして、すかさず身構え、鬼頭の居る首を見上げる。
百合は、鬼頭までの飛び移る道程を定め、今居る頭へと雷光丸を突き立てる。
「てえぇい!」雷光丸を突き立て、気を放った瞬間、目星を付けていた頭へと飛び移る。
百合が離れた瞬間、気を放った頭は閃光を放ち、爆発する様に弾け飛んだ。
化物を滅する魔斬りの法具も、霊体では無い滅火の力で動く土塊には、その効果は無く、気を放ち破壊するしか無い。
百合は、飛び移った頭にも雷光丸を付き立て気を放つ……そして次の頭に飛び移る。
破壊しても直ぐに大蛇は再生する事は、百合にも想像出来たが、少しの時間稼ぎにはなる。
次々と頭を破壊しながら、鬼頭の居る頭へと、たどり着くと、
「覚悟しろ!」百合は、雷光丸に一気に気を送り込み、特大の稲妻を鬼頭目掛けて放った。
「ふっ……」鬼頭は薄笑みを浮かべ、今度は充分な障壁で稲妻を迎えたが、
「なに!」百合の稲妻の威力が上回り、障壁を粉々に砕き、鬼頭に直撃した。
稲妻を食らった鬼頭は左肩が消し飛び、その周辺が黒く焼け焦げて居る。
「やった……か……」百合は、雷光丸を下ろし鬼頭を見詰めた。
すると鬼頭は、剣を杖の様に付き立て、片目を光らせて百合を睨んだ。
「ふふふ……ははははは、君は本当に僕を楽しませてくれるよ!」
「なっ、何で……」不気味に笑う鬼頭が、まだ生きている事に百合はたじろいだ。
周りの大蛇の頭が再生し、百合の前に立ちはだかる。
百合は、周りの大蛇にも気を配り、鬼頭を睨みながら雷光丸を中段に構える。
「こんな思いをしたのは久しぶりだよ……あの時、君と初めて戦った時依頼だよ……」
鬼頭の体が再生しているのに、目の前の大蛇に気が抜けない百合は、鬼頭に手が出せない。
「あの時の屈辱は忘れないよ……僕に死の恐怖を味合わせてくれたんだからね……」
「あの時……」鬼斬丸が折れなかったら、鬼頭の首を跳ねていた事を百合は思い出す。
「それは、後にも先にも百合ちゃん、君だけだよ……だから、ゆっくりと殺してあげるね……」鬼頭は残酷な笑みを浮かべ、百合を見た。
「貴様……」百合はそんな鬼頭に手出し出来ず、歯噛みする。
「どうした……あの時の事を思い出したかい?あの、滅火の部屋で、君が妖狐と涼彦を殺した事を……ふっ、まぁ、小さな事だ、とっくに忘れているよね、はははは」
「貴様あぁぁ……」粉雪の事を言われ、百合の頭に血が上り掛けた時、
「主!冷静に!」玉江が百合を諌める為に叫ぶ。
しかし、血が逆流する様な怒りに震える百合には、玉江の言葉が届かなかった。
百合は鬼頭を睨みながら、雷光丸に溜めた気を一気に送り込む……雷光丸が爆発の様に空気を震わせ、激しい緑の閃光が迸り、百合の気と共振し、甲高い金属音を響かせた。
百合は鬼頭の首を直接跳ねる為、狙いを定める。
「どおぉりゃあぁぁ……」雷光丸を右肩越しに構え直し、鬼頭に向けて一気に飛び出した。
飛び出した瞬間、一匹の大蛇の首が百合に向かって来る。
百合は既での所で飛び上がり躱したが、飛び上がった百合を、別の首が上から叩き込んだ。
「がっ!」百合は、鬼頭の直ぐ前に、うつ伏せに叩き付けられた。
そして、百合が起き上がろうと上体を反らした瞬間、大蛇の首が百合の足を上から叩き付ける様に押さえ込んだ。
「あぁぁぁ!」百合は押し倒され這い蹲る。
恐怖が走る……大蛇の首は、百合の太ももから下を押し潰していた……玉江が憑いている為、痛みは感じないが、両足の骨が砕け、筋肉が押し潰された事を百合は感じた。
「ふふふふ、簡単には殺さないよ……動けないだろう、悔しいだろう……ははは、良い格好だよ、僕の前に這い蹲って、情け無い姿をさらしている気分はどうだい?」
鬼頭が蔑んだ目で百合を見下ろし、冷酷な笑みを浮かべている。
「貴様あぁぁ・・・」百合は鬼頭の顔を見て、動けない悔しさに全身が震えた。
「本当はもっと君を辱める様な、悔しい思いをさせてやろうと思っていたんだ……たとえば、力ずくで犯すとか……そう、犯しながら、切り刻むなんて、素敵なんだけどな、ひひひ……」
鬼頭の目に狂気が走る……百合は、それを見てぞっとした。
「まぁ、良いよ……どっちにしろ、苦しんでくれればそれで良いや……」
鬼頭は、滅火の剣を真っ直ぐに持ち上げる……そして、狂気の浮かんだ目で百合を見下ろし、持ち上げた剣を百合の背中にゆっくりと沈めて行く。
「あっ、あぁぁぁ……」百合の胸に剣が通り貫ける、おぞましい感覚が走る。
「白狐が憑いているから、痛みは感じないんだろ……でもね、肺を突いたから、息苦しいと思うよ……」
「ごほっ!」滅火の剣が百合の体を貫き、左の肺を潰した。
「主!」遠退く意識の中で玉江の声が響く。
動かなくなった百合から、足を潰していた大蛇の頭が離れる。
「はははは、無様だねぇ……」
鬼頭が嘲り笑い、百合から滅火の剣を抜き、大蛇の首が百合を振り払う様に動き、百合は二十m程下の地面へと落下した。
「ぐっ」落ちた衝撃で百合は気が付いたが、動かない左手に腕と肩の骨も折れた事を知った。
「白菊!早く来い!」玉江が叫び白菊を呼ぶ。
「誰を呼んでも、無駄だよ……」鬼頭の大蛇の首が、百合の上で口を開けている。
口の中に炎が見えた瞬間、直径二m位の炎弾が百合に向けて放たれた。
「はあぁぁぁ!」玉江が狐火を強め、百合の全身を包み込む。
炎弾は百合を包み爆発した……狐火で包まれている為に熱くは無いが、爆風の圧力が更に百合の出血を早める。
鬼頭は百合を見下ろし、残酷な笑みを浮かべている。直ぐに殺す積もりなら、大蛇で踏み潰せば済む所を、百合を嬲り殺しにする事を楽しむ為に、炎弾を間隔を開けて放つ。
「白菊!まだかぁ!」
大蛇から連続で炎弾が百合に打ち込まれる。
「玉ちゃん、ごふっ……前みたいに……私を操って、ごふっごふっ……動けないの……」
肺からの出血が、百合の気管に詰まる。
「……無理です……妾は動ける者しか操れませぬ……骨が折れている主では、動かせませぬ」
確かに、操り人形みたいに糸が付いている訳では無いため、今の百合は操れない。
爆発の炎が舞い散る中、白菊の気配が近付いて来る。
しかし、別の大蛇の首が近付く白菊に向かって連続で炎弾を放ち、近付く事を妨害する。
白菊はひょろひょろと飛び、炎弾を何とか躱して近付こうとしている時、一発の炎弾が白菊に命中し炎が舞い散る。
「白菊!」玉江が思わず叫び声を上げる。
白菊は、弾き飛ばされ宙を舞ったが、直ぐに軌道修正して、百合の方へと向った。
「くそっごほっ……こうなったら……」
百合は白菊を援護する為に、唯一動く右手で雷光丸を振り上げ気を送る。
「おやめ下さい!主!こんな、体で気を放ったら……死ぬ気ですか!」
玉江が絶叫し百合を諌めると、百合はもどかしい思いに歯噛みしながら、雷光丸を下ろす。
「はははは、ほんとすごいよ、百合ちゃんは……そんなになっても、まだ戦う積りかい……関心するのを通り越して、呆れるよ、はははは」
鬼頭は百合の上で、炎弾放ちながら笑っている……が、急に、鬼頭の笑い声が止んだ。
「信仁……」その時、百合も信仁の気配に気付き、自由の聞かない体で、ぎこちなく振向く。
其処には、信仁が龍の姿になった将鬼丸の背に立ち、白菊を狙う炎弾を蒼天撃で打ち払っている姿があった……どうやら國仁はリュックに、四分割出来る蒼天撃を隠し持っていた様だ。
百合は『……また、おじさんに黙って蒼天撃持ち出したな……怒られるぞ……前は鼻血が出る程、殴られたのに……』と、学習しない信仁に呆れると共に、國仁に再びボコボコにされるであろう信仁に同情した。
「白菊!俺が防ぐ!付いて来い!」
「忝い!」
信仁が蒼天撃に気を送り、障壁を張って突き進み、その後を白菊が追い掛ける。
そして、百合の傍まで来ると、将鬼丸が口から炎を吐き出し鬼頭へと牽制する。
鬼頭が怯んで炎弾の攻撃が止んだ隙に、信仁は将鬼丸から飛び降り、百合の前に着地した。
白菊も同時に着地し、百合に駆け寄り直ぐにしゃがんで手を翳し、
「はあぁぁぁ!」全身を青白く輝かせながら、気合と共に癒しの術を百合に掛ける。
「将鬼丸、憑け!」信仁は両手で蒼天撃を構え、将鬼丸に叫ぶ。
「おう!」将鬼丸が龍の姿から、溶ける様に霊体と成り、信仁の背中に入って行く。
そして、信仁は百合の前で、鬼頭に向かい蒼天撃を両手で横一文字に構え障壁を張った。
「馬鹿……何やっているの!ぐっ、ごふっごふっ……」
「主!」咳き込む百合を玉江が気遣う。
鬼頭は再び百合へと炎弾を放ち出し、それを信仁は障壁を厚く張り、百合を守って居る。
「信仁!何やってるの!ふぅふぅ……貴方じゃ無理よ!ごふっ……貴方じゃ相手にならないわよ!ごふっ、ごふっ……」
「言われなくても知ってらあ!でもな、勝てなくても、少しなら防ぐ事ぐらい出来るぜ!」
障壁の前で次々と炎弾が弾け、炎が舞い散る中、信仁は足を踏ん張り、歯を食い縛って立っている。
「信仁……」百合は、意外な信仁の姿を見て、戸惑った。
「くくくく、とんだ飛び入りが入ったな……小僧が……何処まで持つかな……」
鬼頭が、大蛇の首を集結させている……二匹の大蛇が同時に炎弾を百合達に放ちだした……そしてもう一匹……三匹の大蛇の首が同時に炎弾を放ちだした。
「おおおぉぉぉ!」爆発で炎が途切れる事無く舞い上がる中、信仁は気合を入れ両足を踏ん張って爆風に耐え、懸命に蒼天撃に気を送り障壁を維持している。
「白菊!まだか!」信仁が大蛇を見据えながら叫ぶと、
「今、暫く!」白菊は必死の形相で答えた。
白菊懸命に癒しの術を掛けてはいるが、普通なら死んでもおかしく無い重症だ……玉江が憑いて居なければ、とっくにショック死している……時間が掛かっても仕方が無い。
大蛇が五匹め六匹目となった時、信仁が爆圧に押され、片膝を着いた。
大蛇が六匹同時に炎弾を放ち、凄まじい爆風と炎が舞い上がる。障壁の外は灼熱の炎で土が焼け焦げている。
「くっっっそおぉぉ!」信仁は歯を食い縛り、全身から汗を流し、腕を震わせながら蒼天撃を前えと押し出す。
「信仁殿、今、暫くじゃ!堪えてくれ!」白菊が必死に技を掛けながら叫ぶ。
「はぁっはっ、いいぞ!もっとがんばれ!小僧!」鬼頭は、必死な信仁の姿を見て、残酷な笑みを浮かべながら楽しんでいる。
百合は、必死の形相で耐えている信仁の姿を見て、
「信仁……」改めて信仁の成長を知り、それを嬉しく思い感動した。
「くそっ、だぁっりゃあぁぁぁ!」叫び声と共に信仁が立ち上がり、再び両足で踏ん張った。
白菊の術で、百合の胸の傷は殆ど完治して来たが、未だに潰された足は動かない。
「はははは、これは、なかなかの須佐之男ぶりだな……櫛名田比売を何処まで守れるかな、ははははは」鬼頭は、高笑いを上げると、七匹目の大蛇を百合達に向けた。
それを見た百合は、足が震え恐怖に引き吊った顔で必死に蒼天撃を構える信仁は、既に限界だと悟り、
「信仁!もう駄目よ!貴方だけでも、逃げなさい!死にたいの!」と、信仁へ叫んだ。
「だっ、黙れ!」信仁は力を込め、足を踏ん張り直す……そして、
「ほっ、惚れた女一人、守れないで、男が立つか!」一気に蒼天撃に気を送り直し、障壁を厚く張りながら叫んだ……蒼天撃が金色の光を放ち、空気を震るわせる。
「えっ?何?今の……」緊迫した場面での、意外な信仁の告白に、百合は聞き間違いかと、信仁の言葉を思い起こしている。
「百合姉は俺が守る!」信仁は、蒼天撃を差し出す腕に力を込めながら叫んだ。
百合は、信仁を見詰めながら『ちょっとぉ……こんな時にそんな事言われたら……ぐっと来るじゃない……馬鹿……』と、少し頬を染めた。
百合は正直、信仁の成長振りに驚いていた。実力はまだまだ未熟だが〝根性無しの出来の悪い弟〟と言うイメージは既に消えていた。
そんな百合は『じゃ、少し甘えさせてもらうよ……須佐之男様……』と、死の恐怖と戦い必死に百合を守っている信仁を見て、百合は炎がはじけ飛ぶ中で、妙な安心感に包まれていた。
七匹目の大蛇が、炎弾を放ちだした……今まで以上に凄まじい爆圧が信仁を襲う。
「逃げるかよ……絶対に逃げねぇ……逃げてたまるか……」と、呟きながら、信仁は爆発の度に、がくっ、がくっと体を軋ませている。信仁の額から汗が噴出し、膝を震わせて……あっ……お漏らしをしたのか、股間が濡れ出した。
目にいっぱい涙を溜めながら、鬼頭を真っ直ぐに見据え、恐怖に打ち勝ち怯まずに立っている信仁を見て『何時の間に、そんなに強くなったのよ……』と、百合は感動した。
そして、いよいよ最後の大蛇が口を開いた。
「へへへ、将鬼丸……ま、まだ、来るみたいだぜ……」
「お、おう、上等じゃ!う、受けて立ってやる!」
「ど、どうせ、た、大した事ねえぇよ……へへへ」
「そうじゃ!ちょろっと、ふ、増えるだけじゃ……」
「で、でかい図体しやがって……この程度かよ!」
「お、お、大蛇如きが……見くびるな!」
二人は震える声で強がっている……そんな信仁を百合は白けた目で見て『何、強がってんのよ、思いっきり震えて、びびってる癖に……』と、呆れていたが、
「もう、男って……馬鹿なんだから……うふっ、でも、格好良いよ」と、微笑んだ。
そして、八匹同時に炎弾が放たれた時、
「だあぁぁぁぁぁぁ!……」信仁は叫び声を上げて攻撃を受ける……
「……あれ?」信仁は、意外と攻撃の衝撃が軽い事を不思議に思い振り向いた。
「お待たせ……」百合は、信仁の後ろから肩越しに右手で雷光丸を差し出し障壁を張った。
百合は、信仁の背中に体を引っ付け、雷光丸に気を送って居る。
「ゆ、百合姉……」信仁が振向き、涙でぐちゃぐちゃになった顔で百合を見た。
一旦は死の覚悟も決めたのだろう……信仁は拍子抜けした呆けた顔を晒している。
「おのれ……くそっ!」鬼頭が百合の姿を見て、歯噛みする。
「邪魔よ……退いて……」百合は、左手で信仁の後ろの襟首を掴んで、後ろに引き下げた。
「あっ……」信仁は、急に引っ張られバランスを崩し尻餅を付いて倒れ、自分が必死で堪えていた攻撃を、百合が一人で難なく受けているのを、驚いた目で見ている。
「ほほほほ、キャリアの差よ、バイト君……」百合は口に手を翳して、倒れている信仁に嫌味ぽっく言うと、
「さぁ、反撃開始!」振向き鬼頭を睨む。
「どおうりゃあぁぁぁ!」百合は、両手で雷光丸を構えると、一気に気を送り、攻撃を防いでいる障壁と共に、大蛇に向って特大の稲妻を放った。
稲妻は大音響を轟かせ、幾つかの太い筋に別れ、四匹の大蛇の首を吹き飛ばした。
「鬼百合を舐めるな!」間髪容れず、百合は袈裟懸けに雷光丸を振り下ろし鬼頭の居る首へと稲妻を放つ。
其処へ鬼頭の居る首を庇い、素早く別の首が割り込み、稲妻は割り込んだ大蛇の首を吹き飛ばし、飛び散った土砂が鬼頭を襲う。
鬼頭は、これに怯んだのか、炎弾の攻撃がやんだ。
「下がって!」百合は信仁の腕を掴んで、鬼頭から離れる為、大きく飛んだ。
百合達は、五十m程の距離を取り鬼頭と対峙する。
「信仁、白ちゃん、此処から離れて」百合は、鬼頭の様子を見ながら二人に指示をした。
「承知」
「あ、あ、でも……」信仁は何か言いたいのか、不安そうな顔で百合の顔を見る。
「もう……」百合は、そんな信仁の顔を見詰めながら、掴んでいた信仁の腕を引き寄せて、
「ありがとう……」ちゅっ!と、微笑みながら信仁の頬にキスをした。
「えっ!」行き成り頬にキスをされて、信仁は驚いて百合を見た。
何となく、信仁の怯える情け無い顔が愛おしく思えた百合は、衝動的にキスをしてしまったのだが、信仁に見詰られて、気まずい恥ずかしさが湧き上がり、
「お礼よ……」と言って、信仁を掴んでいる手を突き放し、百合はぷいっと振り向いた。
今頃、胸がドキドキして来た百合は『何で、キスなんかしたのよ……』と、恥かしい気まずさから少し後悔したが「まっ、良いか……」と、百合は気分を切り変え、
「白ちゃんもありがとう、もう大丈夫よ」と、微笑みながら白菊に礼を言うと、
「えへへ……」と、白菊は、満足そうな笑顔を浮かべた。
「行くよ、玉ちゃん!」百合は雷光丸に気を送る。
「承知!」玉江が百合の体を狐火で包み込む。
百合は、大蛇に向かって駆け出した。
「主、お気付きですか?」
「うん……何となく……」玉江の質問に百合は頼りなく答える。
「今の鬼頭めは、影かと……」
「……みたいね」百合は、今、大蛇の頭に居る鬼頭は影だと言う事に薄々感付いている。
稲妻で左肩を吹き飛ばした時は確かに本物だった。が、今、落ち着いて滅火の流を見ると、奴があそこに居るとは考えられない。
では、何処だ?と百合が考えていると、
「あれ程の化物を操るのに、離れて居ては出来ますまい。恐らく……」との、玉江の助言に、
「……大蛇の中……」百合は、そう確信して大蛇を見据えた。
「どうした!やっと来たか!」大蛇が炎弾を放ちながら百合に迫って来る。
百合は大蛇の傍を駆け抜けながら炎弾を躱し、精神を集中して滅火の流を探る。
鬼頭の居る場所、其処は滅火の流れが集中しているはずだと、百合は大蛇を見渡す。
「何をやっている!鬼姫!逃げるだけか!」鬼頭が百合を挑発する様に叫んでいる。
「もう、貴様の挑発には乗らない……」百合は冷静だった。
恨みや、怒りは捨てたはずなのに、粉雪の事を言われ、鬼頭の挑発に乗ってしまった……玉江に諌められても我を忘れてしまった自分……百合はそんな未熟な自分を戒める。
明鏡止水……百合は心を落ち着け大蛇を見る。
「玉ちゃん……あそこ……」百合は炎弾を躱し走りながら、大蛇の首の後方に目をやる。
「……恐らく……」
八つの首と八つの尻尾。それを繋ぐ一つの胴。百合は大蛇の首が生えている側の、胴体の部分に強い滅火の流れを感じた。
百合は、連続で放たれる炎弾を躱しながら、後ろの胴体へと回り込む。
「何処へ行く!」鬼頭は百合の狙いに気付いたのか、胴体を移動させる。
「間違い無い、奴はあそこに居る!」百合は、鬼頭の行動で確信した。
百合は大蛇の首の後ろへ回り込もうとするが、八つの首から放たれる炎弾に妨害され、中々後ろへと回り込めずに走り回っていた。
大蛇の首へと、牽制の雷を放つが、破壊された首に変わって、直ぐに別の首がリカバリーに入り、中々隙が出来ない。
先程の倒れていた百合に対しての攻撃とは違い、大蛇の首は鬼頭を守る為に、全方向をカバーする様に間隔を広げて居る為、一度に複数の首への攻撃は難しい。
「くそっ、何とか……あっ!何する気なの!」
百合が大蛇の動きを、何とか止め様と考えている時、信仁が駆け寄って来る姿が見えた。
「馬鹿!下がりなさい!」
「任せろ!」信仁は、百合から少し離れた地点で止まり、蒼天撃に気を送っている。
信仁は百合の動きを見て、百合が何をしようとしているのか大体の察しが付いた。
百合は蒼天撃を構える信仁を見て、信仁が何をしようとしているのかを悟った。
命を削る戦いの中、二人の心は信頼で結ばれた。
百合はそんな信仁に駆け寄り前に立ち、大蛇を見据えながら、
「任せた!」と、雷光丸を振り上げた。
「おう!」信仁が、蒼天撃に更に気を送りながら構える。
「後方支援よろしく!行っくよおうぅ!」
「おお!」
百合は右手で雷光丸を水平に構え、一気に大蛇へと駆け出した。
一直線に大蛇へと向かう百合に、大蛇の首が炎弾を放って来る。
百合は炎弾を左右に飛び退きながら躱し、そのまま大蛇に向う。
「当たるかよ!」大蛇の間近にたどり着いた時、百合は雷光丸を下段に構え直し、気を送る。
その時、大蛇へと駆ける百合の真上を、龍が飛び越えて行った。
信仁の放った気が、龍の様にうねりながら大蛇へと向い、百合の前に居た二匹の首を吹き飛ばした……その瞬間、百合は一気に開いた隙間に飛び込む。
其処へ二匹の首がリカバリーに入る……と、同時に百合は雷光丸を振り抜き雷を放つ。
砕け散った大蛇の残骸が飛び散る中を飛び抜け、百合は大蛇の胴体へと着地した。
「何をする気だ!」鬼頭が百合の方に首の向きを変えて叫ぶ。
「やかましい!」百合は着地した地点から、大蛇の背中の上を首元に向かって駆け上る。
「くそおうぅ!」鬼頭が百合を振り落とそうと、胴体をくねらせる。
首元にたどり着き、雷光丸に更に気を送り込む……雷光丸から激しい緑の閃光が迸り、爆発の様に空気を震わせる。そして百合の気と共振し、甲高い金属音を響かせる。
百合が雷光丸を振り上げ、大蛇の背中に振り下ろそうとした時、大蛇の背中が破裂する様に吹き飛び、中から醜い鬼の姿の鬼頭が飛び出して来た。
鬼頭は大蛇から飛び降り、百合から距離を取り地面へと着地した。
「貴様は……」鬼頭が、悔しそうに顔をゆがめ、百合を睨んでいる。
百合も鬼頭を追って、大蛇から飛び降り、鬼頭の直ぐ前に着地し、雷光丸を構えた。
大蛇は、鬼頭が抜け出し為コントロールを失い、のたうち暴れている。
更に、大蛇の体に取り込んでいた、滅火が僅かだが徐々に漏れ出している。
百合は鬼頭に向かい、横目で大蛇を見ながら『不味いな……麓には、村がある……何とかしないと……』と、考えていた。
「何時も何時も……何故だ!貴様如きが、何故!」鬼頭が百合に向かって喚いている。
「分からぬか……我、主は真っ直ぐだからだ……邪な貴様には理解出来ぬ事だ」
「やかましい!くそ狐が!忌々しい!……今、この場で殺してやる!」
「出来るものなら、やってみろ。こっちこそ、貴様を逃がす訳にはいかないのよ……」
百合は半身に構え、雷光丸を中段右に据える。
「はっ!、滅火の力を取り込んだ、この俺に勝てると思っているのか!」
鬼頭は、滅火の剣を百合へと突き出し、不敵な笑みを浮かべた。
「貴様は、何時もそうだ。はったりばかりで、隠れてこそこそして……そんな奴に負ける気などしないわ……」百合は今、自分でも不思議なぐらい冷静だった。
「何だと……」鬼頭が眉をしかめ百合を睨み付ける。
「自分でも分かっているわよね。あんなでかい化物を動かして、炎弾打ちまくって……後、貴様にどれ位、滅火の力が残っていると言うの……世迷言も大概にしろ!」
「ぐっ……おのれ……」鬼頭は、百合の見立てが図星らしく、悔しそうに震えながら歯噛みしている……そして、急に滅火の剣を両手で上段へと振り上げ、
「しねぇ!」と、叫ぶと同時に鬼頭は飛び上がり、百合に切り掛かる。
百合は、鬼頭の動きを見て、体を捻り躱す。
すかさず鬼頭は、振り下ろした剣を下から返して水平に降り抜き、連続で切りかる。
百合は、鬼頭の動きを冷静に見切り後ろに下がりながら、切っ先を躱して行く。
そして、大きく後ろに飛び退き、百合は鬼頭と間合いを取って雷光丸を中段に構える。
「だあぁぁ!」そこへ鬼頭が上段から切り掛かって来た。
百合は右に飛び退き鬼頭を躱す……鬼頭は勢いで、前のめりに成り百合を通り過ぎる。
「はあぁぁ!」瞬間、百合は左足を軸にして体を回しながら、雷光丸を鬼頭の背中目掛け、袈裟懸けに振り下ろす……それを鬼頭は前に飛び退き、紙一重で躱し振り向く。
「てえぇい!」百合は其処に、前に踏み込みながら水平に左右に二回、鬼頭の胴目掛け雷光丸を振り抜く。鬼頭は後ろに飛び退き続けて躱し、最後に間合いを取る為に大きく飛び退いた。
百合達は、五mほどの間合いを開け、お互いに構え睨みあう。
二人はお互いの動きを見据え、百合は、鬼頭の動きを警戒し、雷光丸を中段に構え、自分の間合いへと、じりじり近付いて行く……鬼頭も、滅火の剣を上段に構え、百合へと間合いを詰める……そして、
「たぁ!」
「とぉ!」
一瞬だった……生と死が交差する接点で火花が散った。
互い同時に踏み込み、滅火の剣と雷光丸が擦り合う様に交差し火花を散らし、滅火の剣が百合の視界を横切った瞬間、百合の鎖骨と肋骨の間に突き刺さり、肩甲骨を貫いた。
そして、雷光丸は鬼頭の喉下に深く突き刺さっていた……鬼頭の目が百合を睨んでいる。
恨みの篭った目で睨み、歯を食い縛りながら、何か言いたそうに口が動いている。
しかし、鬼頭の口からは声は出ず、血が流れ出す。
小刻みに震える鬼頭に、百合は静かな気持ちで更に踏み込む……雷光丸が鬼頭の喉下を貫き通す……滅びの剣も更に深く突き抜けた……百合の直ぐ目の前で鬼頭の顔が歪む。
そして、百合は真っ直ぐに鬼頭の目を見詰め、雷光丸を捻る……傷口が広がり血が噴出す。
鬼頭は一瞬目を見開いたが、直に目から光が消え、鬼頭は崩れる様に倒れた。
百合は、雷光丸を地面に突き立て、肩に深々と刺さっている滅火の剣を静かに抜いた。
滅火の剣……鬼頭が死んで、既に剣からは滅火の気配は無い。
百合は、剣を投げ捨て雷光丸を手に取ると、倒れている鬼頭を見下ろす。
「終わった……」勝ったのに、百合には不思議と喜びの感情は浮かんで来なかった。
そして、人を殺したと言う罪悪感も……只、足元に倒れている鬼頭が、怨みに縛られ、己を見失った事を哀れと思い、結局、鬼頭の力に成ってやれなかった事を悔やんだ。
「貴方の気持ちも少しは分かるよ……だけど、貴方は間違ってた……間違ってたよ……ごめんね、何の力にも成れなくて……もし、魔斬りの法具の力が人の心も浄化出来るのなら、貴方の心も救われたのに……」と、百合は、鬼頭との決着に後味の悪さを感じていた。
「主、お見事です……お怪我の具合は……」
「ありがとう、大丈夫よ……白ちゃんに治してもらうわ……」
百合はそう言うと、近くでのたうち暴れる八又の大蛇を見て、後始末の事を考えた。
「どうしたものかねぇ……」と考えていると、
「主!」玉江が急に叫んだ。
「何?」玉江の叫びに百合は咄嗟に身構え、鬼頭を見た。
すると、鬼頭の体から滅火とは違う、どす黒い霧の様な物が染み出していた。
それを見て、百合の脳天に警報が鳴り響いた。
「何、あれ?」百合は咄嗟に飛び退き、玉江に尋ねた。
「……分かりません……」
百合は警戒して、雷光丸に気を送る……玉江は狐火で百合を包む。
鬼頭から染み出したどす黒い霧は、小さな稲光が中で光り、もがく様に蠢いている。
そして、徐々に粒子が飛び散る様に崩れ、消えて行った。
どす黒い霧が消えて行くと同時に、鬼頭の体から肉が崩れる様に溶け落ち、完全に白骨となった……滅火の剣も、砂の様になって崩れている。
「……いや!……な、なに?」百合は、その非常識な光景に、怯え戸惑っている。
「鬼頭は、遠うに死んで居ったのやも知れませんな……」
「死んでいた?」
「はい、己が復習を成就させんが為、魂を売り渡しおったのやも知れませぬ……先程の、得体の知れぬ者は、鬼頭に取り憑いて居った魔性の者やも知れませんな……」
「じゃ、鬼頭は操られて居たと言うの……」
「……事実は分かりませんが、操られて居たのとは少し違うと思います……邪な鬼頭の心の隙間に潜み、巣喰って悪しき方へと導いていたと思われます……」
「巣喰って居た?」
「はい、鬼頭が拒否する事も出来たはず……しかし、鬼頭は魔性の者を受け入れたのです……そして、魔性の者に心を喰らわれ、命を吸い尽くされてもなお、強い怨念が怨霊と成り、その骸を動かしていたのやも知れませんな」
人の道を踏み外した者は、こんなにも哀れなものなのかと百合は思った。
「怨霊なら……魔斬りの法具で滅した事で、貴方を救う事が出来たの?……それとも……」
百合は鬼頭の魂が浄化され、救われたと信じたかった。
「主いぃぃ!」
「百合姉えぇぇ!」白菊と信仁が百合の方へと駆け寄って来る。
「駄目!こっちに来ないで!滅火が流れ出しているの!」
百合の言葉に二人は、慌てて立ち止まった。
百合は、その場を離れ二人の方へ駆けて行った。
「百合姉、怪我……」信仁が、血の流れている百合の肩を見て心配している。
「心配しないで……白ちゃんお願い」そんな信仁に百合は笑顔で答え、白菊に振向いた。
「承知」白菊は百合の肩に手を翳し、癒しの術を掛ける。
「あいつ、やったのか?」
「……ええ、それは終わったけど……後始末がね……」と、百合は、白菊に癒しの術で傷を治してもらいながら、滅火が染み出し暴れている大蛇を険しい顔で眺めた。
大蛇は、のたうちながら徐々に山頂の方へと向かい、染み出した滅火の気配を感じ、化物達が集まって来ている……大蛇が通り過ぎた後は、木や草が枯れ、茶色い道が出来ている。
「主、如何されます……」
「……あれの、後始末……化物も集まって来たし……滅火も麓に流す訳にも行かない……」
「まさか……」
「うん……滅火が、どれぐらいの量があるのか分からないけど……吹き飛ばす事は出来ると思うの……それしか、思いつかなくて……」百合は、不安な表情を浮かべている。
「主……しかし……」
「分かっているよ、まだ、完成して無いものね……でも、普通に攻撃しても、滅火を撒き散らす事になるし……あの巨大な大蛇を止めるのに、どれだけ掛かるのか……私の気が持てば良いんだけど……あっ、白ちゃんありがとう、もう良いわ」
百合は、白菊に向かって微笑み礼を言った。
「玉ちゃん……ごめん、付き合ってくれる……」百合が俯き、小さく呟く。
「……もとより……承知しております」玉江は静かに返事をした。
「信仁、お願いがあるの」百合は顔を上げて信仁を見る。
「えっ、何?」信仁は何の事かと、目を大きく開いて百合を見た。
「あの後始末に、圧気爆をかけるから、私を化物から守って欲しいの」
「えっ、圧気爆って……まだ練習中じゃ……それに、危険な業だって……」
信仁は眉をしかめ、不安そうな顔で百合の顔を覗き込んだ。
「だから、守って欲しいのよ……空気を圧縮するのに、まだ時間が掛かり過ぎるから、その間、化物から守って欲しいのよ……出来るでしょ」百合は微笑みながら信仁に頼んだ。
「えっ?うん……でも……」百合に頼まれ、信仁は戸惑っている。
百合の頼みには答えたいが、化物との実戦経験の無い信仁には不安だった。
「大丈夫よ……さっきあれだけ頑張れたじゃないの」
「うん……でも、百合姉は大丈夫なの?」
「うん、大丈夫だよ。まだ、気の力は十分残っているし……あの程度吹き飛ばすの、大した事じゃ無いわ……それに、いざと成れば、白ちゃんも居るし……」
心配そうな信仁を安心させる為に、百合は態と明るく振舞った。
「でも……だったら今度こそ親父達を待とうよ……後、一時間もしない内に到着するよ」
「駄目よ、あれを御覧なさい……頂上を越えたら、三十分もしない内に村に近付くわ……そうなったら手が付けられないわよ……頂上を越える前に何とかしなきゃ……」
「でも……」不安そうに見詰める信仁に、
「……私は大丈夫よ、心配しないで」百合は信仁の肩に手を置いて微笑んだ。
「……本当だね?」信仁が、真剣な眼差しで百合の目を真っ直ぐに見て尋ねると、
「ええ、大丈夫よ……任せて」百合も信仁を真っ直ぐに見て答える。
「……」お互いに、見詰め合う二人。
「……分かった……」そして信仁は、ただ一言そう言った。
信仁には百合の覚悟が分かった……だから自分も死ぬ気で百合を守ると心に決めた。
「白ちゃんもお願い、化物を私に寄せ付けない様にして……でも、無理はしないでね」
「承知……」白菊が心配そうに百合を見て答えた。
「将鬼丸、憑け……」信仁が大蛇を見据えながら、将鬼丸に言うと、
「おう」将鬼丸が霊体と成り、信仁に入って行く。
将鬼丸が憑き、信仁の体が金色の光に包まれ、瞳が金色に光る。
「惚れた女は必ず守る、任せてくれ」信仁は振り向き、余裕の表情で微笑んでいるのを見て、
「分かってる……任せたよ、須佐之男様」百合は、少し呆れる様に微笑んだ。
「はははは、櫛名田比売じゃ無く鬼姫を守る須佐之男か……頑張らせてもらいます!」
信仁は笑いながら、おどける様に腰を折り深く頭を下げるている。
「ふふふふ、何やってるの……」
「はははは」
二人は顔を見合わせて笑った後、
「行くよ……」
「うん……」真剣な目で見詰め、頷き合った。
そして百合達は、二人揃って山頂へと走り出し、白菊がその後を追う。
山の木々を薙ぎ倒し進む大蛇の横を駆け抜け、百合達は山頂の手前へとたどり着いた。
大蛇は暴れながら、百合達に真っ直ぐ進んで来る。化物達も向って来た。
「信仁、白ちゃん、よく聞いて!」
「何だ?」
「空気の圧縮がある程度進めば、その圧力で化物は寄って来れなくなるわ……その時合図するから、迷わず出来るだけ遠くに逃げて。良いわね!絶対よ!」
「分かった!よし、白菊、行くぞ!」
「承知!」
信仁は、向って来る化物達へと走り出し、白菊も信仁を追って飛んで行った。
「玉ちゃん……ありがとうね……付き合ってくれて……」
何時かは、玉江に死を覚悟した命を下さ無ければ成らない事を、百合は覚悟していた積りだったが、その時を向え、百合の心は締め付けられる様に痛んだ。
「主……勿体のうございます……妾は何処までも、御伴させていただきます」
「玉ちゃん……」百合は、そんな玉江に、自分と出会無ければ、こんな事に成らなかっただろうにと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「妾は五百年の間、時の狭間で思いを巡らせて居りました……三十年間、中睦まじく連れ添った殿でさえ、妾があやかしと知ると、恐怖されました……所詮、あやかしと人とは、決して分かり合えぬとも思い始めて居りました……人とはなんとも愚かなものかと……主、覚えておいでですか?初めて会った日の事を」
「えっ?あっ、青森の神社で会った時の事?」
「はい、時の狭間に置かれた場所なのに、何故か主は現れました……そして、あやかしである妾に臆する事無く話しかけられ……妾が五百年の間、其処に縛られている事をお知りになると、こう、仰いました〝可哀そう〟と……その何気ない言葉に妾は惹かれました……何故、この少女は、初めて出会ったあやかしに、思いを込められるのだろうかと……だから、妾は主のお心を知りたくなりました」
百合は、玉江と初めて会った頃の事を思い出している。
「あの時……そうだね、五百年も閉じ込められていた玉ちゃんが可哀そうで……出られないかと、色々やったんだっけ……」
「はい……まったく、人である主が、神の掛けられた結界を解く事など、出来るはずも無いのに……なのに主は懸命に試されましたね。妾は主の努力を、馬鹿馬鹿しい思いで見ていましたが、何日か過ぎた時、初めて会ったあやかしに何故こうまで親身になって助け様とするのかと、主に興味を持ちました」
「そうだったね、そして、なんでだったかは忘れたけど、私達が触れ合った時に、結界が解けたんだっけ……」
「はい。伏見様は、五百年前に妾が主と会う事をご存知だったのです……人の心に疑念を抱いている妾を救う為に……そして、粉雪が死んだあの日……あの日の主のお言葉で、妾は知りました……妾の主は貴方様だと……五百年の迷いから目覚めさせて頂いた貴方様だと……」
「玉ちゃん……」
大蛇が五十m程手前まで迫って来た……信仁と白菊が向かって来る化物を攻撃している。
百合は、雷光丸を地面に突き立て両手で握る、そして、真っ直ぐに大蛇を見る。
玉江の言葉を聞いて、百合から迷いが消えた。
死を覚悟する命を下した事に負い目を感じるのでは無く、こんなにも自分を信頼してくれている玉江と、共に戦える事が誇りに思えて来た。
「じゃ、私、もっとがんばらなくっちゃね……」
「は?」
「私を主と呼んで、玉ちゃんが恥ずかしく無い様に成らないと……」
「主……」
「はははは」
「ふふふふ」
厚い信頼、心から頼れる存在……百合は玉江に感謝した。
不思議と穏やかな澄んだ気分だった……練習中の圧気爆、上手く出来る確証なんか無い。
しかし、百合は絶対に出来ると不思議な自信を持っていた。
玉江が居る。白菊が居る。信仁が居る。そして、皆に守られた自分が居る……だから、
「出来ない訳が無い!」百合は、そう自分に言い聞かせ、覚悟を決めた。
「始めるよ……」百合は正面を見据え、雷光丸を握る手に力を入れる。
「承知」玉江が、狐火を強く燃え立たせ、五mを超える狐火が百合を包み込む。
「南無八幡大菩薩……誉田別命様、我に力を……はあぁぁぁ!」
百合は一気に、雷光丸に気を送り込む……雷光丸から激しい緑の閃光が迸り、爆発の様に空気を震わせる。そして、百合の気と共振し甲高い金属音を響かせる。
「圧気……」気を制御する為に、百合は念を込める。
緑の光が球状に広がり、百合の周りに竜巻の様に風が舞い、土埃を上げて狐火を揺らす。
竜巻は徐々に、集約し球状に回転しだし、五m程炎を上げていた狐火は、直径三m位の球形となった……空気が圧縮して来た。
直径五m程の球形は回転をしながら、回りの空気を取り込み圧縮し大きく成って行く……その外では、信彦と白菊が化物と戦っている。
「はあぁぁぁぁ……」百合は更に気合を入れ、気を制御する。
狐火も既に、百合の身長ぎりぎりの大きさまで圧力で押され、球形になっている。
玉江の狐火に包まれて居なければ、無事では居られないぐらい圧力が上がって来た……しかし、これからが問題だ……これ以上圧力を上げると、狐火の抗力も期待出来ない。
圧気爆は空気密度を高め、その中の大量の酸素を利用して爆発を起こすと言う荒業だ。
密度の高まった空気で、外の景色は揺らめいて、はっきりと見えなく成り、圧縮している空気の大きさも十mを超えた。
「信仁!引け!」百合は、限界を感じ叫んだ。
揺らめく空気の外で、金色の光と青白い光が離れて行くのを百合は確認し、ほっとする。
そして外から何かがぶつかって来る振動が伝わる……化け物が群がって来た。
暗くて良く分からないが、大きな物が近くで揺らめいて見える……大蛇が来た。
普通なら此処で爆発させるのだが……二発めは無い。
百合は、これに全てを賭ける為に、更に圧縮を続ける。
圧力の上がった内部で徐々に狐火は押し潰される様に縮まり、百合の体に沿う様にまで押し潰して来た。
玉江は、狐火で百合を守る事に全力で集中している……既に、かなりの霊力を使っている。
既に耳は聞こえない……圧力のせいで、百合の鼓膜は破れた。
目も圧力で押し潰されそうだ。
暫くすると百合は、耳と鼻から何かが伝い流れる感じがした……毛細血管が破れ、血が流れ出した……目は既に見えない……眼球が潰れたのか、血が顔を伝う感じがする。
百合の頭蓋骨が軋み出した……肋骨が押し潰されそうだ……そろそろ限界だ。
「主……」玉江の声が頭の中に直接聞こえると、
『うん……玉ちゃん、生きて又会おうね……』と、百合は心の中で玉江に伝え、〝爆〟と、念じた瞬間、百合の体に砕け散る様な衝撃が走った。
---◇---
夏の早朝、夜の闇が濃い群青色に溶け出し、山の姿を黒く映し出し始めた頃、山頂付近で、稲妻の様な強い一瞬の閃光が丸く弾けた。
その後、雷鳴の様な咆哮が響き渡り、山の空気を震わせた。
---◇---
「…ぶ…のぶ…のぶひと……信仁!信仁!」ぼやける意識の中で、自分を呼ぶ声に気付く。
焦点の合わない視界の中に、将鬼丸と白菊の顔が見えた。
思考が停止していた信仁は、暫くの間二人の顔を『何だ』と、ぼんやりと眺めていたが、
「ゆっ、ゆりねぇ!」と、急に叫び飛び起きた。
飛び起きた信仁が自分の周りを見渡すと、険しい斜面に生えた木が薙ぎ倒され、折れた大木が地面に突き刺さり、大きな岩が地面にめり込みクレーターを作っていた。
信仁は、自分の体が柔らかな地面に少しめり込んでいる事に気付き、自分が爆風に吹き飛ばされた時までの記憶が蘇って来た。
「百合姉!」信仁は斜面に立ち上がり、百合がいたと思われる方向を見た。
薄明るくなって来た空の下で、数百m先に、緑が消え、赤茶けた地面が露出しているクレーターが見えた。その光景を見た瞬間、信仁の血の気が引いた。
「将鬼丸!行くぞ!」信仁は、震える体を止める為に、拳を強く握り叫んだ。
「あ、お、おお……」将鬼丸は、急に言われて戸惑いながら龍の姿に変化する。
信仁は将鬼丸に飛び乗り、二人は地面の露出している所へと向った。
上空から見るその場所は、土砂が吹き飛ばされ、半径百mの範囲で深い窪地となっていた。
更に窪地の周りの木々は、半径三百mに亘り爆発の衝撃で吹き飛ばされて倒れ、爆風による影響は、信仁達の居た半径五百m辺りまで達していた。
そして、其処には動く者の姿はなかった。
「ゆ、百合姉……ゆりねぇぇぇ!ゆりねぇぇぇ!ゆりねぇぇぇ!」窪地の上空を旋回しながら信仁は、その絶望的な光景に死を連想し、湧き上がって来る恐怖に体を震わせながら、何度も百合の名前を叫んだ。
○大団円○
胸に響く鼓動を感じる……真っ暗な世界に、光が差し込んで来た……視界が徐々に白くなって行く……
ぼやける視界に、薄い影が浮かんでいる。
薄い影はゆらゆらと動きながら、徐々に輪郭を表して来る。
誰?……私を見ている二人……泣いているの?思い出して来た……私の大切な人……信仁、白ちゃん……信仁、泣きながら何か叫んでいる……白ちゃんも必死になって叫んでいる……
「目が開いた!」
「百合姉!」
聞こえる……聞こえて来た……二人の声が……暖かな声が聞こえる……
「百合姉!百合姉!百合姉!百合姉!……」
「主!主!主!主!主!……」信仁と白菊が倒れている百合の前で叫んでいる。
「こふっ……」人形の様な瞳で二人を見ていた百合が小さく咳き込む。
「百合姉!」
「主!」二人の顔が、笑顔に変わる。
「信仁……白ちゃん……」百合の瞳に生気が戻り、二人に声を掛ける。
「百合姉!あうっ、生きてる……ううぅぅ、生きてるうぅ……うううぅぅぅ、生きてるうぅぅぅ……生きてるようおぉぉぉ!」
百合の横で信仁は、両膝を着いた姿勢で、両手で顔を抑え空を仰いで泣いている。
「主!主!」白菊が癒しの術を掛けながら、心配そうに百合の顔を覗き込んでいる。
「白ちゃん、ありがとう……もう、大丈夫みたい……」
百合は気だるい声で白菊に礼を言った……百合は随分と魂を削ったみたいだ。
「もう、良いの?」
「うん、ありがとう。何処も痛く無いわ……あっ!」
その時、百合は自分の中に玉江が居ない事に気付いた。
「玉ちゃん!玉ちゃんは?」探そうとするが、体が動かない。
「お傍に……」足元の方から玉江の声が聞こえた。
「玉ちゃん……えっ!どうしたのその姿!」
玉江は百合の足元から、青くなりかけた空が透けて見えるぐらい、薄く揺らめいている姿で、百合の頭の方へとやって来た。
「ご懸念ご無用です……聊か霊力を使い過ぎました……白菊、すまぬ、我も頼む」
「承知」白菊が玉江に癒しの術をかけている。
徐々に玉江の姿がはっきりと輪郭を現して来た。
「白菊、もうそれぐらいで良い……十分じゃ」
「しかし……」
「もう良い、それ以上やると、今度はお前が消えてしまうぞ……後は、自然と回復する」
玉江が優しく微笑みながら言うと、白菊は安心したかの様に微笑んだ。
「玉ちゃん……ありがとう……」百合が玉江を見て、微笑みながら礼を言った。
「勿体のうございます……そのお言葉、何よりもの喜びに存じます」
玉江は百合の傍らに跪き、頭を下げる。
その時、百合の目線が自分の体に掛けてある、信仁のシャツへと行った。
「えっ?……何?……きゃあぁ!何よ!私……裸!何でよ!」
百合は何とか首だけを動かして、自分の全身を眺め、自分が全裸である事に気が付いた。
「あっ、落ち着いて、百合姉……爆風で服が吹き飛んだみたいで……それで……」
信仁が、自由の利かない体をゆすって叫ぶ百合から落ちそうになるシャツを押さえながら、顔を赤くして百合に遠慮気味に説明している。
ぼやけた頭が、徐々にはっきりとして来た百合は、改めて考えると、服が消し飛んでいるのは当然かと納得した。
「……見た?……」百合が顔を赤くして、横目で信仁を睨み付ける。
「……見た……」信仁は恥ずかしそうに横を向いて目をそらし答える。
「やあぁぁん!馬鹿あぁぁ!あっちに行けえぇぇ!」体が思う様に動かない百合は、肩を揺すって叫び『やだやだ!低脂肪乳見られたあぁ!』と、そっちの方を恥かしがった……
信仁には下着姿を曝して、すでにばれているが、やはり直接見られると恥ずかしいらしい。
「しょうが無いだろ!百合姉、全身ずたずたに傷付いて、土に半分埋まってたんだから……慌てて、一生懸命掘り起こしたんだから!」信仁が後ろを向いて、必死に状況を説明している。
「なに?……埋まってたって……それじゃぁ……それじゃぁ……」
全裸の自分が、埋まっていた土砂から、信仁に掘り出されたと言う状況を百合は思い描き、その必然性から、信仁に全身を触られたと言う結論に達した。
「そうだよ!埋まってたの必死で、”手”だけで掘り起こしたんだから!
」
百合はその状況に、顔から火が出るくらい恥かしい思いをした。
その恥かしい思いが、徐々に怒りに変わり、何故か信仁に対して腹が立って来た。
「ちょっと!だったら何やってんのよ!ズボンもよこしなさいよ!」八つ当たりである。
「あっ、ごめん……あの……でも、俺……」理不尽な八つ当たりに、律儀にも信仁は顔を赤くしながら答え、何かを躊躇う様にもじもじしている。
「……分かってるわよ……仕方が無いわよ、緊急事態なんだから……もう乾いているでしょ」
「……うん……」お漏らしをした事を百合に知られていて、信仁は少しショックだった。
信仁は恥かしそうに返事をしてズボンを脱ぎ、百合の方を向いてズボンを差し出すと、
「阿呆おぉぉ!こっち見んなあぁぁ!」百合は、口から火を噴出しそうな勢いで怒鳴った……死に掛けていた割には元気である。
「あっ!あっ、ごめん……でもどうしよう……」信仁は慌てて後ろを向いて訊ねる。
「良いわよ!其処に置いて!玉ちゃん、ごめん、疲れているだろうけど、お願い出来る?」
「は、はあぁ……構いませんが……」
玉江が実体化して動けない百合に、ズボンと上着のシャツを、白菊も手伝って着せた。
「あの、主……このままでは……よろしければ妾が……」
玉江が地面に転がったままの百合を、後ろから手を回し抱き起こして気遣っている。
「良いよ、玉ちゃん……信仁!」百合は、ぞんざいに信仁を呼び付ける。
「えっ、俺?」下着姿の信仁が、首だけを振り向かせて自分を指差している。
「起こしてよ……」百合が不機嫌そうに、信仁を睨むと、
「あっ、そうだね……ごめん……」信仁は、百合に向かって手を差し出した。
「何よ、それ……」百合が差し出された手を睨み付けると、
「えっ?……起こせって……」信仁は、とぼけた表情で問い返した。
「あのね、動けないのよ!抱っこしてよ!」
「あっ、ごめん!」
信仁は慌てて百合の後ろへ回り、しゃがんで玉江と変わり、百合の手を肩に回し、後ろから百合の上半身を抱き起こした。
「何してんのよ……」百合が再び、不機嫌そうに信仁を睨み付けると、
「何って……抱き起こして……立てる?」信仁も再び、とぼけた表情で百合に尋ねると、
「やだあぁ、抱っこ!お姫様抱っこ!」百合は、駄々っ子みたいに首を振って抗議した。
「へっ?あの……」
「こういう場合、お姫様抱っこでしょ!お姫様抱っこじゃなきゃやだあぁ!」
駄々を捏ねる百合に信仁は戸惑いながら、遠慮気味に百合の膝の下と背中に手を回して、百合を軽々と持ち上げた。
「うふっ……」
満足そうに微笑む百合を、信仁は呆れた様に微笑んで見ている。
信仁の太く逞しい腕が百合を包んでいる……信仁のぶ厚い胸から鼓動が聞こえる。
百合は、信仁の腕の中で、今まで経験のした事の無い、安心感に包まれていた。
しかし信仁の顔を見ながら安心感に包まれていると『あっ、そう言えば……』と、段々と思い出して来た……どんどん思い出して来た……思い出し始めたら止まらない。
百合はあの時、信仁に告白された事を思い出し、再び顔を赤く染めた。
信仁に抱かれている今の状況で、百合はその事を気まずく思い、
「あっ、でも、言っとくけど、さっきの告白みたいの……OKした訳じゃ無いからね!」と、信仁の告白に対して、ツンデレの見本の様な答えをし、信仁の視線からそっぽを向いた。
しかし……不機嫌そうにそっぽを向きながらも百合は待っていた『さあ、来い!此処だぞ、もう一押ししてみろ!お姫様抱っこで良い雰囲気なんだから、今だ!そら、来い!』と、舞っていた。
「えっ?……あっ……あぁ……うん……」なのに信仁は、情けなく答えた。
信仁本人としては、もっと雰囲気の良い所で、盛り上がった上で告白したかったようだが、つい勢いで、自分の思いをばらしてしまった事を後悔していた。
百合はそんな信仁を『きさまぁ……』と睨み付け、
「あのね!もう少し……」と、抗議しかけると、朝日が昇り始め、百合の顔に太陽の光が差し込んだ。
その眩しさに、思わず目を閉じた百合は、ふと『……なんで、私、信仁の告白を期待したんだろう……』と、不思議に思った。
更に百合は『やだ、何考えてるのよ……もし、告白されたら、何て答えるつもりなのよ……』と、急に恥かしくなって来た……女心は分らない……
「何?……どうしたの?」言葉を途中で黙ってしまった百合の顔を、信仁が不思議そうな表情で、覗き込んでいる。
「えっ!」覗き込む信仁と目が合ってしまった百合は、更に顔を赤くして、信仁から慌てて顔を逸らし、
「な、何でも無いわよ……」と、恥かしそうに言葉窄みに呟いた。
既に明るくなった空の遠くから、ヘリの音が聞こえ、本山のバートルが小さく見えて来た。
出発に手間取ったのか、信仁の話より一時間以上送れて國仁達がやって来たみたいだ。
百合は近付いて来るバートルを見ながら、まだ信仁に礼を言っていない事に気付いた。
何時までも頼り無い、出来の悪い弟だと思っていた信仁が、逞しく成長した事に、子ども扱いは止めてやろう程度に思っていた百合だったが、死の恐怖に耐えながらも、百合を守ろうとした信仁の心の成長に改めて感動した。
命懸けの恐怖に打ち勝ち、惚れた百合を守ろうと、大蛇に立ちはだかった信仁の姿を思い出すと、信頼を超えた安心感に包まれて行った。
そして、ヘリを見ている信仁の横画を見ながら百合は、そんな信仁に、今までには無かった感情が芽生えて来ている事を改めて認識した。
『まいったな……好きに成っちゃったかな……』と、思うと百合は、くすりっと笑った。
百合は信仁に抱かれながら、不思議と今迄の恥かしい思いが消え、安らいだ気分になれた。
「そう言えば、まだ、お礼を言ってなかったわね……」
「えっ?……」百合の言葉に不意に信仁が、百合の方に振向くと、
「ちゅっ!」と、ほんの0.25秒、百合の唇が信仁の唇に触れ、
「お礼よ、ありがとう……助けてくれて」と、百合は柔らかく微笑みながら礼を言った。
信仁は突然の事に驚き戸惑い、大きく目を見開き、顔を真っ赤にして百合を見ている。
その、百合を見詰める信仁の瞳は、焦点が合っていなかった……
信仁は百合のキスに逆上せた脳味噌で、この事をどう解釈して良いのか、悩んでいた。
『これはOKの意思表示なのか?……いやいや、“礼”だと言ってたぞ……どう受け取れば良いんだ?下手に解釈すれば後が怖いし……』と、百合に対するトラウマが信仁を悩ませる。
そして『よし!こうなったら……』と、お姫様抱っこの状況で、信仁の脳裏に〝風と共に去りぬ〟の一場面が浮かび上がり『かっこ良く決めてやる!』と度胸を決め、今一度、じっくりとキスをしようと、百合の唇を狙ったが『もし、間違っていたら……後で確実に殺される……』と言う考えが頭を過ぎり、その恐怖に信仁は固まった。
なんせ、相手は山の頂上を吹き飛ばした暴れん坊さんである……怖いよな……
百合のキスに何の反応も示さず固まっている信仁を、
「……どうしたの?」と、百合は怪訝そうに見ている。
百合の言葉に、はっと我に帰った信仁は慌てて、
「なっ、何でも無いよ……はははは……」と、力無く笑って誤魔化した。
「可笑しな子ね……」不可解な信仁の行動を見て、百合は、くすりっと笑った。
中学生の時、捻くれて、怠惰な生活が当たり前だった頃、全てを否定して、享楽的な事だけ受け入れ腐っていた百合を替えてくれた人達。
自分に生きる意味を気付かせてくれた人達。
そして、自分と共に戦ってくれた戦友達……
百合は、自分を愛してくれているすべの人達に、深く感謝した。
「ねえ、信仁……」百合が信仁を見詰めている。
「何?」
「ありがとう……私の傍に居てくれて……」百合は微笑みながら信仁の胸に顔を寄せた。
信仁は、そんな甘える様な百合を、自分に引き寄せるように強く抱き締めた。
そして、百合は信仁の腕の中で安心感に包まれ、何時しか小さな寝息を立てていた。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
鬼百合編は、これで一旦幕を下ろさせていただきます。
読んで頂いた感想をお聞かせ願えましたら幸いです。