九十九神
作中、微グロあります。
滅火-鬼百合編
○プロローグ○
色は匂へど 散りぬるを
諸行無常
我が世誰そ 常ならむ
是生滅法
有為の奥山 今日越えて
生滅滅己
浅き夢見じ 酔ひもせず
寂滅為楽
何を望む……
「……誰だ?……」
我が何者であるのかは、些細な事だ。我は貴兄の望みを叶える。
「望み……俺の望み……」
如何にも。
「力……力が欲しい……強く成りたい……」
うむ……では、力を得て何とする。
「復讐だ」
復讐……
「そうだ……復讐だ」
面白い。ならば問う。大願成就の為で有れば、貴兄は人を捨てる事が出来るや?
「人を捨てる……どう言う事だ、それは……」
言葉通り、如何様ににも取れば良かろ……
「心を捨てろって事か?……構わんさ。復讐の為ならな」
「良かろう。では、望みを叶えてやろう……」
○九十九神○
「何処に隠れた!」
少女が杉林の緩斜面を駆け抜け、木漏れ日が差し込む木々の合間に目を配る。
少女は神崎百合、十六歳。その小柄で細身の体からは想像出来ないスピードで、後ろに束ねたポニーテールの黒髪をなびかせて駆けて行く。
いきなり、ちりっと、右面に警戒が走る。
『来る!』と感じた途端、右から数本の光の矢が、連続で百合を目掛けて飛んで来た。
初弾を身を捻り躱したが、続く光の矢が避け切れない。
「ちっ!」反射的に飛び退きながら、
「たあぁ!」百合は光の矢を“鬼斬丸”で薙ぎ払う。
魔斬りの法具、鬼斬丸。刃渡り二尺三寸の日本刀。
薙ぎ払われた光の矢は、閃光と共に砕け散る。
「あっちか!玉ちゃん!山手!上の方に行って!」
光の矢が飛んで来た方向を指差し百合が叫んだ。
「承知!」
玉ちゃん……近江玉江、齢千年の白狐。
全身を青白い狐火で包んでいる巫女姿の玉江。その、気品ある美しい顔の額には赤い十字の文様と、眼の淵には赤い隈取が浮びあがっている。人間ならば二十歳ぐらいに見える玉江のお尻には、太くて長い白い尻尾が生え、頭には尖った白い耳が生えていた。
玉江は、長く白い髪の毛をなびかせ、木々の上を飛び越え、百合の指差す方へと飛んだ。
百合も攻撃の来た方向へと走る。
「雪ちゃん!分かる?」
「駄目……もう一度、あいつが攻撃してくれたら……」
雪ちゃん……篠田粉雪、齢五百年の五尾の妖狐。
玉江と良く似た年頃に見える粉雪は、妖艶な雰囲気を漂わせた顔の眉間にしわを寄せ、着物姿の裾を乱しながら、百合を追いかける様に走っている。
色気漂う粉雪にも、先だけが白い狐色の尻尾が五本と、尖った耳があった。
「分かった!」
百合と粉雪は、木々の間を走りながら前を見据える……気配は感じる……
木々の間から青白い炎の爆発が数回見えた。
玉江が上空から、奴の気配のする方へ当たりを付け、青白い狐火を圧縮した、炎弾を放ち攻撃している。
百合達が玉江の方に近付くいて行くと、林の中から光の矢が数本、上空の玉江目掛けて飛んで行った。
「玉ちゃん!」
百合が叫ぶと同時に玉江は、体を翻し光の矢をあっさりと躱した。
「主!見えた!右!大きな木が二本、並んでいる所!」
百合は、粉雪が指差した方を見る。直径一mくらいの大木が二本あった。
「あそこか!」粉雪が指差す方に強い気配を感じ、百合は鬼斬丸に気を送る。
送り込まれた気を溜め、鬼斬丸は緑色に光りだす。
「たあぁぁ!」百合は上段に構えた鬼斬丸を、気合と共に一気に振り下ろし気を放つ。
放たれた気は光の矢となり、一直線に飛んで行き、命中した大木の根元を消し飛ばした。
『反応が無い、外したか……』と、思いながら、ゆっくりと傾く大木の根元を見詰る百合に、
「主!何をやっているんです!一撃で決めないと!」
大木が轟音を立て倒れる中、上空の玉江からの怒鳴り声に百合は首を竦めている。
姿を消している相手に、気配だけを頼りに攻撃を直撃させる事は、元々難しい事ではあるのだが、それ以前に百合には迷いがあった。
「あっ、主!あいつ!」
粉雪が指差す方を見ると、陽炎の様な空気の揺らめきが移動している。
その陽炎は、徐々に固まる様に人の姿へと変わり、其処にはの姿が現れた。
玉江の攻撃と百合の攻撃で、姿を消している余力が無くなったのか、姿を現した花魁は、大きな扇を振り上げ、地面から僅かに浮き上がり滑る様に移動し逃げている。
上空から玉江が、花魁目掛けて炎弾を連続で放つ。
花魁は袖を振り乱し、持っている扇で炎弾を掃い避けながら後退している。
百合達が戦っている花魁は、九十九神の化身だ。九十九神とは、長年使った道具や物に魂が宿る事を言う。花魁の本体は、江戸時代に作られた鼈甲の櫛。
百合が上から聞いた話では、約二百年前に作られた櫛で、九十九神が宿った後も長い間、大切に人から人へと伝えられて来た櫛だったそうだ。
「主、何をしているのです!情けは無用ですぞ!」上空の玉江からの怒鳴り声に、
「分かってる、分かっているけど……」と、百合は眉を顰める。
荒ぶった九十九神は、既に五人を殺している。それは決して許される事では無い。
許される事では無いが、人に大切に扱われて来たはずの九十九神が、何故人を殺したのかと、百合にはそれが分からず、心に迷いが生じている。
最初に殺された二人は、元の持ち主から形見として受け取った肉親だった。
九十九神が殺した理由が、百合には想像出来なかった。
玉江の攻撃に押され、林を抜けて少し開けた緩斜面へと花魁は出た。
百合達も花魁を追って近付き、二十メートルくらい手前で花魁に対し構え、玉江は上空で花魁を見据えている。
「お願い!もう止めて!お願いだから、櫛に戻って!」
百合の叫び声に花魁が気付き、頭上に扇を翳しながら百合を睨み付ける。
悲しい目だった……怒りの表情の中に怨みを秘めた悲しい目。
百合は、その目を見て哀れみを感じ、思わず構えに隙が出来た。
「主!危ない!」
粉雪が叫んだ瞬間、花魁が一気に扇が振り下ろし、光の矢が百合に向かって飛んで来た。
「はあぁ!」百合は、瞬時に飛び退きながら、鬼斬丸で矢を一気になぎ払う。
それと同時に上空の玉江が、花魁の隙を突いて炎弾を放った。
命中した炎弾の爆発に、花魁は一瞬怯んだが、直ぐに振り下ろした扇を翻し、光の矢を玉江に向けて放った。
散弾の様に放たれた無数の光の矢を、玉江は避けようと体を翻したが、一本の矢が玉江の胸を貫いた。
「いや!玉ちゃん!」
玉江は一瞬高度を落とし、百合が悲痛な叫びを上げたが、直ぐに体制を立て直し身構えた。
「大丈夫です!大事ありません!」
少し顔をゆがめる玉江だが、再び炎弾を放つ姿を見て、百合はほっとした。
花魁の姿はあくまでも化身。本体は鼈甲の櫛。倒すには本体を滅しないとだめだ。
しかし、百合は躊躇っている。
何故、人を殺したのか。九十九神の心が分からず躊躇っていた。
玉江と花魁は、互いに攻撃を繰り出し、躱し、戦っている。
「もう、駄目なのね……何が貴方をそうさせたの?」
花魁からは、憎しみと怒りの気持ちが、殺気として放たれている。
山を越えれば、麓には住宅街がある。
怒りに我を忘れた、今の九十九神には話が通じない。
花魁の放つ殺気を感じ、百合は此処で止めなければ、犠牲者が増えると思い、
「雪ちゃん、憑いて!」と、百合は決心した。
「主……良いのかえ?」粉雪は百合の心を確めるかの様に、問い質す。
「本体を……やるわ……」
「……あいよ……」
粉雪は、一言答えると百合の背中に回り、百合の両肩に手を添えた。
そして、粉雪の体からオレンジ色の炎が立ち昇り、全身を包むと同時に姿が消え、炎が人魂の様な狐火となり、百合の背中へと溶け込む様に入って行った。
粉雪が入って来る事を感じながら、百合の体は熱くなり、頭がぼーっとして、目の前でちかちかと星が飛んだ。
まるで上せた時の様な感覚が終わると、体中に力が湧き上がる。
粉雪が憑いた百合の背中からは、オレンジ色の炎が立ち上り、瞳の色が炎と同じオレンジ色へと変わった。
百合は、玉江と戦っている花魁を見据え、右手の人差し指と中指を揃えて立て、
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」と、目の前で刀印を切りながら、九字を唱え精神を集中させる。
「九十九神の本体……櫛は、何処だ」と、見据える百合の前で、上空から玉江が花魁に攻撃を続け、炎が舞い散り、舞い上がった砂塵が視界を遮る。
その砂塵で霞む中、小さな光が見えた。
「見えた!」
それは花魁の首で光り、強い気配を発している。
「行くよ!雪ちゃん!」
「あいよ!」
百合は魔斬りの法具、鬼斬丸に気を送り、一気に五mぐらい飛び上がり、
「たあぁぁぁぁ!」と、気合と共に、上段の構えから鬼斬丸を振り下ろし気を放った。
花魁は咄嗟に扇で防ごうと身構える。が、放たれた気は、扇とその後ろの左肩の部分を消し飛ばして貫いた。
花魁は体制を立て直すために、百合から離れようと後退する。
百合は無防備となった花魁に、間髪入れずに飛び掛り、怒りの形相で睨む花魁の、首にある本体へと一気に鬼斬丸を突き立てた。
鬼斬丸は首を貫き、花魁は断末魔の叫びを上げた。
鬼斬丸に貫かれた花魁は光に包まれ、徐々に粒子となって消えようとしている。
舞い散る粒子の流れが百合へと掛かった時、百合の頭の中に、薄っすらと風景の様なものが浮かんで来た。
「……何?これ……」その風景の場所は、江戸時代の花街で、華やかな花魁道中が練り歩く。
美しい花魁の頭の上で、誇らしげに櫛は飾られていた。
百合が感じたのは風景だけでは無い。櫛の気持ちも流れ込んで来た。
「雪ちゃん……何なのこれ……」百合は戸惑いながら、中に居る粉雪に尋ねると、
「私の力のせいで、櫛の心と繋がっちまったのかねぇ……」と、粉雪の声が頭の中で響いた。
櫛は、花魁の頭の上で意気揚々と、飾られている。
そして、場面が変わり、花魁の死……櫛の悲しみを、寂しさを感じる。
櫛は、花魁の可愛がっていた禿に受け継がれ、成長したその子の花魁道中を飾った。
花魁の喜びや悲しみを見守りながら、楽しい日々が続いて行く。
時が過ぎ持ち主が変わり、櫛は何度も別れの悲しみを通り過ぎ、新たな持ち主に大切に使われて、安らかな日々を繰り返してき来た。
『感じる、貴方の気持が私に流れ込んで来る……』
百合はその感覚に最初は戸惑っていたが、何時しか櫛の思い出に見入っていた。
九十九神として、持ち主を庇護しながら過ごす日々。
持ち主に大事にされ、共に過ごした日々。
『貴方は幸せだったのね……』百合に、櫛の穏やかで幸せな気持ちが伝わって来た。
しかし、場面は一気に暗くなり雰囲気を変えた。
「ばあさんが死んだってよ。これ、形見だって。ほらっ、やるよ」
「えぇぇ……駄っさ……何んだよこれ、いらねぇよ。形見ってんなら、もっと何か金目の物無かったの?」
「ははは、あんな婆ぁ、持っている訳無いじゃん!」
目の周りを真っ黒に塗り、茶髪で鼻にピアスをした二人が、下品な笑い声を上げている。
母親と娘だろうか?売春婦の様な、けばけばしい化粧の親子と見られる二人が、タバコを吸いながら下衆な会話を交わしている。
「ちっ、こんなもん……」
娘がそう言うと、櫛の歯を指で四・五本弾いて折り、ゴミ箱に投げ捨てた瞬間、
『うっ!何?……』百合の見ていた情景が、急に真っ暗になり、痛いほどの怒りが流れ込んで来た。
そして、次に百合に見えたものは、アパートの一室で、床を真っ赤に染めて無残に血を流し倒れている二人だった。
無残な情景と共に、百合の心へ激しい怒りと恨み、そして悲しみが流れ込んで来た。
ほんの数秒の出来事だった。
櫛の記憶から戻った百合の心は、遣る瀬無い悲しみでいっぱいだった。
「そう……そうだったの……だけど、だけどそれは、許される事じゃないの……」
百合の目から涙が溢れ出し、光る粒子となって崩れ行く花魁の目を、涙で霞む目で見つめながら呟いた。
「貴方だけが悪い訳じゃない、貴方の気持ちも分かるけど……分かるけど……だけど、許される事じゃないの……ごめん、ごめんね、力になれなくて、ごめん……」
消え行く花魁は、百合の言葉を聞いて、目から怒りに狂った恨みが消え、悲しい目で穏やかに微笑んだ。
そして、百合の中に流れ込んでいた怒りが消えた時、舞い散り消え行く花魁の唇が動いた……あ・り・が・と・う……と。
何時しか花魁の姿は消えて、地面には鬼斬丸で貫かれ、二つに割れた櫛が落ちていた。
粉雪が百合から離れる。
「主……」百合から離れ、何時もの着物姿に戻った粉雪が、百合の肩にそっと手を置いた。
百合は振り向き、粉雪の胸にしがみ付き、堪え切れずに大声を上げて泣た。
粉雪が百合を抱き寄せ、頭を優しく撫でている所に、玉江が下りて来た。
「主……」玉江の目の淵から赤い戦闘紋が消え、泣いている百合を見詰ている。
「主……もう、泣かないで。あの子、喜んでたよ。主が、あの子の気持ちを分かってあげて……最後に、主に浄化してもらって……ねっ、だから……」
百合を慰める粉雪の目にも涙が浮かんでいた。
「主は最後に、あの子を救ったのよ……どす黒い恨みを持って苦しんでいた、あの子を……」
「……救えたのかな?……」百合は泣き止み、涙で腫れる目で粉雪を見ながら尋ねた。
「恨みが消え、浄化した者なら、素直に己の罪を償う事が出来るでしょう。きっと天もそれを見ていらっしゃいますよ」穏やかな表情で、諭す様に答える玉江に、
「うん……そうだね、玉ちゃん……」と、百合は指で涙を拭いながら、地面に落ちている櫛を拾い上げ、丁寧に紫色の袱紗に包み込んだ。