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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

思い込みにはご用心

作者: ロク
掲載日:2026/07/01

 いつも同じ昼時、山村大輔は日課である庭に丁寧に植えられている植物達に水をやる。


 そしていつも同じこの時間、まるで嫌味の様に向かいのアパートの窓がけたたましい音を立てられながら閉められる。


「……いつもいつも嫌な女だ」


 年金生活を始めて早一年。一人暮らしで悠々自適な生活を送らせてもらってはいたが、寂しくないわけではなかった。


 妻に先立たれ、二人の子ども達もとっくの前に自立し県外で楽しく過ごしている。時々電話を寄こしてくるが、なにぶん不器用な自分は素直になれずぶっきらぼうにいつも返事を返していた。


 そんな年老いた父に子ども達は呆れながらも見捨てないでくれている。とても良い穏やかな老後を過ごさせてもらえていると自分でも思う。


 だがここ最近、というよりも年金生活を始めた時からの悩みの種が向かいのアパートに住む、高倉静香であった。


「何がそんなに気に入らないのか」


 高倉静香の部屋を鋭く睨みつける。彼女は熟年離婚をし、大輔の一軒家の向かいのアパートに引っ越してきた老齢の女性である。


 定年前、何度か朝と夕に偶然出会い挨拶を交わし少しの間談笑する仲であったのだが、大輔の定年退職を機に出会う時間がめっきり少なくなっていた。


 静香は穏やかで優しい女性だったこともあって日に日に向けられる理不尽な怒りに大輔の堪忍袋の緒は最早切れそうであった。


「はぁ……」


 再び大きなため息をこぼすと家の中へと戻って行った。



 その日はすこぶる機嫌が悪かった。


 歳を重ね過ぎたこともあるかもしれないが、ここ最近よく怒りを感じることが増えた気がする。


 特に今日は朝から最悪であった。


 買い物に出掛ければ突然の雨に降られ、買い物先では店員にその雨で濡れてしまった大輔に商品を濡らさないようにと遠回しに嫌味を言われ、更には帰りに職質をされ買った剪定鋏に危ない奴かとケチをつけられ散々であったのだ。


 そしてその鋏を使っていつもの時間、植物達の世話をしていたのだが、またも静香に窓を嫌味の様に強く閉められた事に我慢の限界がきてしまった。


 もう許せない、俺が何をしたっていうんだ。


 大輔は持っていた剪定鋏を強く握りしめ、怒りから奥歯をギリリと噛み締めると向かいのアパートの窓を鋭く睨みつける。


 気づけば大輔は鋏を手に静香の部屋の前に立っていた。


 インターホンを押し、中から静香の返事が聞こえると共にこちらに歩いてくる足音が聞こえる。その間、大輔の頭の中には怒りと一緒に言い訳も渦巻いていた。


 こうなってしまったのは馬鹿な警察のせいでもあると。


 正しい使い方をするはずだった剪定鋏にケチをつけるからこうなってしまったんだと何度も頭の中で言い訳をした。


「どちら様?」


 不用心にも静香が玄関扉を開けた。大輔は自分よりも身長が低く、小柄な女性を冷たく見下ろす。そして凶器を使おうと鋏を強く握りしめた。


「まぁ! 山村さん久しぶりねぇ、元気にしてた?」


 目尻に深い皺を刻ませ嬉しそうに笑う静香の姿など予想もしていなかった大輔は思わず面を食らい、咄嗟に鋏を衣服の中にしまい込んだ。静香は尚も嬉しそうに笑って大輔に話しかける。


「ちょうど良かったわ、私ケーキを貰ったんだけど思ったよりも大きくて。良かったら山村さんちょっと食べていってくれない?」


「え、い、いいのかい……?」


「もちろんよ! むしろそうしてくれたら助かるわ」


 入って、と玄関を大きく開かれると静香は上機嫌で部屋の中へ戻って行く。大輔は戸惑いながらもここで断るわけにはいかないと静かについていった。


「どうぞどうぞ、座っててちょうだい」


「……邪魔するよ」


 初めて入る部屋に物珍しそうに辺りを一通り見渡す。上品な静香らしく物があまり置かれてはいないが、オシャレなリビングであった。


 掃除も行き届いているようで、埃一つ落ちていないリビングの机に大輔は腰を下ろした。静香は鼻歌交じりに近くのキッチンでお茶の準備をしている。その後ろ姿を見つめながらあの嫌味は何だったのだろうかと考えている時であった。


 ふと何かに気づいた静香がリビングの大窓に近づく。その窓はいつも大輔に対して嫌味の様に強く閉められていた窓である。


 静香はその窓から外を覗くようにキョロキョロと辺りを見渡したあと両手で窓を開けた。


「!」


 静香は窓を力一杯二、三度引いて大きな音を立てながら開けていた。その光景に大輔はあの嫌味の正体に気づいて全身から力が抜けていきそうになったが寸でのところで耐える。


 窓を開け終わった静香が振り向いて再びキッチンに向かう際、恥ずかしそうに口元に手を当てて大輔に謝罪した。


「ごめんなさいねはしたなくて。あの窓建付けが悪いみたいで何度か強く開け閉めしないといけないの」


「そう……なんだね」


 大輔が答えると静香は困った様に微笑んだ。


「それにお昼時になるとね、隣の若い子の声がうるさくて……。なんでもネット配信? っていうのをしてるみたいで、とにかく独り言が凄いのよ。でも今日はいつもより早く終わったみたいね」


 若い子のすることはよくわからないわと笑いながらケーキとコーヒーをトレーに乗せて大輔の前に置いた。


 真実を知った大輔は頭を抱えそうになったと同時に心の底から安堵していた。そもそも最初から静香は大輔に敵意など向けてはいなかったのだ。


 自分の愚かな勘違いで人を殺しそうになったことを悔いたが、そんなことにならなくて本当に良かったと涙がこぼれ落ちそうになる。


 静香は大輔の前に腰を下ろすと美味しそうにケーキを食べ始めた。


「あら美味しいわこのケーキ。山村さんもどうぞ食べて」


「あぁ、ありがとう高倉さん」


 ケーキを一切れ口の中に入れると安心する甘さが広がった。


「ところで今日はどうしたの?」


 静香の問いに大輔は目尻を下げる。


「……元気かなって思ってね」


「まぁ! 嬉しい。私はとっても元気よ。山村さんもお元気そうで何よりだわ。ふふっ、実はねいつもお昼時に山村さんが植物の手入れをしているの見てたのよ」


「そうなのかい?」


「えぇ! とても良い趣味をお持ちなのが羨ましくて。そうだわ、今度ぜひプランターで育てられるお花とか教えてくれると嬉しいわ」


 楽しそうに未来に思いを馳せる静香に心の底から申し訳なく思った。


「ぜひ教えるよ。あぁ、でも次から確認もなく玄関を開けるのはやめた方がいい。高倉さんの安全のためにもね」


「あらやだ! 確かにそうね、ありがとう山村さん」


 自分のことを棚に上げるわけではなかったが静香にはこの先も安全でいてほしくて忠告する。いつまた自分の様な愚かな者が来るのかわからないのだから。



 その日の夕方、静香の家から帰宅した大輔は自身の考え方や行いを振り返り反省している時であった。二回のインターホンの音に反応すると、インターホンに備え付けられた録画画面を覗き込む。


 そこには一人の若い女性が立っていた。


 大輔にはその女性に見覚えがあった。この女性は静香の隣に住んでいる、つまり静香が迷惑に思っている人である。


 大輔はインターホン越しに何の用だと問いかける。だが女性は顔を俯かせ震えるばかりで何も言わない。様子がおかしいことに大輔は訝しんだが玄関へ向かう。


 もしこの女性に何かあったのなら助けてやらなければ、そんな親切心から玄関の扉を開いた。


「ぐっ!」


 突然、腹に鋭い痛みが走る。そしてその部分から焼けるような熱を感じたあと温かな液体が溢れ出てくる感覚がした。その匂いは鉄臭く、そして真っ赤であった。


 大輔の腹には包丁が刺さっていた。なぜだと女性をゆっくりと見る。


「……っ、あ、あぁ……!」


 女性は顔面を蒼白にし、全身を震わせながら真っ赤に染まった自身の両手を見つめていた。大輔が耐えられずその場に膝をつくとその音に女性は弾かれた様に顔を上げ、甲高い悲鳴を上げながらその場から逃走した。


「……っ」


 大輔の体が倒れた。そして大量の血液が体外へと流れ出ていく。寒さと焼けるような相反する痛みの中で徐々に辺りが暗闇に包まれていった。



「次のニュースです。昨夜未明、近隣の男性を刺し殺したとされる20代の女が先程警察に逮捕されました。警察によりますと女は、刺した男性にいつも部屋を睨まれていたことが怖かった。特にあの日は殺されると思って自分から刺しに行った、などと供述しており警察は殺人事件として捜査を……」


 静香は悲しみに暮れる中、テレビを消した。



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