1.3 ペンも回せば犬に当たる③
俺たちへの攻撃が終わると、話題の矛先は乾に戻る。そんな中、卓球のラケットを持った先輩が気遣うような様子で言った。
「大勢で押しかけて、困っちゃったかな……?」
「大丈夫っすよ石川先輩。こいつ、私の言うことならなんでも聞くんで」
申谷先輩は得意げな顔をして続けた。
「ワン子はねー、スゴイ可愛い後輩でしたよー。私の言うこと何でもはいはいって聞いて、しっぽ振って付いてくるんですよ。高校でバレーやらないって初めて聞いたときは驚いたなあ。ギャルだかなんだか知らないけど、くだらないことに時間使うなら練習出たほうがよっぽどいいよ」
申谷先輩は乾をちくちくと攻撃する。さっきからずっと、自分の生き方を否定されているにしては、乾は気丈ともいえるタフな態度を取り続けていた。
「私、部活入ったんで。運動部は兼部禁止ですよね?」
乾は切り札を出すように言った。なるほど、それがこいつの心の支えか。ペン回し部でもなんでも所属しちまえば、先輩に義理があろうと制度が守ってくれる。その後ろ盾が精神的余裕にになっているんだろう。
でもなあ。余計な世話を承知で言うが、そういうのってあんまりよくないんじゃないか、と思った。まあ、他人事だからこんなこと思えるんだろうけどな。
「それは大丈夫」
すると、どこからかそんな声がした。どの先輩が言ったのかは分からないが、少なくともそんな意味の言葉が聞こえた。
「……えっ?」
乾は困惑した様子でそれを聞き返す。視線の先にはテニス部っぽい先輩がいた。その先輩は笑顔で言った。
「校則変えてもらった! 今年度から、全部の運動部で兼部が解禁されたの!」
「うちの学校って部活弱いじゃん? ワン子のこと話したら先生たちも乗り気だったよ」
「す、すごいねワン子ちゃん。校則まで変えちゃうなんて……」
「不思議に思わなかった? なんでその髪が許されてるのか。特別扱いされてんだよ」
「そんな……」
乾は言葉を失って俯いた。申谷先輩が乾の肩に手を置いた。
「前に、バスケ部だっけ? 大会の助っ人にワン子貸したら大活躍しちゃって、それからすごかったよね。いろんなトコからウチにも来てくれって。結局、全部の運動部に回されたんじゃなかった? 土日もほとんど特訓で休んでなかったよね」
「えーカワイソ〜」
「いいのいいの、お菓子とかお礼にいっぱいもらってたし、デカいだけの自分が役に立てて嬉しいって本人も言ってたから。ね?」
「……」
「大丈夫。今度はちゃんと管理してあげるから、また昔みたいにやろうよ。っていうか、やるよ」
暗闇から無数の手がこいつを掴んでいる。それはどす黒くねばついて、乾のふわふわした髪や滑らかな頬、両手両足を濡らしてまとわりついている。まさに鎖に繋がれた飼い犬だ。
「せっかく天才に生まれたんだから」
女子で180センチという稀有な身長に、複数のスポーツで活躍する優れた運動神経。その二つを兼ね備えた乾は、まさに天才なのかも知れない。だが、その才能が呪いになって、乾から自由を奪っている。
俺はこの女が目障りだが、それでも、そんな顔するよりは笑っている方がいいんじゃないかとは思う。
「よぉ、遊任部長」
俺はペン回し部ナンバー2としてユニ助に話しかけた。
「うちって、兼部OKなのか?」
そう訊くと、俺の意図を察したユニ助は意地の悪い顔で笑った。きっと、俺も同じ表情をしている。
「冗談だろシロー? うちは戸塚ヨットスクールもビックリの超スパルタなんだぜ? 他の部活なんてやってる暇ねえよ」
「そういうことらしいです、先輩方」
運動部が兼部を認めても、ペン回し部が認めない限り乾を貸し出すことはできない。部活新設というイレギュラーを抱えた俺たちにのみできる、校則に干渉する特権。
俺は乾の事情を知らない。とても的外れなことをしているのかも知れない。それでも、黙って見ていることはできなかった。
申谷先輩は失笑した。その後ろで、乾も少し笑っていた。
「バカじゃないの? あんたらみたいなカスはともかく、ワン子がそんな掃きだめで青春棒に振ると思う? 行くよワン子、返事は?」
「……」
「一体誰が! デカいだけのアンタに! 居場所をあげたと思ってるの!?」
申谷先輩は乾を叱責した。飼い犬のしつけを見ているようだ。もしこいつがそれから逃れたいと思うなら、人間らしく自分の思いを語る他あるまい。
乾は細く長い息を吐いた。拳を握ると、短いスカートの端が巻き込まれてきゅっと皺が寄る。その右手には、ユニ助が渡したペンがまるでお守りのように握られていた。
「先輩にはマジで感謝してますよ。だから、それを返したくて、いろいろ無茶もやりました」
静かに乾は語り出した。
「なんていうか、ぶっちゃけ私って背ぇ高いだけじゃないですか。運動神経も親の遺伝だし。まあ、先輩が喜んでくれるなら、この体貸すのもアリかな〜って思ってたんですけど」
「……」
「でも、やっぱダメです。やりたいことできたんで」
「……それがギャル?」
「中学の時、バレー部の練習終わった後に違う部活の練習して、土日はいろんな試合出まくって、そのあと別の試合に向けて練習、帰るのが夜の9時! みたいな生活を週7でやってたんですけど、なんか、ある日、真っ暗な帰り道一人で歩いてたら涙出てきて。なにしてんだ私、みたいな。そのとき決めたんです。高校入ったら髪伸ばして、放課後は遊び歩いて自由に過ごすんだー、って」
乾はへらへらと笑ってご自慢の金色のショートボブを指に巻き付けているが、それを批判する人はもはやどこにもいなかった。
「そーゆーことなんで! お役立てずにすいません! まあ、たま~になら助っ人やってあげてもいいっすよ?」
「……わかった。なんか、ごめん」
申谷先輩が小さく謝罪すると、乾はランウェイを歩くパリコレモデルのように堂々とした足取りで、先輩たちの間をすり抜けた。真っ直ぐユニ助のもとに向かうと、ペンを返して去っていった。
* * *
「なんだってよお」
ユニ助は空に向かって言葉を放った。学校を出た通学路。陽が傾いていて昼間よりも気温が低く、人通りもほとんどない。駅へと続くその道を、ユニ助と2人で歩いていた。相変わらずユニ助は歩きながらペン回しをしていた。申請書は白紙のままだった。
「やりたいこと、好き勝手やりゃあいいんだよ。それ邪魔すんのはヤボだぜ」
聞き飽きた名言も、ペン回し部なんかを作ると大ぼらを吹いたユニ助が言うと重みが違う。俺は、ついに先輩たちから一度も呼ばれなかった彼女の名前を呟かずにはいられなかった。
「妙な奴だ、乾涼夏」
「呼んだ?」
背後から声をかけられる。振り向くと、乾涼夏がニヤニヤした顔で俺たちを見ていた。ユニ助は嬉しそうに声を上げる。
「ワン子! 帰ったんじゃねーのか?」
「そのあだ名禁止ー、他の呼び方考えてよ」
「どーするシロー?」
ユニ助は俺にくだらないことを聞いてくる。乾は俺に視線を向けて、何か面白いことを言うかと期待している。その小さな顔を包むふわふわのショートボブがやたら目障りだった。
「しゃらくせえよ、お前なんかパー子だパー子」
「パーマかけてるから?」
「頭がパー子」
頭の横で人差し指をクルクルと回すと、乾は怒りで白い頬を紅潮させた。表情が豊かで読みやすい。
「あっ、ひどい! このロン毛私より背ぇ低いくせに!」
「それは卑怯じゃね?」
乾涼夏改めパー子を加えた俺たち3人は放課後の通学路を歩いていた。春風はまだ冷たいが、腹の底まで冷やすほどではなかった。
第一話 ペンも回せば犬に当たる 完




