1.2 ペンも回せば犬に当たる②
精一杯の虚勢を込めて言うと、乾はぐるりと顔をめぐらせてこちらを見た。思いきり目が合い、どきりとする。長いまつげと二重まぶたに縁どられた大きな瞳がまっすぐに俺に向けられている。別世界の住民だと思っていた乾涼夏に存在を認識されたということがあまりに非現実的で、なんだか夢を見ているようだった。
乾は俺の問いに答えるためにほんの少し脳を働かせて、結果を出力するために薄い唇を開いた。
「いやー? なんも」
ユニ助と比べて俺への態度がそっけない。やつの警戒のされなさは一種の才能だろう。めげずに会話を続ける。
「忙しいのか?」
「そうそ、忙しいの。色々遊びたいし、バイトもしたいし。それが?」
「いや、この時期に部活入ってないやつが、今さらって気がしてな」
「あんたたちと同じ。やりたい部活がなかったの」
その声色には、何か自嘲的なものがあった。
「へぇーそーなのか! 背ぇ高いからバレー部だと思ってた!」
「あはは、よく言われる。そんで? 入部届とか書いたらペン回し部の仲間入りできんの?」
乾は申請書をのぞき込むようにして言った。ユニ助はブレザーの内ポケットから四つ折りのA4用紙を取り出した。開くと、なんと新品の申請書だった。
「ここの署名欄に名前書いてくれ!」
「おけ。ペン貸して?」
ユニ助はペン回しを止め、持ち手が乾に来るようにしてペンを差し出した。乾がそれを申請書とともに受け取り、文字を書くために壁に貼り付ける。なんだかなあ、と思いながら視線を外すと、遠くの角の向こうからスポーツウェア姿の集団が現れた。
両膝に黒のサポーターを巻いていたり、シェイクハンドを片手に持っていたり、スコートにテニスラケットだったりと、まるで統一感がない。かろうじて、運動部の女子生徒という共通点を見つけた。
学年は分からないが、小慣れた雰囲気を見るに先輩だろう。どういう集まりなんだ、と見ていると彼女たちは俺の方をチラチラ見ながら何か言っている。なんだろう、イケメンマネージャーをご所望か?
くだらないことを考えていたら、どんどんこちらに近づいてくる。明らかに気のせいではない。ついに来たのか、俺のモテ期が。
「――見つけたよ。ワン子」
……その集団は俺を素通りして乾の前で止まった。先頭を歩いていた、両膝に黒のサポーターを巻いたバレー部っぽいショートカットの先輩が乾の背中に声をかける。乾だからワン子。分かりやすくていい。……何も残念じゃないさ。
昔馴染みと感動のご対面か、と思ったら乾は泥水を浴びせられたような顔をしていた。この先輩と、ワン子というあだ名の両方が嫌いなんだろうな、と思った。
「また来たんすかぁ申谷先輩! しつこいっすよ~!」
乾は一瞬で笑顔を取り戻すと、振り返って先輩相手に愛想を振りまいた。すると、後ろに控えた先輩方がものすごい勢いで乾を取り囲んだ。申請書が宙を舞い、ユニ助は綿毛のように弾き飛ばされた。
「ワン子ちゃんだ! 初めまして、陸上部の水野です! 高跳び興味ない? 絶対向いてるよ!」
「いやいや、バスケ部入るんだよね? そのリーチあればどこでもレギュラー間違いなしだよ!」
「素晴らしい間合いの広さだな、君。我ら剣道部の元で己を高めないか?」
「うちらバド部めっちゃゆるいよ〜。好きなときに来てもらえたらおっけーだよ〜」
「わわっ、たっ、卓球も楽しいよ……っ!」
皆が乾に殺到して自分の部活の宣伝をしている。新入生が部活勧誘にもみくちゃにされる、アニメでよく見るが実際そんなことはない状態に1人でなっていた。女子で身長180センチとなれば、運動部としては喉から手が出るほど欲しい逸材に違いない。
「なんだなんだ、大人気じゃねーか」
その騒ぎを遠巻きに眺めながらユニ助が言った。新品の申請書には早くも誰かが靴で踏んだ跡が付いている。
「蚊帳の外だな」
俺はそうつぶやいて乾を眺めた。乾は先輩たちに合わせた高いテンションで、友達といるときと違う笑顔で対応している。
「いやーごめんね? みんなワン子に会いたがってたから。まあ、顔合わせくらいに思ってよ」
バレー部の先輩は悪びれる様子もなく軽く笑う。女子の中では身長高めだが、さすがに乾には及ばない。……ところで、顔合わせとは?
「あははー、運動はやらないつもりで。申し訳ないです」
「ええ!? じゃあ何すんの!?」
別の先輩が割り込んでくる。陸上部の水野先輩とかいったか。人の良さそうな顔に、日焼けした肌と、余分な脂肪を落とした細身の体型は、まるで走るために形を最適化させたスポーツカーを連想させる。事前に知っていたのか、申谷先輩は何かリアクションすることはなかった。
「聞いてくださいよ水野先輩。こいつ、高校入ったらギャルやりたいとか寝言言ってんですよ」
「う、うーん……遊びたいってことだよね……?」
人の良さそうな水野先輩は、やたら首をかしげて理解を示そうと頑張っている。……フリーズしてしまった。その様子をぼんやり眺めていたからか、申谷先輩が申請書を持ったユニ助に気づいた。
「君らもワン子の勧誘に来たの? 見ない顔だけど何部?」
「ペン回し部です!」
元気に答えるユニ助。
「はあ?」
申谷先輩をはじめ、乾を勧誘に来た運動部の先輩方が一斉に俺たちの方を見た。みなさん表情が怖い。アイスクリームを持っているときに飛んできたショウジョウバエでも、そんな冷たい目を向けられないだろうに。
「大人気じゃねーか色男。今年は低身長男子がトレンドらしいな」
「何言ってんだシロー、みんなお前のファンだってよ」
針のむしろの中、互いに軽口を飛ばし合う。
「ペン回し部? っていう遊びかな?」
「ウケる、部活ナメてんの?」
「認可される目途は立っているのか? 顧問の当ては? そのあたりどうなっているんだ?」
「きゃはは、新入生っぽくてかわい~」
「ペン回しなんかが部活になる?」
「できるわけないじゃん」
「現実見てないよね」
逃げ場なく囲まれた俺たちは全方向から否定の声を浴びた。四面楚歌どころではない。年上の女の人に集団で罵倒される性癖に目覚めそうだ。部活動に日々真剣に取り組み、それを勲章だと思っている人からしたら、授業中の暇つぶしなんぞで肩を並べるつもりでいる俺たちに嫌悪感を持つのは当然の反応だろう。
「君。夢を見るのも楽しいが、現実にも目を向けなきゃいかんよ」
「聞いたことある? ペン回し部なんて部活。ホントは自分でも分かってるんでしょ、できるわけないって」
おまけに説教まで垂れてきやがる。ものを知らないガキに現実を教えてやろうっていう臭気が鼻を突き、俺は顔をしかめた。
「いや! いやいやいや! 俺は作りますよ! ペン回し部!」
「本気でできると思ってる?」
「はい! 俺ペン回し好きで、好きなこと部活にできたらなって思います!」
ユニ助が真っすぐな目で言うと、くすくすと呆れたような笑いが起こる。もはや敵とすら扱っていない。可哀そうななにかとして憐れんでいるようだった。なんだってんだ、どいつもこいつも。スポーツすんのがそんなに偉いのかよ。




