1.1 ペンも回せば犬に当たる①
昔のことを思い出していた。さて、現在の俺たちはというと。
職員室から放り出された俺たちは、例の部室に戻るべく廊下を歩いていた。放課後の廊下はいつもより静かで、人通りも少ない。グラウンドで運動部が叫ぶ声や、金属バットの高い音、校舎に残っている誰かの笑い声が遠くで聞こえる。
ユニ助は歩きながらペン回しをしていた。
「……何してんだ、それは」
奇行の意味を訊ねると、ユニ助はペンを回す指を止めずにこちらを向いた。何を当たり前のことを聞くんだ、とでも言いたげな顔だ。
「パフォーマンスに決まってんだろ。部員集めなきゃなんだから。お前もやれよ」
「誰がやるか恥ずかしい」
「なんだお前! ペン回しのどこが恥ずかしいんだ言ってみろ!」
「見せ物になりたくねえってんだよ」
俺は前を開けたブレザーの内ポケットに手を入れ、棒付きキャンディを取り出した。キャンディにべったりと貼りついたプラスチックのパッケージを剥がし、口に入れる。歯と当たってカロンというくぐもった音が鳴る。パッケージを握りつぶした手をポケットに突っ込んで歩く。気分はさながら次元大介だ。
「またハッカ? 好きだな~」
「カッコいいだろ?」
「ウマいのか?」
「男の美学だ」
丁寧に説明したつもりだが、ユニ助はアホ面で首をひねっている。まあ、この動物にそんな高尚なものが理解できるとは思っていない。軽く首を振って肩にかかる髪を払う。
「男の美学と言やぁよ、シロー」
ペンを回しながらユニ助は思い出したように話しかけた。……まぁ、聞こう。
「うんこ味のカレーとカレー味のうんこっていう究極の2択があって、それ聞くたびに『いや、カレー味のうんこってなんだよ!?』って思ってたんだけどよ」
その場でずっこけそうになった。せっかくの気分が台無しだ。
「何も関係ねーだろ!! 俺の話と!!」
「もしかして、カレー味のうんこってのは、カレー食った後のゲロなのかもしれないなー。……あっペン回しいかがっすかー」
ユニ助は放課後の廊下を行く人に話しかけ続けている。メンタルが強いというより、単に恥知らずなだけだろう。周囲の反応は二つで、目も合わさずに無視されるか、バカにしたように笑われるか。付き合いきれねーや。
「……」
近くにゴミ箱があったので、ユニ助から一旦離れ、キャンディを噛み砕いて棒から外し、手の中のパッケージと一緒に捨てる。すると、視界の隅に一人の女子生徒が映りこんだ。通学鞄を肩に引っ掛け、壁にもたれてスマホを見ている。名前は、乾 涼夏。
隣のクラスの女子で、とても背が高い。噂では180センチあるそうだ。モデル顔負けの脚を惜しみなくさらけ出す短いスカート、くるぶしソックスにスニーカー、薄いメイク。ウェーブのかかった肩までのショートボブを金色に染めている。うちの高校ではメイクはもちろんパーマもカラーも校則違反だ。人懐っこい大型犬のような明るい性格で、女子の友達だけでなく男子連中からの人気も高い。数人の友達と歩いているところを廊下で見かけるが、彼女はいつも集団のまん中にいて、とてもよく目立つ。
話したことはない。クラスが違う以前に、住む世界が違いすぎて関わり合いになる機会がない。彼女のふわふわとした髪の毛を見ていると、校則の範囲内で収まっている自分の恰好と比較してしまうので目障りだった。
俺の視線を追ったユニ助は乾に気付いた。
「シローあーいうのが好きなのか?」
「バカ言え」
「なるほど、女子部員か。ちょっと行ってくる!」
「うぉい! 待て待て待て!」
俺はすんでのところでユニ助の肩を掴んで引き留めた。
「ユニ助あいつはやめとけ」
「なんでだ?」
「なんでって、ありゃ乾涼夏だぜ? ……ちっ、なんでこれで伝わんねえかな!」
相変わらずアホ面で首をひねっているユニ助のために、俺は乾を手で示した。
「見ろ! ギャルだ!」
「だな」
次に、俺は自分を指さした。
「それに比べて俺たちは? 汚い空き教室に住み着いてる便所虫だ。住む世界がまるっきり違うってことくらい、その小学生並みの脳みそでもわかんだろ?」
「わかんねーよ! 話してみたら意外とペン回し好きかもだろ!」
そう吐き捨ててユニ助は行ってしまった。ダメだこいつ。まあいいや。どうせバカを見るのは俺じゃない。
ユニ助は乾の前に立つと、壁に半身を預けるキザなポーズを取った。身長差がありすぎて、年の離れた姉弟のようになっている。短い足をクロスさせたユニ助は顔を思いっきり上げて、頭上の乾に話しかけた。
「ペン回し部……って、興味ある?」
その声で初めてユニ助を認識したのか、乾はスマホから目を離してやつを見下ろした。
「ペン回し?」
「そう! 新しく作ろうとしててさ。メンバー募集中なんだ!」
「なに、ナンパ?」
「ちげ~よ!! 本気で言ってんの! これ、公式の申請書! 部員不足でさっき却下されたけど!」
「マジで? ウケる、え、これガチで言ってんの?」
「ガチだよ! ほら! ほら見て! 俺ペン回しめっちゃ得意!」
「すげっ!」
「すげーだろ? 俺、部長の遊任或波な、よろしく!」
そしてユニ助はこちらを振り返って言った。
「こいつはシロー! 部員ナンバー2だ! ナンバー3は空いてるぜ!」
部員が2人しかいないのに威張れる恥知らずさはさておき、乾がこんな誘いに乗るはずがない。この時間に廊下をうろついているということは部活などの団体に入っていない可能性が高く、その理由は放課後遊び歩くために決まっている。放課後の有り余る時間を無駄に浪費している俺たちのような便所虫とは、価値観からして違うのだ。
「面白そうじゃん、入ってあげるよ」
その一言を聞いた俺は、思わず乾の顔を見て正気を確かめた。ユニ助は無邪気に笑った。
「マジで!? ありがと!」
「つっても私ペン回しモドキしかできないよ?」
乾は人差し指と中指を重ねて交互に前後に揺らすジェスチャーをした。フェイクトソニックのことだろう。
「大丈夫! 俺が教える! 顧問俺だもん!」
「あははっ、ぜんっぜん大丈夫じゃねー! 誰も顧問やってくれなかったん?」
「これから探す!」
和やかに薄っぺらい会話が繰り広げられる中、俺はかすかな違和感を覚えていた。いくらなんでも話が上手すぎる。ただ、乾がペン回し部に入ることに何のメリットがあるのかが分からず、胸につかえたもやもやとしたものを言葉にして吐き出すことが出来なかった。
でも、何か言わないと、俺たちの放課後がこいつにいいようにされてしまう気がした。
「ほかの部活とか、何かやってんのか?」
精一杯の虚勢を込めて言うと、乾はぐるりと顔をめぐらせてこちらを見た。




