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0.3 名作のプロローグには吐瀉物出がち②

 

 あの自己紹介でユニ助が見せた10秒くらいのフリースタイルは、俺のイカした人生設計をぶち壊していった。技の引き出しの多さはもちろん、指先の微妙な力加減で軌道を制御する繊細さがずば抜けていた。複雑な技を軽々と行うさまは、まるで高層ビルの屋上にかかった平均台をスキップで渡るような異常さを感じさせた。


 何よりそれを、改造ペンやドクターグリップではなく、大して回しやすくもないアルファゲルでやってのける。こういう表現は好きじゃないが、天才という言葉はやつのためにある。そう思い知らされた。


 その日から、俺はユニ助を勝手にライバル視していた。だから、自己紹介の後にやつが初めて話しかけてきたときも冷たくあしらった。それでもやつは全く懲りず、放課後になるなり飛んできてしつこく勧誘をするのだ。なんと今日で三日目だ。


「やんねえよ、ペン回し部なんか」 


「そー言わずにさ! 頼むっ! どうせやりたい部活ないんだろ? だったら、お前の放課後俺にくれよ!」


 やつの話し方はまるで昔からの友達みたいになれなれしく、それが人にものを頼む態度か、と若干イラついた。品性のかけらもないやつだ。


「群れんのは好きじゃねえ。他をあたれ」


「つれないこと言うなよシロー」


「シローって呼ぶな!」


 そう言ってスクールバッグを肩に担ぐ。


「バカじゃねーの、ペン回しとか」


 ツレと話していたベッカムがユニ助に冷笑を浴びせた。サッカー部のソフトモヒカンだからついたあだ名で、本名は忘れたが日本人だ。俺は振り返ってやつを睨んだ。中身がないくせに目立ちたがり屋で、常に誰かをけなしていないと自分の価値を証明できないこいつが、ユニ助の次に目障りだった。


 踵を返すと、教室に残っていた中谷とかいうさえない中年教師と目が合った。俺の座席は一番前なのだ。先生が笑いかけたので、嫌な予感がした。




 * * *




 放課後の廊下を、俺たちは連れ立って歩いていた。肩にかけたスクールバッグに加えて、ビニール紐で縛られた紙ゴミの束。重さに比べて持ち手の面積が狭いので、細い紐が指の腹に食い込んでちぎれそうな痛みが走っている。いまいましいが、先生に頼まれた仕事を終わらせるまではこいつと離れられない。たまたま近くにいたという理由で、俺たちは大量のプリントの束を所定の資源ゴミ置き場まで運ばされていたのだ。


「ありがとな!」


 両手に紙束を持って隣を歩くユニ助が言った。


「何が?」


「ペン回し、バカにされて怒っただろ?」


「お前のためじゃねえ」


「だとしてもだ! 俺たち似たもの同士っつーか、気ぃ合うと思うんだよな!」


「ふざけろ。誰がお前なんかと似てるって?」


 資源ゴミ置き場は、渡り廊下を越えた、日の当たらない校舎の裏だ。ゴミ置き場につくまでに迷ってしまい、必要以上に時間を使った。


 プリントの山を処理した俺たちは渡り廊下を引き返していた。目の前の校庭では既に運動部が活動していて、ランニングから戻ってきた様子のサッカー部が、大量にボールの入ったかごを運んできていた。仮入部の一年生は揃いのユニフォームではなく体操着姿。高校にもなるとランニングからハードなのか、一年生のほとんどがその場に倒れ込んだり、膝に手をついて項垂れている。


 その様子をぼんやりと眺めていると、なぜかユニ助が俺の前に手を出して立ち止まらせた。


「なん――」


 文句を言おうとしたが、ユニ助は自分の唇に人差し指を当てて、黙れのジェスチャーをした。しゃがみこんで渡り廊下の腰までの低い壁に隠れ、ジェスチャーで俺にもそうさせた。


 何事か気になってユニ助のまっすぐな視線の先を追うと、校庭の活気から離れた体育館裏の木陰に人の姿があった。ソフトモヒカンのシルエットは間違いないベッカムのものだ。なんと、木陰に隠れてベッカムがゲロを吐いていたのだ。


 見てはいけないものを見てしまった。ユニ助は壁の上から目だけを覗かせてベッカムの様子を見ながら言った。


「なぁシロー。お前、アイツのこと嫌い?」


「お前の次にな」


「だははっ、上等!」


 いきなりユニ助は立ち上がった。理解が追い付かない中、やつは手でメガホンを作った。


「よぉーベッカムぅ! 何してんだぁ、必殺技の特訓かぁ!? くっせーんだよゲロ野郎! ぶははははっ!」


 校庭中に響き渡る大声で、ユニ助はベッカムを挑発した。何が起きたのか分からずに混乱していると、ユニ助は俺の首に腕をかけて顔を壁から引き出した。


「……って、シローが言ってたぞ!」


「はぁ!? おま、なに言って……!?」


 木陰の方を向くと、怒りの表情をたたえたベッカムと思いっきり目が合う。その騒ぎに、サッカー部の連中が木陰で隠れていたベッカムに気付く。


「どーしたベッカムー? 大丈夫か? ……うわっこいつゲロ吐いてんじゃん!」


「はは、新入生にはキツかったか?」


 周囲を見回したベッカムは羞恥と怒りで顔を真っ赤にした。肩を怒らせてズンズンとこちらに歩いてくる。それがだんだんと早足になり、やがてスポーツシューズの爪先が地面を蹴った。


「ぶっ殺すぞ! てめえら!」


 鬼の形相でこちらに走ってくる姿はなかなか迫力があった。慌てる俺をよそに、ユニ助はいたずらっ子のように笑った。


「走るぞ!」


 その一言が合図になり、俺たちは一目散に走って逃げた。渡り廊下を逆行し、校舎内に戻る。すぐ後ろでベッカムが追いかけてくる。ゲロ吐くほど走った後のくせに、ものすごいスピードだ。近くの階段を一段飛ばしで駆け上がる。さすがのサッカー部もランニング直後の階段ダッシュはこたえるようで、少しずつ距離が開いていく。


「嬉しかったんだ」


 ユニ助は廊下を全速力で走りながら、こちらを見ずに言った。


「何が!?」


「一緒に怒ってくれて」


「はっ、その恩を仇で返したってか?」


「お前が一緒に怒ってくれるなら、俺はお前と笑ってやる。こーやって、お前が知らないやり方で、隣で笑わせてやるよ」


「笑えねぇんだよ……!」


 再び階段を駆け上がり、ユニ助は迷いなく左に進んだ。


「こっちだ!」


 ある教室のドアを無遠慮に開けて、中に飛び込んだ。俺も続くと、やつはドアを締め切った。荒い息を整えながら周囲を見回す。普通の教室のように机や椅子が並んでいるが、黒板はまっさらで、床にはイベント系のガラクタや段ボール箱が雑に積まれ、物置のようになっている。どうやら、空き教室のようだ。


 ドアに取り付けられた窓ガラスの向こうで、ベッカムがきょろきょろとあたりを見ながら過ぎ去っていく。こちらの様子には全く気付いていない。ユニ助は窓に顔をへばりつかせて、小学生でもためらうような品性のかけらもない変顔を次々に繰り出してめちゃくちゃに煽っていた。


「バーカバーカべろべろべ~」


「やめっ、声出すな!」


「あ?」


 ユニ助は変顔をしながら俺の方を見た。口に指を突っ込んで口角を上げ、目尻を下げ、鼻の頭を押し上げた変顔ともろに対面し、俺は笑いをこらえられなかった。


「ぶっ」


 気付いていないとはいえベッカムはまだ近くにいる。わずかな声も命とりだ。俺は口に手を当てて、漏れだす笑い声を必死にこらえた。ユニ助は依然として俺の方を向いている。俺が笑いをこらえているのに完全に気づいている。


「何だおい? 人の顔見て笑ってよぉ」


「バカ……っ、こ、こっち見んな……」


 ユニ助は顔を背けた俺の正面に回ってのぞき込んでくる。俺は声を殺して笑った。笑ってはいけない状況と相まって、やつの変顔が完全にツボに入った。息ができない。やがてベッカムが完全に姿を消すと、緊張の糸が切れた俺は大いに笑った。


「くくくっ……はははははっ!」


 もはや、こいつの前で気取る気すら失せていた。俺は、しばらくぶりに自然体で笑った。ユニ助も大口を開けて笑っていた。


「ここは?」


 ひとしきり笑ってから俺が尋ねると、ユニ助は得意げな顔をした。


「ペン回し部の部室だ。学校中探して見つけたんだぜ」


「……お前にゃかなわねえな」


 目尻の涙を指で拭いながら、俺は小さくつぶやいた。何者かになるためにペン回しを利用した俺と、部活にすると豪語したユニ助。初めから、同じ土俵に立つことすらできていなかったのだ。


「なんか言ったか?」


「入部届にサインしてやるってんだよ、ユニ助」


「ユニ助……って、俺のことか!?」


「てめー以外誰がいんだよ」


 その日から俺はやつをユニ助と呼んでいる。


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