0.1 ペン回しを部活にすべき3つの理由
「――待ってくださいよ先生! どうしてペン回しが部活になっちゃいけないんですか!?」
放課後の職員室には場違いな大声だった。方々から先生たちが遠巻きに白い目を向けてくる。生活指導担当の大塚先生のデスクの前で、背の低い男子生徒が肩を怒らせていた。彼らを隔てる殺風景なデスクの上には、PCと湯飲みの他に、角の折れたA4の創部申請書が貼り付いていた。部活名称、ペン回し部。
大塚先生は熊のような大男で、筋肉質な全身を黒のジャージで包んでいる。眼前に迫る勢いで男子生徒がわめいていても、岩肌のように骨ばった恐ろしい表情をぴくりともさせない。大塚先生は腕組みの姿勢を崩さずに息を吸い、回転椅子の背もたれをわずかにきしませた。
「ペン回しだからだ」
「理由になってないッスよ! 世の中には茶ぁ飲んだりラッパ吹いたりボール遊びしてるような部活もあるんですよ!? それとペン回しの何が違うっていうんですか!?」
「真面目に活動している」
「真面目にやんのが素晴らしいってんなら、俺だって大マジですよ! 毎日新技の練習してます! 単純な練習時間でいったらそのへんの運動部より活動してます!」
「そこまで言うなら説明してみろ、この部活の有用性を。論理的に」
「ロンリテキだぁ……?」
背の低い男子生徒は忌々しそうにつぶやいた。彼は名を遊任 或波といった。その様子を一歩下がって眺めていた俺は職員室に来て初めて口を開いた。
「筋道が立って理にかなった説明ってことだな」
「んなこたぁわかってらい!」
ユニ助はこちらを振り返って吐き捨てるように言った。分かってないだろうな、と思った。ちなみに俺はこいつをユニ助と呼んでいる。ここまでは計画通りだ。厳しいが決して理不尽ではない大塚先生が、俺たちに一度だけチャンスを与えることは簡単に予想できた。
ユニ助は指を3本立てた。あとは練習通りに言うだけだ。
「いいですか? 理由は3つあります! まず、お金がかからない! ユニフォーム? 専用のラケット? そんなもの、ペン回しには一切必要ない! シャーペンが一本あれば、誰でも、どこででも始められる!」
「それなら、部室も活動費もいらねえな」
流れるような論破を見たぜ、相棒。
大塚先生の態度は、まるでどれだけ力いっぱい押してもぴくりとも動かない大木を前にしているようだ。その瞬間、俺はほとんどペン回し部を認可させることを諦めていた。
ただ、ユニ助はこの圧倒的な負け戦を前に一歩も退く様子はなかった。
「次に、ペン回しは勉強にも役立ちます! 指先を動かすと脳の機能が活性化するのは有名ですが、実際、オックスフォード大学の研究ではペン回しをしたグループの方が学習効率が高かった、なんて結果が出たとか出ていないとか!」
ペンを回して成績が上がれば世話はないが、教育機関とペン回しの親和性を伝えるならこのあたりだろう。ユニ助は俺の入れ知恵を自分の言葉のようにすらすらとしゃべっている。
「最後に、ペン回しでメンタルが強くなります! 技を練習する中で粘り強さや、試行錯誤する発想力が鍛えられます! 技を習得すると成功体験になって自信がつき、若者に不足しがちな自己肯定感を高めることができます! 先生、俺を見てください! ほら! 俺が証拠です!」
大塚先生はこめかみを揉んだ。
「だから、授業中の迷惑行為を奨励しろと? 冗談言ってる暇あったら勉強しろ」
「冗談じゃないっすよ。なんでペン回しってだけで真面目じゃないって決めつけるんですか。先生、想像してください、授業中に野球部の連中がキャッチボール始めたら普通に怒りますよね? それはただ授業聞いてないやつが不真面目なのであって、ペン回しそのものは何も関係ないはずです」
「それで?」
「大事なのは何かに打ち込むことで、それが何かは問題じゃないってことですよ!」
ユニ助は大塚先生を前にしても物怖じ一つせずに堂々と話している。俺を含めたほとんどの生徒はその威圧感にビビりあがってしまうのだが、こいつは頭のネジが数本外れているに違いない。なんであれ、俺が前に出ずに済むので心強い。
大塚先生はデスクの上の申請書をつまみ上げると、それをひとにらみして言った。
「顧問は?」
申請書の顧問の欄にはユニ助の名前が書いてある。顧問ってのはつまり、部員を指導する人間だ。その定義に当てはめればぎりぎり通らないこともないと思ってユニ助の名前を書かせたんだが、どうやらダメそうだ。
「いや、この学校に俺よりペン回し上手い人いないんで! 部長兼顧問でやらせてもらいます!」
「そういう問題じゃねえ。顧問は教員が担当するのが常識だ。それと、部員も最低5人だ。2人だけの部活など存在する価値がない。まあ、非公認で勝手にやる分には――」
「それじゃあダメなんです」
ユニ助は強い口調で言い切った。決して大きな声ではないのに、有無を言わさぬ迫力があった。明後日の方向にふらついていた俺の意識が、まるで磁石に吸い寄せられるようにユニ助のもとに戻ってくる。
大塚先生は黙ってユニ助のまっすぐな目を眺めた。ユニ助は目を逸らさずに言った。
「夢なんです。女子マネと恋愛するのが」
俺はずっこけそうになった。大塚先生は失望しきった目をしてユニ助から視線を外した。
「申請は却下だ」
「や、やだなぁ冗談じゃないですか! ホントの目的はペン回しの知名度向上……」
大塚先生はユニ助を無視してデスクの引き出しから何かを取り出した。それは木製のハンコとスタンプ台だった。長方形のハンコの底を台の上でバウンドさせて赤いインクを塗っている。ほとんど腕にすがりつく勢いのユニ助をさすがに哀れに思ったのか、インクに息を吐きかけてから、大塚先生は思い出したように言った。
「もし、どうしてもペン回し部なんかを作りたきゃあな……」
「なんですかっ!?」
「転校しろ」
さながら判決を下す裁判官のハンマーのようだった。大塚先生はハンコを握った拳を、バァン! という激しい音を立てて申請書に振り下ろした。巨大な握り拳が退くと、申請書の右上にでかでかと【却下】とだけ書かれた赤いハンコが押されていた。力いっぱい押したものだから、文字の形に紙が凹んでいるようにすら見える。
申請書を押し付けられ、首根っこを掴まれて放り出される野良猫のように、俺たちは職員室を追われた。紙切れと化した申請書だけが、俺たちに残された。大塚先生が部活関連を担当する限りペン回し部は諦めろ、という死刑宣告のおまけつきで。
「ぎぎぎぎぎぎ、オニヅカのヤロー許さねえ……!」
職員室から部室へと戻る途中、ユニ助は恨み節を吐いて申請書を強く握った。くしゃりと紙が潰れる音がした。
俺がユニ助と出会ったのは高校の入学式でのことだった。