第3章「剣を振れぬまま、風を見た」
【前書き】
剣の意味を見失った男が、風に耳を澄ませる。
この世界の“美しさ”が、彼の心を少しずつ動かしていく。
村の朝は早い。
鳥のさえずりと共に、人々が畑へと向かう音が重なり、静かだったはずの空気がゆっくりと動き始める。
レオンは一人、村の裏手にある小さな丘に登っていた。
木剣は今日も握っていたが、振る気にはなれなかった。
風が吹く。
遠くの草原がざわりと揺れた。
「……綺麗だな」
この世界の空は、以前の世界よりも広く澄んでいた。
空の青も、草の緑も、鳥の声も──全てが鮮やかすぎて、剣だけを見ていた目にはまぶしかった。
「何してるの、レオン?」
リリカの声に、振り返る。
彼女は手に小さな籠を抱えていた。朝摘みの薬草が顔を覗かせている。
「見てただけ。……この風景を」
「剣の練習、やめたの?」
「いや……今日は、何となく」
リリカは、レオンの隣に腰を下ろした。
ふたりの間に、しばしの沈黙が流れる。だが、それは心地よいものだった。
「ねぇ、レオン。小さい頃、風に向かって剣を振ってたでしょ」
「……ああ」
「あれ、なんでだったの?」
「……風が、何かを連れてきそうだったから」
レオンのその言葉に、リリカは小さく笑った。
「変なの。でも、ちょっと分かるかも」
その笑顔が、剣よりもまぶしいと思った。
──◇──
その日の夕刻、村に一人の旅人が訪れた。
フードを深くかぶったその男は、無言で井戸の水を飲み干し、村の掲示板に何かを貼りつけた。
リリカの父がそれを見つけ、読み上げた。
「……北の街道沿いで、盗賊団が頻発している。通行人の行方不明も出ているらしい」
レオンはその紙を見つめながら、胸の奥に何かがざわめくのを感じた。
この手では何も守れない。
けれど、それでも──
風が吹き抜ける中、レオンは何も言わず、ただ剣の柄を握りしめた。
言葉では埋められない、心の隙間を確かめるように。
【後書き】
「剣を振る理由」がわからなくなったとき。
レオンは、ただ風を見ていた──。
次章では、彼の手が初めて“守りたいもの”へと伸びていくかもしれません。