第22章「路地裏の声」
酒場の余韻を胸に、レオンは町の夜を歩く。
そのとき出会った少年の言葉が、この世界での“名付け”の意味を初めて教えてくれる。
それは、彼にとって剣よりも重い問いの始まりだった。
酒場を出ると、町は夜の匂いに包まれていた。
昼間の喧騒とは違い、石畳は雨上がりのようにしっとりと冷えている。
子狼は鼻を鳴らし、好奇心のままに足を進めた。
「おい、こっちだ」
路地の奥から小さな声がした。
振り返ると、痩せた少年が顔をのぞかせていた。十にも満たないだろう。
片手には硬そうなパンの欠片を握っている。
少年は子狼を見つけ、目を輝かせた。
「すげぇ……狼を連れてる兄ちゃんなんて初めて見た。……名前は?」
レオンは言葉に詰まった。
まだ、この小さな命に呼び名を与えていなかった。
「……まだ決めていない」
すると少年は、少しだけ得意げに微笑んだ。
「この町じゃ、“名”はただの呼び名じゃないんだ。契約や言霊みたいなものでさ──名前をもらった時、人は初めてこの世界に立つって言われてる」
レオンは黙って耳を傾けた。
少年はパンを握りしめたまま続ける。
「名付けるってことは、親が子に『お前を守り続ける』って誓約をするのと同じなんだ。血の繋がりよりも、その約束の方が深いって言う人もいる。だからこの小さな町じゃ、昔っから“名付け”をすごく大事にしてるんだ」
その言葉に、レオンの胸が不思議に揺れた。
剣聖だった頃、自分の“名”はただの肩書きにすぎなかった。
だがこの町では、名付けが愛であり、絆であり、生きる意味そのものになっている。
「だから今は名前は無くても良いと思う」
足元の子狼が尻尾を振る。
「……ただ、その子に名を付けるつもりなら……家族に迎え入れるつもりなら相応の覚悟はしといた方が良いよって事を伝えたかったんだ」
その仕草は、まるで「名を与えられるその時を待っている」と訴えているかのようだった。
ここで提示された「名付け」の文化は、レオンにとって剣以外の価値を考えるきっかけとなる。
まだ名前を持たない子狼との関係は、やがて彼自身の生きる意味を揺さぶっていくことになる。
次章では、町の中でさらに人々と触れ合いながら、レオンの心に少しずつ変化が芽生えていく。
案外私達って、「名前」に関して深く考えること無いよなぁ……と執筆を通して考えさせられました。