表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/11

見つめ合うとき、鼓動が変わる

春の陽射しが差し込む講義室の窓際。


湊は教室の最前列に座りながら、黒板の字を追っていた。

しかし、内容はほとんど頭に入っていなかった。


昨日のリセ、サリア、ノア――三人の言葉が脳裏を離れない。


(俺は、まだ選んでいない)


だが、彼女たちの真剣な想いに触れた今、もはや「誰も傷つけたくない」などという逃げは、ただの甘えに思えた。


(でも、選ぶって何だ? 俺が選ばれる側だったら、どんな言葉が欲しいんだ?)


講義の終わりを告げる鐘の音に、湊は肩を震わせた。


そのとき、後ろの席から声がかかる。


「ねえ湊、今日、放課後……時間ある?」


ノアだった。


その声は、どこか期待を込めていて、けれど押しつけがましくはなかった。


湊は少し考えて、うなずいた。


「……あるよ。君が呼んでくれるなら」


ノアは安心したように微笑んだ。


「じゃあ、港町まで歩いてみない? ちょっと遠いけど、今日は天気がいいから」




学院の門を出て、二人は並んで歩いた。


石畳の道を抜け、草原を渡り、小川を越える。


港町は、地平線の向こうに小さく煙を上げている。


「ねえ湊さん。前に恋なんてバグだって誰か言ってたけど、わたしはそう思わないな」


ノアは笑いながら、スカートの裾を揺らして言った。


「恋って、たぶん……人を見つめることだよ。まっすぐ、何度も。たとえ嫌なところがあっても、それを知っても好きって思えるのが恋だと思うの」


「……君は、そういう風に俺を見てくれてたんだな」


ノアは歩みを止め、湊の顔をまっすぐ見上げた。


「うん。怖いくらい、ちゃんと見てたよ。あなたがどんな顔で物を考えるかとか、どんな時に目をそらすかとか……わたし、全部覚えてるもん」


「俺は……君のこと、そこまで見れてなかったかもしれない」


「いいよ。今から、ゆっくり見てくれたら」


ノアは柔らかく微笑んだ。


港町にたどり着くころ、二人の間の空気は確かに変わっていた。


それは、決して答えではなかったが、距離は確かに近づいた。




その夜。学院の図書室。


サリアは湊を呼び出していた。


机の上には、幾重にも折り重なった論文や書籍。


だが、それらは今日の目的ではない。


「呼び出してごめんなさい……でも、どうしても、あなたに伝えたいことがあったの」


湊はうなずいて、椅子に座る。


「昨日の言葉、あれで全部じゃないの。あの時は言えなかったけど……わたし、あなたが怖いの。あなたと過ごす時間が増えるほど、計算が狂っていくから」


「……狂うって、感情のことか?」


「そう。わたしらしさが壊れていく感じがするの。でもね、壊れていくのに、どこかで安心してる自分もいる」


サリアは手元の本を閉じ、湊をまっすぐ見た。


「あなたと話すと、わたしは、間違ってもいいって思える。それって、すごく怖くて、でも……嬉しいの」


湊は黙って聞いていた。


サリアの瞳は、今までで一番まっすぐだった。


言葉は少し震えていたが、そこに迷いはなかった。


「だから、お願い。もし、いつか選ぶ日が来たなら――その時、わたしをちゃんと見て。目を逸らさずに、恋をしてるかどうかじゃなくて、その人間を必要としてるかどうかで選んでほしいの」


その言葉は、まるで祈りのようだった。


湊はその祈りを、手のひらでそっと受け取るように胸に刻んだ。




翌朝。


学院の庭園。湊はベンチに腰掛けていた。


すると、足音も立てずに現れたリセが、その横に静かに座る。


「今日は、君のほうから来てくれるんじゃないかと思ってた」


「……あら。少しは分かるようになってきたわね、わたしのこと」


リセは冗談めかして微笑んだ。


「あなた、今とても優しい目をしてる。昨日の顔とは違うわ」


「……そうかもな。ノアとサリアと話して、少しだけ分かったんだ。俺は恋が、分からないんじゃなくて、恋する自分を信じてなかっただけなんだって」


リセは目を細め、ほんの少しだけ湊にもたれかかる。


「……それなら、信じる練習をしてみる?」


「練習?」


「そう。選ぶとか答えとか、そういうのはまだいらない。ただ、誰かのそばにいる練習をしてみるのよ。そして、その時に湧き上がる気持ちを……少しずつ見ていけばいい」


湊は、静かにうなずいた。


その言葉が、どこまでも自然に、自分の中に溶けていくのを感じた。


リセは湊の肩に頭を預けた。


その重みが、まるで「孤独の終わり」を告げるようで、湊はそっと目を閉じた。




====




夕刻、学院の中庭。


花壇の影が伸び、木々の間をやわらかい光が照らしていた。


湊はベンチに腰を下ろし、ゆっくりと息をつく。


この数日、彼の周囲は穏やかに、しかし確実に変わっていた。


リセ、サリア、ノア――


それぞれの想いと向き合ったことで、彼の中にあった壁が、少しずつ崩れ始めていた。


「……誰かの隣にいるって、簡単じゃないな」


ぽつりとこぼしたその言葉に、返事はなかった。


けれど、まるで呼応するように、ベンチの端にひとりの少女が腰を下ろした。


「疲れた顔してるよ、湊さん」


ノアだった。どこか無防備な笑みを浮かべて、手に持っていた小さな袋を差し出してくる。


「これ、お菓子。港町で買ってきたの。ほら、ちょっと元気出るでしょ」


湊は受け取り、中を覗いた。素朴な焼き菓子の香りがふわりと広がる。


「ありがとう……君、気を使ってるんだな」


「うん。わたしって、そういう性格だもん。誰かが元気ないと、何とかしたくなる」


彼女の声は明るいが、どこか寂しさがにじんでいた。


「でも……自分のこと、ちゃんと大事にできるようになりたいの」


「自分のこと?」


「うん。湊さんのことが好きで、いつもそればっかりだったけど……この間の答え聞いて、ちゃんと、ひとりの自分として立たなきゃって思ったの。湊さんにとって、ただの依存じゃ意味がないから」


湊は黙って彼女の言葉を受け止める。


「……でも、今日は一緒にいたくて来たの。誰かの隣にいたいって、思えるようになったから」


ノアは焼き菓子をひとつ口に入れながら、視線を空に向けた。


(自分の足で立ちながら、隣にいること――彼女は、そうやって変わろうとしてる)


湊の胸に、じんわりと温かなものが広がった。




翌朝、講義の後。


湊が廊下を歩いていると、サリアが資料を手にして立っていた。


「湊、少しだけ時間あるかしら。図書室じゃなくて……屋上に行かない?」


「……屋上?」


「朝の風、嫌いじゃないの」


言われるがままに階段を上がると、屋上はすでに春の陽気に満ちていた。


サリアは柵のそばに立ち、資料を風に押さえながら話し出す。


「この世界の恋愛魔法、研究してるとわかることがあるの。人の心って、理屈じゃ割り切れない」


湊は苦笑する。


「君がそれを言うとは、意外だな」


「そうでしょ? でも最近、理屈じゃ追いつかないことばかり起きるから。あなたと出会ってから、ずっと計算が合わない」


サリアは湊のほうに向き直った。


「ねえ湊。わたし、恋愛って選ぶことじゃないと思う。歩み寄ることだと思うの。お互いが、それぞれの価値観を持ったまま近づいて、それでも一緒にいたいと思えること」


「歩み寄るか……」


「だから、今のあなたが、誰も選べないって思ってるのは、きっとどれも間違っていないってこと。わたしたち、それぞれが、あなたといたい理由を持ってるから」


湊は黙って、サリアの瞳を見つめた。


揺らがない、まっすぐな瞳。


「……サリア。俺、君と話してると、自分の未熟さを思い知らされるよ。でも、それを受け入れたいとも思える」


「それなら、となりにいる理由の一つになるかしら」


「……なるよ。きっと」


そのやりとりが、どれほど自然で、どれほど深い信頼のうえに成り立っていたか――


湊はようやく、言葉ではなく感情で理解し始めていた。




夕方。学院の中庭。


リセは、ひとりで剣の素振りをしていた。


その動きは正確で、無駄がなく、静かに美しかった。


湊が近づくと、彼女は手を止めた。


「湊。来ると思ってた」


「そう思ってもらえるようになったのは、君のおかげだよ」


「……ふふ。随分と成長したわね」


リセは剣を納め、ベンチに腰を下ろした。


「わたしね、恋愛って戦いだと思ってたの。誰かを奪うために、誰かを蹴落とす――そんな世界にいたから」


「でも、それを望んでるようには見えなかった」


「ええ。違うの。隣にいることが戦いじゃないと知ったの。あなたと出会ってから」


リセは少しうつむいて言葉を続ける。


「わたし、ずっと選ばれる価値のある人間でいなきゃと思ってた。完璧じゃなきゃ、愛されないって思ってた」


「……違う。君は、君のままで……」


「そう言ってくれたの、あなただけよ」


沈黙が流れる。


それは決して重苦しいものではなく、ふたりの間に確かに育った静けさだった。


「湊。わたし、誰かの隣にいるために、自分を押し殺すのはもうやめたい。だから……お願い。あなたの隣にいるわたしを、見ていてほしい」


「……見てる。ちゃんと」


その言葉は、今の湊が出せる、最も誠実な答えだった。


リセは微笑み、小さくうなずいた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ