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選べない想い、届かない答え

学園祭まで、あと一週間。


学院内はそわそわと落ち着かず、どの教室からも準備の声と笑い声が聞こえていた。


けれど、湊の胸には、晴れないもやがかかっていた。


——あの夜、三人それぞれに想いを伝えた。


けれど、それは「選んだ」わけではない。


むしろ、誰の想いも否定せず、「曖昧な希望」を与えてしまったのではないか。


そのことに、気づいていながらも口を閉ざした自分に、嫌悪感すら覚える。


「……これで、よかったのか」


呟いた言葉は、誰にも届かず、ただ秋の風に溶けていった。




午後、学院の講堂にて。


学園祭の出し物会議が行われており、生徒たちの熱気に包まれていた。


湊たちのクラスも参加しており、話し合いは佳境を迎えていた。


「じゃあ、劇にしようって意見が多かったけど、脚本は誰が書くの?」


「それならリセさんが適任なんじゃ……? 文章も上手だし、演出もできそう!」


「私は……やってもいいけれど」


リセはちらりと湊の方を見る。


その目は、どこか迷いを含んでいた。


(あの日以来、リセときちんと話せていない)


湊は胸がざわつくのを感じながら、そっと視線を逸らした。


その様子を、ノアが見逃すはずもなかった。


「……ねえ、湊さん。ちょっと話せる?」


会議が一段落したタイミングで、ノアが声をかけた。


外に出ると、校舎裏の静かな中庭に二人きり。


「ねえ、わたし、今……ちょっと怖いの」


ノアの声は、いつになく弱々しかった。


「リセさんやサリアさんと、湊さんが話してるのを見ると……心がザワザワするの。わたし、自分だけが、特別じゃないってわかってたはずなのに……やっぱり、怖いよ」


「ノア……」


「この前、言ってくれた気持ちは、すごく嬉しかった。でも……それだけじゃ、足りないって思っちゃう。もっと……私だけを見てほしいって、思っちゃうの」


ノアの瞳には、涙が滲んでいた。


その瞳に湊は言葉を詰まらせた。


——ノアの気持ちを裏切るようなことはしたくない。


けれど、彼女だけを選ぶ覚悟も、まだ……できていなかった。


「……ごめん」


その一言しか、言葉にできなかった。


ノアはかすかに笑った。けれど、その笑顔は、泣き顔に限りなく近かった。




夕刻。図書館の一角。


サリアは、一冊の本を手にしていた。


そこに、湊がやってくる。


「君も、準備で忙しいのに……こんなところにいるとは思わなかった」


「私には、祭りよりも興味のあるものがあるから」


本を閉じ、サリアは微笑む。


「ねえ、湊。前に言った言葉、覚えてる? 過程が大事だって言ったけど……それ、やっぱり嘘だったかも」


「どうして?」


「最近、私……結果ばかりを気にしてる。あなたが誰を選ぶのか、そればかりが頭を支配してるの」


それは、サリアにしては珍しい、感情の吐露だった。


「それって、きっと私が恋をしてしまった証拠。計算も理屈も飛び越えて、ただの女の子になってる……少し、怖い」


「……君もか」


「リセさんも、ノアさんも、私も。きっと皆、同じような気持ちでいる。誰かが選ばれ、誰かが選ばれない。でも湊、あなたが何も決めないままでいたら……その曖昧さが、私たちを壊してしまう」


その言葉は、決して責めるものではなかった。


けれど、それは確かに選べという意思の圧力だった。


湊は何も言えず、ただ黙って頷いた。




その夜。寮の部屋。


机の上には、今日一日で得た言葉の断片がノートに走り書きされていた。


——誰かを選ぶことの重さ。

——選ばないことの残酷さ。

——それでも誰かを想ってしまう、自分の未熟さ。


(誰か一人を選ぶって、そんなに難しいことなんだろうか?)


心の奥底にある名前は、もう、はっきりしているような気がする。


けれど、それを口にする勇気が、まだ湊にはなかった。


けれど、このままでは誰も救えない。


誰の手も、つなげない。


だから——


(……俺は、決めなきゃいけない)


心にそう刻んだとき、不思議なほど胸が静かになっていった。



====



学園祭前日。


学院はいつになく活気づいていた。装飾に走る生徒たち、出し物の準備に汗を流す者たち、笑い声がそこかしこに響いている。


しかし、湊の心は、その賑わいとは裏腹に静まり返っていた。


(もう、逃げられない)


三人の気持ちを知ってしまった以上、曖昧な態度は誰かを深く傷つけてしまう。


「誰かを選ぶ」という決断のときが、いま迫っていた。




放課後。講堂の裏庭。


薄暮の中、リセが湊を待っていた。


湊が姿を見せると、彼女はすっと視線を向けた。


「……来てくれて、ありがとう」


「話があるって言ってたから」


「うん。私……明日、劇の本番が終わったら、あなたに答えを聞こうと思ってる」


湊は驚きに目を見開いた。


「答え……って」


「誰を選ぶのか」


リセはまっすぐな瞳で告げた。


「これまで、あなたがどれだけ迷っていたか、見てきた。あなたなりに誠実であろうとしてくれていたことも、知ってる。でも、それじゃもう足りないの」


「……」


「私、もうずっとあなたを見てた。誰よりも優しくて、臆病で、だからこそ……本気で人と向き合える人。そんなあなたを好きになってしまった」


リセの声は静かだったが、その奥には揺るがぬ決意があった。


「明日、私の想いが届くように、舞台の上から全部ぶつける。それで、あなたが誰かを選ぶなら——私はそれを受け止める覚悟がある」


湊はその姿を見て、言葉を失った。


リセは、ただ真っ直ぐに恋をしている。傷つくことを恐れず、ぶつかってくるその心に、圧倒されそうだった。


「……ありがとう。ちゃんと見届ける」


リセは微笑み、ひとことだけ告げて去っていった。


「じゃあ、明日。あなたの答え待ってる」




夜、湊が寮の廊下を歩いていると、サリアが一人、廊下の椅子に腰掛けて本を読んでいた。


「……寝るには早い時間じゃないか?」


「そうね。気持ちが高ぶって、読書でもしてないと落ち着かなくて」


湊はその隣に腰を下ろした。


「……今日は、リセと話した。彼女、明日の舞台で想いをぶつけるって言ってた」


「ふふ、それらしいわね、彼女らしい」


「サリア、君は……怖くないのか?」


その問いに、サリアは少しだけ口元を歪めて笑った。


「怖いわよ。とても。私はあなたみたいに人の感情に慣れてないし、ましてや選ばれないかもしれないなんて初めての経験だもの」


本を閉じ、視線を湊に向ける。


「でも、私は最初からわかってたの。これは論理じゃなく競争だって。誰が一番あなたの心に残れるか。そのために何ができるか——ずっと考えてた」


「君は、強いな」


「強くなんかない。ただ、必死なだけよ。あなたを好きになって、ずっと変わっていく自分を感じてる。それが嬉しいし、同時に怖い。でも——それでも、私は最後まで諦めない」


その目は、淡々としながらも確かに熱を持っていた。


湊は彼女の隣で静かに頷いた。


(みんな、こんなにも真剣なんだ)


(俺は、どうしてそれに……正面から向き合えなかったんだろう)




同じ頃。寮の裏庭。ノアはひとり、空を見上げていた。


そこに現れたのは、湊だった。


「ノア……こんなところで何してるんだ?」


「んー……なんとなく。落ち着かなくて」


ノアは微笑みながら、湊を見た。


「ねぇ、湊さん。わたし、明日、あなたが誰を選んでも泣かないよ。泣かないって決めたの。だって、それが本気ってことだもんね」


「ノア……」


「でも、本音を言うと……やっぱり、選ばれたい。いちばん近くにいたい。誰よりも、あなたを知ってるって思いたい」


ノアの瞳が潤んでいる。


「湊さんが、無感情だと思ってたとき……わたし、安心してた。だけど、だんだん表情が変わっていって、そのたびに、どんどん遠くに行っちゃう気がしたの」


「そんなこと——」


「ううん、嬉しかったんだよ。ちゃんと人を好きになれるあなたを見て。でも、そのぶん怖いの。だから、ちゃんと伝えておくね。わたしはあなたが誰かを選んでも、ちゃんと応援する。泣いても、笑ってみせる」


湊は言葉が出てこなかった。


ノアの気持ちは、あまりにも優しくて、切なくて——


何もかもを飲み込むほどに、深かった。


「ありがとう、ノア。君の言葉……全部、ちゃんと届いてる」


ノアは笑った。その笑顔は、どこまでも純粋だった。




深夜、湊は自室の机に向かっていた。


視線の先には、ノートの余白に書かれた三つの名前。


リセ、ノア、サリア。


それぞれが真剣に、自分に想いを寄せてくれた。


誰一人として、軽い気持ちでぶつかってきたわけじゃない。


「俺は——誰を選ぶ?」


問いかけた声は、自分の中に吸い込まれていった。


答えは、すぐそこにある。


けれど、それを口にするには、あと少しだけ勇気が必要だった。


——明日、すべてを決める。


それが、誰かの涙を生むとしても。


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