識別と名
部屋に戻った私は、扉を閉めた瞬間に感じた、かすかな違和感に足を止めた。
――光。
ベッド脇の壁に、淡い光が投影されている。ぼんやりと浮かぶ文字列。
誰かが壁に貼ったようなものではない。ほんの小さな光源から映し出された、冷たい青白い映像だった。
《S2型‐015》
その数字を、私はしばらく呆然と見つめていた。見慣れない記号、でも、なぜかひどく嫌な感覚がする。指を差されたような、分類されたような、名札ではなく、製品に与えられた製造番号のような。
そしてその下に、また新たな文字が浮かび上がる。
《セラ》
――セラ?
それが……私の名前?
小さく、呟いてみる。
口に出してみた瞬間、どこか胸の奥に違和感が灯る。
「アイリス」ではない。
名前とは、こんなに軽く奪われ、与えられるものだったのか。
けれど、何かを問う前に、思い出す。
あの日――。
無機質なガスマスクの人たちが、私たちを病室から連れ出した。暴力ではなく、淡々とした手順で、だが確かにあれは“誘拐”だった。
抵抗する暇もなく、眠らされ、気づけばこの施設に。
おそらく、あの病院にいた子たちの多くが、ここに連れてこられている。
あの優しい看護師の微笑みも、白いシーツも、全部偽物だったのかもしれない。
――適合
――戦術兵器
――量産型神代兵器
さっきの女教官の言葉が何度も脳裏をよぎる。
まるで私たちを“人間”ではなく、“道具”として扱うための講釈だった。
わからない。何もかも、わからない。
ただ一つだけ、確かに胸の奥に残っている。
……母が、最後に何か書類を見ていた。
何かを隠していたような、見られてはいけないものを手にしていたような。
けれど、それが何だったのか、思い出せない。記憶が、もやのように霞んでいる。
思考が渦巻くほどに、心が空回りしていく。
私は――こんなふうに、悩み続けるタイプじゃない。
「……ああ、もう!」
ぐしゃぐしゃと髪をかきむしって、私はベッドに倒れ込んだ。
大の字になって、天井の虚ろな光を睨みつける。
逃げ場なんて、最初からなかった。
ここで何が行われていようと、誰が敵で、誰が味方であろうと。
やるしかない。やるなら――誰よりも強くなればいいだけだ。
そうすれば、取り戻せるかもしれない。自分という存在を。名前も、誇りも。
「よし……!」
思わず声に出して、拳を握る。
不安も恐怖も飲み込んで、自分を奮い立たせる。
その名前が“セラ”だというのなら、今はそれでもいい。




