一手の重み
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椅子に腰を下ろしたエドワードの瞳は、ただ一点を見据えていた。
白衣の職員たちは、沈黙している。
あのエリックの件が脳裏を離れないのだろう。
あれ以来、誰もが“見て見ぬふり”を決め込んでいる。
言えば、自分も危うくなる。
指摘すれば、その担当者も共に道連れとなる。
最悪の場合、連帯責任。
職を失うどころか、軍そのものから排除されかねない。
—— だから、誰も言わない。
いや、言えないのだ。
軍医に直接報告すれば、上層部に即座に伝わる。
その結果、何が起こるかは明白だった。
だが、その沈黙が、エドワードに“わずかな時間”を与えてくれている。
誰も正式に動かぬうちに。
誰もまだ“問題”と認識する前に。
今なら、まだ打てる手がある。
「……早朝、我々から連絡を入れよう」
ぽつりと独り言のように呟く。
「軍医へ。然る後、正式に上層部へ通達・上申する。」
先に動けば、**“意図的な隠蔽”ではなく、“慎重な経過観察”**として報告できる。
あくまで軍の意向に反していない、という形を取ることができる。
そのための“時間”が、いまはある。
——
エドワードは、深く椅子に背を預けた。
あと、いくつ手が残っているか。
己の中で、何度もその問いを繰り返す。
勝算は薄い。だがゼロではない。
必要なのは、“正しい手を打つこと”ではない。
“生き残るための手を打ち続けること”。
リネット、セリア、エルナ。
そしてクロエやエリックもまた、自分の一手で命運が変わる存在だ。
誰かの正義が、誰かの命を削っているこの世界で、
せめて“選ぶ”という意思だけは、自分のものとして握っていたい。
静かな部屋。
わずかな騒音。
施設の自動灯が切り替わる微かな音が、夜の終わりを告げるようだった。
エドワードは手帳を取り出し、冷えたコーヒーを一口だけ飲み干した。
この一手が、次の希望につながるように。




