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神を殺した世界にて  作者: ほてぽて林檎
第1部:正義に注ぐは聖なる犠牲
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揺れる湯気の中で

 


 クロエは、目の前のコーヒーカップから立ち上る湯気をじっと見つめた。


 温かい香りが鼻をかすめる。


 彼女はふと前髪を払い、耳の裏にかき上げると、静かに口を開いた。


「……エリックがここにいる理由を聞いても?」


 その問いに、エドワードはコーヒーを一口飲み、微かに笑う。


「合理的な選択だと思うか?」


 クロエは少し考えたが、即答はしなかった。


 エドワードは視線をエリックへと向け、言葉を続ける。


「彼の決断は称賛に値する。だが、もっと楽な道もあった。」


「……楽な道?」


 エドワードは頷き、淡々と語る。


「リネット・Sの健康データを軍に報告し、私を売っていれば、エリックは今ごろもっと良い待遇を受けていたはずだ。」


 その言葉に、エリックの拳がわずかに震えた。


「確かにそうですね。俺が軍の命令に従っていれば、妹の心配もいらなかった。」


「だが?」


「……だが、あの裁判の件もあった。」


 エリックは低く呟いた。


「エドワード大佐に恩を仇で返すような真似は、俺にはできなかった。」


 エドワードはそれを聞き、フッと笑う。


「……まあ、私にとっても時間稼ぎになった。」


 少しだけ視線を落としながら、静かに考えを巡らせる。



「リネットの件、聖女たちの扱いについて、より上層部に通しやすい策を考えなければならない。」


 エドワードの声がわずかに低くなる。


「聖女は軍にとって資源だが、私は彼女たちを“人間”として扱う。」


 クロエとエリックが同時に顔を上げた。


 エドワードは続ける。


「彼女たちを監視させていたのも、実験も、聖女が“自由である場合”に何が起こるかを見極めるためだった。個としての自我を尊重し、彼女たちの意見や欲求がどこまで明確に存在するのかを測るために。」


 クロエは眉を寄せる。


「……それが危険な可能性もあると、あなたは分かっているんですね?」


「もちろんだ。」


 エリックも口を開く。



「でも、自由を与えたら、逆に疑念を抱くこともあるんじゃないですか?」


 エドワードはゆっくりとコーヒーカップを置いた。


「そうだ。自由を与えられた者が、急にそれを奪われたらどう思う?」


「……どうして? 何が悪かった? 何が原因だった?」


 クロエがぼそっと呟く。


 エドワードは頷く。


「彼女たちは馬鹿じゃない。ちゃんと等価交換を理解しているし、原因と結果の関係も見極められる。」


 しかし、そこでエドワードは視線を逸らし、少しだけ表情を曇らせた。


「……ただ、何かが引っかかる。」



 クロエとエリックが顔を見合わせる。


「強硬派の上層部は、採血量を増やそうとしている。それが聖女にとって良くないのは明白だ。」


「それが?」


 エドワードの目が細くなる。



「……それだけじゃない気がする。」




 その言葉に、クロエは微かに息を呑んだ。



「……エドワード大佐。」


 クロエは小さく息を吐くと、視線をまっすぐ彼に向けた。


「上層部が、大佐を査問会にかけようとしています。」


 エリックが目を見開いた。


「査問会……?」


「間違いないわ。」


 エドワードは短く息をつき、微笑む。


「これは、面白くなってきた。」


 クロエは呆れたように肩をすくめる。


「あなた、本当に楽しんでます?」


「忙しくなってきたからな。」


 彼は立ち上がり、軽くストレッチをすると、冗談めかして言った。


「ちょっとトイレに行ってくる。コーヒーを飲むと、どうも落ち着かなくなる。」


 そう言って部屋を出て行った。


 エリックはしばらく無言でいたが、やがてポツリと呟く。


「……エドワード大佐は、誰かを“人”として扱う。でも、彼自身は……何かタガが外れているような気がする。」


 クロエはその言葉に少し考え込み、ある人物の言葉を思い出した。



 ーー『奴はお前や私と違って、"損切り"ができる人間だ』


 エルンスト・シュトラウス准将の言葉。


 クロエはゆっくりと顔を上げ、エリックに言った。


「違うわ。彼は、“自分”を考えるより、“何が正しいか”を優先する人なのよ。」


 エリックは眉をひそめる。


「それは……人として正しいのか?」


 クロエは少し微笑んだ。


「さあね。でも、だからこそ彼は、エドワード・クラウスなのよ。」


 部屋にはまだ、コーヒーの香りが残っていた。

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