静かに響く足音
軍の廊下に、取り乱したような足音が響いた。
——ダンッ、ダンッ、ダンッ。
クロエ・ラインハルトは、息を乱しながら急いでエドワード・クラウス大佐の執務室へと向かっていた。
扉の前で一瞬立ち止まり、拳を握る。
心臓が嫌なほど速く脈打っていた。ライナー・ヘスラー大佐のあの目、あの言葉が脳裏にこびりついている。
クロエは、すぐにでもエドワードの顔を見て、この不快感を振り払いたかった。
——しかし、扉を勢いよく開けた瞬間、彼女は言葉を詰まらせた。
「……っ」
室内にはエドワードとエリック・バーナードがいた。
ホログラムスクリーンには、リネット・Sの健康データが映し出されている。
二人は真剣な表情で話し合っていたが、不意に飛び込んできたクロエを見て、視線を上げた。
エドワードは静かにクロエの様子を見つめ、エリックもまた、言葉を飲み込んだように微妙な表情をしていた。
クロエは、一瞬だけ表情を揺らしたが、すぐに軍服の乱れを正し、深く息を整えた。
「……いえ、何でもありません。」
できる限り平静を装ってそう言うと、エドワードは一度エリックを見てから、優しく声をかけた。
「エリック、少し時間をくれないか。」
エリックはわずかに戸惑ったが、「わかった」と短く返し、ホログラムスクリーンの表示を操作しながら席を外す。
クロエはふっと息を吐くと、エドワードに促されるまま、離れたソファに腰掛けた。
「何が飲みたい?」
エドワードは冗談めかした口調で尋ねた。
「……何があります?」
エドワードは少し考える素振りを見せた後、苦笑する。
「ブラックコーヒーしかないが。」
「選択肢がないんですね。」
クロエは皮肉っぽく言いながら、思わず口元を緩めた。
それを見たエリックは、わずかに眉をひそめる。
「……いや、他に何かないのか?」
「ない。」
「選ばせる意味がないだろう……。」
エリックの呆れたようなツッコミに、エドワードは軽く肩をすくめる。
「それでも選ぶ自由はある。」
「詐欺師かよ。」
「詐欺師ならもう少し甘いものを用意するさ。」
軽いやり取りを交わしながらも、エドワードは静かにクロエを見つめていた。
「……何かあったのか?」
クロエは一瞬だけ迷ったが、すぐに表情を引き締める。
「何も。」
「……そうか。」
エドワードはそれ以上追及せず、丁寧に淹れたコーヒーをクロエに手渡した。
「ありがとう、ございます。」
クロエはカップと受け皿を慎重に受け取る。その手はまだわずかに震えていた。
その様子に気づきながらも、エドワードは何も言わなかった。ただ、静かにクロエの頭に手を伸ばし、ぽんぽんと優しく叩く。
「たまには、ゆっくり寝た方がいい。」
クロエは驚いたように目を瞬かせた。
(……この人は、どうしてこうも……。)
エドワードの言葉は、不思議と心に染み入るような響きを持っていた。
クロエはふっと鼻で笑い、普段通りの皮肉っぽい調子で言い返す。
「どの口が言うんですか?」
エドワードは、困ったように微笑むだけだった。
——クロエはこの瞬間だけ、ほんの少しだけ、安心していた。




