エリックを巡る思惑
軍の執務室の一室。エドワード・クラウス大佐の机の上には、書類が無造作に積み上げられていた。報告書、軍法会議の記録、聖女の監視データ……その中には、先の軍法会議で裁かれたエリック・バーナードに関する書類も混ざっていた。
エドワードは片手にブラックコーヒーを持ちながら、執務用のホログラムスクリーンを眺めている。
映し出されているのは、パンケーキ作りに励む聖女たちの姿だった。
セリアが生地をこね、エルナが張り切って卵を割ろうとし、リネットがのんびりと手順を確認している。彼女たちの世界は、あまりに無垢で、あまりに平和だった。
「随分と余裕ですね、大佐」
皮肉めいた声が響く。クロエ・ラインハルト少尉だ。
「大佐の楽しみは、パンケーキ作りをする聖女たちを監視することですか?」
エドワードはコーヒーを一口飲み、視線をスクリーンから外さずに答える。
「少なくとも、君よりは穏やかな時間を過ごしているつもりだよ」
クロエは肩をすくめて、「そうでしょうね」と呆れたように言った。
「ところで、大佐。あなたがエリック・バーナードを聖女の監視役に復帰させようとしている、という話を耳にしました」
「ほう、仕事が早いな」
「仕事ですから。……それで、エリックは復帰するんですか?」
「彼は、最初は突っぱねるだろうな」
「でしょうね」
クロエはため息をついた。
「彼はもう散々な目に遭ったんです。軍法会議にかけられ、降格処分を受け、それでも生き延びるために足掻いた。そんな男が、今さら聖女の管理に戻ると?」
エドワードは微笑し、スクリーンに目を戻した。
パンケーキの生地が跳ね、エルナが楽しそうに笑っている。
「エリックには聖女に携わった経歴がある。データ管理、監視、そして実地の経験……それだけではない。聖女の存在自体は軍の機密事項だ。閲覧許可を持つ者は限られるし、データ管理権限も厳しく制限されている」
クロエは腕を組み、「だから、彼を引き戻そうと?」と問いかけた。
「頑張り次第では、という話さ」
エドワードはゆっくりと書類の束をめくった。
「彼が管理監督として戻れば、私の名も少しは"良く"なる。軍法会議で彼を擁護した私の判断が間違っていなかったと示せるからな」
「……」
クロエは無言でエドワードを見つめた。その余裕ぶった態度の裏に、どれほどの策を巡らせているのか。
「それだけではありませんよね、大佐」
「もちろん」
エドワードは笑みを深めた。
「上層部がエリックに目をつけている。彼が私の"管理下"に戻るか、それとも上層部の手駒になるか。もし軍の命令に従えば、彼には昇級の道が開かれるだろう」
「でも、あなたの味方として戻れば?」
「私が面倒を見てやることになる」
クロエは考え込むように目を細めた。
「エリックは軍法会議での裁判記録が残る限り、完全な復職は難しい。聖女の監視役として戻る道はあるかもしれませんが、彼がそれを望むかどうか……」
「だが、彼の持つデータ閲覧許可と管理権限は、そのまま軍の情報戦の要になる」
エドワードはコーヒーをもう一口飲み、クロエを見た。
「どうすると思う?」
クロエは少し考えた後、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「さて、どうでしょうね。少なくとも、あなたが彼の復帰を画策していることは、上層部も見逃さないでしょう」
「だろうな」
エドワードは軽く肩をすくめた。
「それに、軍は聖女の採血量を3倍以上に増やす予定だったが、それを私が頓挫させた。今の状態がいつまで持つかは分からない」
「……あなたも、自分の立場を見越しているんですね」
クロエの表情が険しくなる。
「私も、あなたに助けられた身です。あの時、下士官だった私を救ってくれた。だからこそ、聞きます。あなたはどうするつもりですか?」
エドワードはスクリーンに映る聖女たちを見つめながら、静かに言った。
「私は私のやり方で、守るべきものを守る」
クロエはしばらく沈黙した後、やれやれといった様子でため息をついた。
「……まったく、あなたの皮肉よりも、軍上層部のやり方のほうがずっと酷いですね」
そうだろう?」
エドワードは楽しげに微笑みながら、スクリーンを指さした。
「さて、次はエリックがどう出るか、見物だな」
クロエは苦笑しながら、エドワードの執務室を後にした。




