街の観察
「急ぎではないのでしょ?」
クロエ・ラインハルト少尉は、背後に控える部下にそう尋ねた。
「えぇ、それは、まぁ……」
部下は歯切れの悪い返事をしながら、少し早足で彼女の後を追う。
「それにしたって、歩かなくともいいでしょうに……」
「あなたが手配していないからでしょ?」
クロエは皮肉交じりに返し、視線を街の風景へと移した。
軍事管理区域の一角にあるこの街には、多くの民衆が行き交っていた。
表向きは平和な日常が営まれているように見える。
だが、少し目を凝らせばその裏にある空気の異様さがはっきりとわかる。
街頭のポスター、掲示板、電光掲示板──
至る所に、軍のプロパガンダが溢れていた。
『徴兵に参加し、神代兵器となれ! 地上を取り戻すのだ!』
『聖女に奪われた世界を奪還せよ!』
扇動的なスローガンが、まるで呪詛のように目に飛び込んでくる。
クロエは軽く溜息をついた。
「……しかし、これで何度目?」
部下もまた、街の様子に少し戸惑いながらつぶやいた。
「……こうして見ると、相変わらずすごい熱気ですね……」
「そうね。でも、これが何に向かう熱か、あなたにはわかる?」
クロエは、淡々とした口調でそう言いながら、掲示板の前に足を止めた。
手書きで追加された募集要項の横には、“英霊たちの名を刻もう” という文言が添えられている。
「前回の地上進出作戦がどうなったか、覚えている?」
クロエが問うと、部下は一瞬言葉に詰まった。
「……ええ。確か……」
言葉を慎重に選びながらも、彼はなんとか答える。
「……200体以上の量産型神代兵器が投入されましたが、わずか3カ月も経たずに、その九割が……」
「減った、わね」
クロエはわずかに目を細める。
「彼らは大きな戦果を挙げることもできず、地上の物資を運ぶだけの存在だった。
そのために200体も送り込み、そのほとんどを失ったのだから……結果は明白よね?」
部下は何も言えなかった。
「そして、その作戦を指揮していた人物は、公式には殉職となったことになっている。」
その言葉に、部下はごくりと唾を飲み込む。
「……でも、本当は?」
「さぁ、どうかしら?」
クロエは肩をすくめた。
あまりにも酷い結果だった。
作戦は大失敗に終わり、民衆は怒りを募らせた。
しかし、その怒りの矛先は軍上層部には向かわなかった。
軍は見事にそれを逸らし、無事に帰還した神代兵器たちに向けさせたのだ。
クロエは淡々と言い放つ。
そして、ふと視線をポスターから外し、部下へと向けた。
「ところで、現在その指揮官の席はどうなっているか、知っている?」
部下は眉を寄せながら考える。
「……空席のまま、でしたよね?」
「ええ。言わずもがな──」
クロエは苦笑を浮かべる。
「その席は、上の人たちにとって都合の悪い人物を送る“左遷先”として、うってつけの場所になったのよ。」
部下はその言葉の意味をすぐに理解した。
「……まさか、少尉……?」
「さぁ、どうかしら?」
クロエは意味深に微笑み、歩みを進める。
この戦争の形は、誰もがわかっているはずなのに、誰も口には出さない。
上に立つ者たちは、自らの手を汚さずに済むように、都合の悪い者を“戦場”へと送り込む。
そして、その役目を次に担うのは──




