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神を殺した世界にて  作者: ほてぽて林檎
第1部:正義に注ぐは聖なる犠牲
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エリック・バーナードの判決

 

 重い扉が開かれ、エドワードは裁判所の中へと足を踏み入れる。


 室内には冷たい空気が漂い、審問官たちが静かにエリック・バーナードを見下ろしていた。


 エリックは俯き、硬直した表情で椅子に座っていた。


「聖女の血を無駄に流した罪……」


 審問官の一人が書類をめくる音が響く。


「君は、その責任を問われている。」


 エドワードはゆっくりと席に着く。


(さて……どこまで"修正"できるか。)



 中央の席には数名の審問官が座り、厳格な表情で被告のエリック・バーナードを見下ろしている。彼の肩は強張り、唇を噛み締めたまま黙っていた。


 そのすぐ隣には、軍大佐エドワード・クラウスの姿があった。


 審問官の一人が書類をめくり、冷ややかに言い放つ。


「聖女の血を無駄に流すなど、重大な過失だ。ましてや、それを防げなかった責任者が罰を免れることなどありえない。」


「異論は?」


 法廷にいる者たちは、静かにエドワードの方へ視線を向けた。


 エドワードは悠然と微笑み、椅子の背もたれに軽くもたれかかった。


「少々、訂正をお願いしたい。」


「訂正?」


 審問官の眉がぴくりと動いた。


「"聖女の血を無駄に流した"と断定されていますが、そもそもこれは意図的なものではなく、事故です。」


「結果として流れたことに変わりはない。」


「ええ、ですが"事故"です。そこを考慮せず、単純に刑を科すのは適切でしょうか?」


「聖女の血は貴重な資源であり、事故であろうと流すことは許されない。」


「では、どのようにすればよかったと?」


 エドワードは冷静に問いかける。


「監督不行き届きの罪は重い。最初から事故が起こらないよう管理するのが責任者の役目だ。」


「なるほど。しかし、それならば"事故を完全に防ぐ手段"を講じるべきですね。」



「……何が言いたい?」


 エドワードはゆっくりと前に身を乗り出し、淡々とした口調で続ける。



「聖女は生きた人間です。無機物ではない。彼女たちは動き、話し、日々を過ごします。そういった環境の中で、些細な怪我のひとつも起こらないというのは……少々、無理があると思いませんか?」



 審問官の一人が咳払いをした。


「つまり、君は事故を容認するのか?」



「違います。」


 エドワードは即答する。



「事故が起こらない環境を整備することこそ、我々の責務ではないかと言っているのです。」



「だからといって、バーナードの罪が軽くなるわけではない。」


「では、質問を変えましょう。」


 エドワードは少し笑みを浮かべた。


「聖女たちは、完全な管理下に置かれていますね?」


「当然だ。」


「では、その管理体制が"事故を完全に防げる仕組み"であったなら、今回の件は起こらなかった。つまり、責任は"管理体制"そのものにもあるのでは?」


 一瞬、沈黙が走る。


 審問官の一人が苛立ちを滲ませた声で言う。


「そのような責任転嫁は通用しない。」


「責任転嫁? 違います。」


 エドワードは表情を崩さず、穏やかな口調のまま言った。


「私は、管理体制の見直しを提案しているのです。たとえば、聖女たちの生活における"リスク管理"を再考すること……たとえば、"調理"という行為についても。」


「調理?」


「はい。」


 エドワードは、視線をエリックに向けた。


「今回の事故の発端は"クッキー作り"でした。」


「……だから、どうした?」


「そもそも、聖女たちに料理をさせること自体が、本当に適切なのか?」


 再び、沈黙。


「私は聖女たちの精神的安定のため、多少の娯楽が必要であると考えています。しかし、刃物が制限された環境であれ、食器が割れる可能性を見落としていたのは"監督する側"の責任でもあるのでは?」


「……!!」


 審問官の一人が息をのむ。


「私が言いたいのは、責任者を裁くのは結構だが、それと同時に管理体制の改善も進めるべきではないか、ということです。」


「……つまり、君はどうしろと言うのだ?」


「バーナードの刑を軽減するよう、考慮をお願いします。」


 エドワードはきっぱりと言い切った。


「管理体制の不備があった以上、彼一人の責任を問うのは理不尽ではないかと。」


 審問官たちは顔を見合わせる。


「……バーナードの監督不行き届きは事実だ。」


「ええ、だからこそ、懲罰としての処分は必要でしょう。しかし、"厳罰"が最適な選択とは限らない。」


 エドワードは、視線を審問官たちに向けながら続けた。


「彼を処罰することで、管理体制の不備が解決されるわけではない。むしろ、今回の件を教訓として"より精密な管理体制"を敷くべきです。」


「……具体的には?」


「たとえば、聖女たちの活動範囲に対するさらなる監視強化。より安全な環境での娯楽の導入。監督者の増員……様々な手段が考えられます。」


 審問官たちは互いに顔を見合わせ、小声で議論を交わす。


 やがて、一人の審問官が咳払いをし、判決を下した。


「エリック・バーナード。貴様には、監督不行き届きの罪を問う。しかし、今回の件が"管理体制の不備"にも起因することを考慮し、"懲役刑"から"降格および監視下での任務継続"へと変更する。」


 エリックの肩がわずかに震えた。


 エドワードは静かに立ち上がり、エリックの肩を軽く叩く。


「よかったな。」


「……大佐……ありがとうございます……!」


「借りを作ったな、バーナード。」


 エドワードは微笑し、法廷を後にした。


 その背中を見つめながら、審問官の一人が静かに呟く。


「……まったく、エドワード・クラウスという男は……本当に厄介な策士だ。」


 だが、それがこの軍を――いや、世界を動かす男の手腕でもあった。

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