湯けむりの向こうに
ほのかに熱を帯びた空気と、白く漂う湯けむりに包まれた大浴場。
広々とした空間に、桶、シャワー、シャンプーのセットが整然と並び、そのどれもがまるで宝物のように見えた。
「すごっ……お湯が出てる……!」
私は思わず声を漏らしながら、桶を手に取り、風呂椅子に腰を下ろした。
蛇口を捻ると、シャワーから勢いよく温かなお湯が噴き出す。そのあたたかさが肌に触れると、まるで全身がほどけるような気がした。
思いきり頭から湯をかぶり、全身をびしょ濡れにして、桶に湯を溜める。
その隣では、セリスが静かにシャワーを浴びながら、長い髪をやさしく梳いていた。
私は手早くシャンプーとリンス、それからスポンジにボディソープを取って、ぱぱっと洗い流す。けれどセリスは、ゆっくりと丁寧に指を動かしていた。
「ねぇ、アイリス……ううん、セラ? ここにはね、『ル・レーヴ・エクラ』のシャンプー、ないのかしら?」
「……??」
なんか聞いたことない単語が飛んできた。えっ、それって食べ物?
いや、ちがう、シャンプーだって言ってるし……。
「たぶん? ここになかったら、ないんじゃないかな?」
私が少し曖昧に答えると、セリスは「そう……手袋とかもない?」と、まるで日常のように続けてくる。
……こっちは湯に感動してるのに、セリスの優雅さときたら……。
「とりあえず、私が手伝ってあげるよ。早く入らないと時間、なくなっちゃう!」
セリスは小さく笑って、「私のことは気にしなくていいのよ? 先に入ってて」と言ったけれど――。
「いいや、そうはいかない!」
私はすぐに手を伸ばし、シャンプーの泡のついた手で彼女の髪に触れた。
サラッ
その瞬間、驚いた。
まるで指を避けるような感触。しっとりと柔らかくて、絹のように滑らかで――私の髪とはまるで別物だった。
「セラ、くすぐったい……」
セリスはくすっと笑って、肩をすくめる。
「わっ、ご、ごめん! 変なとこ触ってた!?」
「大丈夫、ありがとう」
私は慌ててシャワーで泡を流し、リンスを手に取り、もう一度髪を撫でるように整えていく。
それからボディスポンジに泡を立て、ふと思いつく。
「私が背中、流してあげるから。チャチャッと済ませちゃおっか!」
するとセリスは少しいたずらっぽく、「じゃあ、私が終わったらセラの番ね?」と返してくる。
「いやいや、私はもう洗ったから!」
「私がしたいの」
――ドキン。
なんで、そんな言い方するの。
一瞬、心が跳ねて戸惑う。変なこと考えてるわけじゃないのに、胸が妙にざわついた。
目の前には、リリィの背中。
かき上げられた髪の隙間から覗くうなじ。肩甲骨の流れ。肋のラインからなだらかにくびれる腰。
どこをとっても、誰が見ても「綺麗」と言うだろう。
「……さっさと洗って終わらせよう、うん」
スポンジを泡立てて、そっと背中を撫でるように洗う。
触れるたびに、肌の柔らかさが指に伝わってくる。下手なことを考える前に、早く終わらせたくて、お湯をかけて泡を流した。
「よし、いざ、入浴――」
「セラ、私の番」
「だから、私はもう洗ったってば!?」
諦めの息をついて、私はまた腰を下ろす。
なぜだか緊張している自分が滑稽だった。
そして、セリスの泡立った手が、私の背中に触れた。
その指先は、肌の感触を確かめるように、やわらかく、ゆっくりと撫でる。
「な、なにこれ……」
顔が熱い。背中が妙に敏感になっていて、息がこそばゆく乱れた。
「……終わった?」
「ふふっ、うん」
その笑みが、あまりにも柔らかくて、私は反射的に立ち上がった。
「は、ははっ、早く、入ろう!」
……噛んだ。
セリスはそんな私を見て、嬉しそうに、幸せそうに、微笑んでいた。




