8.No.003 モラハラ系ヒロイン×カトリーヌ①
木から落っこちて来たオリビア嬢の下敷きになって、大怪我を負った私は、先生方のご尽力のおかげで、すぐに復活した。
そして、学生の本分である授業は、徐々に専門的な内容に進みつつあった。
「血液の役割は大きく分けて四つあります。一つ目は、細胞に酸素や栄養を届け、不要なものを回収すること。二つ目は、身体に入って来た細菌などの異物を退治すること。三つ目は、ケガなどで傷ついた血管を修復すること。四つ目は、体温やpHを調節することです」
キャンディ先生は黒板に、大事な内容を書いて説明してくれる。
血液学というのは、なかなか奥が深いみたいだ。
異物退治と一言で言っても、血液の中の色々な細胞が複雑に指示し合って働いているらしいし、血管の修復も複数の因子が絡み合う、複雑な過程があるらしい。
教科書の図を見るだけでは分からないことが、先生の説明を聞くことで補完されていく。
けど、その場で分かった気になっても、後で見直すと分からなくなる事もあるから、慎重にメモを残さないと⋯⋯
聞き逃さないように集中しながら、必死に教科書に書き込む。
「ミス・アンジェリカ、私たちの身体を流れる血液の内、どれくらいの量が失われると、人体は危険にさらされると思いますか?」
突然、キャンディ先生に指名される。
「はい。約三分の一だったかと思います」
すぐに起立して、記憶を頼りに答える。
「さすがですね。ミス・アンジェリカ。血液が失われた時に、人体に起こる反応は⋯⋯」
先生が解説を続けるので、静かに着席する。
ふぅ。いきなり当てられると、さすがに緊張する。
無事に回答できて、ほっと一安心していると、待ったがかかった。
「先生、お待ちください。先ほどのアンジェリカ嬢の回答は、正確とは言えません」
挙手をしながら発言したのは、私と同じ最後列に座る、カトリーヌ=モンブラン公爵令嬢だ。
「身体の中の血液を失った場合、実際は20%でショック状態に陥り、30%で生命の危機に陥るとされています。ですから、アンジェリカ嬢の回答は誤りです」
確かに。人体の危険と言っても、その状態は様々だ。
三分の一と五分の一では全然違う。
「戦場で大量の兵士たちが、出血している場面を想定してください。わたくしたちは、兵士たちの重症度を瞬時に判断し、優先順位を付けて、対応に当たらねばなりません。アンジェリカ嬢のような曖昧な知識では、重症度を見誤り、救える命も救えなくなってしまいます。命を背負う立場だという自覚が、足りないのではないでしょうか?」
その余りにも鋭利な言葉に、教室の空気が一気に冷える。
「戦場で大量出血している兵士たちが、複数人倒れている状況で、その兵士個人の出血量が何%かなんて、見分けられるのか?」
「意識レベルや顔色を見て判断する方が、現実的じゃないかしら」
私をかばってくれているのか、そんな声が、ちらほら上がる。
「その知識を実際に活用出来るかは、その時の状況次第ですが、前提として間違っているという話をしているのです」
「先程は、わたくしの出題文が曖昧でしたね。申し訳ないことをしました。ミス・カトリーヌ、ご指摘ありがとうございました」
納得できない様子のカトリーヌ嬢に対し、キャンディ先生はそう言って、話を終わらせてくれた。
その日は午後から激しい雷雨になった。
それが関係あるのか、ないのか、教室内の空気は重苦しく、ヒリついていた。
次の日。
この日から特別な授業が始まった。
「急なことですが、今日からみなさんには、実践演習を行って頂こうと思います」
キャンディ先生は、大きな鳥かごをワゴンに乗せて入って来た。
かごの中には、白いタオルで作られた寝床があって、灰色っぽい鳥が横たわっている。
羽根がふわふわで柔らかそうだし、体も小さいから、まだ赤ちゃんなのかな。
「このフクロウのヒナは、昨日の落雷で負傷してしまったようです。今朝、発見された後、取り急ぎ教師陣で治療を試みましたが、みなさんもご存知の通り、医術を施すには、術者・患者双方にとって負担がかかります。この子のように重傷の場合は、長期戦も覚悟しなければなりません。ひとまず危険な状態は脱したようですので、これから、このクラスのみなさんで協力して、この子が再び飛び立てるように、治療を行ってもらいます」
なるほど。実践演習とは、みんなで、このフクロウのヒナを元気な姿に戻して、野生に帰してあげること⋯⋯
「鳥と人間では、身体の構造は大きく異なりますが、ケガをすれば血が流れ、ケガが治れば失われた機能も回復するという点は同じです。では、みなさん、よろしくお願いしますね」
こうして、このクラスでフクロウの治療に取りかかる事になった。
翌日。
鳥かごの中のフクロウは、昨日と変わらず、ぐったりとした様子だ。
一番酷いのは翼のケガみたい。
血が滲んでいて、見るからに痛そうだ。
治療を実践する順番は、先生から指名があった。
一番手はカトリーヌ嬢だ。
カトリーヌ嬢がフクロウに手をかざし、医術を使うと、フクロウの身体が七色に輝き出す。
あっと言う間に、右の翼の傷が修復された。
「すごい。早業だ」
「傷口がきれいに治っていますわ」
カトリーヌ嬢は医術の知識量が豊富な上に、オリビア嬢と同じく、チート級の能力の持ち主。
ちなみに彼女も孤児院出身の養女だ。
出自不明の子供が、医術の高い素質を認められて、貴族の家に引き取られるなんていう奇跡が、こんなにも高頻度で起こるなんて不思議だ。
これ以上は、フクロウの身体が治療に耐えられないので、次のステップは翌日以降に持ち越される事になった。
そして翌日、次はノエル殿下の番だった。
「僕は内科疾患の治療に適性があるとの判定だったけど、どこまで通用するものなのか」
殿下はそう言った後、フクロウに手をかざした。
すると、左の翼の傷が、みるみる内に治っていく。
「さすが殿下だ」
「ケガの治療もこれだけ素早く正確にされるのなら、内科疾患の方は更にすごいのでしょう」
殿下は、適性がある分野でなくても、こんな風に治療を施すことが出来るんだ。
翼の構造って複雑だし、優秀って事なんだろうな。
「ノエル殿下は本当に素晴らしい御方ですわ! まさに神の手。さすがのわたくしも、殿下にだけは頭が上がりませんわ!」
カトリーヌ嬢は、ノエル殿下に拍手を贈りながら言った。
「ありがとう。知識面・技術面、共に優秀な君に、そんな風に言って貰えるなら光栄だよ」
ノエル殿下は微笑みながら答えた。




