10.No.003 モラハラ系ヒロイン×カトリーヌの中の人
私は鈴香。
総合病院の神経内科に勤めている、29才の看護師だ。
今夜は大好きな乙女ゲーム、『ドルチェのような恋をして』の番外編、お花見ストーリーが公開される日。
さっさと仕事を終わらせて、ノエルとデートしないと。
今日の担当業務は⋯⋯入浴介助か。
この病棟には寝たきりの患者さんが大勢いる。
入浴の介助は、患者さんの安全と負担軽減のため、基本的には看護師三人で担当する。
今回一緒に入浴を担当するのは、意地悪な大ベテラン看護師と、最近この病棟に配属されたばかりのおばちゃん看護師だ。
「私だったら、もっとたくさん泡をつけて洗ってあげるのに〜こんなにぬるいお湯じゃ、お風呂に入った気にならないよね〜? もっとちゃんと力入れてこすらないと、すっきりしないでしょ。ね〜田中さん?」
意地悪看護師は、おばちゃん看護師のやり方に文句をつけながら、患者さんに同意を求める。
「いや、別にワシは⋯⋯そうじゃなぁ⋯⋯」
怯えたように同意する患者さん。
「ほら! 田中さんもそう言ってるじゃない! あなた、看護師のくせに、お風呂の介助もできないの? 日ごろ闘病生活を頑張っている患者さんに、せっかくのお風呂の機会に、さっぱり気持ちよくなってもらおうって言う、思いやりがないのよね。ほら、患者さん寒いよ〜もっと早く身体拭いてあげて! ちょっと! そんなに急いでやったら、拭き残しができて、患者さんが寒いでしょ〜? 丁寧にやったげて!」
意地悪看護師は、自分も手伝えば良いのに、口だけ動かして、おばちゃん看護師を追い詰める。
もしかしたら、田中さんは熱いお風呂が苦手で、皮膚が弱いから、こすられるのは嫌で、ご家族が準備してくれた石けんを無駄使いされたくなかったかもしれないけど、そんな事はこの人の前では関係ない。
田中さんがお部屋に戻ったあと、ナースステーションで、おばちゃん看護師は泣いていた。
「すみません、今度から気をつけますので」
「今度から気をつけるんじゃなくって、今の話をしてるんでしょ?」
既に田中さんのお風呂は終わったと言うのに。
意地悪看護師のお説教は、謝っても終わらないし、やり直して間違いを正しても許されない。
あの糾弾に何の意味があるんだろうと、他人事ながら疑問に思う。
けど、この病棟では、他の看護師やドクター、患者さんの前で怒鳴られるなんて当たり前。
命に関わるミスをしないよう、些細なことでも指摘し合いながら、もう二度と間違いを犯さないように心に刻んで、常に緊張感を持って仕事をしてるんだ。
注射薬の量は、ひと目盛りだって間違えられないし、患者さんの変化を見逃すこともできない。
入浴中に患者さんの体調が急激に悪化するなんてことは、よくある話なんだから。
「あの人、結婚して子供もいるんだって」
「えーあんな鈍くさいお母さんだったら、旦那さんと子供が可哀想!」
おばちゃん看護師は、いじめのターゲットにされていた。
こんな日々に嫌気が差して、現実逃避をしたかった私が巡り合ったのが、乙女ゲーム。
不規則で、ストレスフルな仕事を淡々とこなし、次期師長と期待されるほど、順調に結果を出しているのも、ノエルがいてくれるから⋯⋯
ノエルは私の癒しであり、私もまた、ノエルの癒しでありたいと思えた。
甘いマスクと物腰柔らかな態度。
好きになった女性に対しては、とことん甘々で、優しく、頼もしくもある。
心に苦しみを抱えているのに、努力を怠らず、自分に与えられた使命を果たす、責任感の強さ⋯⋯
彼の全てが、魅力的なんだ。
帰りの電車の中で、配信されたばかりの番外編を起動した瞬間、何故か私はゲームの世界にいた。
これは神様が私に与えてくれたご褒美だ。
そう解釈して、この不可解な出来事をすんなりと受け入れた。
ノエルという人物は、我慢強い性格だ。
幼い頃から王太子として、実の両親である両陛下から期待されてきた。
成果を出せなければ、時には厳しい折檻をされ、弟のサヴァランとも常に競争させられて育っている。
そんなノエルは、自分の至らなさと、満たされない寂しさ、苦痛の日々に絶望し、心に闇を抱えてしまう。
ノエルは優秀だし、精一杯努力しているんだから、本来なら気に病む必要はないんだけどね。
そんなノエルを優しく癒すのが、ヒロインの役目。
ノエルが好きな女性像は、王太子妃に相応しい優秀さを持ちながら、ありのままの自分を肯定してくれる人だ。
実際に悪役令嬢アンジェリカを目の前にすると、確かに実力はそこそこだけど、随分と頼りない印象を受けた。
ノエルは表には出さないけど、今まで、ずっと苦しんで来たんだよ?
婚約者なのに、そんなことにも気がつかないなんて⋯⋯役立たずのアンジェリカに苛立ちを覚える。
ノエルを救う気がないなら、引っ込んでなさい。
幸いなことに、憑依ガチャは成功し、私もアンジェリカと同じ公爵令嬢になれた。
他のクラスメイトには出来ないことが、私にはできる。
完膚なきまでに彼女を叩き潰し、ノエルを幸せにしよう。
幸い私には医学の知識があるし、チート能力も授かったんだから。
アンジェリカに圧力をかけるのに、必死になった私は、重箱の隅をつつこうとした。
「口の傷を治して、水を飲めるようにしたんじゃないか?」
「何日も水分を取れないままだと、直ぐに弱ってしまいますから」
ウソ⋯⋯アンジェリカの意図はそういうことだったの?
間違えた。看護師であるこの私が間違えた。
でももう、あとには引けなかった。
「私はただ、ノエルが心の闇に飲み込まれないよう、救いたかっただけだったのに。癒してあげたかっただけなのに⋯⋯」
「アンジェリカは役立たずだと、本当にそう思うのかニャ? ノエルが彼女の前でだけは、明るい自分で居られるとは、考えなかったのかニャ? カトリーヌのやっていることは、カトリーヌが軽蔑していた意地悪人間と、なんら変わらないのニャ」
メープルにそう指摘され、目の前が真っ暗になった。




