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西村先生の訃報

作者: 柳キョウ

遠い昔の思い出です。


小学校5年生の時の担任教諭だった西村先生の訃報が、私の生家に届いたらしい。享年91才。母からの連絡だった。


当時の先生の愛称は“ポンポコ先生”。ぽっこり膨らんだお腹と、いつも着用している薄い茶色のジャージ姿は、いま思い返しても“たぬき”のイメージそのものだった。もちろん、この場合の“狸”は狡猾さやずる賢さを意味するものではない。


学業優秀で運動神経も抜群。クラス一の人気者で学級委員には満票で選出された。

当時10才の私はそんな児童。


この西村先生、優しい先生ではあったが、私にだけは何故か少しだけ厳しかった。


(ヤナギならこれくらいの点数は取って当たり前)


(クラス委員であるお前の責任)


先生に褒められた記憶が、私にはほとんどない。


一度だけ、たった一度だけ、先生に褒められたことがある。いや、あれは褒められたと言う次元じゃなかった。抱きかかえられて、頭を先生の大きなてのひらで撫でられた。何度もなんども。

その先生の行為に相当困惑したことと、先生の満面の笑顔を、今でも鮮明に覚えている。



あれは春の運動会。学年一足の速い私は、当然のごとく選抜リレーの選手に選ばれた。任されたのはアンカー。

各クラスから選抜された男女それぞれ5名が交互に走る。そして残り2走者を残して私のクラスは一位だった。

私の前に走る女子は森下さん。彼女も女子児童の中では1,2の俊足。何事も起こらなければ、私達のクラスが優勝することは明らかだった。

しかしその何事が起こってしまった。

後続を相当に離していた森下さんが、最終コーナで転んでしまったのだ。

転んだ彼女が立ち上がるまでに一人、再び駆け始めるまでに一人、都合二人の走者が森下さんを抜いていった。

体操服の前の部分を泥だらけにして、私にバトンを手渡した森下さんの引き攣った顔は、40年経った今でも思い出せるほど印象に残っている。


バトンを3位で受け取った私は全力で校庭を駆けた。前を走る2位の走者はバックストレートの直前であっさり追い抜いた。このとき見えた先頭を走る生徒の背中が小さく見えたこともはっきりと覚えている。


いかに学年一足の速い私でも、その差を挽回できるかは微妙だった。一度は諦めかけたが、それでも私は全力で走った。

森下さんが単独で転んでしまった最終コーナに差し掛かったとき、もしかしたら追いつけるのではと思える差に縮まった。

果たして私は、ゴールテープ直前で追いつき、そしてごくわずかの差で一番にテープを切った。

その時の喜び様が、前記の西村先生の様子なのだ。


どうして西村先生が、あれほどに喜びを露わにしたのか。

西村先生風に言うなら(ヤナギなら当たり前)の結果だったはずだ。

そのことが当時の幼い私には分からなかったが、いまでは分かる。


もしあのとき、私達のクラスが優勝していなければ、一番傷ついたのは森下さんだったろう。

私が二人の走者を抜かしたことで、森下さんは救われたのだ。そのことを一番に喜んでくれたのが、たぶん西村先生だったのだろう。


そんな話を母と電話で話しながら、意外な事実を母は教えてくれた。


「キョウの初恋の女の子は、その森下さんだったのよ」


いつまで経っても色褪せない思い出と、すっかり忘れてしまっている過去と、どっちもあるものだと思った。


西村先生の冥福をお祈りする。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 何とも心打つエピソード。。。(゜゜☆) さすがです、柳さん☆ミ
[一言]  厳しくされつつも、それだけ、期待されていたのですね。  担任の先生も、歴代全員覚えているかは、生徒であったそのひとの記憶力と、先生の印象の強さによりけり?  こうしてここに話せるのですから…
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