その頃のレジオン
夜も更けた頃、レジオンはバルコニーに出て、懐から出した笛を吹いた。人間に聞こえる音は出ないが、それに応じたように鳥が現れてレジオンの傍の手すりにとまった。
「いかがでしたか?」
鳥が男の声でしゃべる。鳥を介して会話をする事ができるのだが、どうしてそういう事ができるのかを、レジオンは知らない。
仕組みなど知らずとも、使えればいい。
レジオンはそう割り切り、鳥に向かって口を開く。
「このまま様子を見る、でいいだろう」
「領地民は大丈夫でしょうか?」
「領地税が上がることはなくなったから、大丈夫だろう」
「三か月前は、上がる予定だと伺っていましたが」
「立ち消えた。特別を追い求める金食い虫が、何を思ったか心を入れ替えたようだ」
レジオンはそこまで言い、ふ、と小さく笑う。
ついこの間まで鬱陶しい金食い虫としか見ていなかったのに、突如「妹」という存在になった。
名前を呼んでいたくせに「お兄様」と呼び始め、敬語まで使ってくる。
まるで、どこにでもいる令嬢のように。
優しくしようが、彼女の求める特別扱いをしようが、レジオンに対して敵のように接してきた。
もし手懐けることができるならば、やんわりと諫めたり、正したりしてやろうと思っていたのに。それすらできず、これはもう「どうしようもない」と判断した矢先であった。
「ならば、領主もそのままにしますか」
「その方がいいだろうね。まだ私は若いから、余程の事がない限り支持もしてもらえないだろう」
「そう、でしょうか」
「上のものがいきなり変わるというのは、希望も持ちやすいが反感も抱きやすいものだから」
レジオンの言葉に、鳥は「なるほど」と頷いた。
入念に練っていた計画だった。
徐々に上がっていく税金に、分家の中で疑念が上がっていった。今は領民の生活を圧迫していないものの、上がり続ける状態が続いていれば、領民の生活に支障をきたすことは目に見えていた。
だから、領民の不満と領主への反感が膨らむのと、生活への支障がどうしようもなくなるそのギリギリのところで、反乱を起こすつもりだった。
3年前、養子に入るその前から。
領主である義父を事故に見せかけて殺し、不満の原因である義妹を処刑する計画が、分家の中でひそやかに立ち上がったのだ。
領主の人徳も統治力も、悪くない。むしろ良い方だ。だが、その娘が駄目だった。特別を追い求め、どんどん税金をあげていく。幼いうちはまだ良かったが、年齢が上がるごとに欲しがる金額も増えていっていた。ドレスや宝飾品を追い求めたせいであろう。
娘に甘い領主が、税金をあげているのは分かっていた。その一方で踏みとどまることができるのではないか、という意見もあがっていた。
そこで、レジオンが養子として入り込み、正確な内情を探るとともに、立ち上がった計画についての判断を下すこととなった。
この3年間を見て、レジオンはもうだめだ、と判断した。来年あたり、計画を実行しなければいけなくなるだろうとも踏んでいた。
最初は、どうにか修正できないかとやってみていた。義父に対しても、義妹に対しても、正すことができないかと動いてみたのだ。
だが、駄目だった。
仕方なく、ミリアリアの15歳の誕生日に計画を動かし始めることを決めた。一年をかけ徐々に計画を推し進め、領主になり替わる。そうして新たな領主となるレジオンへの反感は、生活への危惧の原因である義妹が全て引き受けてもらう予定だった。
そうすれば、新たな領地経営もスムーズにできる。
その筈だった。
「それにしても、一体何があったんでしょうね?」
「さあ。本人が言うには、特別教を脱退し、平凡を愛し、平均を目指すとのことだよ」
レジオンの言葉に、鳥は「なんですか、それ」と笑った。
レジオンも「なんだろうな」と笑った。
最初にそれを告げられた時、思わず噴き出しそうになったことを思い出す。なんとかミリアリアの前では笑いださずに済ますことができたが、部屋を出た後はもう駄目だった。
足早に彼女の部屋から離れるとともに、気付けば大声で笑いだしてしまっていた。
正直、今の領地はそこまで悪い状態ではない。飢える子供もいないし、目に余る犯罪も頻発していない。
ただ少し、税金の上がり具合が気になるだけで。その税金が上がる事がなくなるのなら、計画を実行する必要はなくなる。
うまくいけば、税金自体も下がるかもしれない。
「まだ、正せるのならば正していきたい。その方が、私が領主となった時に『スムーズ』だろうからな」
「畏まりました」
鳥は恭しく答え、空の闇へと消えた。
レジオンはそれを見送った後、部屋の中へと戻る。
「平凡を愛し、平均を目指す、か」
くつくつと笑い、昼間の幸せそうに笑う義妹の顔を思い返す。
今まで彼女が主張してきた「特別」を、すぐに取り消すことはできない。それだけの事を彼女は行ってきたのだし、またいつ目指すという目標を違えるかも分からない。
――それでも。
「猶予はちゃんと、与えてあげようか」
レジオンはそう小さく呟くのだった。