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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

北風と太陽

「昨日の話は、無かったことにして頂きたい」


 本当に言ったよこの子は。

 唯の言葉を聞いて、美咲の心がざわめく。驚きと、戸惑いと、そして少しの嬉しさ。




 それは2日前のことだった。

「私は『北風と太陽』作戦を実行するのだ!」

 唯が高らかに宣言した。


「はいはいすごいね」

 唯が突拍子の無いことを言いはじめるのは今に始まったことではない。だから、いつものように美咲は何も気にせずに話題を流そうとしたのだけど。

 唯はそれを許してはくれなかった。

「その作戦の中で。私は香織先輩に告白するんだ」


「は……? 告白? っていうか何? 香織先輩? え? 好きだったの?」

「言ってなかったっけ」

「知らないよそんなの」


 美咲は混乱した頭の中でぐるぐると考える。

 小1のときから、もう10年くらい一緒にいるのに。この子の恋愛の話なんて初めて聞いた。

 そもそも、女子が好きだなんて話、聞いたことない。

 香織先輩なんて無理だよ。どう考えても高嶺の花だし。

 っていうか――いや、別にいいけれど。


「まぁ今言ったからいいじゃん」

 悪びれもせずに言う唯に、美咲は口をとがらせる。

「っていうか、北風と太陽って何」


「そう。北風と太陽。そのためには、美咲の手伝いがどうしても必要なんだ」

 唯は歌うように美咲に言った。「ね。手伝ってくれるよね?」


 いつも通りの、唯の笑顔。

 それを見ると美咲は何も言えなくなる。


 そうやってなし崩し的に、流されるみたいに。北風と太陽作戦の決行が決まった。




「先輩を音楽室に呼び出したから」

 だから着いてきて、って翌日に言われたときも、美咲は気乗りがしなかった。


「なんで香織先輩なの」って美咲が聞いても、

「先輩はね、太陽なんだ。眩しくて、暖かいんだ」そんな適当な返事が返るだけ。


 なんで文芸部員が音楽室なんだろう。

 渡り廊下を渡るから遠いんだけど。

 見たい配信があるから早く帰りたいんだけど。

 っていうか先輩、受験あるから忙しいんじゃないの?

 美咲はぐだぐだと考える。


「本当にやるの?」

 気乗りはしないし、うまくいくとも思わない。だから美咲は渡り廊下で唯に問いかける。

「やるよ。今やらなきゃいつやるの。高2の冬はね、短いんだよ」

「香織先輩って、去年チョコレート20個もらったって言ってたよ。爆死するだけだって」

「私たちが高校生でいられるのも、あと1年しかないんだよ」


 北風と太陽作戦の内容を、美咲は何も聞いていなかった。

 だけど何となく分かるんだよね、美咲はそう呟く。

 音楽室への道を歩きながら唯が美咲の手を強く握りしめたことで、おおよそ確信する。


 昔から訳わからんくらいに振り切ったことをやる奴だったけれど、それにしたってこれは。

 そんなふうに強く思う。


 音楽室のドアを開けると、香織はもうそこにいた。西日がやけに眩しかったことを美咲は覚えている。

「私のほうが早く来ちゃったよ」

 香織は美咲のことをちらりと見たあと、唯に向かって笑いかけた。


「先輩、好きです。付き合ってください」

「うぇっ!?」

 唯の言葉を聞いて、美咲は変な声を上げる。まさか、初手で告白って。そんな話聞いたことない。


「なんだか、ずいぶん急な話だね」

 明らかにこの場にふさわしくない奇声を上げた一人を無視して、香織は笑う。

 これが年上の、チョコレートを20個ももらった女子の。持っている余裕なのか。

 美咲は香織のことを少し羨ましく思う。そうなりたい。そうなることが出来たなら。


「だけどさ、唯さんのこと、文芸部の可愛い後輩くらいにしか思ってないし。よく知らないんだよ」

「それでも私は」

「いいよ」って香織が言って、一瞬だけ美咲の心臓が跳ねる。本当に?


 たっぷり1秒くらい間を開けて、香織は続ける。

「――なんて、すぐに言えると思う?」


 まぁそうだよね。ってついたため息の音が思いのほか大きく響いて。

 二人にこれ聞かれてないよね? と美咲は少しだけ焦る。

 第1段階は失敗、というところだよね。美咲はまだ気を抜くことが出来ない。


「そうですか」

 って言って、唯は美咲の手をぎゅっと握りしめる。

 その力が予想外に強いこと、珍しく手のひらが汗ばんでいることに美咲は驚く。


 そうか。唯は、こんなにも。


「なんだか二人、仲いいね」

 香織はもう一度、ちらりと美咲の顔を見る。

 その余裕の顔が、美咲は何故か気に入らなかった。


「仲、いいですよ」だから、思わず口を挟んでしまう。「だって、10年も一緒にいるから」


 唯が驚いた顔で自分のほうを振り返るのを見て、美咲は思う。

 いいじゃん別に。だって、これが北風と太陽なんでしょ?

 あなたがその気ならば。私はいくらでもなってやる。あなたが望む私に。


「うん。仲いいです。10年間の絆があります」

 つないだままの手を自分の胸に当てて、唯がはっきりとした声で言う。


「そう。あなた達も大変だね」

 なんだかよく分からないことを言って、香織は答える。「明日まで、返事待ってよ」


「明日?」美咲は驚いて、思わず口に出してしまう。

 だって、こんなに急な話。


「大人の女って、決断が早いんだよ。あなたは知らないだろうけど」

 もういいよね? って、音楽室を出ていく香織を二人で見ている。

 上履きの音が、やたらと高く響く。


「最後に、あなたに教えてあげる」

 香織は振り向きざまに言葉を投げる。美咲の目をじっと見つめながら。

「太陽から出た光って。あなたに届くまでには8分かかる。近いようで実は遠いんだよね」




 何あれ。

 美咲は香織に対して、これまで特別な感情を持っていなかった。ただ綺麗な人だなって思っていたくらい。


 だけど。美咲は思う。

 なんであんなことを言うんだ。あんなに嫌な感じの人だったなんて。


 そして。

 なんで私は見透かされてしまうのだろうか。




 二人、音楽室に取り残されて、どんどん輝いていく西日を見ている。


「ねえ、美咲。明日返事をくれるって」


 唯の言葉に、美咲は何と答えればいいのか分からない。

 ただ考える。

 西日に照らされた唯。1月の音楽室は、まだ昼間の余韻で暖かい。


「だけど私、怖くなってきちゃったかも。大丈夫かな」


 この太陽は8分前の光。

 じゃあ本物の太陽はどうなんだ。

 もう暗くて、寒い冬の夜なのだろうか。

 この暖かさはもう存在しない幻で、過去の光を見ているだけなのだろうか。


「ダメだよ」

 美咲の口をついて出たのはそんな言葉。「やっぱり、やめたほうがいい」


「どうして、そんなことを言うの」

 唯の顔は何故か穏やかだった。


「絶対に釣り合わないよ。唯と……香織先輩は」

 あんなに嫌な感じの言葉を平気で投げつけてくる人なんかに。あなたは。


「そう。私もなんとなく、そう思ってたんだ」

 西日はいよいよ眩しくて、美咲には唯までが輝いて見える。

 唯ってこんなにきれいだったっけ、そんなふうに思う。


「でもさ、じゃあ私に釣り合う人って誰なんだろう」

「それは」美咲は胸をぐっと押さえる。

 言いたくて仕方ない。だけど、どうしても言葉が出てこない。


「いいよ」いつの間にか隣に来た唯が美咲の手を取る。

 唯の手はさっきよりも暖かい。


「でもさ、明日には教えてね。私だって、怖いんだよ」


 だからきっと、責任取ってね。

 唯はそう言って、美咲の手をぶんぶんと振り回す。




 そして。香織の顔を見るなり、突然の宣言。

「昨日の話は、無かったことにして頂きたい」


「でもさ、」唯の言葉に、香織は笑顔を崩さない。


 待って。私は、もうあなたの言葉を聞きたくない。

 美咲は香織の言葉を遮って言う。

「あなたよりも私のほうが、この子を幸せにしてあげられる」


 ぎゅっと握りしめる唯の手。

 汗ばんでるのはどっちだか分からない。美咲は思う。


「よく分かんないな」

 その言葉にはまだ余裕が見えて、バカにされているみたいに美咲には聞こえる。


「見せてあげれば? あなたの気持ちを」

 香織の言葉に美咲は思う。

 もう、どうにでもなればいい。


 いいよ、見せてあげる。

 私がどんなにこの子を好きだったのか。

 どんな気持ちでずっと一緒にいたのか。

 あなたなんかには分からない。


 唯の身体は見た目より細いけれど。

 美咲は力いっぱいに抱きしめる。

 二人の顔が思ったよりも近くて。抗えない引力を感じる。

 まるで太陽みたいに熱くて重くて愛しくて。


 だからそのままの勢いで唇を重ねる。


 ほら。あなたの入る余地なんて、私たちのあいだには存在しないんだ。




「まさか、キスまで見せてくれるとは思わなかったけれど」

 美咲の息が苦しくなってきた頃、何故か楽しそうな香織の笑い声。「作戦は成功でいいのかな」


 は? 何それ。

 意味が分からず、美咲は香織の顔を呆然と見る。


「やっぱり、先輩は太陽でした」

 何故だかやたらと嬉しそうな唯の声。


「先輩をダシに使った罰だよ」

 美咲の髪がくしゃくしゃと撫でられる。「二人、幸せになりなさい」


 北風と太陽。

 何? もしかして、そういうことだったの?


「ありがとうございます! 北風と太陽作戦、成功しました」


 そんなふうに笑う唯の顔は真っ赤で。

 あなたのほうが太陽みたいじゃん、そんなふうに心の片隅で思う。


「好きならちゃんと告白しないと、後から来た奴に持ってかれちゃうぞ」

 まだくしゃくしゃと撫でられている美咲の髪。


 完全にはめられた。太陽に照らされて、美咲の頭が熱くなる。


 なんだか自分だけ、一人で熱くさせられていたのが恥ずかしくて。

 一人だけ蚊帳の外だったんじゃん、っていうかこの作戦、太陽ばっかで北風なんてどこにもいないじゃん、そんなに息がぴったりならやっぱりあなた達なんて勝手に付き合えばいいじゃん、そんな考えが美咲の頭の中にぶわっと浮かんで。


 たぶん誰も信じてくれない言葉を叫んだ。


「昨日の話は、無かったことにして頂きたい」



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