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目が覚めた。


「―――ッ!」


跳ね起きるように上体を起こす。


脳裏に浮かぶのは、毒々しい大地の色。息をするだけで肺が焼けるような瘴気。そして視界を埋め尽くす魔物たち。


だがそれに反して、眼前に広がるのはやわらかな日差しと、土と、そして緑。

記憶にあるものとはあまりにもかけ離れた、ごくごく平和(・・)な景色。


「…なにが、どうなっている……?」


呆然とした言葉が、無意識のうちに口からこぼれる。

力のない声は風に溶けて、周囲には小鳥のさえずりが響いていた。






ガリューは戦士である。


大陸にその名をとどろかせる戦士の国、スパルティア。

そこで厳しくも愛の深い父と、優しく理非を説く母の間に生まれた。

二人の兄と一人の姉を兄弟に持ち、父や兄と同じく戦士として育ち、鍛えられた。


彼には才があった。生まれついての、戦いの才が。


その体躯は平均より少し大きい程度であったが、偉大なる戦士である父や、先達の戦士である兄たちに追いつくため、その肉体は至極勤勉に鍛えられた。

同年代では頭一つ抜けた膂力を有し、戦士の武具である盾と槍を、早い段階で使いこなした。


また力だけでなく、その技術もまた突出していた。


盾を用いれば何人の攻撃も通さぬ堅牢な砦となり、槍を用いれば悉くを貫く光となる。

その両方を備えた彼はまさに攻防一体の槍さばきを見せ、年上の戦士ですら彼に勝てるものは少なかった。


それだけの能力がありながら、彼が増長しなかったのはやはり、両親の教えが大きかったのだろう。


戦士とは弱きものを守る盾であり、自らのためだけに力をふるってはならない。


幼少期からそう教え込まれた彼は、他の戦士に勝ってもそれをひけらかすことなく、それどころか惜しげもなくその技術を教えた。

彼に嫉妬の感情を抱く者は、初めこそ少なくなかったが、彼と触れ合い、ともに切磋琢磨する内に、ほとんどいなくなった。


彼が二十三の年を数えた頃、彼はスパルティアでも有数の、強き戦士として名を馳せていた。

大勢の戦士に認められ、ゆくゆくは戦士長の位も戴くことができると周囲から言われていた。

人としても、戦士としても絶頂の頃にいた、まさにそんな時であった。



スパルティアに、災厄が襲い掛かったのは。



数千年も昔、神話に謳われていた、悪魔の王と神々との戦い。

その戦いにおいて滅せられたはずの悪魔の王の、その右腕だけがその力を蓄え眠り続けていた。


その眠りが覚めたのは、スパルティアの近隣、嘆きの森の中央であった。


魔王の右腕から発せられる瘴気は、生命を蝕み、大地を毒の苗床とした。

森の獣たちは瘴気によって変貌し、理性を失い生きるものすべてを殺す、魔物となり果てた。


神官に授けられた神託は、『逃げよ』、だった。


数千年前の戦いでも、神々や精霊、そして人々に多くの死を与えた魔王。

右腕だけとて、その残滓は人類のみで対処できるものではない。


今は逃げ、力を蓄えるのだ。そうしてかつてのように、神々と精霊と人が力を合わせて、うち滅ぼす時が必ず来ると。


その神託を聞いた偉大なる戦士長は、こう言った。


『ならば、戦うしかあるまい』


来るべき反攻の時まで人類が雌伏の時を過ごすというのなら、我ら戦士が少しでもその時を短くしよう。


魔物を殺し、瘴気に耐え、魔王の右腕の力を少しでもそぎ落とそう。

我ら人類の守護者なり。我ら人類の防壁なり。


そして彼らは戦った。力の限り戦った。

その盾は何物をも通さず、その槍は魔物たちを貫く。


神々でさえあきらめた国の防衛を、彼らは何と一年にも及び続けた。

その門は破られることなく悠然と佇み、彼らの血と汗が染みこんだ。

そして―――






「そうだ…そしてあの時…」


ガリューは記憶を辿る。自らが倒れる前の記憶。

災厄から国を護り、立ち向かった記憶。


「我らは、災厄の主へと挑んだ……」






徐々に戦線が後退し、魔物の軍勢が王都まで迫ろうかという時だった。

戦士たちは最終防衛線を死地と定め、二つに分かれた。


一つは、その盾で最後まで国を護る者たち。

これ以上の後退は不可能、ならば文字通り死ぬまで戦うのみ。


もう一つは、嘆きの森の中枢、魔王の右腕のもとへ攻め込む者たち。

魔物の軍勢に気づかれぬよう、少数のみを選抜し、かの災厄に槍を突き立てんとする。精霊の加護なくとも、ドウェルグの鍛えし神器なくとも、かの右腕の力をほんの少しでも消耗させるために。


どちらにしても戦いの中で命を落とすは必定。戦士全てが決死隊。

戦士たちは黄泉の国での再会を誓い、最後の力を振り絞った。


ガリューもまた、魔王の右腕に一太刀でも入れようと、攻め込む部隊へ志願した。

当時、スパルティアの戦士たちは僅かに百人ほどしか残っていなかったが、その内十五人が選抜され、嘆きの森内部を目指し進んだ。


寡兵を分ける愚を進言するものなどいない。彼らはそういう思考をしない。

有り体に言えば彼らは…キレていた。


ガリューたちは毒に侵された荒野を進んだ。木々すら魔物に変質した森を進んだ。

そこかしこにいる魔物から隠れ、一歩ずつ慎重に進んだ。


焦ることはしなかった。たとえ今この瞬間、残してきた戦友たちが誰に供養されることもなく屍をさらしていようとも。

この侵攻のツケは必ず払わせる。二度目の災厄だろうとなんだろうと、我らの矜持を見せてやる。


そして辿り着いた森の最奥。

そこは獣や植物だけでなく、地形までもが瘴気の影響で変質していた。

捻じれ、穿たれ、隆起し、陥没し……黒く染まった大地はあたかも、壮大な城のような様相を見せていた。かつて悪魔の王が居城としたという冥府の極夜城。それは理性なき右腕にともった記憶の残滓だったのだろうか。


そこからの戦いを、ガリューは正確には覚えていない。


城内部には、魔王の右腕の影響を受け続けた強力な魔物たちが徘徊しており、先に進むために一人、また一人と戦友たちが命を散らした。


城の中心部、右腕の居場所に辿り着いた時には、ガリューたち戦士は4人しか残っていなかった。

それでも彼らは、精強無比な誇り高き戦士たち。いかに強大な相手といえども、その瞳に恐れはない。

彼らは死に物狂いで戦った。闇の力で以て戦士たちを迎撃する魔王の右腕に対し、その身を文字通り削りながら進み、最後に残った一人であったガリューすら左腕を消し飛ばされながらも、ついに災厄の下へ肉薄した。


今にも闇の力を放出せんとする魔王の右腕、その人差し指に、ガリューは槍を突き立てた。


必死の覚悟で繰り出された渾身の一撃。その槍は魔王の右腕の肌を……貫かなかった。


神話に謳われし悪魔の王。その肌は金剛石よりも固い闇の魔力でおおわれており、右腕だけとなり弱っている今ですら、神器の一撃以外は通用しない。


「ッ…ぉおおおおおおお!」


だがその一撃は無駄ではなかった。正確に言うならば、それでも諦めることをしなかった、ガリューの意志は、無駄ではなかった。


渾身の槍を弾かれてなお、ガリューは前のめりに進む。二度目の刺突。その瞬間、ガリューの槍に燃えるような光が宿った。


「ッ、これは!」


ガリューは理解した。理屈ではなく、直感で。

これこそは戦士たちが奉じる戦いの神、その力の一端。神託を聞き入れなかったスパルティニアには手を貸さぬという神々の取り決めを破り、僅かながらその加護を与えてくださったのだと。


「神よ!祖霊よ!!戦友たちよ!!ご照覧あれい!」


そしてその槍は貫いた。魔王の右腕、その人差し指を。禍々しき闇の力が込められた指輪ごと。


瞬間、ガリューは深い黒の光に包まれた。それは魔王の右腕が放った闇の力の奔流だったのか。ガリューにはわからない。

ガリューの頭に浮かんだものは、ただ一つ。


(ようやく俺も、黄泉の国へ行く。戦友たちよ、待たせたな――――)


そこで、ガリューの意識は途切れた。






「そうだ…俺は、死んで……奴は!災厄はどうなったんだ!」


思い出した。スパルティアに災厄が襲い掛かったことも。戦友たちが死んだことも。戦友たちと共に…魔王の右腕に一矢報いたことも。


だがそれだけに不可解だった。自分はあの城で死んだはず。それなのに今ガリューがいるのは、瘴気の影響などまるでないような、穏やかな森の中。


一体どうなっているのか。ここはどこなのか。スパルティアは、我らが故郷はどうなったのか。

とめどなくあふれる疑問を自覚しながら、ガリューは息を整える。

今すべきことは混乱することではない。戦士として、なすべきことをなすのだ。


ふと手に固いものが当たる感触。

見るとそこには、最後まで共に戦い続けた愛槍が落ちていた。

盾はない。左腕ごと消し飛ばされたからだ。


「とにかく…確かめなければ」


槍を握りしめ、立ち上がる。

ボロボロの体で、ガリューは歩き出した。


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