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第一章 もう後はないと思ってください(5/7)

 〈フォーマルハウト〉が屈辱の連続依頼失敗を経験してから数日。その森に一人足を踏み入れる人影があった。ザクザクと腐葉土の固まった地面を踏みしめて周囲を見回しつつ進む。豊かな森だ。人猟犬が住み着くのも頷ける。


 そう、この森の魔獣の脅威が取り除かれたという報はまだないにも関わらず、彼は一人だった。


 手にした武器は錫杖のみ。武器というにはあまりにも心細い。その上、来ているのは防具ではなく白いローブときた。魔獣の牙を遮ることのできるような代物ではない。そんな装備でいまだ魔族の脅威がある森に踏み入るなど自殺行為である。


「……あった」


 ポツリと呟き、白いローブを纏った黒髪の青年、エリクは錫杖を木に立て掛けて腰を屈めた。そして足元に群生していた草葉に手を伸ばす。


 小振りで控えめな花を咲かせている茎をもぎって小さな袋の中へ。いくつか採取した後、はぁと溜息。


(こんな地味な依頼引き受けなけりゃよかった……)


 エリクは今、単独で薬草を採取する依頼をこなしていたのだった。


 医療を神官が担うことが多い昨今ではあるが、薬学が不要になったわけではない。生まれ持った持病や外傷を伴わない病の治療には神官ではなく医者の知識が必要だ。そして医者が治療行為を行うには薬品が必要であり、薬品の製造にはその原料たる薬草が不可欠となる。


 薬草の採取は森によく入る狩人などが本業の片手間に行うことがほとんどだが、急ぎ必要な場合や危険な地域での採取の場合は依頼として冒険者に持ち込まれることもある案件だ。もっとも、必ず冒険者である必要のない案件であり、基本的にはただ採取するだけなので危険度も低い。そのため報酬は依頼の中でも最安値であり、駆け出しや金に困った者が受ける低難度の依頼の代表である。


 エリクの場合、現状他に受けられる依頼がなかったためこの依頼を受注した。五ツ星パーティーに所属していたエリクと言えど、ギルドの規定で単独で魔獣討伐依頼などの確実に戦闘行為が伴うと分かる依頼は受けられないのである。急がなくてもすぐに貯蓄が尽きるようなこともないが、何もしない無為な時間を過ごすよりはマシだと判断してのこの依頼だ。


 採取が終わるとエリクは錫杖を立て掛けていた木に背中を預けて地面に座り込んだ。白いローブに腐葉土が付着するのも気にしない。どのみち今までの冒険でついた汚れはローブに染みついている。洗濯しても純白とはほど遠い。冒険者の神官のローブなどそんなものだ。寧ろ純白のローブなど新米と笑われかねない。


(こんなことになったのも、全部あいつらのせいだ)


 空を見上げると木漏れ日がチラチラと鬱陶しい。


(僕がいないと人猟犬程度にも勝てない癖に……)


 エリクがこんな地味で実入りの少ない依頼を受ける羽目になった原因、かつての仲間たちのあの体たらくは傑作だった。


(……今頃、どうやって僕を連れ戻すか相談してるかな。絶対に戻ってやらないけど)


 嫌いなやつといつまでもパーティーを組む必要はない。フォルはそう言った。


 それは……分かる。エリク自身、馬鹿騒ぎを繰り返すフォルたちにはほとほと嫌気が差していた。分かれることそのものに異論はない。だが、フォルたちがエリクを不要と切り捨てた形になるのだけは我慢ならなかった。


 どれほどエリクが〈フォーマルハウト〉に貢献していたことか。〈フォーマルハウト〉の躍進(やくしん)はエリクに寄るところが大きい。少なくともエリクはそう思っているし、じきにフォルたちもそれを思い知るに違いないだろうと思っている。


「早く、次のパーティー見つけないとな……」


 ポツリと呟く。


 こんな依頼で食い繋ぐのが嫌ならさっさと次の所属パーティーを決めるべき、そんなことは分かっている。分かっているが……。


「……チッ」


 苛立ちのあまり漏れる舌打ち。最近は癖になりつつある。


(どいつもこいつも同じに見える……)


 五ツ星パーティーの神官がソロになったと聞いて声をかけてくるパーティーは少なからずいた。だが、その誰もがエリクのお眼鏡には敵わず断ってしまった。


 享楽的で、騒がしくて。冒険者という職業に就いている人間のほとんどがそういう人間ばかりだ。フォルたちだけじゃない。冒険者という職業の人間のほとんどがエリクは嫌いなのだ。


(引退……いや、辞めてどうする……)


 信仰術の才能があったから神官になった。だが、神の教義なんてほとんど覚えちゃいない。興味もない。だから神官の資格を得た後はすぐに冒険者になった。教会所属の治癒師として働く以外だと自分の才能を生かせるのはそこしかなかったからだ。


 この国最大の名誉である五ツ星という称号に魅力も感じなかったわけではない。そしてそれを手に入れた時に誇らしさもあった。それで誰もが自分を敬い、認めてくれると思った。


 だが実際は、そうではなかった。


(……帰ろ)


 こんなところで考えていても仕方ない。依頼の品を納品したらしばらく休暇でもとろうかと考えつつエリクが立ち上がった。


 ガサリ


 何かが身じろぎする葉擦れの音。おそらく風ではない。


(人猟犬か?)


 特に緊張する様子もなく、エリクが錫杖を手にした。普通なら神官が一人の状態で魔獣に出くわせばすなわち死を意味するが、エリクのその落ち着きようはよっぽど自らの技量に自信があるということなのか。


 エリクは一度錫杖を振り上げ、大地に突き立てるように振り下ろす。


「戦神レイオの名に於いて、我に星の目を授け給え」


 錫杖を中心に淡い光の輪が周囲に広がっていった。同時に、エリクの脳内に展開される立体的な周囲の地形情報。


 〈星域〉と呼ばれる探査の信仰術である。通常は一戸建ての家屋の敷地程度が限度のはずだが、エリクのそれはその範囲を大きく超える。そのうえそれが全力というわけでもなく、圧倒的な情報量に混乱している素振りもない。


「……驚いた」


 そう呟いた言葉の割りに落ち着いた様子でエリクは茂みを掻き分けて音の聴こえた方へと進んだ。


「魔族か……」


 茂みに隠れるように、黒い毛玉が(うずくま)っていた。


 黒い体毛に覆われているものの、その全体的なシルエットは人型。狼のようなその頭部から狼牙族と呼ばれる魔族の種族だと分かる。


(手負いのようだな……)


 浅い呼吸。ここまで近づいても気付かないところを見ると意識もないようだ。


(どうする……?仕留めて報奨金を貰うか……?)


 依頼のあるなしに関わらず、魔族を討伐すると報酬を得られる。魔族を駆逐することは人間全ての悲願だからだ。


 だが神官であるエリクは直接魔族や魔獣を仕留めたことがない。いつもエリクに補助されたフォルたちが止めを刺してきた。だからエリクはどうしたものかと迷った。


(片耳……魔族の罪人が逃げてきたのか)


 頭部から順に魔族の身体を観察していると、ふと、狼牙族の腕の傷が目に入った。どうやらそこからの出血が原因で衰弱しているようだが、どうにも妙だ。


 傷の面積そのものは少ないのに不自然に深い傷。その特徴的な傷に心当たりがあって錫杖を地面に置いたエリクは跪いて狼牙族の腕をとった。


(これは……間違いない。ファム・アル・フートでつけられた傷だ……)


 そういえばと思い出す。〈フォーマルハウト〉の二度目の依頼失敗は魔族が邪魔をしたからだという話だった。


 だがその魔族は〈フォーマルハウト〉によって討伐された。そういう話だったはずだ。


(なるほど……そういうことか……)


 魔族を討伐した、というのはいずれ本当になるはずの嘘だったのだ。ファム・アル・フートで付けられた傷は癒えない。それで傷を付けられれば小さな傷であれいずれ魔族は死ぬ。だからこそフォルたちは魔族は討伐したと報告したのだ。助からないと分かっていたから。


 掴んだ腕から弱々しい鼓動を感じる。黒い毛皮は血で濡れてしっとりと湿っていた。


 毛深いだけで、その身体の構造はほとんど人間と変わらない。体型からしておそらく雌。


 ――それは、好奇心と自尊心からくる行動だった。


「……戦神レイオの名に於いて、彼の者の傷を癒し給え」


 腕を掴んだ手とは逆の手をエリクは狼牙族の傷口に(かざ)した。聖句と共に、淡い光が手から放たれ傷口を温かく包み込む。


 だが、傷口に変化はない。


(やっぱり駄目か。なら……)


 エリクは術の強度を上げた。昼間であってもはっきりと分かるほどの光が森の中に溢れる。


「くッ……!ぐぅぅ……!!」


 エリクの額から汗が滲む。これほど全力で信仰術を行使するのは初めてだ。


 じわりじわりと傷口が塞がり始める。


(何が星剣だ……何が〈星辰具〉だ! そんなものより、僕の力の方が……!!)


 光がますます強くなる。


 そして、普通の治癒よりも何倍もの時間と労力をかけて傷は塞がった。


「ふぅ……くそ、完全に癒すのは無理か……」


 狼牙族の腕にはうっすらと傷痕が残っていた。通常ならこの程度の傷、傷を負ったのが嘘だったかのように完璧に治療できるというのに。


(魔族を治療したなんて、バレたら死刑だな……)


 エリクは自嘲気味に笑った。


 これはただの自己満足。フォルの持つ〈星辰具〉星剣ファム・アル・フートの力を打ち破ることで彼よりも自分が優れていることを証明したかった。ついでにこの魔族が元気になり、その存在が明るみに出れば〈フォーマルハウト〉が討伐したと嘘をついたことも露見するだろう。流石にそれで罪に問われたりはしないだろうが、エリクの胸中は少し晴れる。


「う……」


 うっすらと、狼牙族が目を開けた。


 そして自分のすぐ側に人間がいることに気付くとその黄色い目をまん丸にした。


「に、人間――!?」


 咄嗟に振り回された鉤爪付の手甲を難なく受け止めると、エリクは錫杖を手に立ち上がる。


「逃げ……え?」


 まだ立ち上がる気力はないのか、四つん這いで距離を取ろうとした狼牙族が自身の身体の異変に気付く。


「傷が、治ってる……?」


 呆然と自身の右腕を眺めた狼牙族は次いで襲ってくる様子のない人間を振り返った。


 エリクは何も言わず、顎で森の奥へ行くように示した。そして自分はその逆へ歩き始める。もうこの魔族に用はない。


 だが、物音にエリクが振り向くと、狼牙族はうつ伏せで地面に倒れ伏していた。信仰術で傷は治せても、失った体力はすぐには戻せない。


「……くそ」


 エリクは一度ガシガシと頭を掻くと、来た道を戻って狼牙族の側に(ひざまづ)く。無抵抗な身体をひっ切り返すと、華奢な脇と膝裏に腕を入れ、そのまま抱きかかえた。


(軽いな……)


 元々の体重もそうだが、人間の領域に隠れ潜みつつ満足な食事ができるわけがない。加えてここ数日はそもそも食事をとれなかったのだろう、その身体はすっかりやせ細っていた。


(確か近くに狩り小屋があったはず……)


 方角は先ほどの〈星域〉で完璧に把握している。後は記憶を頼りにエリクはそこで狼牙族を休ませることにした。


「どう、して……」


 狩り小屋に向かう最中、もう暴れる気力もない狼牙族が弱々しく口を開く。人とは違う獣の牙が木漏れ日を反射して(きらめ)いた。


「……気まぐれだ。大人しくしてろ」


 フォルたちに一泡吹かせたかった。自分の自尊心を満たしたかった。そんなくだらない理由で魔族を助ける。


 我ながら馬鹿馬鹿しい理由だとは思ったが、不思議とエリクに後悔はなかった。

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