第一章 もう後はないと思ってください(3/7)
「リベンジマッチだ。ハウラに教わったこと、よく思い出せよ」
「その言葉、あんたにそのまま返すわ」
「某らにもプライドがある。人猟犬程度に負けたままでは、な」
皆の戦意を確認したところで、パーティーのリーダーたるフォルが先陣を切って勢いよく飛び出した。
草木が生い茂る森の中。木漏れ日の宝石のような煌めきと目に鮮やかな新緑が混ざり合うそこはまさに生き物たちの楽園。そこかしこから聴こえてくるのは葉擦れの音と小鳥達の囀り。呼吸をすれば植物の呼気と土の香りが肺にいっぱいに広がっていく。
フォルに続くはミアとシャラ。五ツ星パーティー〈フォーマルハウト〉の面々である。ハウラに指南を受けた彼らはさっそく同じ依頼を再受注して雪辱を晴らしにきたのだ。
「行くぞォッ!!」
言うや、フォルが背負った鞘から自身の愛剣を引き抜いた。
それは両手で振るう大振りの剣。だがそこらの鍛冶屋で買えるようなものとはわけが違った。夜を固形化させたかのような黒い刀身は見るからに異様である。あとあと艶消しで黒く塗ったのではなく、刀身の素材そのものに黒い金属を用いているのだ。
突然草陰から現れた人間にその『獣』は慌てふためく……こともなくすぐさま戦闘態勢をとった。匂いか何かでフォルたちの存在にいち早く気づき、すでに警戒体制にあったらしい。
(一、二、三……五体の群れか)
人猟犬は一組のつがいとその子供でパックと呼ばれる五体ほどの群れを作る。フォルには見分けがつかないが、この五体の中の内二体がつがいなのだろう。
狼より一回り大きな体躯をした四足の獣。赤茶けた体毛に鋭い爪と牙。何より特徴的なのが、左右に加えて額の中央に象眼された真紅の瞳。その禍々しい容姿は魔獣と呼ぶに相応しい。
だが実際のところ、魔獣と猛獣を区別する明確な境界線は存在しない。ただの狩人の手には負えない、人間にとって大きな脅威となる獣を魔獣と読んで区別しているに過ぎないのだ。
接敵、フォルが黒い長剣を振りかぶる。
勢いよく振るわれた刀身が空を切った。三眼による正確無比な距離感覚により人猟犬は両手剣の間合いを完全に見切り、後ろ跳びで攻撃を回避したのだ。大きさに見合わず俊敏。ちょっと大きいだけの狼と侮った新人が幾人もその牙と爪の餌食になってきた。
五ツ星である〈フォーマルハウト〉だからこそ敗北が驚かれただけであり、人猟犬は三ツ星相当、群れの数によっては四ツ星相当の手ごわい魔獣なのである。
きゃんっ!
フォルの一閃を避けた人猟犬が不意に甲高い悲鳴をあげて跳ねた。その前足に一本の小さな矢が刺さっている。
「フォルッ!」
斜め後方、最初に斬りかかったフォルに合わせてミアが矢を射ったのである。小柄な彼女にも扱いやすいM字型の短弓は射程威力共に頼りない代物だが、中距離の牽制には最適だ。
「任せろぉ!」
振り下ろした姿勢からそのまま突進、上半身を捻っての逆袈裟の一閃が今度こそ人猟犬を捉えた。胸部から首筋にかけてをざっくりと切り裂かれた人猟犬から血飛沫が上がる。不自由な体勢からにも関わらず、かなりの重量がある両手剣をフォルは見事に操った。腕力のみならず腰の柔軟性と安定感も相当なもの。日々の鍛錬の成果が垣間見える。曲がりなりにも五ツ星だ。剣技の腕は並みではない。
「「やったッ!」」
フォルとミアが思わず叫んだ。この連携こそがハウラから教わった立ち回りの一つ。ミアが怯ませ、膂力のあるフォルが本命の一撃を放つという単純明快で基礎的な動きではあるが、それを意識するだけで随分動きが変わってくる。常に『パーティー』であることを意識してくださいとはハウラの弁。一人ではなく複数で敵に向かう。そんな当たり前の戦術。
寧ろ今までの個人戦闘が異常だったのだ。それで結果を出せるだけの技量があったといえば聞こえはいいが、普通の冒険者パーティーが持ちうる基礎的な技能を会得しえなかったとも言える。
メンバーの離脱によって〈フォーマルハウト〉は再出発と相成ったのだ。
攻撃後の隙を晒したフォルに側面から別の人猟犬が牙を剥く。だがその窮地にもフォルは笑みを崩さなかった。
「ふんッ!」
牙が金属を噛む鈍い音。フォルと牙の間に割り込んだのは大きな鉄の塊。大柄なシャラに合わせて特注で作られた手甲だ。二人がかりで敵に当たるように意識するフォルとミアに対し、シャラはその二人護ることに意識を割く。
そしてガジガジと手甲に噛みつく人猟犬を見てシャラはふと思った。
「そうか……この状態なら楽に攻撃が当てられるな」
もう一方の腕で人猟犬の首をがっしり抱え込んだシャラが喉の奥、腹の底から太く息を吐く。
「――練命行」
刹那、彼女の元から大きな脚の筋肉が瞬時に肥大化する。
ドゴォッ!!
逃げられない、受け身もとれない状態でシャラの膝蹴りを腹部に受けた人猟犬が白目を剥いて血を吐いた。歪に凹んだ腹部を見るに臓物が破裂したことは明白。苦しむ間もなく逝っただろう。
「攻撃をしてはいけないとは言われていないのでな。しかしなるほど。ただ殴りかかるのではなく、受け止めてから反撃すれば攻撃も当てやすいか」
目から鱗だと言わんばかりに関心した様子で手甲についた血を払うシャラだが、ごく当たり前のことである。肥大化した筋肉はいつの間にか元の大きさに戻っていた。
「相変わらず凄まじいな!リュガ族秘伝の練命行は!」
フォルはシャラと背中合わせに構えた。その背から伝わる安心感は長年共に戦ってきたが故。彼女が背中にいるのなら、何があろうとフォルは前を向いていられる。
「秘伝ではない。某らリュガ族は練命行を普及させたいと思っている。お前も会得しないか?習得するための鍛錬内容も公開しているはずだが……」
「だぁれがあんな被虐趣味者もびっくりの荒行するか!会得する前に身体が壊れるわっ」
シャラの血筋、リュガ族に伝わる命を練り上げ一時的に身体を強化する術。それが練命行である。熟練者は拳で岩を砕き、皮膚で刃をも受け止める。
彼女の言葉通りリュガ族はその習得方法を公開し、なんなら普及活動にも努めているのだが現状リュガ族以外には練命行を会得している者はほぼいないと言っていいだろう。
大前提として身体の一時的な変化に耐えられるだけの強靭な肉体が必要なこと。それをクリアした上で人体の可能性を引き出すために過剰なまでに肉体を酷使する習得方法。ようは練習が厳しすぎてリュガ族以外に習得しようとする者がいないのだ。
「ちょっと! 戦ってる最中に何話してんの! まだ二体倒せただけよ!」
短弓を背中に収納したミアが今度は腰から短剣を引き抜く。彼女の体格に見合った小振りなサイズのものを両手に二刀。持ち替えの動作に淀みは一切ない。今まで何十何百何千と繰り返した動作が身体に染みついている。
「お前は自分の心配をしろ!そっちに行ったぞ!」
フォルの言葉通り、残った三体の人猟犬は目標をミアへと定め、行動を開始していた。
接敵早々二体が倒され、フォルたちを強敵と認識したのだろう。とりわけ直接とどめを刺したフォルとシャラを要注意と判断し、小柄かつ孤立していたミアを標的としたのだ。群れの中で弱そうなものを率先して狙うのは獣の習性である。
襲いくる爪と牙、ミアは小柄な体躯を活かして一匹目の攻撃をダッキングで回避。そのまますれ違うように前進、背後からの爪が空を掻く。続けざまに横軸からくる最後の一匹の攻撃には、しゃがみ込んだ姿勢からグッと力を込め跳躍、空中でくるりと回転し着地した時には人猟犬を乗り越えている。
曲芸じみた身のこなし。三体同時の連続攻撃も通じない。流石に反撃までは手が回らないようだが、身体の柔軟性と空間把握能力がずば抜けている。
フォルの剣技、シャラの練命行、そしてミアの身のこなし。そのどれもが一般的な冒険者から見れば高い水準にあった。
それでも〈フォーマルハウト〉が前回敗北した理由はただ一つ。連携の有無。どれほど個人技が優れていようが、穴は必ずある。その穴を誰かが埋め、優れた部分をさらに伸ばすのが連携でありパーティーだ。
「背中ががら空きってな!」
攻撃を空振りした一体にフォルが斬りかかる。前回は個々人で戦闘していたせいで今と逆、囮役の一体に気を取られている隙に背後から攻撃を受け敗北を喫した。奇しくもその逆をやり返す形。
だが、一体の背面をとったフォルを向かいのもう一体の額の瞳が見ていた。
フォルの一撃が人猟犬の毛皮を薄く裂く。浅い。寸でのところでフォルの接近に気付いた人猟犬が回避行動をとったのだ。鳴き声による合図などはないが、明らかに見られていた動き。これこそが人猟犬が普通の狼とは大きく違う点。
「チッ! 感応能力か!」
人猟犬は一種のテレパシー能力を持っている。額の第三の眼は同族の視界情報を受信、共有する器官なのだ。それにより群れの人猟犬はあらゆる方向の視界情報を有し、不意打ちを防ぐ。対象との距離を多角的に把握するので距離感も正確だ。
だが浅くとも傷をつけて怯ませたことで包囲の輪が崩れた。その隙間へ身を滑り込ませたミアがフォルの横へと退避する。遅れてシャラも横につき、戦況は三体三、互いに同じ立ち位置関係で向かい合う形に。
「――なんか、初めて一緒に戦ってるって感じがする」
「分かる」
感慨深げに呟いたミアにフォルも同意する。シャラも同じく頷いた。
「んじゃ!新生〈フォーマルハウト〉、そのリーダーたる俺のもっとすごい所も見せちゃおっかな!かっこよすぎて惚れるなよ?」