第一章 もう後はないと思ってください(2/7)
「……冒険から帰ってくるといつもここでどんちゃん騒ぎしている貴方方にしては随分と大人しいですね。それでも十分騒がしいですが」
「ハウラ!」
黙していたフォルたちに話しかけてきたのは癖毛に眼鏡をかけた青年だった。年齢はフォルたちと同じほどだろうが、その身に纏う理知的な雰囲気はこの酒場という場所にあまり似つかわしくない。そういう意味では、今この場にいない元〈フォーマルハウト〉の神官に似ている。だがあの神官が白いローブを着ていたのに対してこちらは軽装の上に黒色のマントを羽織っていた。
「そうかそうか! 話を聞いてくれるか! まぁまぁ座ってくれ! おやっさん! エール一つ追加で!」
「いや僕はただ通りがかっただけで……」
「まぁまぁまぁまぁ」
半場強引にフォルが空いている席に座らせると、ハウラと呼ばれた青年は溜息を一つ。
「また君は強引に……」
「同じ五ツ星のよしみじゃねぇか。酒は奢るからさ」
運ばれてきたジョッキを渋々手に取ったハウラはもう一度溜息をついてからそれに口をつけた。嫌がりつつもその場を立ち去らないあたり、見た目ほどはお堅い性格ではないのかもしれない。
そんな彼は〈フォーマルハウト〉と同じ五ツ星の冒険者パーティー〈リゲル〉に所属する冒険者なのだ。同じ五ツ星ということでフォルたちとはそれなりに交流がある。依頼という仕事を奪い合う競争相手ではあるが、決して敵ではなく協力して依頼をこなしたこともある間柄だ。
黒色のマントは彼が星から力を借り受け超常を起こす術、星術の使い手たる星術師であることを示している。
「――それで、格下相手に負けたと聞きましたが」
「そうなの!なんか全然力が出なくて……」
いつの間にやら注文していた酒を煽って元気になった様子のミアが喰い気味に答える。先程の言い争いといい、惨敗した後にしては皆元気である。
「普段と違う点は……考える前もありませんね。エリク君の有無ですか」
一同が頷く。そこに要因があるのは疑いようもない。
「彼は神官でしたね。となると、やはり信仰術による補助のあるかなしかが大きいのではないですか?」
メイシス王国では十二柱の神々が信仰されている。それそのものを疑う者はこの国ではただの一人も存在しないが、とりわけ教会で修行を積み、神事を執り行う資格を得た者を神官と呼ぶ。神官の資格を得た者はその教義をより詳しくより多くの者に知らしめるために冒険者となることが多い。
そして冒険者側としても神官は歓迎される人材である。その理由は神官がその祈りによって神々から力を借り受けることができるからだ。その祈りよって力を借り受ける術を信仰術と呼ぶ。
「やっぱそれかー。あいつが〈光輝〉使ってると負ける気しねぇもんなー」
普段エリクが自分たちに施していた肉体強化の信仰術の効果をフォルが思い出す。〈光輝〉は信仰術の中でもよく知られているものの一つであり、祈りによって対象の身体能力を大幅に強化する。
うむとシャラが頷いた。
「今まで戦闘中は常にその状態だったからな……素の状態で戦ったのは初めてだ」
「なんか強化されてるのが普通だったから、なかったら身体が重いまであるのよね……」
そんな様子の〈フォーマルハウト〉にハウラはやれやれと肩を竦める。
「そこまで慣れきってるならどうして彼をクビにしたんですか」
「クビっつーか……。あいつも俺たちの事好きじゃないみたいだったし、それなら別々に活動したほうがいいかなって……。それに、〈光輝〉のあるなしでこんなに違うとは思わなかったし……」
「五ツ星まで来た冒険者が今更そんな……いえ、貴方方のパーティーのことに僕が首を突っ込むべきではありませんね。ともかく、〈光輝〉がかかっていない時の戦闘方法をよく思い出したらいかがですか?」
「そんな場面あったか?」
「ないんじゃない?」
「ないな」
「いやいや……〈光輝〉は個人を強化する信仰術です。つまりかけられている人以外は素の状態のわけですが」
「いや?いつも全員強化されてたぞ」
ハウラが怪訝に眉を顰める。
「細かいことをかもしれませんが、複数に同時に〈光輝〉をかけることはできませんよ。効果はかなり下がりますが、複数の対象を強化する信仰術は〈光輝陣〉です。冒険者なんですから神官でなくとも信仰術の名称ぐらい覚えていてください」
首を傾げるフォルたちを無視してハウラが続けた。
「それより、メンバーが一人減ったのです。まずは立ち回りを見直すことが大切なのではないですか。基礎的なこと過ぎて言うまでもないでしょうが」
しかし〈フォーマルハウト〉の面々の顔色は難色を示していた。
「立ち回りっつっても……なぁ?」
「今までそんなこと考えたこともないし……ねぇ?」
「うむ」
「そんなことはないでしょう! ソロの傭兵じゃないんですから」
しかし他の面々は顔を見合すばかり。
「……整理しましょう。戦闘が始まると……フォル君、君は何をしますか?」
「目についた敵をぶった斬る」
「ミアさんは?」
「目についた敵をぶっ刺す」
「……シャラさんは?」
「目についた敵をぶん殴る」
ハウラが額を抑えて呻いた。脳筋レベルでいえばシャラも他の面々もなんら変わりない。
「……貴方方、寧ろ今までよく五ツ星を維持できましたね」
同じ五ツ星としてハウラはそう思わざるを得なかった。五ツ星の称号を維持するために日々精進している彼としては、同格のフォルたちのこの体たらくなんとも複雑な心境である。
「よせよ照れるぜ」
「褒めてませんよ」
誰もが憧れる五ツ星冒険者パーティー〈フォーマルハウト〉。その知られざる実態。
「では今までエリク君はどうやって自分の身を守っていたというのですか。せめてパーティーの要である神官を護る役目の人はいたはずですが」
「んなもんあいつが自衛すりゃ済む話だろ。信仰術に盾を出すやつとか吹き飛ばすやつとかあるじゃねぇか」
信仰術に攻撃的なものはほとんどない。その力は誰かを守る力であり、他者を痛めつけるためのものではないのだ。
「ありますが、それは緊急事態に対処するものであって常に頼りにするようなものではありません。それでずっと凌いできたとすると、エリク君は相当な使い手ですね……」
「……それぐらい普通にできるもんじゃないのか?」
「普通は不可能と言ってもいいでしょう。ある程度知能のある相手なら神官は真っ先に狙われるポジションですし」
信仰術としてもっとも広く知られているのは傷を癒す術である。その性能は術者の練度に大きく寄るが、身体の不調を治すことに関して信仰術、つまり神官の右に出る者はない。医療機関を教会だけで賄っている町や村も多いぐらいなのだ。その神官の能力は多くの者が知るところであり、まず神官を落せ、というのは不謹慎ながらも戦闘の鉄則である。神官は自身の傷を癒すことができないのだ。
「俺、皆あんなもんだと思ってたわ……」
「私も……」
「某もだ……」
最初というものは冒険者に限らず重要だ。一番最初に見たもの、慣れ親しんだものがその後の普通になる。期待値の境界がそれで決まる。
その点、エリクという神官は最初に出会うには相応しくない人材だったようだ。
「もし貴方方がそのままでいたいなら、今すぐエリク君を説得して戻ってきてもらうことを勧めますが」
その勧めにはフォルがフンッと鼻を鳴らして応えた。
「やっぱり俺達が間違ってました。戻ってきてくださいってか? だぁれがそんなこと言うか!」
「同じ五ツ星のよしみで忠告しますが……」
フォルの言葉を借りつつ、ハウラが眼鏡の奥の瞳を細める。
「ノリと勢いだけで維持できるほど五ツ星の称号は甘くはありませんよ」
「んぐぐ……」
その時、『瑠璃の兜亭』の戸が開いた。新たに入ってきた人物はフォルたちの横を通り抜け、カウンターに一枚の羊皮紙を置く。
「――依頼の完了報告です」
「おお、ご苦労さん」
ルッツがそれに目を通し、所定の手続きと共に報酬の入った包みを手渡した。
「神官だと出張治療依頼があるから一人でも食い扶持には困らんな。一人で街道を往くのは危険だが」
「ええ、まぁ……」
口数も少なくやりとりを終えるとそそくさとその人物はその場を後にした。
去り際、チラリとフォルたちのテーブルへ視線をやった彼は、そのボロボロの様子を見て――
「…………フッ」
小さく鼻で笑った。
彼、エリクが店を出ていった直後、
「……ぜってー戻ってくれなんて言わねー」
「賛成。あいつ性格悪いもん」
今一度その意思を確固たるものにしたフォルとミアだった。
「まぁ、エリク君があまり社交的でないのは確かですね。正直、貴方方の話を聞いて彼がそこまで優秀な神官だと知って驚いています。秘密主義なんでしょうか」
「知るかよ」
フォルはそう吐き捨てた後、
「知ろうとしたけど、知れなかった」
そう小さく呟いた。だからこそ、彼を抜けさせたのである。
「話を戻そう」
脱線していた話をシャラが取りまとめる。
「某らはエリクを説得するつもりはない。言って戻ってくるとも思えぬ。ならば、ひとまずこの三人で五ツ星を維持するための方法を考えねばならない。そのためには立ち回りを見直す必要があるということだが……」
三人の視線がハウラに向いた。
「……なんですか」
嫌な予感にハウラが席を立とうとするのをフォルが肩を押さえて引きとめる。
「ご指導、ご鞭撻のほどよろしくおなしゃす! ハウラ先生!」
「いや僕はこれから出かけようと……」
「そんなこと言わずにさぁ……頼む!」
必死に懇願するフォルにハウラは何度目かの溜息。
「まったく……貴方にはこの間〈星辰物〉を譲っていただいた恩がありますからね。仕方ありません」
「あれか?あれは気にすんなよ。偶然遺跡で見つけたけどうちに適合者はいなかったんだ。無用の長物ってやつだよ。道具はちゃんと使いこなせるやつの手にないとな!」
そう言ってフォルは自身の背中を親指で示した。そこにはいつも、専用の鞘に収まった両手剣が背負われている。
五ツ星冒険者パーティー〈フォーマルハウト〉、そのリーダーであるフォルを象徴する彼の愛剣である。
「――そういう富や名声に拘り過ぎないところが、貴方方が五ツ星である所以なのかもしれませんね。では少々頭が残念な貴方方にも分かるように基本の連携についてお話しましょう」
「ちょっとハウラ?この馬鹿はともかくあたしは残念じゃないわよ?」
「胸が残念だろ」
「んだとテメェコラァッ!!」
依頼に失敗して逃げ帰ってきた後だというのに、元気に取っ組み合いの喧嘩を始めたフォルとミアにもう一度ハウラは溜息をついた。