第五章 ばーか(4/9)
「一体目ぇッ!!」
淡い光を纏ったフォルの一撃が有翼族の胸を裂く。
ギェアアアアアアッ!!
甲高い悲鳴を上げよろめき、地に倒れ伏そうとした有翼族を空から舞い降りた他の二体の有翼族が両脇から支えた。三体とも淡い光を纏っている。誰が使用した〈光輝〉かは明白だろう。
「一旦引くぞ!」
有翼族の中でもリーダーらしき隻眼の有翼族がそう指示を出し、怪我をした一体を抱えて空へと舞い上がる。
「もうそいつは助からねぇよ。我が星に乞う!」
フォルの持つ星剣ファム・アル・フートが命を喰らう輝きを放つ。すでに有翼族は戦域を離脱していたが、遠目からでも仲間に抱えられた一体がビクンと跳ね、脱力したのが見てとれた。荒野に紅い雨が降る。憤怒に燃える隻眼がフォルを睨んでいるのが分かった。
「怪我人はさっさと神官の治療を受けろ! 星術師は攻撃再開だぁ!!」
フォルの号令に兵たちがおおおおお! と雄たけびを上げて続く。
「こら貴様ぁ! 将軍は儂だぞ!!」
「堅いこと言うなよおっさん」
「アルフレード将軍と呼べぇ!!」
将軍の叫びも虚しく、すでに兵たちの一部はフォルに尊敬と憧憬の眼差しを向けている。
「すげぇ! やっぱ元五ツ星はちげぇよ! 俺たちじゃ手も足も出なかった魔族を圧倒しちまった!!」
「最初は調子出なかったみたいだけど、本気になってからはやばかったな!!」
そんな声が聴こえてきてフォルははははと乾いた笑いを漏らした。
(〈光輝〉がかかってなくて苦戦してただけだっての)
特訓の末、〈フォーマルハウト〉の新たな神官のナナカは前任のエリクと同程度の強化レベルの〈光輝〉を使えるようになった。ただ、一度に強化を施せるのは一人のみだ。それが本来の〈光輝〉という信仰術なのである。
そしてこと〈光輝〉を受ける者としてフォル、ミア、シャラはこれ以上ない適任だ。エリクがいた頃は戦闘時は常に〈光輝〉がかかった状態だったが故に、その身体が強化されることに慣れ切っているのである。まさしく、さきほどミアがトルスムに言ったように援護されてきた経験が違う。その経験が爆発的な戦闘力の向上を生む。
「やっぱり皆さんはすごいです。普通の人ならこの強度の〈光輝〉を受けたら制御できずにまともに動けないはずなのに……」
再開された星術の爆発音の中、新たな〈フォーマルハウト〉の要となったナナカが呟く。彼女がいかに適切なタイミングで〈光輝〉の対象を切り替えるかが〈フォーマルハウト〉の戦闘力を大きく上下させる。
〈光輝〉の強度を上げることそのものは実際そこまで難しいことではない。寧ろ、対象の力量に合わせて出力をコントロールすることが神官の腕の見せ所だろう。それをナナカは自分の限界出力でフォルにかけている。常人なら肉体を制御できずに一歩歩いただけですっ転ぶような出力なのである。
「エリクと共に戦った日々も無駄ではなかったということだな」
ナナカの隣でその護衛に勤めるシャラがそう口にしたが、すぐにその表情を曇らせる。
「――それによって得た力で、あいつを討たなければならないのが残念でならない」
シャラも、もちろんミアもエリクを討つ覚悟を決めている。それを今しがたの交戦ではっきり意識させられた。
「やっぱ魔族にも〈光輝〉かかってたな。魔族にも信仰術はかけられるんだ。少なくともエリクなら」
少し前までは自分たちが授かっていた恩恵が敵に回っている。それが何よりの恐怖だった。フォルたちだからこそいっそうその脅威度が分かる。
「そもそも〈光輝〉を複数にかけている時点でおかしいですよ……。こんなの信仰術じゃない……。いったい、エリクさんは何の術を使ってるっていうんですか……」
フォルたち以上にナナカが戦慄したのは、敬虔なアリエの信徒故。自身の常識が目の前で塗り変えられていく。その事にナナカは怖気を覚えずにはいられなかった。
「あいつがなんなのか。それは俺たちにも分からねぇ。だけどこれだけは分かる。あいつはここで倒さねぇといけねぇ」
有翼族たちは城に引っ込み、以後音沙汰はない。このまま何も起きなければ城が破壊されて魔族たちは瓦礫の下敷きとなるだろう。
(このままいけば魔族共に勝ち目はないぞ。さて、どうするエリク?)
「エリクの旦那ァ! 早くアシャンパを治してやってくれ! まだ息があるんだ!」
アザミル城塞に引っ込んだトルスムはすぐさま負傷した仲間の有翼族を頼りになる神官の元へと連れて行った。瓦礫や古びた調度品などが片づけられた城内には代わりに手製の武具や医療台などが並べられ、そこを護ると決めた魔族たちの覚悟が窺える。
「そこに寝かせてくれ」
錫杖を手にした黒髪の青年、エリクはすぐさま手を傷口に当てて治療に入る。
「ッ! トルスム! アシャンパは誰にやられた?」
傷口に手を翳したエリクがその傷の異質さに気付いた。エリク以外ならば気付くまい。それは昔見慣れた傷痕だった。
「ああ? 赤髪の人間の雄だ! それがどうしたい!」
エリクがギリッと奥歯を噛みしめる。
「彼の者の傷を癒し給え――」
手の平から発せられた光が傷口を覆う。だが傷の治りが極端に遅い。この瞬間にも深い傷口から血は流れ続け、今にも一つの命が消えそうとしていた。弱々しい苦悶が嘴から漏れる。
「旦那ァッ! 何やってんだよ!! いつもならどんな傷も一瞬で治しちまうじゃねぇかッ! 早くアシャンパの傷を塞がねぇと死んじまうッ!!」
「静かにしろトルスムッ! これは普通の傷じゃない!」
そうトルスムを一喝したのは片耳の狼牙族だった。
「普通の傷じゃない? どういうことだアルシャ!」
片耳の狼牙族、アルシャは自らの右腕の手甲を外しトルスムに腕を見せた。そこには消えぬ傷痕がある。塞がりはしたが、エリクの信仰術の腕を持ってしても傷痕を消すことはできなかった。
「その赤髪はアルシャにこの傷をつけたやつだ。そいつの持つ黒い剣に斬られた傷は掠り傷でも致命傷になる。アルシャもそれで死にかけた。その時にエリクに会ってなかったらとっくにアルシャは死んでる。エリクに聞いていただろう! そいつは特に気を付けないといけない相手だって!」
トルスムは俯き、憎々し気にカツカツと嘴を鳴らした。確かにエリクにそのことは聞いていた。だが、エリクによって強化された状態なら問題にならないと思っていた。アシャンパもそうだったろう。だから、油断した。
「く……でもアルシャは生きてる! アシャンパも死ぬこたぁねぇんだろ!?」
トルスムが叫んだのと、アシャンパの身体が脱力したのは同時だった。
「おい……オイ嘘だろ!? エリクの旦那ぁッ!?」
エリクはもう動かなくなった魔族の瞳に手を当てて瞼をそっと閉じてやった。
「……傷が深すぎる。傷が癒える前にアシャンパの体力が持たなかった。すまない」
いくらエリクが規格外の神官であろうとも、一度失われた命を蘇らすことはできない。たとえ神であったとしてもできぬだろう。
「僕の作戦がまずかった。まず星術師を落とせれば戦況は一気に傾くと思ったけど、それは相手だって分かっているはず。正直、あいつらを舐めてた」
自分の、エリクの〈光輝〉がない状態のフォルたちなど、〈光輝〉を受けたトルスムたちの敵ではないとエリクは思っていた。
「トルスム。こっちに。お前の傷を治す。……誰にやられた?」
トルスムはしばし同胞の亡骸に視線を落とし震えていたが、やがて顔を上げてエリクの治療を受けた。
「……緑髪の雌だ。俺と同じく強化されてるみてぇだったが……俺の方が一方的にこのザマよ」
(ミアか……)
彼女の役割は本来斥候だ。だがエリクが〈フォーマルハウト〉にいた時はエリク以外全員が攻撃役だった。フォルだけなく彼女の戦闘能力も油断ならない。もちろんもう一人のシャラも。
トルスムの傷は一瞬にして塞がった。ミアは手ごわいが、彼女のつけた傷ならば死んでさえいなければエリクはすぐ治せる。トルスムは少し複雑な表情で翼を羽ばたかせ、自身の身体を確認した。身体中にあった切り傷が一瞬で消えている。これほどの治癒能力がありながらも、あの赤髪の人間につけられた傷は治せないのか。
「どうする、エリク」
アルシャにそう問われたエリクはしばし黙した。彼の言葉を他の魔族たち全員が待っている。もはやエリクは彼らの支柱、魔族たちは皆エリクを信頼し、そして依存しているのだ。共に暮らす内に、その力の一旦を知るたびに自然とそうなっていった。強き力に服従するのは、魔族の本能なのかもしれない。例え異端であろうとも。
「――全員、出陣るぞ! 正面からやつらを迎え撃つ! 僕が君たちを死なせないッ!!」
カァン! とエリクが錫杖を鳴らすと同時、魔族たちの咆哮が城塞に響き渡る。