第五章 ばーか(1/9)
メイシスの南西には何もない荒野が広がっている。ところどころに灌木が生えてはいるものの大地はやせ細り、人が住むにはいささか過酷な環境だ。その荒野を進むと突如として目の前に現れる緑の壁が人間の領域と魔族の領域を隔てるフォグミット樹海である。様々な要因が重なった結果、荒野のただ中にできた養分ある大地に植物が密集し樹木の迷宮と相成った。
アザミル城塞はかつてその樹海から魔族が侵攻してくるのを見張るために建設されたと言う。だがその城塞が健在であった頃、ただの一度も樹海を越えてこようという魔族の軍勢は現れず、例え領土を侵犯されても簡単に取り返せる荒野の防衛よりも他の防衛拠点に人を割く必要があることから次第にその城塞は廃れていった。そこで暮そうにも周囲の開墾は難しく食料などは輸送に頼らざるをえないため、維持費のことも考えるとあるだけ無駄と判断されずいぶん昔に廃棄されることになったのだ。
ただの一度も魔族から人間の領域を守るという本来の役目を果たせなかった城塞が魔族の隠れ家になるとは皮肉なものである。
荒野に設置された急ごしらえの陣地の一角、いくつものテントが並ぶ中でもっとも中心にあり、もっとも大きなテントの中に〈フォーマルハウト〉の面々はいた。
時刻はすでに夜。遮るものも何もない漆黒の天幕に銀の砂がばら撒かれ、煌々と輝く篝火の灯りと共に暗闇を押しのけ合っていた。
「正面から攻めるしかねぇだろ」
作戦会議が始まって開口一番そう言った赤髪の青年に歴戦の将軍は頭を抱えた。
身体中に刻まれた傷痕は今まで幾度もの戦場を越えてなお生き残った勲章。蓄えられた顎鬚は威風堂々と。髭に白髪が混じり始めたのが最近の悩み。
レマイト三世がフォルに同行させた将軍、アルフレードは見た目に違わぬ経験と実績を持つ名将である。
「あのなぁ……城攻めはそう容易いことではない」
将軍は溜息を盤上の戦略図へと落とす。落とすべき城を中心にいくつかの駒が置かれ、戦況を一目で把握することができる代物だ。
現在、アルフレードと〈フォーマルハウト〉はそれを囲んで明日に向けての作戦会議中である。
「偵察隊からの報告によると魔族の数はおよそ五十ほど。大した数ではない。数の上では我らは圧倒的だ。だが、城攻めをする場合はそれでようやく五分だ」
建築に膨大な費用と時間がかかり、維持費もかかる。だがそれだけの価値があるのが城だ。周囲の堀を越えて城内に侵入することの困難さはもちろんのこと、侵入してからも防衛有利な状況が続くことになる。
ましてや相手は魔族。個々の身体能力はこちらの兵よりも上である。閉所で数の有利を活かせない場面なら多少の数的不利は覆されかねない。
「ここはやはり陽動作戦だろう。幸いアザミル城塞の修復は突貫工事な上に穴が多い。本体が荒野側に布陣し、お前たちを含めた少数の精鋭部隊で樹海側から城内へ侵入、敵の親玉を討つ」
アルフレードが駒を動かしていき作戦の概要を説明していく。
「本来なら、もっと腰を落ち着かせて取り掛かりたいところだがな。兵糧攻めならばこちらの被害はほぼない。だがやつらには空を飛べる者がいる。食料を空輸されれば長期間持ちこたえられてしまう」
高空を飛ばれれば弓で狙うのも困難。ならば、城塞の修理が不完全な内に早々に叩く。
「ないな」
「ないわね」
「うむ、ないな」
「え? あ、はい、あの、ないん……じゃないです?」
三人とそれにつられた一人にきっぱりと否定され歴戦の将軍はしかめっ面を隠そうともせずに説明を求めた。
フォルが樹海側から攻める少数部隊の駒を指で弾く。
「樹海で魔族と交戦するのは避けたい。俺たちはまぁなんとかなるが、同行する星術師の射線が通らない。それに、足場の悪い地形での戦闘は魔族に圧倒的に分がある」
「樹海で戦闘するわけではない。あくまで身を隠すために樹海に入るのだ。本格的な戦闘は城に潜入してからだ」
「近づく前にバレる」
「当然風向きに注意し、匂い消しも使う。それならばそうそう魔族には見つかるまい」
「魔族じゃねぇよ。エリクにだ」
フォルはアルフレードに羽ペンを寄越すように手を出した。
「信仰術には〈星域〉という術がある。自身の周囲の状況を細かに把握する術だ」
アルフレードがインク壺に刺さった羽ペンを壺ごと手渡しつつ、
「〈星域〉の感知範囲はせいぜいが二十メルトル程度であろうが。それぐらい近づけばいかようにもでも……」
「あいつの〈星域〉はこれぐらい」
フォルが羽ペンで戦略図に城を中心にした大きな丸を書いた。
「ちょっと小さいんじゃない?」
「あ、やっぱり?」
そんなやりとりをするミアとフォルの二人を、将軍と新人の神官は亜然として眺めた。
「ば、馬鹿を言うな!これでは半径五十メルトルはあるではないか!」
「そうですよ!こんな規模の〈星域〉なんて展開できるわけありません!もしできたとしても情報量が多すぎて頭がパンクしちゃいますよ!」
「実際はこんなもんじゃねぇよ。あいつは状況に応じて探知領域の形を変える。細長くしたり、精度を下げればもっと広範囲まで探知できるんだ。んで、基本的に戦闘中は〈星域〉は発動しっぱなし。あいつと一緒に冒険してた頃、俺たちはただの一度も不意打ちを受けたことがねぇんだよ」
「それは……いや、もしそれが本当だとしてもただの正面衝突よりかは……」
「戦力の逐次投入は愚策……小分けにするのも同じ事だ」
「ぐ、若造が、知ったような口を……!」
将軍としてのプライドがアルフレードの頭に血を昇らせる。だが、それを努めて冷静にフォルは受け止めた。
「おっさん。兵隊を統率するなら俺たちよりおっさんのほうが何倍も上手い。戦術の知識のレベルが違う。そんなことは分かってるんだよ。ただな、エリクのことなら俺たち以上に知ってるやつはいない。そんな俺たちだから分かるんだ。この戦い、数的有利をとれなくなった瞬間に勝ち目はなくなる。ま、もっとエリクのことを知ってやってたらこんなことにはならなかったんだろけどな……」
最後の言葉は消え入るように小さく。
「むぅ……」
まだ不機嫌そうではあるがアルフレードはまだ続きがありそうなフォルの話の続きを促す。
「一番注意しなくちゃなんねぇのが〈光輝〉だ。俺たちは〈光輝〉による肉体強化で五ツ星まで上がってこれたと言っていい。同時に何体まで強化できるのかは分からねぇが、〈光輝〉によって強化された魔族はとんでもない強さになるはずだ」
かけられた者の身体能力を何倍にも高めるエリクの〈光輝〉。当然、元の身体能力が高ければ高いほどその最大値は跳ね上がる。それを魔族が受けるとなると、並みの兵士では束になってもかなうまい。
「待ってください!」
だがその言葉にはナナカが待ったをかける。
「信仰術は神の力を借りて行使する術です。それが、神の敵である魔族に効果を及ぼすとは思えないのですが……」
そもそも、魔族に対抗するため人間に授けられた力が信仰術のはずだ。それが魔族を手助けするとなれば根本的な神話が揺らいでしまう。
「そういう専門的なことは俺にはよく分からねぇ。けど、少なくともあいつらは俺たちたちを前にして逃げてねぇ。あの少人数で勝てると思ってるんだ。何か策があると思ったほうがいいだろ。それに……」
認めざるをえない。どうしようもない真実。
「エリクは規格外だ。常識は通用しないと思ったほうがいい」
俄かには信じがたいが、そう言われればナナカも閉口せざるをえない。
「こちらの数の多さを活かすには城内には入らないほうがいい。少しずつ外におびき出して数と星術でもって確実に一匹ずつ倒す。倒す時は一気にだ。手傷を負わせても死んでなけりゃエリクに治癒されて戦線に戻ってくるかもしれねぇ」
これだけ数に違いがありながら慎重に行動せざるをえないのはこちら。エリク・ハヴェルカという規格外の神官の存在がそうさせる。いや、フォルの言うことが全て現実に起きれば、もはや彼を神官と呼ぶのは難しいだろう。
「これが一番被害が少なく済む方法だと思う。どうだろう、おっさん」
アルフレードは自慢の顎鬚を撫でる。先程は思わず怒鳴りかけたが、相手が若造でも理があると分かればすぐに鉾を収めた。自身の戦歴に誇りがあるからこそプライドがある。だが、それに固執して大局は見失わない。そういったところが彼を今日まで生かしているのであろう。
「お前たちはどうするのだ」
「当然」
フォルは手近な駒を盤上を動かす。動かした先はアザミル城塞跡地正面。
「最前線だ。俺のファム・アル・フートで負わせた手傷ならいくらエリクでも治癒できないはず。確実に相手の戦力を削れる」
他の〈フォーマルハウト〉のメンバーも頷いて見せる。
元仲間の不始末は自分たちでつける。その覚悟がその表情から読み取れた。
「……よかろう。では明日はそのようにしよう」
「ありがとう。おっさん」
大まかな作戦の概要は決まった。残りの細かな概要を詰めてから決戦前夜の作戦会議は終了となった。
星は依然として天高く瞬いている。
「女神アリエよ……どうか我らにご加護を……。道を踏み外してしまった者を正せるだけの力をお授け下さい……」
ナナカの祈りが夜空に染み込んでいく中、歴戦の将軍はふと思い出したように自分たちのテントへと戻ろうとするフォルを引きとめた。
「おい。おっさんは止めろ。アルフレード将軍と呼べ」




