第三章 出会えたことには意味があるはずなんだ(2/4)
「お前……どうして……」
男たち以上に困惑しているアルシャの声を背中に聞いたエリクは、振り返らずに言った。
「――そこでジッとしてろ」
「我が星に乞う! 雷槍よ、貫けッ!」
星術師の手に青白い閃光が集まり、放たれた。神々が授けてくれた星から力を引き出し、世界に干渉する術。それが星術である。この技術は神が使い方を示した信仰術とは違って人間が自ら編み出したものだ。よって神の意思に反するのではないかという声も少なからずあるが、より神の威光を示すための力であるといった理由で正当化されている。
「光よ、護り給え」
光の障壁が雷の槍を受け止めた。バチバチと音を立てる雷撃の余波が周辺の草木を焦がし、ツンとした臭気が鼻をつく。
次いで奥の一人が放った矢を右手に持った錫杖で叩き落とす。まだエリクの身体は淡い光を放っている。〈光輝〉によって動体視力も高められているのだ。〈光輝〉と守りの〈光盾〉をエリクはいとも容易く同時に展開している。
「この野郎ッ!!」
身軽な出で立ちの一人が短剣で斬りかかる。それを錫杖で受け止めたエリクだったが、
「悪く思うなよッ!!」
空いたエリクの左側に一人が片手剣で斬りかかる。さすがに多人数での戦いに慣れている。遠距離からの先制攻撃、矢による牽制、一人が動きを封じてからの本命の一撃。声をかけあわずともこれだけ動けるのだから大したものだ。
(〈フォーマルハウト〉とは大違いだな)
この窮地の中にあって、エリクはそんなことを思った。
迫る刃に向けて左腕を上げる。もう術を使う時間はない。
そして――
ボトッ
宙を舞ったエリクの左手首が紅い軌跡を描きつつ、腐葉土の大地に転がった。
「随分腕の立つ神官のようだが、神官一人で勝てるわけねぇだろうがよ」
人を斬るのはあまり気乗りしなかったのか、苦々しい表情で男は片手剣の血糊を払った。
エリクの使い古した神官服が赤く染まっていく。
「片手で勘弁してやる。だから、さっさとどっかに行っちまえ。どんな理由があるのかは知らねぇが、見なかったことにしてやるよ」
狙おうと思えば首を狙うこともできただろう。そうしなかったのはなるべく人を殺めたくなかったからか。
もっとも、エリクの腕からはダクダクと血が流れ出ている。出血多量でショック死してもおかしくない状態だ。
「……………」
エリクは手首のなくなった自分の腕を見てもまったく動じなかった。その様子に男たちが怪訝に思った刹那、
「戦神レイオの名に於いて、我の傷を癒し給え」
光がエリクの左腕に集う。次に起こった光景に男たちは己が目を疑った。
まず骨が生え、次に筋組織、そしてそれらを縫いとめるように血管が再生し、最後に皮膚が。瞬く間に、エリクの左手が元に戻っていた。まるで手首を斬り落とされたことなどなかったことのように。だが、朱に染まった白いローブと転がっている手首がそれが現実に起こったことだと教えてくれる。
「おい……なんだよそれ……。神官は自分の治療はできないはず……。しかも無くなった部位を再生させるなんて……」
神の力を借りて傷を癒す信仰術。それは他人を癒すという慈愛の精神に感銘した神が授けてくれるものである。自分の傷は癒せない。そのうえ、神の力を借りようとも欠損した部位を元に戻すのは不可能だというのが通説だ。それはもはや治癒ではない。再生だ。人間として範疇を越えている。
まさしく――
「ば、化物……!!」
すっかり元に戻った左手を握ったり閉じたりして神経が繋がったことを確認し、エリクは恐れ戦き後退する男たちを睨みつけた。
自分が神官という枠組みから外れている、ということに気付いたのは最近になってからだった。フォルらがエリク以外の神官を知らなかったのと同じく、エリク自身も自分以外の神官について疎かったのだ。
神官としての才能を見出され、教会で神学、信仰術の基礎を学んだ後はすぐに冒険者となった。親しい同期などいない。その後はずっとフォルたちと同じ。レイオ信徒の集会にも顔を出していない。そもそも戦神レイオに対して特別な思い入れもなく、もっとも戦闘に特化した信仰術を扱える戦神を選んだだけである。
(周りに馴染めず、人にできないことができる。なんなんだろうな、僕は……)
錫杖を横に一閃、半回転させ大地に突き立てる。
「去れ」
その一言が引き金となって、男たちは一目散に逃げ出した。
もともとアルシャが狙いだったわけではないのだろう。偶然魔族を発見したから始末しようとしたに過ぎない。正体不明の神官と争ってまで執拗にアルシャを狙う理由は彼らにはなかった。
(もう、冒険者じゃいられないな……)
冒険者どころか、大きな町に顔を出すことすらままならないだろう。彼らにはしっかりとエリクの顔を見られた。エリクが元〈フォーマルハウト〉の神官であるということはすぐに多くの者に伝わるだろう。そうなれば晴れてお尋ね者というわけだ。捕らえられれば魔族を庇った罪で処刑される。
「……怪我はないか」
振り向いたエリクを、怪訝な黄色い瞳が見上げていた。
「……お前は、いったいなんなんだ?」
「僕だって、知りたいよ。僕がいったいなんなのか……」
神に祈らなくとも術が使える。しかも、他の神官にできないことができる。なぜそんなことができるのか、エリクにだって分からない。
エリクが自嘲気味に笑ったのと同時、男たちが逃げていった方向から叫び声が響いた。ついで聞こえてくる金属がぶつかり合う音。
「なんだ……?」
あの男たちと何者かが交戦している。星術と思われる光が木々の隙間から目視できた。
エリクが〈星域〉で状況を把握しようとした矢先、音が急に静かになった。終わったのだ。代わりに、耳を澄ますと重い足音がこちら近づいてくるのが聴こえた。
フシュゥ――
木々の隙間から顔を出したのは、牛の頭をした巨人だった。ぎょろりと目玉がエリクに向く。その体躯はエリクより二回りは大きく、丸太のように太い腕に人間では持ち上げることさえ困難であろう粗悪で巨大な大剣を携えている。もはやただの鉄の塊だ。切れ味も何もないような代物だが、あんなもので斬りかかられればひとたまりもない。実際に、その鉄塊にはべったりと新鮮な血が付着していた。誰の血なのかは想像に難くない。
牛頭族。怪力で知られる魔族の一種族だ。本来二本で一対であるはずの角は片方が根元から折れている。今できたばかりの傷ではない。
「ようやっと見つけだぜぇ。無事でよかった」
エリクは最初、牛頭族が喋ったのかと思った。だが、違う。牛頭族の背後から顔を出したのは別の種族の魔族だった。
有翼族。鷹の頭部に張り出した胸、人間の腕に当たる部分には大きな翼。脚には鉤爪。二足歩行する猛禽類。飛行能力に優れた空の王者。だがその右目の位置には一条の傷が走り、片方だけの鷹の目がエリクを睨んでいた。
他にも数体の魔族らしき影がエリクを取り囲んでいるのが分かった。その数、二桁に届こうかというほど。これだけの数に襲われたとあってはあの男たちにはどうしようもあるまい。
だがエリクは落ち着いていた。普通なら恐怖のあまり腰を抜かしてもおかしくない場面だというのに。
理由は単純。エリクにはこの状況でなお逃げ切れる自信があったからだ。多少怪我をしたところでエリクの力ならすぐに治すことができる。
「ちゃんとアルシャの場所を伝えてくれたか……」
アルシャがそう呟いた。視線は牛頭族の足元に向けられている。そこには一頭の三つ目の狼、人猟犬の姿があった。
どうやらこの牛頭族らはアルシャの仲間らしい。おそらく、あの人猟犬を使って救助を求めたのだろう。
ならば、もうエリクが匿う必要もない。
「待ってろアルシャ、今そこの人間を始末する」
有翼族は脚の鉤爪で器用に短槍を掴み、その穂先をエリクに向けた。牛頭族も大剣で何度も地面を打ち、威圧しながらエリクとの距離を詰め始める。
(逃げるか……)
そう思いエリクが自身に〈光輝〉をかけなおそうとしたところ、
「待ってくれ」
そう魔族を制止したのは他ならぬアルシャだった。
「どうした? お前がやるか?」
有翼族の問いにアルシャはふるふると首を振る。
そして、まるで先ほどの光景を再現するかのように、前へ進み、エリクと魔族の間に割って入った。
「……どういうつもりだ。アルシャ」
魔族らが困惑する中、アルシャはゆっくりと言葉を選ぶ。
「こいつは……殺さなくていい」
「何を言ってる……? 人間だぞ? 俺たちの存在を知られたからには、始末しないと追っ手がくるぞ! しかもこいつは神官だぃ! 俺たちの一番の敵じゃないかっ!」
神と、星を裏切った者たち、魔族。彼らは神に支配されることを何よりも嫌う。その神の従僕たる神官など、もっとも彼らが嫌悪する存在だ。
だが、アルシャは引かなかった。
「こいつがいなかったら、アルシャはとうの昔に死んでいる。こいつがアルシャの傷を癒してくれた」
狼牙族は自身の右腕に視線を落した。そこにはいまだ消えぬ傷痕がある。忌々しい、星の呪いの痕。
「傷を癒しただとオッ? 人間が? そんな馬鹿なことがあるかよぉ!」
信じられないと身体で表現するように有翼族はバサバサと羽ばたいた。
そう思うのも無理はない。だが、アルシャの様子に有翼族はそれが真実だと知った。
「……何が狙いだぁ、人間」
アルシャの時と同じ反応。人間が魔族を助けたことに何も裏がないとは思えない。
「まぁいいやな。何が狙いかは知らねぇが、それでアルシャの命が助かったのなら、それでいい。失せろ人間。次会った時は容赦なく殺す」
隣の牛角族が何か言いたげに有翼族に視線を送る。
「どのみち、ここに長居はしねぇ。討伐隊を呼ばれたって俺たちはもうここにゃあいねぇさ」
どうやらアルシャの意思を尊重して逃がしてくれるらしい。
(楽でいい)
エリクの治癒能力は圧倒的だが、傷を負った瞬間に痛みを感じないわけではない。先程手首を斬り落とされた瞬間も、本当は泣き叫びそうになるほどの激痛が走っていた。一種の興奮状態であったから耐えられただけに過ぎない。戦わなくていいならそれが一番だ。
エリクは森の出口、牛頭族と有翼族がいるほうに足を進めた。警戒しつつも二体が道を開ける。
「――待て、人間」
呼び止めたのはアルシャ。
そして、次にアルシャが口にした内容にこの場にいる誰もが驚愕に目を見開いた。
「お前、アルシャたちと一緒に来ないか?」
思わず足を止めて振り向いたエリク。黒毛の狼牙族は、真っすぐにその瞳を見つめ返していた。




