第95話
普段では食べられないような柔らかいステーキをたらふく頂き、腹を膨らせたロークはゼルの用事があるということで食事を終えるや早々に解散の流れとなった。
「悪いね、本当はもう少し話したかったんだけど」「いえ、こちらこそごちそうさまでした」
「お父様、用事ってどちらへ?」
申し訳なさそうに謝るゼルに対してロークが頭を下げて感謝を述べているとレイアがそう尋ねた。
どうやら父親の用事が気になったらしい。
「ああ、少しビブリア廃神殿の方にね」
「ッ!!」
ゼルが口にした今回の目的を聞いた瞬間、ロークは驚愕で目を見開く。
「ビブリア廃神殿にですか? どうしてお父様が?」
「建物に結界を張りに行くんだ。とはいえ今回はただの下見だけどね」
「お父様が結界を?」
「いや、私はただの護衛で結界を張るのは別の精霊師だ。今回は強力な結界を張る為に少し時間が掛かるからね。その間、作業をしている精霊師たちを守るのが私の役目だ」
ゼルの説明を聞いたレイアは何故だと首を傾げる。
「どうして今更そこまでのことを? 四凶の封印が破られることなんてあり得ない筈なんじゃ……」
「まぁ、念の為だよ。最近は四凶の封印を解こうとする物騒な輩が現れているからね。上も流石に不安になんだろう」
訝しむにゼルはなんてこと無いように答えるが、ミーシャから四凶開放の一件を聞いているロークにはその言葉が嘘だとよく分かった。
念の為なんかじゃない。既に四凶の一体であるアぺプスが解放されている以上、このまま何も手を打たずに放置していたらビブリア廃神殿の封印も破られてしまうかも知れない。
幾ら封印が強力とはいえ、その可能性が高いと思っているからこそ、王国は宮廷精霊師であるゼル・ヴァルハートを含めた精霊師たちをビブリア廃神殿へと派遣することを決めたのだろう。
「…………」
「ローク先輩?」
ロークが険しい表情を浮かべながら黙っているとレイアが不思議そうな様子で声を掛けてくる。
「いや、何でもないよ」
ロークがレイアにそう答えているとゼルが優しげな笑みを浮かべながら肩に手を置いてくる。
「そう心配しなくても大丈夫だよ、アレアス君。アジ・ダハーカの封印を破らせるような真似は私たちが絶対にさせない」
「……よろしくお願いします」
こちらの不安を察したゼルの言葉にロークは頭を下げてそう頼み込む。悔しいが今は自分よりも遥かに優秀な精霊師であるゼルに任せるしか術が無かった。
「ああ、任せてくれ。ローク君はまだ時間も早いことだし、折角ならレイアとデ——ぐふッ!」
「お父様ッ!!」
「えっ? 今なんて?」
喋っている途中でレイアの肘鉄を受けたゼルが悶絶しながら蹲る中、最後まで聞き取ることができなかったロークは何を言おうとしたのを確認しようとするが……。
「何でもありません。それより。も先輩が良ければ少し街を散策しませんか?」
「それは構わないけど、その、お父さんは大丈夫なの?」
ぐぉぉと呻き声を漏らしているゼルの様子を見つめながらロークはレイアに確認を取るが、「知りません」と怒り気味の返答が返ってくる。
「お父様は放っておいてさっさと行きましょう、先輩」
「あ、ああ」
そう言って歩き出すレイアに手を引かれながらロークが後ろを振り返ると蹲った姿勢のゼルが満面の笑みを浮かべながら手を振っていた。
———大丈夫そうだな。
ピンピンしているゼルの様子を見て問題ないと判断したロークはレイアに引かれるがまま、共に学院都市を散策するのだった。
******
学院都市ガラテア北東、大市場へと足を運んだ二人はメインストリートあてもなくブラブラと見て回っていた。
「相変わらず、ここは賑わっていますね」
「そうだな、年がら年中騒いでいるイメージだ」
普段と変わりない喧騒に包まれているメインストリートを眺めながら楽しげに呟いたレイアの言葉にロークは同意する。
正直に言えば喧しいと思うことも多々あるが、今のロークは四凶の一件で気落ちしていることもあり、この騒がしさがどこか心地よかった。
「そういえば先輩、覚えていますか? 私がこちらに来たばかりの頃、一緒にクレープを食べに行きましたよね」
「ああ、あったな。途中で迷子になって凄いオロオロしてたよな」
あの時のことを思い出しいて笑みを浮かべるロークにレイアは「なッ!?」と恥ずかしげに顔を赤く染める。
「あれはまだこの辺りのことをよく知らなかったからですッ! 今なら問題無く辿り着けますッ!!」
「へぇ? それじゃ食後のデザートを食べて無かったし、レイアに思い出のクレープ屋まで案内して貰おうかな?」
「望むところですッ! ちゃんと辿り着けたら奢って下さいよッ!!」
「ああ、良いよ。前は奢って貰ったしな」
やる気なレイアの提案にロークは楽しげに応じる。するとレイアも楽しそうに「付いて来て下さい!」とクレープ屋への先導を始める。
人波をかき分けながら迷いなく進んでいくレイアの小さな背中をロークは見失わないように注意しながら後を追う。
暫くの間、特に何も考えずにレイアの後に付いていたロークだったが、三十分ほど歩いた辺りで違和感を覚える。
———あれ、こんな遠かったっけ?
クレープ屋へはレイアと行ったきり、ロークは足を運んでいないので正確な位置は把握していないが、こんな時間が掛かるような位置にあっただろうか?
少なくとも前にメインストリートからクレープ屋に向かった時は十分程度で着いた筈だが……。
「なぁ、レ———」
「大丈夫です。問題ありません」
ロークが言葉を言い切る前にレイアがそう答える。
しかし、その発言とは裏腹にレイアの表情からは自信の色が完全に消え去っており、その頬には冷や汗らしき汗が流れている。
ロークは若干、察しながらもレイアの言葉を信じて引き続き、彼女の後を付いていく。 そして更に二十分が経過した。
「…………」
「…………」
裏路地にてレイアとロークは重苦しい沈黙に包まれており、周囲の人々もそんな空気を察して二人を避けるように歩いていた。
「レイア」
「…………」
「一応、確認しておきたいんだけど……」
ロークはそう前置きした上でレイアをあまり傷付けない上手い言い回しを考えるが、何も思い付かなかったので直球で質問を投げ掛ける。
「迷った?」
「…………はい」
ロークの問いにレイアは暫し間を開けた後、諦めた様子で頷いた。
「どこら辺で迷った?」
「……メインストリートから逸れた辺りです」
「割と序盤からじゃないか」
記憶が正しければ開始五分くらいでメインストリートから外れていた筈だが、その時点で既に迷子状態だったのだろうか。
「レイアって意外と方向音痴……」
「それは間違いです。今日はいつもと初期地点が違った為に起きた事故です。決して私が方向音痴な訳ではありません」
「あ、うん」
多分、そういう人のことを方向音痴というんじゃないかなと思いながらも追及はせずにロークはレイアの言葉に頷く。
「まぁ、俺もクレープ屋の場所を正確に覚えている訳じゃないからな。どうしようか」
「……やむを得ませんね」
ロークがどうしたものかと悩んでいるとレイアが苦渋に満ちた表情を浮かべながらそう呟くと契約紋を輝かせてサラマンダーを呼び出そうとする。
「おい、ちょッ!?」
まさか、サラマンダーを呼び出して空からクレープ屋を探す気なのかとロークは咄嗟に止めに入る。
———ここであんな巨体を呼び出されたら大騒ぎになるぞッ!
「えっ」
そう思ってレイアの手首を掴み、止めに入るも時すでに遅くサラマンダーを顕現されてしまう。
『グルル』
「……へ?」
けれど現れたのは本来のサラマンダーとは似ても似つかない、強化合宿の時に見た小さな竜の姿をしたサラマンダーだった。
「あの、ローク先輩。その手が……」
「あ、すまん」
サラマンダーの姿を見て硬直していたロークはレイアのその一言で自分がずっと彼女の手首を掴んでいることに気付き、慌てて手を放して謝罪する。
「……いえ、それよりもどうして止めようとしたんですか?」
「いや、その、サラマンダーを呼び出して空から店を探そうとするのかと思って」
「しませんよッ! そんな非常識じゃありませんッ!!」
ロークの考えを聞いたレイアはそう言って憤慨する。そんな彼女にロークは謝罪をしながら何故、サラマンダーを呼び出したのか、その意図を尋ねる。
「サラマンダーがクレープ屋の場所を覚えているからです。万が一、私が迷った時の保険として」
「なるほど、そうだったのか」
『…………』
流石は最高位の精霊、しっかりしているなとロークが納得している一方でサラマンダーは主人に対して何か言いたげな様子で滞空している。
「何ですか、サラマンダー? 何か言いたいことでもあるんですか?」
『……グルル』
契約精霊からの不満を感じ取ったレイアがジロッと睨み付けながらそう尋ねるとサラマンダーは何でもありませんと言わんばかりに唸る。
「なら、クレープ屋に案内して」
『……』
サラマンダーはどこか不満げな気配を漏らしながらも指示に従って翼を羽ばたかせて先導を開始する。
「行きましょう、先輩」
「ああ」
ロークは最上位精霊にクレープ屋の道案内をさせるって何だか贅沢だなと思いながらレイアと共にサラマンダーの後を追い掛ける。
すると五分もしない内に前方の方に見覚えのあるカラフルな色彩の店が視界に入り、まさかと思いながら看板を確認すればしっかりとハッピークレープと書かれている。
『グル』
「…………」
「…………」
ほら、着いたぞという様子で振り返って鳴くサラマンダーに対してロークとレイアは何とも言えない表情で押し黙る。
「……思ったより近くにあったんですね」
「……そうだな」
まさかこんなに近くにあるとは思っていなかったレイアが自らの土地勘の無さにショックを受けているとパタパタと飛んできたサラマンダーが彼女の頭の上に着地する。
『グルル』
「……ぐぐ」
そのままサラマンダーはどこか揶揄うように尻尾でペチペチと頭を叩く。加えて念話で何かを言われているらしく、レイアは悔しげな呻き声を漏らしながら自らの精霊の所業に耐えている。
「…………?」
「先輩? どうかしましたか?」
「いや、ちょっとさっきから見られている気がして……。まぁ、とりあえず到着したことだし、クレープ食べようぜ」
少し過敏になっているだけだろうとロークは頭を切り替えるとクレープを食べて気分を変えるべく、レイアを引き連れて店内に足を踏み入れる。
「ほら、レイア。俺の奢りだから食べたいのを頼め」
「え、ですが私は結局、自分でここには……」
「サラマンダーはレイアの契約精霊なんだから、自分で辿り着いたのと変わらないさ。ほら、奢って貰える時は素直に奢って貰っとけ」
「ありがとうございます……」
レイアはロークのその言葉に感謝を述べるとクレープを選び始める。その様子は喜々としてとても微笑ましい。
「どれにしましょう……」
「……ん?」
メニューをジッと見ながら悩むレイアを眺めていると頭上にいたサラマンダーが翼を羽ばたかせ、店の窓から外へ出て行ってしまう。
「レイア、サラマンダーが……」
「ん? ああ、気にしなくても大丈夫ですよ。多分、そこら辺を飛んでいるだけなので」
「あ、そうなの?」
割とフリーダムな精霊だなとロークが思っていると「決めました!」というレイアの声が耳に入ってくる。どうやら注文するクレープを決めたようだ。
「どれにするんだ?」
「私はこのクレープにします。先輩はどうしますか?」
「なら俺も同じのを注文しようかな」
ロークはレイアの注文を確認すると同じクレープを店主に注文し、完成するまで店内で待つことになった。
「……何だか、こうしていると本当にあの時に戻ったみたいですね」
クレープができるのを静かに待っているとロークはレイアからそう話しかけられる。
「確かに、あの時もこうして期間限定のクレープができるのを待ってたな」
ロークは一緒にクレープを食べた時のことを思い返すと悪戯を思い付いた子供のように口角を上げる。
「思えば出会った頃はこうしてまた一緒にクレープを食べに来れるまで仲良くなれるとは思わなかったな」
「あ、あれは元を辿れば私じゃなくて先輩のせいじゃないですかッ!」
ロークの言葉にレイアは頬を赤くしながら異を唱える。レイアとて別に最初からロークを嫌おうとしていた訳じゃない。ただあまりにも戦い方が相手を馬鹿にしているように思えてしまったから反発してしまっただけだ。
「ああ、分かっているよ。あの時はごめんな」
「……いえ、あの時は私も、少しムキになって失礼な態度を取ってしまっていたので。その、私の方こそすみませんでした」
無論、ローク自身もそれは分かっている為、レイアの抗議を受け止めて素直に謝る。 するとレイアは予想以上に素直に謝罪されたことに動揺しながら自身にも非があったことを認めて頭を下げる。
「それじゃ、お互い様だな」
店主に名前を呼ばれたロークは出来上がった二つのクレープを受け取ると片方を差し出しならそう言って笑う。
「はい、そうですね」
レイアも差し出されたクレープを受け取ると同じように笑みを浮かべるのだった。
「……ところでこのクレープデカくね?」
「そうですかね?」
クリームが山盛りになった想像の倍以上の大きさを誇るクレープを眺めながらロークは違うクレープを頼めば良かったと後悔するのだった。
 




