第92話
お久しぶりです。
更新遅くなって申し訳ございません。
「アレアス様、こちらへ」
学院都市の北西部。
その日、俺は普段は行くことの無い貴族や商人、研究者を始めとする富豪層が住む区画の一つに存在する館へと足を踏み入れていた。
中に入るや燕尾服を纏った初老の男性の案内に従い、煌びやかな装飾の施された廊下をゆっくりと歩いていく。やがて突き当りの扉に到達すると男性は足を止めてこちらに振り返った為、俺も足を止める。
「それではアレアス様、こちらの応接間にて旦那様がお待ちしております。どうぞ、中へお入り下さい」
「は、はい」
恭しく告げる男性に対して緊張から上擦った声で返事をしてしまうが、男性は特に気にした素振りも見せずにドアノブを手に取るとゆっくりと扉を開ける。
「………」
中から放たれる威圧感に思わず回れ右したくなる衝動を堪えながら俺は意を決して扉を潜り、室内へと入り込む。
「待っていたよ」
すると円卓のテーブルの向い側のソファに侍女を控えさせて腰掛ける男性が俺を迎え入れてくれる。
パッと見る限り三十代にも見えるような若々しい容姿をした男性だった。銀色と赤色が混じった髪にどこか獅子を彷彿させる整った顔立ち、竜の紋章が刻まれた衣服を纏うその身体は服の上からでも鍛えられていることが分かるほど、がっしりとしている。
貴族らしい優雅さと気品、そして彼の二つ名でもある獅子の如き野性味。そんな相反する二つの印象を併せ持つ人物だった。
「君がアレアス君だね? 初めまして、私はゼル・ヴァルハート。ヴァルハート家の当主を務めている者だ」
「ろ、ローク・アレアスです。この度はヴァルハート様とお会いできて光栄です」
「ハハハ、そんなに堅苦しくならないでくれ。今日はただ一人の娘の親として接してくれると嬉しいな」
委縮する俺に対して男性、ゼル・ヴァルハートは穏やかな笑みを浮かべながらそう告げてくる。
ゼル・ヴァルハート。精霊師の名門一族、ヴァルハート家現当主にして『炎獅子』の二つ名を持つ宮廷精霊師であり……そして何より、我が後輩であるレイア・ヴァルハートの父親でもある男性だった。
「さぁ、遠慮せずに掛けてくれ」
「で、では失礼します……」
俺はゼルさんの言葉に従ってガチガチのぎこちない動きで対面のソファに腰掛けると姿勢を正して顔を上げる。
「良ければ紅茶でもどうかな?」
「ありがとうございます」
ゼルさんの言葉と共に侍女が慣れた手つきで要した二つのカップに紅茶を注ぎ、部屋の中に紅茶の香りが漂い出す。
尤も緊張のせいか喉がかわいていない俺は紅茶の注がれたカップを前にして微動だにせず、静かにゼルさんがカップを傾ける様子を見つめていた。
「ふぅ……。それじゃ色々と話したいことはあるけれど、まず一つ私が気になっていることを聞いてもいいかな?」
「は、はい………」
どこか緊迫した空気が漂う中、紅茶をテーブルに置いたゼルさんはそう前置きをした上で侍女に下がるように伝えると俺に視線を向ける。
「君と娘は一体どういう関係なのかな?」
「…………」
一体どう答えるのが正解なのか。
俺はゼルさんの質問の返答を考える傍らで一週間前の出来事を思い返していた。
******
四凶の復活を気にしながらもガレス達のアドバイスもあって普段通りの学生生活に戻っていたロークはその日、ガレスやリリーと講義が被っていなかったこともあって一人で食堂に赴き、昼食を取っていた。
「あの、ローク先輩、お食事中にすみません。少し宜しいでしょうか?」
「ん?」
ロークが注文したシチューを食べているとそう声を掛けられ、視線を向けるとレイアがどこか緊張した表情を浮かべていた。
「どうかしたか?」
「その、先輩に少しお願いがありまして……」
「お願い?」
一体、何のお願いだろうか。
ロークはそう言ってお願いの内容をきこうとするが、レイアは彼女らしからぬ様子で周囲を気にして一向に話そうとしない。
「……ふむ」
恐らく周囲の目がある場所では話しづらい内容のお願いごとなのだろうと察したロークは勢いよくシチューの器を持つと勢いよく掻き込んで中身を空にする。
「……んぐッ! ゴホッゴホッ‼」
「だ、大丈夫ですか⁉」
結果、一気に食べたことによって思いっきり咽るロークにレイアが慌てて駆け寄ると背中を擦る。
「だ、大丈夫。それよりもここじゃ話しにくい内容なんだろ? 場所を変えようか」
「す、すみません。ありがとうございます」
「ああ、ただ食器だけ返却してくるからちょっと待っててくれ」
ロークはそう告げて食器を返却口へと戻すとレイアと共に人気の無い場所を探して構内の移動を始める。
「そう言えば、また学位戦が始まるな」
移動中、掲示板に貼られている学位戦の連絡事項に気付いたロークはどこか強張った表情のレイアにそう声を掛ける。
「は、はいッ! 今回も勝ち続けられるように頑張りたいと思います!」
「お、おう、そうだな。お互い頑張ろう」
過剰にやる気をアピールするレイアの様子にロークはやはり様子が変だなと感じながらも深く追求をすることはせず、人気の無い場所を目指して廊下を歩いていく。
そのまま少し歩いて人気の無い校舎裏に到着するとロークは壁に背を預けながらレイアに視線を向けると改めて要件を尋ねる。
「それで結局、お願いって何だ?」
「はい、その件についてですが……」
「うん」
「その……」
「………」
「えっと……」
ロークはもじもじしたまま一向に本題に進まないレイアの様子を訝しげに見つめていたが、やがて頭の中に一つの可能性を思い浮かべる。
———そういえば……。
どこか挙動不審なレイアにこの人気が無い場所で二人きりのシュチュエーション、前に読んでいた小説のワンシーン……ヒロインの告白シーンと非常に酷似していることに気付く。
———もしかして俺、これからレイアに告白されるのか?
「……いや、無いか」
一瞬、その可能性に至るも冷静に考え直したロークは小さくそう零しながら苦笑する。
振り返ってみるとレイアから敬意を抱かれている可能性はあっても、恋愛的に好かれている可能性は薄いだろう。
「ロ、ローク先輩ッ‼」
「は、はい!」
そんなことを考えているとレイアから大きな声で名前を呼ばれたロークは我に返って慌てて彼女に視線を向ける。
まるで何か重大なことを決心したかのようなレイアの表情にあれ、やっぱり告白される? とロークは変な緊張感を抱きながら身構えていると———。
「お父様と会って頂けませんかッ⁉」
「い、いや、そんなこと……って、゛えッ⁉」
予想の斜め上を行くレイアの発言にロークは驚愕したのだった。
*****
「つまり、レイアのお父さんが俺に興味があると?」
告白でこそ無かったが、父親に会って欲しいという、これまた予想外のお願いに激しく動揺していたロークだったが、レイアから事情を聞いて落ち着きを取り戻すと改めて確認を取る。
「はい、大精霊演武祭の時の先輩の活躍を見て興味が持ったたらしく、父からの手紙に先輩のことが書いてありまして……」
「………レイアのお父さんってヴァルハート家の現当主だよな?」
「はい、そうですね」
頷くレイアの姿を眺めながらロークは何故だと内心で呟く。
ヴァルハート家の現当主、ゼル・ヴァルハートと言えば王国でも名の知れた宮廷精霊師の一人だが、そんな人物が自分に会いたいというのが信じられなかった。
そもそも自分の戦い方は個性的な……何なら精霊師の風上にも置けないような戦い方をしている気すらするが、果たして何がゼルの琴線に触れたのか。
「ちなみにお父さんの手紙にはどんな感じで書いてあった?」
「どんな感じと言われても普通に会ってみたいという感じですが……」
「普通……」
困惑気味なレイアの返答に質問の仕方が悪かったなとロークは反省しながら普通という言葉の意味を考える。
普通ということはそこまで悪い印象は持たれていないという認識でいいのだろうか。
「……ちなみに会うってヴァルハート家の実家の方でか?」
「いえ、近々お父様が所用でこちらに来るらしく、その時に会いたいと」
「なるほど、お父さんがこっちに来るのか……」
ということは他の用事で丁度、学院都市に来るからついで会ってみたいと言ったところだろうか。だとすればそこまで身構える必要は無いのかも知れないが……。
「………」
「あの先輩、如何でしょうか?」
ロークが腕を組みながらグルグルと思考を巡らせているとレイアから改めてそう尋ねられる。
「……ぜひ、会わせてくれ」
「……良いんですか?」
ロークの返答が予想外だったのだろう。驚いた表情を見せるレイアにロークは「ああ」と頷く。
「寧ろこちらからお願いしたいくらいだ」
素直な気持ちを言えば会うのは怖い。
けれど、いくら後輩の親とはいえ仮にも相手は大貴族だ。誘いを断るのは流石に失礼に当たるだろう。加えて言えば宮廷精霊師は精霊師の中でも選び抜かれた精鋭だけが務めることのできる職だ。
恐らく現役の宮廷精霊師と直接話せる機会なんて滅多にない。こんな貴重な機会を個人的な感情で折角の話す機会を無下にしてしまうのは勿体無い。
「分かりました、でしたら私から話したいという旨をお父様に伝えておきます」
「よろしく頼むよ」
「はい、日時や場所については決まり次第、また後ほどお伝えします」
ロークが頷くのを確認するとレイアはパタパタとどこか足早にその場から去っていく。
「………うしッ!」
遠ざかっていくレイアの後ろ姿を見送るロークは静かに息を吐き、気合を入れる。
どうなるか分からないが、これも経験だ。とにかく失礼のないように受け答えに注意しながら話すように心掛けよう。




