第63話
登り続けること数時間。
途中途中、細かく休憩を挟みながらもようやくロークとリリーは今回の合宿地点である八合目まで辿り着くことに成功した。
「つ、着いたな……」
「はぁ、はぁ……」
『グルルルル』
ちょくちょくリリーを背負って歩いたこともあり、疲労感を滲ませながら呟くローク。
その少し後ろで当の本人は汗をダラダラと流しながら牛歩の如き速度で必死に歩いていたリリーが限界を迎えて地面に倒れ伏せる。
そんなリリーのすぐ側には少し遅れている彼らを心配した主人によって派遣された銀狼の精霊、ベオウルフが彼女に向かって微弱な冷気を放ち続けてその身体を冷やしていた。
「お疲れ、二人とも」
「本当に疲れた……」
ガレスが労いの言葉に何とか返事をしながらロークは周囲に視線を向ける。
辺りにはテントらしきものが幾つも設営されており、その近くではロクスレイやレイアを始めとして先に到着した学生たちが各々、休息を取っていた。
「はい、水」
「サンキュー」
ロークはガレスから手渡された水筒を受け取るや思いっきり傾け、中に入っていた水を一気に喉へと流す。冷えた水が一気に体内へと流れ込み、全身に纏わり付いていた重りのような倦怠感が少しだけ軽くなった。
「……ふぅ、ちなみにこの後って何か予定あったっけ?」
「一応、運動はするらしいけど、休憩時間はしっかりあるから心配しなくて良い」
「そうか……安心したよ」
休憩という単語を耳にしてロークは安堵の息を漏らす。
このまま訓練を続けるなんて言われた日には文字通り死んでいただろう。
「とりあえずテントで休むと良い。動けるか?」
「おんぶ」
「どうやら元気はあるみたいだね」
ロークはリリーの真似をしておんぶを要求してみるも呆れたガレスにそう言って背を向けられてしまう。
やはりダメかと思いながら視線をガレスからリリーへと移すと彼女はのそのそとこちらに向かって歩いてくるベオウルフの背にその小さい身体を乗せていた。
「うぅ……」
「お疲れ、頑張ったな」
「君も何だかんだリリーに甘いよね」
苦しげに呻くリリーの頭をロークは撫でながら労いの言葉を掛けると前を歩いているガレスから揶揄うような口調で言われる。
「……まぁ、手が掛かる奴ほど可愛いってやつだな」
「ハハハ、気持ちは分かるよ」
「わ、わたしは…………」
「はいはい、お前は大人しくしてろ」
ロークの言葉を聞いたリリーが抗議の言葉を口にしようと顔を上げるも直後にロークから軽いチョップを頭に受けて「ぐふっ」という情けない声を漏らしながらベオウルフの獣毛へと沈んでしまう。
そのまま完全に力尽きたリリーを女子用のテントへと届けた後にロークとガレスも設営した男子用テントへと移動する。
「ところでここのテントってお前らが設置したの?」
「そんな体力と時間がある訳ないだろ。予め準備されてたんだよ」
「なるほど」
ガレスの説明を聞く限りミーシャが合宿に備えてここにテントの設営をしていたようだ。
「テントのメンバーも既に振り分けられていているみたいで君と僕は同じテントだったよ」
「おお〜、マジか。そりゃ、助かるわ」
ロークは思わず安堵の息を漏らしながら呟く。
合宿である以上、少なからず誰かしらと共に寝泊まりすることになるのは分かっていたが、それが気心の知れた友人であることは非常に有難い。
「ちなみに僕らのテントは三人用だからもう1人、同じテントを使う仲間がいるんだけど」
「あ、そうなのか。まぁ、別に大した問題は無いだろ」
仮にそれほど仲の良い相手じゃなかったとしても同じ学院の同級生なのだ、そこまで険悪な空気になることは無いだろう。
そんなことを思いながらロークが言うとガレスが何とも言えない表情を浮かべながら黙り込む。そんなガレスの反応を訝しげに思いながら自分たちが使用するテントへと辿り着いたロークは入り口を開ける。
『aa~』
『~♪』
まず視界に入ったのは真ん中にいる少年を挟んで抱き付いている二人の美女……否、二体の精霊だった。
左側から抱き付いているのは金色の髪を揺らす美女は腰から翼を生やした精霊、セイレーン。彼女は幸せそうな声で歌を唄いながら主人の左腕に自らの腕を絡ませている。
対する右側は下半身が魚の形状になっている美女、人魚姿の水精霊であるローレライだった。彼女もセイレーンも同様に主人の右腕に抱き付き、喜びのメロディーを漏らしている。
恍惚の表情を浮かべる二体の精霊を侍らせながら椅子に半裸で腰かけている少年、ケイ・トラルウスは精霊の頭を撫でていると入口の扉が開いていることに気付く。
「……よしよし。おや、戻って来——————」
気付けばロークは今しがた開けたテントの入り口を閉めていた。
「…………」
「…………」
全てを察して押し黙っているガレス。
その横で未だテント内の光景を情報処理し切れていない様子のローク。
「…………本当にここが俺たちのテント?」
「ああ」
暫くしてようやく再起動したロークが真顔でガレスに尋ねると彼はその通りだと頷く。
「いや、でも既に三人で使ってるぞ」
「その三人の内の二人は精霊だからね。実質、一人だよ」
「いやいや、もう三人みたいなもんだろ。だって三人いたもん」
否定の言葉を口にするガレスに対してロークはそう言い切る。
厳密に言えば机の上に置いてあった空のグラスにワインを注いでいる小人がいたりと三人どころの話でも無かった気がするが、細かいところは良いだろう。
問題なのは半裸の同級生が半裸の美女たちと抱き合ってたという事実だけだ。
「チェンジだ!チェンジ!こんな色情魔の住むテントで過ごせるかッ!今すぐ別のメンバーと交換しろッ!!」
「誰も応じる訳ないだろ……」
「なら予備のテント用意は!?」
「僕が聞いて無いと思うか?予備は無いよ」
「ならあの中で一夜を過ごせと?無理だろッ!?」
「ローク、抑えて。声が大きい」
叫び散らすロークにガレスはその肩を叩きながら声量を抑えるように伝える。が、ヒートアップし始めたロークはガレスの指摘を無視して文句を口にし続ける。
「お前も分かるだろ!あの雰囲気、どう考えても『自主規制』とか『自主規制』をするぞ!俺、喘ぎ声を聞きながら寝るとか嫌だよ!?」
「ローク、落ち着けッ!大声でとんでもないないこと言っているぞッ!」
「やれやれ、騒がしいな」
先程までの疲労感が想定もしない形で吹き飛ばしたロークを必死にガレスが宥めているとテントの入口が開き、中からケイ・トラルウスが姿を現す。
地肌の上からシャツを羽織っただけの姿で現れたケイはその美貌も相まって同級生とは思えないほど無駄に艶やかな雰囲気を醸し出している。
そんなケイはテント前で騒ぐロークとガレスに視線を向けるとやがて溜息を漏らしながら口を開いた。
「テントに入りたいならさっさと入れば良いだろう」
「誰のせいで入れなくなっていると思ってんだ」
呆れた表情を浮かべるケイにロークは憤慨しながら言う。あろうことか、お前がテントの中で契約精霊とおっぱじめようとしたからだろう……と。
「ん?ああ……そういことか」
訝しげな表情でロークの話を聞いていたケイは少し考えた末に納得した様子で頷く。
「フフフ、誤解だよ。幾ら僕でもそこまで非常識なことはしない。ちょっとしたスキンシップをしていただけだよ」
「お前、さっきのテント内での状況とその恰好と言い、説得力が全く無いぞ……」
否定するケイに対してロークは尚も疑いの目を向ける。というのも先程、精霊を左右に侍らせていたことと今のケイの格好が事後のそれしか見えないのが大きな要因の一つなのだが………。
「ああ、アレは単なるご褒美だよ。登山であの子たちには頑張って貰ったからね」
「ご褒美?」
「うちの子たちはああいう風に撫でたり抱き締められたりするのが好きなんだよ」
「いやいや、そんな………」
『…………』
『…………』
そんな訳無いだろうと否定しようとしたロークはテントの隙間から上下に並んでジロリとこちらを睨み付ける二つの瞳に気付き、言葉を止める。
———邪魔しやがって。
彼女たちのそんな思いを瞳から感じ取ったロークは「そうなんですね……」と頷くことしかできなかった。
「契約精霊の力をより引き出す為にもこういうスキンシップは必要なものさ。そうだろう、オーロット?」
「確かに僕もベオウルフの毛繕いとかはするけど」
「だろう?そういうことだよ」
「あれは毛繕いと同じなのか……?」
先程の契約精霊とのスキンシップを思い出し、思わず戦慄するローク。そんなロークに対してケイはどこか嘲笑うような笑みを浮かべると口を開く。
「まぁ、精霊と契約していない君には分からないか」
「よし、分かった。戦争だ、今ここで叩き伏せてやる」
「落ち着け、ロークッ!!」
勢いよく広げた依代から剣精霊を取り出し、斬り掛かろうとするロークをガレスは背後から羽交締めにして必死に抑える。
「ふむ、登山を終えたばかりで疲れてるかと思っていたけど元気そうじゃないか」
「君のせいだろう!?というか、急に煽らないでくれないか!?」
「まぁ、けれど流石に身体に疲労は溜まっているだろうからテントで休むと良い。丁度、オススメのワインを持ってきているから一緒に飲むかい?」
「人の話を聞けッ!って、待て!一人でテントの中に戻っていくなッ!!」
軽快な足取りでテント内へと戻っていくケイの背中へガレスは必死に声を掛けながら呼び止めようとするもまるで聞こえていないと言わんばかりの様子でテントの中へと消えてしまう。
そのあまりのマイペースさはどこかリリーを彷彿とさせ、必死にロークを抑えるガレスはこれからの合宿のことを考え、頭が痛くなり始めていた。
「野郎ッ!ぶっ殺してやらぁぁぁああああッ!!」
「お前も落ち着けぇぇええええッ!」
ロークの怒声とガレスの悲鳴じみた叫び声がキャンプ地に響き渡ったのだった。




